四_017 遠い伝言
「大丈夫だ、深い傷じゃない」
心配そうに見るヤマトに、フィフジャは小さく笑って首を振る。
服を染めた血はフィフジャだけでなミイバの血もあり、実際の傷以上にひどく見えていたので。
フィフジャの腹から胸にかけてミイバのダガーが切り裂いた。自身の胸に手斧を受けながらフィフジャに手傷を負わせている。
お互いにぶつかったままの姿勢でどちらも十分な攻撃が出来なかった。
「薬、もうないから」
「ああ、ありがとう」
アスカの荷物にあった手持ちの軟膏。
大森林の家から持ってきた異世界アロエの傷薬は、抗菌作用と共に傷口の治りを早めてくれる良薬だが、もうこれで使い尽くした。
同じ植物は他で見ないので、あれはズァムナ大森林の奥にしかない特別な何かなのかもしれない。
フィフジャの言う通りそこまで深い傷ではなかったが。
ちらりと、クックラの顔を見てしまう。
クックラの力が必要になってしまうのかもしれない。こんな調子では。
「ヤマト、よく気が付いたな」
クックラを見ていたせいだろう。フィフジャがそのヤマトの視線を遮るように声を掛けた。
治癒術を使わせることはないと言外に。
「角壕足は警戒心が強く、縄張りに侵入する敵に対して執拗な攻撃をするって」
「そうだ」
前回の失敗から学んだこと。
こんな形で利用するとは思わなかったが、双子のうちの片方でも一時的に追い払えたらと。
日中ならミドオムも気付いたかもしれない。
暗がりの中で、ヤマトとグレイを相手にしながらでは気が付かなかった。
おそらく自分の腕に過信もあり警戒心が薄い。遊び半分というふざけた態度で。
(過信でもない、か)
実際、二対一だったのに不利だったのはヤマトの方だ。
だからこそ慢心してヤマトの誘導に嵌まってくれたとも言える。
格下を相手に、周囲の地形に注意を払わなかった。
「また襲ってくるかな?」
「そう考えておいた方がいいんじゃない」
アスカがLEDライトの乾電池を手に摘まみながら答える。
代償術の応用で充電しているらしい。
最近、何でもできるようになった気がする妹だが。
「そういえばお前、あれ……SEKIGAISENとかでわかるんじゃないのか?」
電気信号がどうとか言うことで、ふと思い出す。
他にも何か出来ることがあるのではないかと。
「なんのこと?」
本人はきょとんとした顔で聞き返してきた。
「言ってただろ、ほら。
あの時アスカは、赤外線で生き物の動きを感知する魔術がどうとか。
「ん? ああ、あれ」
ようやく思い出したように言ってから、返ってくるのは苦笑。
「嘘に決まってるじゃん。信じてたの?」
「……お前な」
「はったり、って言うのかな。ああ言っておいたら水浴びとか覗きに来ないかなって」
「お前なあ……」
思い返してフィフジャも苦笑いを浮かべた。
「だぁって、貞操の危機だったんだよ。知らない男が三人も増えて」
「……」
「不安になって当然でしょ。身を守る為に嘘も必要だったの」
ボンル達を加えて、知らない男と共に旅をする。
その不安から、不可思議な力で人を察知する力があるのだとアピールした。
そういう主張だった。たぶん面白半分なところもあっただろうが。
赤外線は嘘。
「アスカの危機意識も悪くはないだろう」
危機意識も高いが自意識も高い。
こんな危険もあるのだから警戒心は必要だとしても。
「さっき何してたの?」
嘘も方便というアスカの様子にヤマトが嘆息していると、横からネフィサが訊ねた。
さっき。
「あの辺で」
少し前にヤマトがしゃがみ込んでいた地面を差した。
「ああ、足跡を見ていたんだ」
夜も明け始めてきたので、何かわかることがないかと。
昨夜戦ったミドオムの足跡。
「土が柔らかいから残ってた。あのミドオムってやつ変な動きだったから。どんな足運びだったのかって」
「へえ」
踏み込んだ足の凹み方や、逆に力の抜き方。
そういう癖がわかるのではないかと。
「何かわかった?」
「うーん、どうだろう」
成果があったのかどうなのか、わかるのは次に対峙した時だ。
次があるのなら。
なければそれでもいいのだけれど。
「フィフジャさんも怪我してますし、急げば次の宿場町に着きます。今夜はそこで休みましょう」
奴らが追ってくるかもしれない。
先回りしているかもしれない。
しかし、野宿よりはマシな提案だとエンニィの言葉に頷いた。
◆ ◇ ◆
警戒したものの襲撃はなかった。
敵とてこちらの居場所が完全にわかるわけでもない。
また、町中ではさすがに人目もある。連中がそれを気にするのかどうかわからないが。
当初は警戒心からネフィサもズィムも話題にしていたが、一日経ち二日経つと、会話の材料にもならなくなる。
油断することはないが、話題は初めて来る場所の見知らぬものが主になっていた。
「この町から東に行くと、南北の山脈の境を抜けて大陸中央側に出ますよ」
海岸側の街道の途中の大きな町。
交通の要衝であり、この辺りを治めるヒルノーク王国の首都ベゼニード。
東西南北に道が分かれ、西は近くの港町イーラに続いていると言う。
南は元々きた道で、ここから東に――方角的には北東に向かうと、また別の国を跨いでからヘレムス教区に入る。
山脈が国境の役割を果たしているらしい。
「なんかさぁ、多いよね」
アスカはぼんやりとした印象をぼやいた。
「ナルペール王国にヒルノーク王国、途中も王国だったじゃん」
似たような名前の王制の国が続く。
「王国以外ないの?」
「ヘレムス教区には王はいませんねぇ」
アスカの質問にエンニィが答えるが、アスカの言いたいことと少しずれている。
「王国以外ってなんだよ?」
ズィムは意味がわからないという表情だ。
クックラとネフィサも疑問符を浮かべた顔をしている。
ヤマトとフィフジャは、また変なこと言い出したという表情だが、
「んー、TEIKOKUとかKYOUWAKOKU……なんていうのかな」
「ノエチェゼみたいな合議制でやってる国ってことだろ」
こちらで何と呼ぶのか知らないが、王制以外の国家体制がないのだろうかと。
「民衆が選んだ代表者が政治するとか、そういうのってないの?」
「あははっ、大昔の超魔導文明みたいな話ですね」
エンニィが笑う。
夢物語のようだ、と。
「リゴベッテでは聞きませんねぇ。ユエフェン北部では、部族の長同士が話し合いで狩場とかを決めるみたいなのはあるって聞きますけど」
「王じゃないって話なら、ズァムーノ西部の帝国だな」
初めて、帝国という言葉を知る。
「あそこの王は皇帝と言って、神に等しい位だと名乗っているから王国と呼ばない」
「ああ、そういうのはあるんだ」
「リゴベッテだとゼ・ヘレム教会本部があるわけですからね。そんな不遜な名乗りはしませんよ」
教会の本拠地から遠く離れた土地だから、神と並ぶと僭称するのか。
「混乱した地域を治めるには強い指導者が必要ですから」
王がいるのは当たり前というか、王がいなければ国が出来ない。
そういう風潮というか文化があるようだ。
「このヒルノークだって、百年くらい前にこの辺りの豪族が王として建国したんですよ」
「その前は?」
「数十年は混乱していましたね。色々な人たちが争って」
商売柄なのか、エンニィはリゴベッテの歴史にも詳しい。
「強い王が立ち、戦いに疲弊していた民衆も賛同してまとまったんだとか」
「なんでそんなに長く混乱してたの?」
何気なく、話のついでに訊いただけだったのだが。
「それよりもっと以前に、この西側一帯を治めていた
ジェゼック王国。
また王国、と思ったのは一瞬だけ。
「ヤマト、それって……」
「ああ……」
聞き覚えのある国名だった。
フィフジャの表情も硬くなる。
ダナツから預けられた、海皿砦に遺されていた木板にあった名前。
海の悪魔ネレジェフを操っていたと書かれていた国に間違いない。
「……あれ?」
エンニィは、何かまずかったかという顔で。
「フィフ、ベニエサ山ってどこ?」
「……この山脈の中央側が、ベニエサ山地と呼ばれている」
今まで海岸と山岳地の間の街道を北上してきた。
その山脈の大陸内部、北あたり。
アスカの出した地図を見ながらフィフジャが指した。
「……百年以上前に滅んでいたのね」
フィフジャはジェゼック王国の名前を知らなかった。
学校なんて教育機関が存在せず歴史を学ばない以上、その土地に生まれ育つのでもなければ過去に滅びた国名など知ることはないか。
「どうかしたの?」
「なんだよ、急に」
ネフィサとズィムが訊ねるが、フィフジャと顔を合わせて首を振る。
「……ノエチェゼで、ジェゼック王国から流れ着いたっていう人の石板を見たの」
嘘をついた。
ヤマトは嘘が得意ではないからアスカが。
「故郷に帰れたらって書いてあったんだけど、そんなに昔の話だったんだって」
適当に話を作る。
ネレジェフを操っていたかもしれない、などと。そんな話は、あまり広めない方がいいだろう。
いくら滅んだ国だとは言っても、そんな方法がどこかにあると言うのなら。
(どこかに、まだあるかもしれない)
ジェゼック王国とやらは滅んだとしても、その手段が失われたとは限らない。
やはりズィムたちに知らせるような話ではない。
「ジェゼックから流れ着いた、ですか」
「ねえ、エンニィ。なんでジェゼック王国は滅んだの?」
ネレジェフを操る手段を持ち、沿岸部一帯を治めていた国がなぜ滅んだのか。
問い詰めるアスカに首を振り、
「し、知りませんよ。僕だって歴史学者じゃないんで」
饒舌にぺらぺら喋っていたが、歴史を専門に学んでいるわけではない。
滅んだ事実は知っていても、なぜかと言われたら知るはずもなかった。
「大きな国でしたから、内乱とかそういうんじゃないですか」
「……そうかもね」
百年以上昔の話では知りようがない。
このリゴベッテでも紙はあまり普及していないし、歴史を学ぶような人間も少ない。
歴史書など一般に出回っているはずもない。地球とは違うのだ。
この王国の上層部なら何か知っている人間もいるかもしれないが、それとてどこまで信用できるものか。
時も流れているし、きっとこの国に都合の良いようにフィルターも掛かっているはず。
「……この、ヒルノーク王国って」
聞き方を変えた。
エンニィが知っていそうな方向に。
「栄えてるの?」
「はぁ?」
気の抜けたような声を上げたのはズィムだった。
そんなこと聞いてどうするのか、と。
興味がなければそんなものだろう。
「どうでしょうねぇ。王都城下町でこの様子ですから、そこまででもないかな」
このベゼニードの町を見渡して、軽く肩を竦めた。
たまたま道行く人が、アスカたちの話を耳に挟んで厳しい視線をエンニィに向ける。
自分の国をそんな風に言われて面白いことはない。
「ああ、いや。ここって交通の要衝なんでね。行商人なんかの行き来は活発で経済はけっこう回るんですけど」
言い繕うように付け足す。
「その分、軍費も嵩むらしいんですよ。内陸の国から見たら港が欲しかったりもしますし」
良い場所を欲しがる傾向はどこにでもある。
だから大変なのだろう。
「そういう中で大きな混乱もなく百年も続いているんで、頑張っているんじゃないかと思いますよ」
「……そうね」
あまり参考にはならなかった。
もしかしたらネレジェフを操る何かをこの国が握っているのではないかと思ったが。
(そんなに羽振りがいいって感じじゃないかな)
他国の貿易を阻害して自分たちだけが有利な交易をしている、という可能性は低いのではないか。
(簡単に探しているものが見つかるなんてことはないよね)
かつてここにジェゼック王国があり、滅びた。
ネレジェフを操る手段については、失われたのか他に渡ったのか。
とりあえず今はそれだけわかっただけでいい。
「変なこと気にするのね」
「まあ、故郷に伝言みたいなの見ちゃったから」
不思議そうな顔のネフィサにそう答えると、彼女も得心がいったように頷いた。
「そっか。故郷に伝言、ね」
ふっと遠くに視線が泳ぐ。
死んだ友人のことを、故郷にいるだろう家族に伝えるべきかと思い。
そんな顔だ。
アスカも、ふと遠くの空を見た。
空を越えた先に父や母の故郷があるのだろうか。
もしそこで待つ誰かがいたら、伝えたい。
父や母の生涯のことを。
こういう気持ちなのかと理解する。
生き様を、死に様を、残された想いを伝えたい。
あの木板に故郷の名を書いた人の気持ちにどうにか応えられたらと、そう思った。
◆ ◇ ◆
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