四_010 凶刃と軍人



「っ!」

「おっと」


 斬りかかった青年は、ヤマトの槍で流された剣の勢いのまま、とんとんっと後ろにステップして下がった。


「何者だ!」


 何気なく歩きながら刃をヤマトに向けた。

 居合というのか抜くと同時に切りかかられたヤマトだったが、グレイの様子で気付いた。敵だと。

 過去にも経験があった。

 何気なく近づいてきた男に斬られたことが。


「ひぇぇっ」

「貴様!」


 エンニィがわたわたと後ろに隠れ、フィフジャとヤマトがその青年に対峙する。


「いやいや、何者だってこっちが聞きたいって。何者だよほんとにさ」


 青年。

 年齢はフィフジャと同じくらい、二十を過ぎたほどに見える。平均的な身長でその顔立ちも特別に目立った特徴はない。

 ただ、浮かべた笑みの上っ面さ加減が不気味なだけで。


「後ろにもいる!」

「おんやまぁ」


 アスカの声に、おどけたような女の声。

 ヤマトの後ろ側。

 そちらにはアスカとグレイが向いているらしい。

 間にエンニィとクックラを挟んで、突如襲ってきた凶漢……女の場合は何と呼ぶのだろうか。


「すげえよ、姉ちゃん。こいつらすげえ」

「それはわかったけど、ミドオム。この町では騒ぎはダメってお姉ちゃん言ったわ」


 ちらりと、後ろで喋る女にヤマトも視線を走らせた。

 年齢は同じくらいで、こちらは腐りきった果実のような醜悪な笑みが顔の芯まで染みついたような笑顔。


 上っ面の笑顔の弟がミドオム。

 腐ったような笑顔の姉の名前はわからない。

 だがどちらも、明らかにおかしい。


「悪かったって、姉ちゃん。あんまり噂になってるもんだからさ」

「そうねえ。小娘が持て囃されるのも面白くないわあ」


 狂人だ。



「フィフ、この町って」

「普通じゃない」


 こんな連中が闊歩しているのかと聞きかけたヤマトに、フィフジャは敵から視線を逸らさずに答えた。

 ためらいもなく出会った相手に刃を向ける狂人で、敵。

 こんな人間は初めてだ。


(……いや、初めてじゃあない)


 そうだ、ヤマトは知っていた。

 体が咄嗟に動いたのは、いきなり斬られた経験があったから。

 ノエチェゼで、兇刃狂と呼ばれるゼフス・ギハァトに。


「でもねえミドオム。やるんならきっちりやらないとダメよ」

「馬鹿言うんじゃねえって姉ちゃん。俺はちゃんとやるつもりだったって」


 そうだ。

 今の一撃は、半端なものではなかった。

 様子見だとかそうではなく、本当に殺す目的で。


「……何者だ! 何のつもりだ!」


 フィフジャが大きく声を上げた。

 唐突に始まった殺し合いに、逃げ惑いつつ周囲を取り巻く野次馬に向けて。

 町の警備兵などを呼ぶ意図もあったのだろう。



「何のつもりかって、よっ」


 再び切りかかるミドオムに、近づけさせまいとヤマトが槍を突いた。


「ヤマト!」


 誘いだ。

 フィフジャが不用意なヤマトの踏み込みに声を上げる。

 剣を振るわずに槍を躱して懐に入ろうとするミドオムだったが、


「っ!」

「うそだろ!」


 わかっている。

 突いた速度は速かったが、実際にはそこまで力を込めていない。

 躱されると同時に引いて、二段目の突き。


 殺しても構わない。

 そういうつもりで突いたが相手の剣で払われた。

 殺意を込めたヤマトの突きをいなすだけの技量がある。


「っとに、なんだこいつ」


 ミドオムの方も、ヤマトの技量に改めて驚いたのか距離を空けた。



「何やってんだい、ミドオム」

「姉ちゃん。こいつやっぱり普通のガキじゃねえって」


 槍を持つ手に、切り払われた衝撃が残っている。

 重い。


 こんな衆人環視の下で襲ってくるのも普通ではないが、その腕前も普通ではない。

 姉の方も、それに見合った腕なのか、あるいはそれ以上か。



「ゼフスくらいだ!」


 短く、アスカに伝える。敵の力量を自分たちが知る相手に照らし合わせて。

 それくらいに警戒しろと。


「へえ」

「おお」


 上っ面だけの笑顔を張り付けたようなミドオムの目に、僅かに興味のような色が宿った。

 姉の方は見えないが同じようなものか。

 兇刃狂ゼフス・ギハァトの名は知られているらしい。



「……行くよ、ミドオム!」


 姉からの声に、本気で襲い掛かってくるかと身構えるヤマト。

 後ろではアスカやグレイも同じだったろう。


 だが、違った。

 ミドオムは剣を手に、ヤマトたちをぐるっと迂回して走り出す。

 遠巻きに見ていた野次馬が、近付いてきたミドオムに悲鳴を上げて逃げ惑った。


「な、にを……」


 どうするつもりかと目で追えば、やはり野次馬が空けた道を走り去る姉の背中と、それを追って行く弟ミドオム。

 逃げられた、というのか。



「ちっ、遅かったか」


 反対から駆けつけて来たのは、見た顔だった。


「あ……」

「イダアスカ、無事だな」

「うん……モルガナ・ハドラ」


 闘技場でアスカが戦った軍人だった。

 それだけではない。十数人のやはり軍人らしい面々も続いている。


「私たちはあれを追う。後で話を聞きたい」

「あ、うん……」


 答える暇もなく、モルガナと兵士たちは逃げた通り魔姉弟を追って駆けて行った。

 白昼の凶行に集まった野次馬たちも、またそれぞれ散っていく。


 いったい何だったのだろうか。

 唐突に襲われ、唐突に逃げられた。

 逃げ出したのは兵士たちが来たからだろうが、ヤマトたちとすれば状況についていけない。



「なんだった、のかな?」


 フィフジャを見上げるが、彼も眉を寄せて首を振るだけだった。

 意味があった様子ではない。

 たまたまアスカが活躍した話を聞いた無頼漢が襲ってきたというようだったが。


(ゼフス並……までじゃなかったかもしれないけど)


 まともに戦ったわけではないので、彼らの本当の実力はわからない。

 だが、あれだけの腕で行きずりの通り魔的凶行に及ぶなど、信じられなかった。


「ふぁぁ、怖かったですねぇ」

「ん、ん」


 気の抜けた声を上げるエンニィとクックラ。

 しゃがみ込んでいたクックラの服についた土埃を、アスカが軽く払った。

 グレイは、まだ敵が去っていった方角を睨んでいる。


「まあ話は」


 エンニィが、自分のズボンの裾を払いながら首を傾ける。

 ヤマトの肩越しに視線を送って。


「そこの彼に、聞いてみましょうか」


 一人残されている兵士が、気弱そうな笑みを浮かべていた。



  ◆   ◇   ◆



「双子の狂人、ねぇ」


 見たまんまじゃない、とアスカはぼやく。


「ここ数年、リゴベッテのあちこちで騒ぎを起こしているんです。ウェネム周辺でも数年前に」


 指名手配の犯罪者が再びこのナルペールに来たという噂があり、警戒態勢だったのだと。

 兵士の説明によれば、モルガナの他にも烈武官が兵士を率いて他の町にも行っているらしい。

 土地勘のあるモルガナがウェネムに来たというわけで。



「それなら闘技場なんかに出ていたらダメなんじゃないの?」


 アスカの言い分に、兵士は苦笑いを浮かべた。


「いやぁ、隊長も血の気が多いもので」

「それでいいの?」

「もちろん、ちゃんと理由はあるんですよ。前の時も、闘技場で活躍した戦士が殺されたものですから」


 その言葉に、ヤマトの視線がアスカに突き刺さった。

 厄介事に巻き込まれた、と。

 だけどちょっと待ってほしい。

 今日が女戦士限定日でなければ、そのきっかけはヤマトだったのではないかと。


「……すまん」


 謝ったのはフィフジャだ。

 確かに、闘技場に出ることになったのはフィフジャの迂闊な言葉からだった。

 フィフジャが謝ってしまえば、ヤマトも複雑な表情で首を振る。


「まあ、お金も必要だったし……」


 服を買って感じたが、物価が高い。

 食事もそうだ。ノエチェゼと比較して倍以上の差がある。

 ズァムーノ大陸よりも貨幣経済が活発だという話は聞いていた。お金は入り用になる。


「まさか隊長が負けるとは思いませんでしたけど。お嬢さん、ほんとすごいですね」


 兵士の尊敬の眼差しを受けて、やや居心地が悪い。

 あれは試合としてだから勝てたのだという自覚はあるので。


「あなたは追わなくていいの?」


 居心地の悪さを誤魔化すように訊ねると、恥ずかし気に笑う兵士。


「僕は、弱いものですから」

「兵士なのに?」

「連絡係なんです。あの部隊は双子に対応できるだけの精鋭揃いなので。僕だと足手纏いにしかなりませんよ」


 危険人物への対処用の特殊部隊。

 その隊長を務めるモルガナは、やはりかなりの腕前なのだろう。


「まあ、宿はわかりましたから。隊長が詰め所に戻ったら伝えます」

「まだ何日かはいると思うけど、用事が住んだらサナヘレムスに行くつもりよ」

「わかりました。お気をつけて」


 双子を追っていったモルガナたちがいつ戻るのかはわからない。


(戻らない、ってことも……)


 相手が異常だ。追い付いたとしても、そこからどうなるか。

 来るかどうかもわからないモルガナをいつまでも待つことは出来ないと伝えて、シュナの宿に戻る。

 エンニィは別に泊まるところがあるということで、そこで別れた。

 あんな凶行現場に出くわしたというのに、飄々とした様子で。


「エンニィってわりと図太いのね」

「あいつより図太い奴を、俺は知らない」


 なるほど、そうかもしれない。



  ◆   ◇   ◆



 案外と早くにモルガナは戻ってきた。

 双子は町を出たらしい。

 夕刻が近く、これから暗くなる。

 あの双子はリゴベッテでは有名な凶漢で、他の国でも捕えようとした兵士たちが返り討ちに遭っている報告も少なくないのだと。


 町の外で夜の時間では、あまり有利な状況とは言えない。

 門の近くに半数ほどの兵士を残して、後で交代することにしたということだった。

 ちょうど夕食の時間だったので、モルガナも一緒に食事しながらそんな話を聞く。



「すれ違いざまに剣を抜いた、か」

「闘技場で見たよって感じで声を掛けながらね」


 モルガナの表情が歪む。怒りで。

 卑劣な行いだと、武人気質の彼女には不愉快だったのだろう。


 過去の被害者は、闘技場での成績優秀者。

 他には有名な軍人や、大きな町で武術の訓練をやっている武術家の関係者が凶刃を受けている。

 そういう腕の立つ人だけを選んでいるのかと聞けば、そうではないのだと。

 気まぐれに通りすがりの旅人が斬られただとか、どこかの家で起きた一家惨殺もその双子の犯行らしい。


「証拠がないものもあるが、足取りが奴らと一致する事件のいくらかはあの双子の犯行と見ていいだろう」

「何のためにそんなことを?」


 ヤマトの疑問に、モルガナは苦々しく頷く。


「腕自慢だとか金目当てということもあるんだろうが、それだけではない」


 ぐい、と。握った拳に力が入るのがわかる。


「楽しんでいるんだ。人を殺すことを」

「……」

「その上、捕まらないように逃げ回る頭もある。奴らは」


 ただ見境なしに凶行を繰り返すだけではない。

 追手から逃げ延び、また追手を返り討ちにして。

 嘲笑うようにまた事件を起こす。

 愉快犯というやつか。


「……見つけたら、殺してもいいんだよね?」

「どこの国でも指名手配だから構わないはずだが、イダアスカ」

「アスカでいいよ」


 姓名で呼ばれて、なんだか違和感を覚える。

 軍人らしいといえばそういうものなのかもしれないが、アスカはこれまでまともな軍人と話したことなどない。


「わかった、アスカ」


 堅苦しい人だが、悪い人間ではなさそうだ。

 職務に忠実な武人、という雰囲気の。


「ヤマト、だったな。君もだが」


 話を向けられたヤマトが、少し首を傾げる。

 改まった様子で何だろうか。


「君らの境遇はまだよくわからないが、どうだろうか。うちの軍に入らないか?」

「……」


 軍への勧誘。


「生活するのに金が必要だというのもわかるが、闘技場など君らが出入りするような場所ではない。それに、勝ち過ぎれば出入り禁止になる」


 両親を亡くしたという話は、闘技場でしたのだった。


「軍はいいぞ。規則正しい生活と、規律を守った行動。心を整えることが」

「あ、私はやめとく」

「僕も」


 熱を帯びた説得をしようとするモルガナを遮ったアスカとヤマトに、クックラとフィフジャが小さく噴き出す。

 仕方がないだろう。

 今までかなり自由気ままに生きてきたので、規則とか規律とかいう話に魅力を感じなかったのだから。


「な、ならお前だ。フィフ……だったか? うん?」

「俺も他の雇い主が……まあ、いるからな」


 嘘つき。

 雇い主などいるようでいないようで。今の仕事の依頼者だって、教会関係者ならそれ以上の付き合いを続けるつもりはないだろうに。

 まあ断り文句としては仕方がない。


 肩を落とすモルガナ。

 軽い調子で訊ねてきたが、結構本気だったらしい。

 そんなに簡単に国の軍人になれるかという疑問もあったが、聞いてみたら割と簡単だという返事だった。立場のある人間からの推挙があれば。


 ヤマトと目が合い、苦笑を浮かべる。

 おそらくモルガナは保護者のような気持ちもあって誘ってくれたのだろう。

 裏社会とまでは言わないが、真っ当ではない生き方を進ませたくないと思って。

 落ち込ませてしまったのは申し訳ないが、どうしたものか。



「ういーただいまー。ヤマトたちは?」


 入ってきたのはズィムだった。

 彼はサトナの弟たちの中では年長であり、日中は港で仕事をしている。

 やっていることは雑用的なことが多いと不満らしいが、仕事なんて最初は何でもそんなものだ。と祖父が言っていたことを思い出す。


「ここにいるけど?」

「あー、いたいた。お客さん、だぜ」


(客?)


 モルガナの他に訪ねてくるような客に心当たりはない。

 まさかあの双子かと、アスカの心に一瞬走った予感とヤマトの警戒の感覚は同時だった。


「……たぶん、だけどな」


 ズィムの歯切れが悪い。

 どこか後ろめたそうな顔で、ドアを開けたまま奥へと足早に去ってしまう。


「ん?」


 開いたドアの端から見えた服は、見覚えがある。

 あの双子ではない。


「あ、あの……」


 おずおずと入ってくる姿は、昨日とは大違いだ。

 昨日はドアを叩きつけるような勢いで入って来たくせに。


「ネフィサ」

「……」


 俯き加減に中に入り、床を見て黙り込んでしまう。

 何だろうか。

 その様子に力がないことを見れば、きっと。



(謝りに来た、んだよね)


 闘技場でアスカは謝った。言い過ぎたと。

 それに対して、ネフィサもきっと考えたのだろう。

 自分の行いを顧みて、間違っていたと。


(最初からそういう態度でくれば、私だって……)


 もっと優しく接することが出来ただろうに。

 まあいい。

 彼女の方からこうして歩み寄ろうというのなら、その謝罪を受け入れるだけの器量はあるつもりだ。


 謝罪を受けるべきヤマトよりも、なぜかアスカの気持ちの方が前に出る。

 足も、前に出た。

 俯くネフィサの前に歩み寄った。


「どうしたの?」


 声をかけてあげようというほどの余裕がある。

 我ながら大人な対応だと、アスカの顔に笑みが浮かんだ。


「あ、あのっ」


 がばっと。

 ネフィサの頭が下げられた。

 深く。


(そんなに頭下げなくってもいいのよ)


 鷹揚に頷いて、その姿を見下ろした。

 うんうん、と。

 何でも言ってごらんなさい。このアスカさんが聞いてあげるから。



「お金貸してほしいの! お願い!」


 笑顔が、固まった。


「……はあ?」


 どれだけ礼儀知らずなのだ、この女は。



  ◆   ◇   ◆


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