四_009



「折るな!」


 闘技場の喧騒の中でもヤマトの怒声が聞こえたのだろうか。

 アスカの体が止まり、会場が静まり返った。


「……参った!」


 敗者であるはずだが、その声には凛とした張りがある。

 負けを宣言するにはあまりに堂々たる響き。



 間違いではなかった。

 ヤマトが思わず叫んだ言葉は、間違っていない。それをアスカが聞いてくれてよかった。


 途中からのアスカの動きは、森で獲物を仕留める時の気配だった。

 声を掛けなければ死んでいたかもしれない。

 あの女戦士の腕を折ると同時に地面に叩きつけられて。アスカが死ぬ可能性を感じた。

 死にはしなかったかもしれないが、大怪我をしていた可能性は高いとヤマトは思う。


 腕関節を極めた所はいい。

 そこからアスカが止まらずに腕を折ろうとしたら、おそらく本気での反撃があったはず。

 試合という領域を踏み越えた、命のやり取りに。


 アスカがそれを止めたから、女戦士――モルガナも、そこで負けを認めてくれた。

 試合でなら、ここで勝敗だと。



「本当に勝っちゃいましたねぇ、あの子」

「……」


 感心しているというよりは呆れ声を上げるエンニィと、苦い顔で沈黙しているバナラゴ・ドムローダ。

 フィフジャの顔色は血の気が引いている。

 クックラは手を叩いて喜んでいるが、闘技場の中心のアスカは浮かない顔だ。

 本人が一番よくわかっている。こういう闘技場での試合だから勝てたのだと。



(経験、か)


 始める前にアスカが言っていたことだが、確かにいい経験になった。

 世界は広い。

 それなりに腕に自信のあるヤマトたちだが、その実力が低くないことと、それでも勝てない相手がいるだろうことを、改めて実感することが出来た。


 自分の手に残る傷痕に目をやる。

 これも、その経験のひとつ。

 世の中には戦ってはいけない相手がいる。

 何も世界最強を目指す旅をしているわけではないのだから、無理をすることはない。


 大歓声を受けるアスカが申し訳程度に手を振って応じているが、やはりその表情に喜びは少ない。

 不機嫌とも違うのに難しい感情を抱える妹。

 あの様子のアスカとも対峙したくないのだけれど。

 服を買ってもらう前に、妹の機嫌を取る必要があるだろうか。


 兄は妹からは逃げられない。

 知っていた。妹が大魔王なんだ。



  ◆   ◇   ◆ 



「……私、勝ったもん」

「ああ、わかってる。みんな見てたから」


 とりあえず腹を空かせたアスカと共に、かなり遅い昼食を取っている。


 この辺りの店の一般的な造りなのか、個別の椅子はない。

 部屋の壁にコの字にぐるりと座れるような高さの板が打たれている。その中央に二つの大きめの卓が据えられていて、そこに料理が並べられた。

 二つの卓の間は、料理を運ぶ店員の歩くスペースだ。

 コの字の角が二つ切られていて、出入り口になっていた。


「椅子や卓は固定していないと盗まれるからな」


 フィフジャの説明を聞けば納得だ。


「ノエチェゼは違ったけど?」

「あそこは海賊もどきの町で、ここほど大きくもない。商店の物を盗んだら元締めの商家に捕まって私刑だ」


 治安がいいんだか悪いんだか。



 運ばれてきた料理で腹が満ちてくるにつれ、とりあえずアスカの機嫌は回復していった。

 食は偉大だ。

 おそらく兄の存在よりも、妹の心を宥めることに長けている。

 存在と言えば、もう一人。


「んー、こういう大衆の味も悪くないですね」

「なんでいるんだ?」


 隣で一緒に食べているエンニィに、フィフジャの声は冷たい。


「ふぇ? だから会長が、フィフジャさんがちゃんとサナヘレムスに行くように付き添えって」

「そうじゃない。他の席も空いている」

「どんだけ冷たいんですか、フィフジャさん……もしかして僕のこと嫌いです?」


 ウェネムでも昼食を食べる人と食べない人とがいるそうだが、どちらにしろ時間が半端だ。

 大衆食堂には、ヤマトたちの他には二人しか客がいない。

 もっと離れて座ればいいと言うフィフジャと、その隣でにこにこしているエンニィ。


 闘技場を出て、バナラゴ・ドムローダはエンニィと何事か話して去っていった。

 偉い人が独り歩きするのかと気になったが、普段からそういうことが多いのだと。それなりに腕も立つと言う。

 バナラゴ個人の資産は少ないということで、大半はそのローダ行商組合の資産となっているとか。ヤマトにはその辺りの違いがよくわからない。


 どちらにしろ、バナラゴは別れてローダ行商会の拠点に帰った。

 エンニィを置いて。



「……サナヘレムスって、聖堂都市ってところだよね?」


 リゴベッテ大陸の中央にあるヘレムス教区。

 その中心である聖堂都市サナヘレムス。ゼ・ヘレム教会の聖地。

 これまでのフィフジャの話を聞く限り、そんな場所に行くとは思わなかった。


「行くの?」


 返事のないフィフジャに問いかけたのはアスカだ。

 フィフジャは目線を下げて、小さく呻く。


「ああ」


 決して前向きな様子ではない。


「すっごい所ですよサナヘレムスは。レジィグ湖とラビナーラ湖。二つの湖を背にした美しい水の都で」


 フィフジャの様子と無関係に、その向こうのエンニィが語り出す。

 行商組合の会長秘書だというから、あちこちの都市を見てきているのだろう。


「リゴベッテで一番……いえ、世界でサナヘレムスより美しい町はありませんよ」


 自慢げなエンニィの笑顔に、フィフジャは何も言わなかった。

 地元贔屓という目もあるのだろうが、事実として立派な都市なのだと思う。

 長い歴史と伝統のある町。

 今の話を聞けば、内陸だが豊かな水源を抱えた場所なのか。水源があるからそこに町が出来た。



「……行くの?」


 もう一度、アスカが訊ねる。

 ヤマトには、その声色が少し渇いているように感じられた。


「ああ……仕事、だからな」

「そ」


 フィフジャの返答に、それ以上は聞こうとしない。

 違和感は残る。

 だが、仕事だと言うのなら仕方がない。


「世界一の都市なんて、楽しみだね。クックラ」

「ん?」


 急に話を振られたクックラは少し首を傾げたが、アスカがもう一度、ね、と言うと首を縦に振った。


(嫌な思い出の場所なら行きたくないはずなのに)


 心の中のもやもやを抱えたままフィフジャを横目で見ると、目が合ってしまった。

 ヤマトは隠し事が得意な方だとは言えない。

 そんな顔を見たフィフジャは、はぁと溜息を吐いた。



「騙されていたんだ」


 言い訳するように。

 誰に対しての言い訳なのか。


「いやぁ、フィフジャさんってば人聞きが悪い」

「性格が悪いお前が言うな」


 エンニィに対しては容赦がない。

 嫌いだという風な顔をする割に、遠慮なくずけずけと言う。

 付き合いが長いこともあるだろうし、エンニィの人柄がそうさせるのかもしれない。

 言われてもへこたれる様子もないのだが。


「最初から……この依頼は、教会の関係者からだったんだと。道理で師匠が……」

「ちょっと考えたらわかるじゃないんですかね。行商組合がズァムナ大森林なんて探索依頼するわけないなんて」

「……面倒だから行けと言われたんだ。考える時間はなかった」

「?」


 話が少しスキップしていて、ヤマトにはよくわからない。


「教会から、ラボッタ・ハジロに依頼があったってこと?」

「結果を教会に持ち帰らなければ、重大な成果を隠匿しているとみられるかもしれないとか……あぁ」


 アスカの質問にフィフジャが苦々しく頷き、ヤマトにもなんとなくわかった。



 ズァムナ大森林の探索。

 人跡未踏の地に教会がどんな興味を抱いているのか知らないが、行商組合よりは理由がありそうだ。


教会あちらも、ズァムーノ大陸はあんまり伝手がないんで、うちのボスを通じて探検家を雇って向かわせたんですよ」


 エンニィが補足する。


「でもまあ探検家ってのも色々ですからね。珍しいものを手に入れても、ほいほいと他に持ち出しちゃうかもしれないでしょう」

「そう、だね」

「そこでラボッタさんにお目付け兼チームリーダーをって話だったんですけど」


 エンニィも苦笑い。

 断られたのだろう。

 面倒だから。ちょうどいい、弟子を代理で行かせろとか。


「なんで話を詳しく聞かなかったの?」


 ヤマトの疑問に、フィフジャの顔がさらに苦く歪んだ。

 いや、恥じ入るように。


「……師匠から、離れたかったんだ」

「……」

「毎日、あの人の近くにいると気が休まらなかったから」


 子供か。

 嫌なことから逃げ出そうと何も考えずに別大陸の用事を受けるなんて。


「いつも無茶苦茶を言う横暴で身勝手な男なんだ、あれは」

「……」

「この仕事を成功させたら解放……独り立ちして構わないと言われて」


 子供だ。

 ヤマトとアスカは顔を合わせて、兄妹の意思を確認する。

 嘘ではなさそうだ、と。

 目と目で頷き、息を吐く。


「……フィフって、時々けっこうバカだよね」

「間が抜けてるって言ってあげた方が」


 渋面になるフィフジャと、腹を押さえながら突っ伏しているエンニィ。


「……人生を変えるチャンスじゃないかって、どっかのバカにもけしかけられて」

「あはは、それ僕ですねぇ」


 全く反省の色はない。


「で、内容も聞かずに大森林まで行って死にかけてたの?」

「そうは言うけどな、アスカ。先にやるって言ってしまったもんだから……」


 言ってしまったから、後に引けなかった。

 それで船に乗り、探検家たちと一緒に大森林に向かいながら思ったのだと。

 何でこんなことになったのか、と。



 嫌なことから逃げ出して、さらに困難な道へと進む。

 生き物というのは不思議なもので、まとまった集団になっていると妙な安心感があったりもする。

 十一人の熟練の探検家グループで向かうのだから、根拠はないけれど大丈夫だろうとか。

 探検家たちに約束された報酬も高額で、士気は低くなかった。



「半端でもいいから地図の作成と、超魔導文明の遺物があればその確認、確保。それで成功だって話だった」


 まだ言い訳のように言い募るフィフジャ。


「人跡未踏とは言っても、多数の探検家で向かえば難しい話じゃないと。そう思っていたんだ」


 彼の言い分もわからなくはない。

 ズァムナ大森林が人跡未踏だとは言っても、あくまで森だ。

 全域をと言われたらともかく一部でも地図の作成をというだけなら、不可能とは思えない。


 また、超魔導文明と呼ばれる古代文明の遺産。

 ノエチェゼでヤマトが戦ったゾマークが持っていた剣もそうだが、現代の技術では作れない道具など。

 他の大陸でも、今でも時折見つかるらしい。


 探検家の醍醐味というか本領というか。

 人が足を踏み入れない場所で、そうした古代文明の何かを手にしたりすること。

 武器に限るわけではない。役に立つ道具であったり、役に立たなくとも好事家や収集家に高値で売れるらしい。


 ゼ・ヘレム教会は、そうした過去の遺物に危険なものがないかと危惧するところもあると言う。

 かつて世界を滅ぼしかけたという文明なのだから、そう考えるのも無理はない。



「教会が、それを集めて世界征服とか企んでるってことはないのかな?」

「それは物騒ですねぇ」


 ヤマトの疑問にエンニィがからからと笑う。


「そういうこともあるかなって……」

「教会がその気になれば、今でも可能なんだ」


 ヤマトの疑問に答えをくれたのはフィフジャだった。

 その顔からは苦さが消えて、真剣さだけが浮かんでいる。


「ゼ・ヘレムの信者は多い。というか、大半の人間がそうだ」

「……」

「教会から声がかかれば多くの人間が動いてしまう。混乱と動乱で大変なことになるだろう」


 世界征服をしたいと願うのなら、叶えられないこともないと。

 それだけの力は既にあるという。


「古くからの歴史もあって、妙な力を持った魔道具を既に所有していることも考えられる。今更やっきになって集めるだけの意味はない」

「そうなんだ」

「若い人の発想は面白いですよね。世界征服なんてする利点がないですよ」


 面倒が増えるだけ、というエンニィの言葉。

 今の状況で多くの人心を掌握しているのなら、あえて統治者として君臨する必要はない。

 そんな説明に納得しながら昼食を終えて外に出た。

 アスカはまだ少し何か気になっていたようだが、何も言わなかった。



  ◆   ◇   ◆



 時刻は昼と夕方の間というところ。

 闘技場から近い通りには、行き交う人も多い。


 石畳が多かったノエチェゼと違い、ウェネムの通りは踏み固められた赤土だ。

 雨が降るとべちゃべちゃになるらしい。

 汚物を流す小川もあるが、町が大きすぎて全ての家屋の近くにあるわけではない。

 下水路が作られていたノエチェゼよりも衛生状態は悪いのではないだろうか。


 アスカの勝ち取った賞金で適当な衣類などを買い、用事は済ませた。

 しばらく妹に頭が上がりそうにない。いや、それはいつものことか。



 半端な時間だが宿に戻ろうかと歩きかけた所だった。

 雑踏の中から、真っ直ぐにヤマトたちに向かってくる一人の青年の姿があった。

 知らない顔だが。


「ああ、見つけた。噂になってる闘技場の女の子って君のこ――」


 反応は速かった。

 ヤマトは自分の反応に驚く。


 往来で、歩む速度を変えずに声を掛けて来た青年。

 アスカの顔を知っていたのか、アスカがグレイを連れていたという情報からだったのか。

 声をかけながらヤマトの横を通り過ぎた所で、ヤマトは槍で受け止めた。


 その、凶刃を。



  ◆   ◇   ◆

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