四_011 準成人



「だって、だって……私、他にこの町で知ってる人いないし……」

「だからって、なんで私があんたにお金を貸すっていうのよ」

「ま、負けてあげたじゃない」

「はあ?」


 今にも殴りかかりそうになった妹を押さえる。


 なんて子なんだ。

 二日続けてアスカを怒らせに来るとか、ヤマトには正気とは思えない。

 いや、今日は金を借りたいと頭を下げに来たのだったか。それもおかしいけれど。



「落ち着けってアスカ。ちょっと話を聞いてから」

「貸さないわよ」

「わかったから」


 ヤマトが甘いことを言い出しそうだと思ったのだろう。

 先んじて拒絶の意思表示をして、腕を組んで座り込むアスカ。

 とりあえずはこれでいいが、どうしたものか。


「ええと……座ったら?」

「……うん」


 ヤマトが促すと、ネフィサはアスカが座る場所から離れて座る。

 居心地は悪そうで、そわそわしている。


「……え、あ」


 すっと横から差し出されたコップに、慌てたように顔を上げた。


「あの、お金……」

「いらないわ。少し落ち着いた方がいいわね、あなたは」


 シュナのやんわりとした言葉に、ネフィサは俯いてコップを両手で抱えた。


「あり、がと……」


 ごめんなさいでしょうが、と横でぼやくアスカを片手で宥める。

 ネフィサは昨日もここで迷惑をかけている。

 確かに謝罪の言葉も必要だろうが、どうにも彼女は視野が狭い。


 暖かな茶を口にして、続けてもう一口。

 こくりと喉を鳴らすと、少し気持ちが落ち着いたようだ。


「……昨日は、ごめんなさい」

「いいのよ」


 シュナに向けられた謝罪の言葉に、シュナは柔らかな笑顔で応じて奥へ戻っていった。



「食わないか?」


 それまで黙っていたモルガナが、沈黙に耐えかねたように皿を寄せる。

 彼女の皿にはまだ料理が残っていた。それをネフィサに。


「……」

「その様子じゃろくに食ってないんだろう? 残り物で悪いが」


 逡巡するネフィサに勧める。


「なんにしても、腹が減っていたら何も出来ないぞ」

「ん」


 モルガナの言葉に頷いたのはクックラだ。

 童女の顔に、意地を張っていても仕方がないと思ったのか、ネフィサも頷いた。


「……もらう。ありがとう」


 モルガナから譲られた食事に口をつけたら、色々と感情が溢れてしまったのか。

 涙が溢れる。



「……」


 ヤマトは、アスカのことをあまり悪く言えない。

 その涙を見ての最初の感想。


(面倒くさい)


 口を尖らせている妹も、口を挟まないフィフジャも、同じ気持ちなのだろう。



「あー、その……友達の人たちは?」


 フィフジャが取り成してくれそうにない以上、ヤマトが対応するしかない。

 この面倒な女の子には、保護者的な連れがいたはずなのだが。


「カノウたちはとは……喧嘩になっちゃって」


 口をへの字に曲げて、また涙の粒が頬を流れた。

 全方位で喧嘩しているのか。なぜだ。なぜかはわからないけれど、このネフィサならそんなこともありそう。


「私が勝手に闘技場に出たって……残ってたお金を無駄にしたって……」

「ああ」


 喧嘩別れの理由にはなりそうだ。そちらの言い分の方が真っ当だと思うし。

 ネフィサはヤマトよりいくらか年上に見えるが、まだ若い。

 連れのカノウと、リーランだったか。彼らも若い。

 新天地を夢見て船に乗り、友人を失い、右も左もわからない町でなけなしの金を無駄遣い。

 荒れた心境の中でそれでは、喧嘩別れになっても仕方がない。



(どうすればいいんだっけ、父さん)


 父の教えを思い返すヤマト。

 女の子が泣いている場合に正論をかざすのは悪手だったはずだ。

 まず落ち着かせ、何かを口に……それはもう済んでいる。

 それから、ええと。


(話を聞く、だ)


 そうだ。どれだけ興味がなくても、面倒だと思っても、意味すらなくても話を聞く。手に余る内容だったら逃げ出してもいい。


「……力になれるかわからないけど、話してみてよ」


 じろり、とアスカの視線が刺さった。

 その向こうでモルガナが小さく頷いてくれる。正解だと。



「わた、わたし……」


 ネフィサの話の大半は、既に知っていた彼女らの境遇や、ネフィサの自己正当化の言葉だったけれど。

 辛抱強く聞くヤマトを置き去りに、モルガナは仕事だからと帰ってしまった。


 喧嘩になってしまったことは仕方がないとネフィサは言う。

 自分にも責任がある、と。

 聞いているヤマトとすれば、ほとんどの責任はネフィサにあると思うが。


 反論せずに話を聞くヤマトに対して、アスカの苛立ちが募るのもわかっている。

 だが、とりあえず今のヤマトに出来ることは、ネフィサの抱えた感情を吐き出させて安定させることくらい。

 いつまでも相手にしていられないが、放置して彼女がさらに不幸に見舞われる可能性も考えられる。

 少しばかりだが関わってしまった以上、そういうのも寝覚めが悪いので。



「これから、どうする?」


 話が堂々巡りするのを聞き流してから、訊ねた。

 未来のことを。


 これまでのこと、今のことは聞いた。

 だから、この先のことを前向きに考えてもらわなければ。

 そこまでヤマトが気に掛ける必要もないはずだが、後ろめたい気持ちがあるのだ。

 下心ではなくて。


 ネフィサの友人ミシュウを助けられなかったこと。

 また、妹の昨日の悪口と、今日も闘技場で彼女を負かせてしまったことが、後ろめたい。

 一方的にこちらが悪いわけではないにしても、なんだかネフィサにとって都合の悪いことばかりをしてしまっている。

 返す当てもないだろう彼女にお金を貸すというのは違うだろうから、せめて助言くらいは。



「これから……」


 ネフィサの視線が宙を彷徨った。

 何も考えていなかったのだろう。

 昨日のズィムの言葉ではないが、これでは本当にどこかで身を売るようなことになってしまいそうだ。


「……サナヘレムス」


 聞き覚えのある町の名前だ。


「サナヘレムスに、行く」


 アスカが白い目でヤマトを見ている。

 なぜだ。ヤマトは別に何もしていないのに。


「ミシュウが見たがってたの。聖堂都市サナヘレムス」

「あ、ああ」

、ね。目的地が同じだなんて」


 アスカの言い方には棘があった。

 まるでヤマトが、泣いている女の子を口説き落として一緒に行こうと誘ったとでも言うかのように。


「同じ……?」


 本当に偶然だが、そうなる。

 ネフィサの瞳がヤマトを映して、瞬いた。


「わ、私も、連れて行って」


(そうなるよな)


 フィフジャに視線を向けたが、曖昧な表情を浮かべて肩を竦めるだけだ。

 どちらでも構わない、と。



「お願い、何でもするから!」

「へえ」


 本当に迂闊な子だ。懲りると言うことを知らないのだろうか。


「よかったね、ヤマト。、してくれるって」

「あのな……ネフィサさんも、軽はずみにそんなこと言ったらよくないよ」


 刺々しいアスカの言葉と窘めるヤマトの言葉を聞いてから、ネフィサの耳が赤くなった。


「そ、そういうのじゃなくて、私だって戦えるし、野営とかだって得意なのよ。役に立つから」


 嘘ではないのだろうが、それは苦笑を返すしかない。

 野営だとか戦うことだとか、そういうのならきっとヤマトたちの方が得意なので。


「そ、そりゃあ、あなたたちの方が強い、けど……」


 言ってから、闘技場でアスカに負けたことを思い出したのか、もごもごと口籠るネフィサ。

 向かう方角が同じなら別に同行することに問題はないはずなのだが、少し。

 このネフィサはどうにも迂闊で、一緒に行くとなると不安を感じさせる。

 出来ればご一緒したくない、というのがヤマトの本心なのだが。



「サナヘレムスだって?」


 話を聞いていたのだろう。

 おそらくネフィサに対して罪悪感を残していたのは彼も同じ。

 ズィムも。

 奥に引っ込んだようでいながら物陰で会話を聞いていた。


「俺も行きたい。一緒に連れてってくれよ」


 迷っている間に面倒な話が増えてしまった。



  ◆   ◇   ◆



 リゴベッテでは一般的に、一度は聖堂都市サナヘレムスに巡礼するものらしい。

 全ての人がというわけではないが、それなりに。

 ゼ・ヘレムの信徒とすれば、一生に一度は聖地を見ておきたいというイベントごとなのだろう。


「俺もこの春で準成人だからさ。一人旅ってのは許してもらえないけど」


 男子たるもの、広く世の中を見ておくことも良い。

 そういう風潮も、ないこともない。



 シュナは、反対はしなかった。

 サトナとの一件を聞いたダナツが、ズィムを船に乗せることを渋っているのだと。

 それでズィムの不満が溜まっていることもわかっている。

 本来は船旅に出たいズィムだが、それが許されないのならサナヘレムスへの巡礼の旅を。


 そんな話をしている最中に、不意にアスカが声をあげた。


「あぁ!」


 それまで面倒くさそうで不機嫌そうだったアスカの大きな声に、一同がびくりとする。

 だが、その声は決して暗い響きではなかった。


「そうそう、誕生日じゃん」


 楽し気な顔で見ているのはヤマトの顔だ。


「? 僕の誕生日は体育の日だから……ああ」


 本当だった。

 ヤマトは秋の生まれだ。

 地球で言うのなら、十月十日あたりと。こちらで言えば秋の五旬のあたりになる。


 リゴベッテはこれから夏に向かう時期だった。

 北半球の春だから、生まれ育った大森林から見たら秋なのだ。

 そして、この世界の一般的な年齢の数え方は、生まれた季節の始まりで年齢が増えることになる。

 リゴベッテで春を迎えたのなら、ヤマトは年齢が一つ増えていた。


「僕、十五になってたのか」

「俺と一緒じゃんか」

「そうなの?」

「なあ、頼むよ。俺も一緒にサナヘレムスまで」


 同い年だと聞いたからか、ズィムの距離が妙に近い。

 どちらも今年で準成人と認められる年齢で、仲間だと。


「でも、帰りは……」

「それくらい自分でなんとかするって」


 ヤマトたちは、サナヘレムスに着いた後どうするか決めていない。

 このウェネムに戻るとも限らない。

 それでもいいとズィムは言う。


「ヤマトちゃんたちと一緒だと、ズィムも安心ねぇ」


 頬に手を当てながら言うシュナ。

 世話になっているシュナの意向には沿いたいと思うけれど。



「……」


 どうする、とアスカを見ると、やや含みのある笑みを浮かべていた。

 何か、思いついたのか。


「あんたさ、ズィムに雇われなさいよ」


 水を向けられたネフィサは、戸惑うようにズィムを見た。

 視線を向けられたズィムの方は、顔をしかめて下を向く。


「ズィムがネフィサを雇ってサナヘレムスに向かう。私たちはちょうど同じ方向に行くってこと」


 結局同じことではないかとヤマトは思うのだが、少しだけ違うのだろう。

 お互いの関係が。


 ネフィサはズィムの同行者であって、ヤマトたちはズィムの知己。

 直接ネフィサと関わることを嫌い、間にズィムを挟もうとしているだけだ。


「ああ、それだと帰りも同行してもらえるか」


 悪いことでもない。


「私は、それでもいいけど……」

「……」


 居心地が悪そうなのはズィムだ。

 探検家を雇うということに抵抗があるわけではなく、サトナとの喧嘩の原因になってしまった相手なので。


「それだと私も助かるかしら。そんなにたくさんのお金は出せないけど」

「い、いえ。あの、食費くらいいただければ、十分です……」


 ネフィサが贅沢を言える立場ではない。


「俺も、別にいいけど……」


 シュナがそう言ってしまえば、ズィムから否定することもない。

 若者が、住み慣れた町を離れて遠くの都会を見てみたいという気持ちは、それほど珍しいことでもないだろう。

 ネフィサの方だって、ズァムーノの田舎を出てリゴベッテに来たのだから同じようなもの。

 船に乗せてもらえないということが、ズィムの心中で旅立ちへの憧れを強くしていることもある。



「フィフ、どうかな?」


 それまで黙って聞いていたフィフジャに訊ねてみたら、いつの間にかその膝でクックラが寝息を立てていた。

 お腹が膨れて、つまらない話が続いたせいで寝入ってしまったのか。


「同行者が増えて困ることもないだろう」


 クックラを起こさないように静かに答えるフィフジャ。


「うん」

「それと……」


 フィフジャは手を伸ばしかけて、やめた。

 ヤマトの頭を撫でようとして、その手を引く。思い直したように軽く肩にぽんと手を置かれた。


「……準成人、だったな。おめでとう」


 一人前、ではないけれど。

 そう見做されるべき年齢になったことを祝い、頭を撫でるような子供扱いはやめたのか。


 言われてみて、だけど実感はない。

 まあ年齢のことを忘れていたこともあるし、急に大人扱いだと言われても戸惑うくらいだ。


「ありがとう」


 両親がここにいたら、どんな言葉をくれたのだろうか。

 たまには説教じみた訓示をくれたのかもしれない。そんなこともなく、ただ祝いの言葉だけだったかもしれない。

 何となく照れ臭いヤマトに、フィフジャもアスカも笑顔を向けるだけだ。


「……おめでと」


 ぼそりとネフィサから発せられた祝福がなんだかおかしくて、ヤマトも笑った。


「うん、ありがとう」



  ◆   ◇   ◆

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