四_007 謝罪と成長



「魔術禁止なんて聞いてない!」

「いや、そう言われてもなぁ」


 試合はいきなり物言いがついて中断した。


 開始直後に放ったネフィサの光弾をアスカが躱したところで、待ったと。

 武器禁止というルールでやっているのだから、魔術による攻撃もそういう扱いなのだろう。

 あくまで肉弾戦のみ、ということで。


(やっぱり、肉体強化のことは魔術だって認識されてない)


 フィフジャから教わった知識では、肉体強化も魔術の一種だと聞いている。

 だが、これまでの行程でも耳にしてきた内容から、世間的に魔術と認識されているのは火花や光弾と言ったエネルギー放出型の技能のことに限られている気がしていた。


 フィフジャの師匠が魔術研究をしている珍しいタイプの人間だという話だったので、世間ではあまり広く知られていないのだと思われる。

 体内でのエネルギー活用も魔術だと思う人間は少ない、ということなのか。



「とにかく魔術は禁止だ。次使ったら失格にするぞ」

「むぅぅ」


 憎々し気にアスカを睨んでくるネフィサだが、お門違いというものだ。

 昨日の話もそうだが、この女は何かとズレている。

 魔術禁止のルールはアスカも知らなかったが、その怒りも含めてアスカに向けるのはどうなのだろうか。


「魔術なしで戦えないんだったら降参したら?」

「馬鹿にして!」


 煽ったつもりなので、その通り。

 仕切り直して向かい合うアスカとネフィサ。

 元々ズァムーノで探検家的なことをしていたらしいので、それなりに様になっている。

 魔術を禁止されたから無力というわけでもなさそうだが。


(弱い者いじめ、だよね)


 口にしたらさらに怒らせるだろう。

 アスカとすれば、この女に何か配慮する気は全くないが、見ている観衆への印象は悪くなる。



「ミシュウの仇!」

「違うし」


 殴りかかってきたネフィサの右腕を上に撥ね上げた。


「このっ」


 続けて左の拳を、避けつつ右手で左へと流す。

 くるりと背中を見せたネフィサが、そのまま回転した。


「!」


 遠心力をつけての、ネフィサの左足の廻し蹴り。

 思ったより足腰のバランスがよく、攻撃が途切れない。

 アスカは身を逸らしつつ、自分の上を抜けるネフィサの足を肘で高く弾いた。

 大きく足を上に上げたネフィサは、観衆に向けて大股を開いた形で回転すると、バランスを崩して尻もちをついた。


 ――おおおおぉ!


 歓声は、ネフィサの開脚に向けてのこと。

 後ろに跳ねながら立ち上がるネフィサの顔が赤く染まる。


「こ、この!」


 裾を気にしつつ構え直すネフィサを無理には追わない。

 恥ずかしいと思うのなら、少しでも長くそれを味合わせてやりたいと思った。


(昨日は往来でこっちに恥をかかせたんだから)


 女戦士限定の日に観客席に来ているのだから、卑猥な目的がある人が多いのは当然か。少しはアスカの気が晴れた。

 対するネフィサは、相変わらず憎しみを込めた目でアスカを睨みつけている。



 死んだミシュウという男のことは、ほとんど覚えていない。

 ノエチェゼの食堂で一度言葉を交わしただけだ。軽薄な印象の若者だったという印象くらいしか記憶していない。

 四人でこつこつお金を貯めてリゴベッテに渡るのだとか言っていたか。

 同じ集落の出身で、それぞれ多少の魔術の才能があったとも。


(魔術も、きっと血筋が影響するんだ。治癒術と一緒で)


 使える者と使えない者とがいて、アスカもヤマトも光弾の魔術は使えない。

 遺伝的な要素があるのだろう。

 偶然に、友人四人が魔術の才能があったというのは考えにくい。

 彼らは同じ集落出身で何らかの血縁関係があり、その繋がりで似たような才能を有していたと考えた方が自然だ。


(血縁、か)


 恋人を失くしたという話ではアスカには共感するところはないが、血縁となれば少し違う。

 近しい誰か。

 幼い頃から一緒にいた誰か――ヤマトを失くしたとしたら、アスカも冷静ではいられない。

 動転して、筋違いだとしても誰かを恨み、怒りをぶつけることもあるかもしれない。


(……)


 クックラを拾った時のことを思い出した。

 あの時、アスカは他人の事情を思いやる気持ちに欠けていたと思う。

 泥水を啜って生き延びていたクックラは、その時は自分が生きることだけに目を向けてくれていたけれど。

 落ち着いてからは、どうだったのだろうか。


(泣いていた、かな)


 宿で、眠りながら泣いていたことがなかっただろうか。

 家族や友人のことを思い出して。あるいは岩千肢に襲われた恐怖を思い出して。


 アスカの人生の大半は、気遣われることはあっても気遣うことはない日々だった。

 父も母も兄もアスカより大きく、アスカの気持ちを優先してくれていた。

 無論、アスカが悪い時にはそれを叱ることもあったが、少なくともアスカが誰かに気を遣うようなことはほとんどなかった。


 今は違う。

 クックラはアスカよりも幼く、アスカはクックラを立派に育てる責任がある。

 目の前のネフィサにしても、アスカより弱く、親しい者を失って傷ついた状態だ。

 昨日の自分の対応が間違っていたとは思わないが、母に褒めてもらえる部分はなかった。



「あのさ」


 自分の生き様は、母に誇れるものでありたい。

 母が誇らしく思える自分でありたい。なら、成長しなければならない。


「昨日は、私も言いすぎた。悪かったわ」

「な……にを……」


 唐突なアスカの言葉に、向かい合うネフィサが戸惑いの声を漏らす。


「あんたの友達が死んだのはヤマトのせいじゃない。それは違うって言う」

「……」

「でも、戦って死んだ人をけなすのは、間違ってた。ごめん」


 じわりと、ネフィサの瞳に浮かんだ涙は、零れる前に拭われた。



「ミシュウ、だっけ? あんな魔獣相手に戦って勇敢だったと思う。死んじゃったのは、残念だったね」


 昨日のネフィサの行動が正しかったなどということはない。

 だが、それに対してのアスカの言動も、あまり正しくなかった。


「ばか……みたい……」


 距離もあるのでヤマトたちには何を喋ったのかまでは聞こえなかっただろう。

 ただ、少し落ち着いた様子で言葉を交わすアスカとネフィサに、奇妙なものは感じたかもしれない。



「謝ったって」


 拳を握り締めるネフィサ。

 謝罪があったからと割り切れるものではないとすれば、まだ恨み言を――


「……負けてなんて、あげないんだから」


 予想した言葉とは違う方向で返ってきて、アスカはきょとんとする。

 ああ、まだ勝負の途中だった。


「まだやる気だったんだ」


 つい、アスカの頬が緩む。

 にやりと、悪女のような笑みを。


「全力で来なさい。ちゃんとぶっ倒してあげるから」

「生意気言って」


 事実、アスカの方が強いのだから、そこは仕方がないのだが。

 襲い掛かってくるネフィサを、なるべく怪我をしないようにと気遣う程度のゆとりがある。

 おそらく母もアスカに戦闘訓練する際に、こういう目線で見ていたのだろう。

 そう思うと、こんな闘技場だというのにどこか暖かい気持ちを思い出させてくれた。



  ◆   ◇   ◆



 ネフィサは弱くはなかった。

 ある程度戦い慣れていて、魔術も使えばそれなりに戦えるだけの技術も経験もある。

 探検家まがいのことをしていたというのも納得だ。

 相手が悪かっただけで。



「――って、嬢ちゃんよぉ」

「あ、そうだった」


 解説兼審判のションビに呆れた声をかけられて、ふと思い出す。

 勝ってはいけないのだったか。


「……ま、何とかなるでしょ」

「無理だと思ったら降参しとけよ。意地張っても仕方ねえし、客の不満なんざ気にすることもねえ」

「はぁい」


 倒れたネフィサは、仲間の二人に連れられて闘技場を後にしている。

 その姿が消えた通路の向こうを見てみるが、相手がまだ姿を現さない。


「何を話していたんだ?」


 上からの声に見上げると、微妙な表情のヤマトがいた。

 喜んでいいのかどうなのか、戸惑っている様子の。


「んー、昨日は言いすぎたからごめんって」

「彼女が?」

「私が、だよ」


 ヤマトの中では、アスカの方から謝るということが信じられなかったらしい。

 間違った受け止め方を訂正すると、ますます複雑な表情を浮かべて、そうかと小さく呟いた。

 アスカの成長を素直に受け止めていいのか、何か裏があるのかと勘繰っているようでもある。


(信用ないなぁ)


 いつまでも子供ではないし、いつまでも子供でいられない。

 クックラという妹分が出来たのだから、余計に。

 長く一緒にいたヤマトにはそれが不思議な感覚なのかもしれない。


 ――?


「?」


 ざわつく会場が、急に静まり返った。

 それから、どよめきが波のように観客席を伝わっていく。


「なんだろう?」


 ヤマトもその雰囲気の異様さに顔を上げて、どよめきの中心に視線を向ける。

 アスカとは反対側の、対戦相手の出入り口。



 ――次のアスカの相手は、烈武官モルガナだぁ!


「だってさ」

「……」


 徐々に湧き上がる歓声を受ける女の姿を認めてアスカが返すが、ヤマトの返事はない。


「国軍の切り込み隊長じゃねえか。なんでここに?」

「昔はこの闘技場によく出入りしていたんだってよ。最近は軍に入って都にいるって話だったが」

「こいつはおもしれえ」


 周囲の観衆から漏れてくる情報に耳を傾ければ、そういうことらしい。

 その存在を大きく伝えたションビが、アスカに向けて小さく手を振る。横に。

 無理だ、と。


 彼としても、どうやらこの相手が今日この町にいたことは想定外だったらしい。

 かなりレベルの違う使い手だと聞いて、アスカが尻込みするのかと言えば、もちろん。


「やっとイダ森林流の真髄が見せられそうじゃない」

「無茶しないって約束だ」


 アスカのことを信用していないくせに、どうして約束を守ると思うのだろうか。

 都合のいい話だ。


「強い相手と殺し合いじゃない場所でやれる。いい経験じゃん」

「……無茶するなよ」


 諦めてそう言い残すと、クックラたちが待つ席へと戻っていった。



 改めて相手を見る。

 モルガナと言ったか。正規の軍人でこの辺りでは有名な女らしい。

 年齢は三十代前半から半ばに見える。

 ちょうど記憶にある母に近い。背丈は母より少し高いか。

 生意気な小娘に不敵な笑みを浮かべる女軍人に、アスカもまた挑戦的な笑顔で答えた。


「見ててね、お母さん」


 観客席にはいない母に向けて、右手を掲げて進み出た。



  ◆   ◇   ◆

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