四_037 幸運の細道



「どうして……」


 降り掛かった現実を理解できない、と。

 どうしてこうなったのか。


 世の中には、たくさんの理不尽な出来事がある。

 それは望むと望まざると無関係に訪れるもの。

 生き死にの結末を選べない。

 だとしたら。



「……なんで、わた、し……生きてる、の?」


 死んで当然だと思う状況で命を拾うことだって、あってもいいはずだ。

 そんな幸運のひとつくらいあったって。



「いやぁ、僕の薬がお役に立ったみたいで」


 そんな幸運があることだって、きっと。


「……くす、り?」

「フィフジャさんの頼みじゃ断れないですからね。大丈夫、フィフジャさんに貸しにしておきますから」

「よかった、ネフィサ……本当に、良かった」


 抱きしめながら、ヤマトの目から涙が溢れる。


「痛いってば、馬鹿……」

「あ、ごめ……」


 抱きしめているのは、ぐったりとしているアスカの体だった。

 まさか年頃のネフィサを、ヤマトが抱きしめるわけにもいかない。



「……アスカ? っつぅ」

「まだ動かない方がいい。傷、ちゃんと塞がってないから」


 そのまま横になっているように言いながら、アスカの頭を膝にそっと乗せた。

 ネフィサは床に転がした状態のままになってしまっているが、まあ仕方がない。


「……クックラ」

「ん、平気」


 ヘルメットを脱いだクックラの頭を撫でる。

 アスカと共に頑張ってくれた。

 その成果は、まあ色々と事情もあり、エンニィの薬ということになってしまうけれど。




 治癒術を使ってはいけない。

 他人に知られたら極めて厄介なことになる可能性が高い。

 だから使わない。


 そう約束した。

 約束を破ったのはヤマトの我侭だ。止めたフィフジャが正しいとわかっている。

 そうでなくとも、あの深手と出血から考えたら治癒術でどうにか出来る状態ではなかった。


 アスカが言った。


 ――私が何とかする。クックラ、お願い。


 その結果が、このアスカの衰弱だ。

 ヤマトが出来ないことを、二人でやってくれた。


 代償術の応用。

 事象の移し替え。

 叩かれた痛みを別の人に移し替える。


 何の役にも立たない悪戯だと言っていたそれを、反転させて使った。

 治癒術で傷を塞ぎながら、その痛みを体力充分のアスカが請け負って。




「アスカ、どうしたの?」

「……ちょっと疲れたみたいだから」


 事態は飲み込めていない様子のネフィサだったが、アスカの様子がただならないことを心配してくれる。

 本人の顔色も真っ青なのに。


「……斬られたと、思ったんだけど」


 改めて、我が身に降りかかった災禍について疑念の声を漏らした。


「思ったより浅かったみたいでさ。エンニィの薬があって」

「ええ、ローダ行商会で開発中の止血傷薬でばっちりと。試作品ですけど、これは伝説の〈始めの薬葉〉に匹敵するかもしれませんねぇ」


 ヤマトの言葉に合わせて、つらつらと言葉を並べるエンニィ。

 打合せなどしていない。

 彼の方で、事情を察して合わせてくれているだけだ。

 クックラが治癒術士だということを隠したいというこちらの意図を、説明されるまでもなく受け入れて。


 利発で機転が利く、という本人の話は本当だった。やや言葉数は多いが、商売人なのだからそんなものか。

 咄嗟にエンニィの存在を利用しようとしたアスカもそうだが、ヤマトの足りない部分を埋めてくれた。



 助けたかった。

 治癒術を使ってはいけないと、頭ではわかっていたけれど、それでも助けたかった。

 助けられないとしても、だからといって何もしないでいるのはもっと嫌だった。


 馬鹿だと思う。我ながら。

 助けられないものを助けようとして、クックラを危険に晒すことになってしまう。

 それでも、賢い選択を選べない。


 ――どうすべきか迷った時は、正しいかどうかで考えなさい。


 これも、祖母の日めくりカレンダーの言葉の一つだ。

 どうするのが正しいのか。


 自分を庇って傷を負ったネフィサに対して、どうするべきか。

 手はある。有効かどうかと言われれば極めて低い可能性だったけれど、治癒術が。

 可能性が低いから治癒術を秘匿してそのまま死なせる。

 それも正しい選択なのかもしれない。客観的に見るのなら。


 けれど、ヤマトは自分の主観でしか物を見られない。自分の目でしか物を見ることは出来ない。

 ネフィサが助けようとしたのはヤマトで、ヤマトを助ける為にネフィサは傷ついたのだ。その彼女に対してヤマトが選ぶべき選択肢は、我が身を惜しむことではない。


 ヤマトの選択で、クックラにもアスカにも、フィフジャにだって危険を及ぼすことも考えられた。

 でも、それで迷ってやめたとして、自分が正しいとは言えない。言いたくない。

 もしこれが発覚して問題になるのなら、フィフジャと離別してでもズァムーノ大陸に逃れてもいいと。

 教会が治癒術士を隔離しているとは言っても、こんな田舎村からの情報が直ちにリゴベッテ全域に伝わることもあるまい。

 別の大陸に逃げて、名を変えてしまえばそうそう捕まることもないだろう。



 とりあえずは、そういう心配も今のところはしなくてよさそうだ。

 体力の消耗からか、眠るネフィサとアスカ。

 クックラが屋内から布を見つけてきて二人に掛けた。


「ありがとう、クックラ」

「ん」

「クックラも少し休んで」

「うん」


 ヤマトの膝枕で眠るアスカの隣に、こてんと横になるクックラ。

 治癒術というのも体力を消耗するのかもしれない。




「……驚かされますねえ、本当に」

「エンニィ。あのさ……」

「わかってます、言いません。僕はこう見えてけっこう口が堅いんですよ」


 それは疑わしいと思ったけれど、素直にありがとうと礼を述べる。


「さっき、双子の弟に勝てそうだったみたいですけど?」

「頭に血が上って……見てたの?」

「遠目にですけどね」


 あの混乱の中でよく見ていたものだ。


「もっと速くって思ったら……あの、ラボッタさんに肩をびりってやられたの思い出して」


 力が足りない。速さが足りない。

 もっと自分の体が素早く、強く動かせないかと願った。呪った。

 その時に何かが噛み合ったように、ここに来る前にラボッタに肩を掴まれた時のことを思い出した。


 毛穴の一つ一つに神経を張り巡らせるような感覚で、あの痺れを思い出す。

 自分の細胞の一粒ずつに力をみなぎらせるように、たがが外れた。


「あれが……たぶん、身体強化の魔術なんだと思う」

「そういうものですか? 僕はよくわかりませんけど」


 必要に迫られて修得出来たのだと思うが、もっと早くから使えたらよかったのにという気持ちもある。

 不器用な自分に歯噛みするが、ラボッタはさすが大魔導師だ。

 アスカに教えてくれた術にしても、こうして力とすることが出来た。

 変人かもしれないが感謝しきれない。



「外、少しずつ収まってきたみたいです」

「うん」


 ネフィサの友人の二人も戦ってくれている。

 一緒に来た男は、どうやらフィフジャの知り合いだったようだけれど。ニネッタと呼んでいた。


 弓の達人というのは初めて見た。矢も太く、食用の獲物を狩るというより、敵を討ち貫くような弓矢。

 どういう知り合いなのか知らないが、頼りになるとヤマトに確信させるだけの佇まい。

 青小人を相手にしていたグレイは無事だろうか。

 様子を見に行きたいが、今は青ざめた顔色のアスカを置いていけない。


「……」

「大丈夫そうですよ、とりあえず」


 ドアの覗き窓を開けて外の様子を窺うエンニィ。


「フィフジャさんも銀狼も……ネフィサのご友人がズィムを守ってくれているみたいです」

「そう……」

「魔獣の数も割と減ってきて、る……かな? あの妖魔の姿はありません」


 ヤマトが気をもんでいるだろうと、見える限りの外の様子を伝えてくれた。


「ラボッタさんは?」

「あの人を殺せる相手なんて世界中探したってそういませんって」


 そうはいっても多数の魔獣やら妖魔やら、と思うのだが、エンニィはそれについては全く心配していない様子だ。

 どれだけの数が相手でも、大魔導師ラボッタ・ハジロが遅れを取ることはない。そう信じている。


「知ってますか? ウンコしてる時に後ろから襲ってきた相手を魔術で撃ち殺すんですよ。あの人」

「……すごいね」


 少しでも気持ちを和ませようという気遣い……だと解釈する。


「そのまんま気にせずウンコするような人ですから」


 ただのネタ話のようでもあるが。

 想像してみたら、殺伐とした話なのについ笑ってしまった。

 ラボッタならやりそうだ。



 眠るアスカたちを見ながら、エンニィの他愛ない話を聞く。

 屋外の戦闘に手を貸すべきだと、そう思うのだけれど、立ち上がることが出来なかった。

 自分の足にかかるアスカとクックラの重みを感じて、立てなかった。


 間違えたのだ、自分は。

 正しく進もうとして、自分が守らなければならないものを危険に晒した。

 魔獣の駆除なら出来ると過信して、力は足りなくて。

 少しでも何かが狂っていたら、ネフィサを死なせて、アスカとクックラのことも。


「僕は……」


 怖い。

 今更ながらに、怖くて。

 立ち上がろうとする気力は、どうしても見つけられなかった。



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