四_006 闘技場の妖精
危険だからやめろとか、怪我をされたら困るだとか。
そういう当たり前の反対意見を正面から言われても、アスカの性格からして反発するのはわかっている。
それでも言わずにいられない。兄として、保護者としては。
「フィフ、私が勝てない相手ってどのくらい?」
そう返されたフィフジャは口籠った。
アスカ自身の実力をどの程度だとフィフジャが見積もっているのかと聞かれれば、低いということはない。
熟練の探検家に匹敵するか上回る身体能力。並の戦士では相手にならないはず。
口籠ったフィフジャに、アスカの口元が緩む。
「たぶん結構強いと思うんだよね、私って」
「それは……そうなんだが」
「経験しときたいの。経験が足りないんだよ」
荷物をヤマトに押し付けて、軽く跳躍を繰り返しながら体をほぐすアスカ。
「人間と戦うって今までなかったから」
「……」
ノエチェゼで、群衆や兵士に追われた時に気後れしてしまったことを言っているのか。
「だからってお前」
「これからもあるんだよ、ヤマト」
言い返そうとしたヤマトだったが、言葉を遮られた。
この先も、有り得ることだと。
人間を相手に戦わなければならない。そんな事態が。
「慣れておきたいの。人と戦う場合に」
「……だけど」
「自分だって出たがってたじゃん」
言い淀むと、今度は理屈ではなく感情に話を持っていかれた。
そう言われてしまえば、実際にヤマトも興味があったわけで、あまり強く反論しにくい。
「人間との戦いの経験も出来て、十回勝てば五〇〇〇クルトだって」
ヤマトたちの言い合いを聞いていた闘技場の受付をしていた男たちが軽く笑った。
小柄なアスカが、大仰なことを言っていると。
「一石二鳥じゃん」
本人が本気で言っているところが面倒だ。
どうであれこんなことを認めるわけにはいかない。
強引に引き摺ってでもここから離れようかとフィフジャに目配せしようとした時だった。
「こんな所で何をしている」
後ろから声がかかった。
振り向けば、壮年の男がフィフジャに視線を向けている。厳しい視線を。
またフィフジャの知り合いなのか。案外と顔が広い。
かと思えばその男の脇に見知った顔――昨日の金髪青年エンニィが、連れとは対照的に人懐っこい笑顔を浮かべて並んでいる。
「ああ」
理解して、ヤマトの口から声が漏れた。
フィフジャが会うことを嫌がっていた相手がこの壮年の男なのだろう。苦手というか嫌いな相手だとか。
「別に……」
フィフジャは男の方を見ずに小さく呟く。
褒められた態度ではないが、いつものことなのか相手はそれを気にした様子はない。
「遊んでいる暇があるのなら早く仕事を片付けることだ。面倒だと思うなら余計に」
「わかってる、言われなくても」
苛々したように言葉を遮るフィフジャの様子に、ヤマトは少し驚かされた。
アスカもクックラも、少し心配そうに口を噤んで様子を窺う。
感情を露わにして他人に反論するなど珍しい。
「コカロコ大司教にはお前も恩義があるだろう」
それも彼にとっては慣れたことなのか、構わずに続ける。
見かけは細身で、顔にはいくらか苦労を感じさせる皺を刻ませた壮年の男。表情は固い。
隣にいるエンニィがにこにこしているせいか、対比して非常に厳しい顔をしているように見えた。
「ええと?」
「なんだ、この子供らは」
質問と言うよりは叱責に近い。
仕事も片付けずに子供と遊んでいたのかと、そんな風に。
「言ったじゃないですか、会長。ズァムーノでフィフジャさんを助けてくれたらしいって」
「この子供らが?」
値踏みするようにヤマトたちを見る男。
「そう聞いたが、ふん……フィフジャが世話になったようだな」
礼なのか何なのか。だとしても、別に見知らぬ男に礼を言われる筋合いはない。
答えに困るヤマトたちに、取り繕うようにエンニィが進み出た。
「ごめんね、急に。ヤマト……で良かったっけ?」
「あ、うん」
「こちらはバナラゴ・ドムローダ様。リゴベッテでも一、二を争うローダ行商組合の会長なんだ」
本人もフィフジャも紹介しないだろうと、エンニィが説明してくれる。
二人は、目線を合わせずに口を閉ざしたまま。
仲の悪いことだ。
「偉い人?」
「本人はそう言わないけどね」
小声で訊ねると、エンニィも小さな声で答えて笑う。
聞こえていないわけではないだろうが、バナラゴ・ドムローダはそれに関しては何も言わない。
気難しそうな相手だということはわかるが。
「仕事は、わかっている」
「ならば」
「路銀がない。こっちにも事情がある」
そちらの言い分ばかり押し付けるなと、フィフジャの言い方に棘が見える。
事情はまだよくわからないが、フィフジャはまだ仕事を終えていないことになっているらしい。
(路銀?)
確かにないのだが、話の風向きがおかしい方に向かっていないだろうか。
「それならそうと……」
「あんたの世話になんかならない。依頼者でもないなら放っておいてくれ」
黙っていれば路銀程度いくらでも用立ててくれそうな雰囲気だったのに、それは拒絶。
嫌いな相手から金をもらうのは確かに不愉快だろう。
「ではどうするつもりだ?」
バナラゴが馬鹿にするようにフィフジャに問いかけると、フィフジャは初めてバナラゴに視線を向けた。
二人の目線が繋がる。
「まさかそんな子供に頼ろうなどと」
「見る目がないな。あんたは」
挑戦的な物言いを。
(いや、あれ?)
やはり話の流れがおかしい気が。
「アスカは俺の命の恩人だ。並みの探検家どころじゃない。こんな闘技場で後れを取ることはないさ」
「……」
置いてけぼりのヤマトが情けない表情を浮かべる。浮かべて、とりあえずクックラを見る。
クックラは少し考える仕草を見せてから、小さく頷いた。間違いないと。
その隣のアスカは得意げな顔で大きく頷いていた。ヤマトの心配などよそに。
◆ ◇ ◆
「……本当に危ないと思ったら、止めるからな」
ヤマトも、不承不承認めるしかない。
言ってしまったフィフジャは、すまなそうに口を閉ざしている。
ついアスカを矢面に立たせてしまったと。
危険は少ないと判断してのことだろうが、それでも普段のフィフジャからは考えられない愚行だ。
(冷静じゃなかったな、フィフ。よほどあのバナラゴって人が嫌いなんだろうけど)
嫌いな相手に対しての対抗意識で、普通ならやらないことを。
「……すまない。やはり」
「フィフ、今さらそれなしね。参加費も払っちゃったし」
なけなしの所持金から、闘技場参加の支度金を払ってしまった。
その間にエンニィが全員分の見物料を払っていたので、客席からアスカを見守ることが出来る。
止めるはずだったのに、こうなってしまえば仕方がない。
「無茶するなよ」
「はいはい、わかってるってば」
とてもわかっていそうな返事ではなかったが。
ヤマトとしても、これまで見てきた中で、一対一でアスカが負けるような相手がそれほど多いとは思っていない。
ラッサくらいの相手がいたら手こずるだろうが、それでも勝つだろう。
だがそういう勝率の計算よりも、やはり心配にはなるのだ。妹が闘技場デビューなどと。
「大丈夫だって。ヤマトとクックラの着替えくらい買ってあげるから」
「う、まあ……ほしいけど」
ノエチェゼで荷物を盗まれて着替えがない。フィフジャに渡していた父の古着を着回しているところだ。
クックラも、ノエチェゼで買った安物の服のみ。着たきり雀では可哀そうだと思う。
「俺が言うのも悪いが……油断をするな。こういう場所で戦い慣れた相手もいる」
フィフジャの忠告を受けて、神妙な顔を作って頷いてみせる妹。
演技だとわかってしまうのは兄として複雑なところ。
「うん。遊びでやるわけじゃないってわかってる」
顔は真剣なのだが、筋を伸ばすように手首を擦る指の動きが、遊びに行きたいと言い出す時と似たような忙しなさに見えていた。
◆ ◇ ◆
「イダ森林流よ、覚えておきなさい」
「なんとぉ!」
円形に何段も並ぶ観衆に聞こえるように、大声を張り上げる男。
その手に握られた円錐状の短い筒は、声を遠くに届けるための道具なのだろう。
それなしでも十分すぎるほど大きな声なのは、地声が大きいから。
「怒涛の八連勝だぁ!」
会場に告げる彼の声が掻き消されるほどの大歓声。
観衆の数は千ではきかない。その倍以上はいる。
昼間から闘技場などで熱狂している彼らが、どんな仕事をして生活をしているのかわからないが。
「やー!」
腕を天に突きあげると、さらに歓声が高まった。
かなり楽しい。
遊びではないと言ったような気もするが、これは結構楽しい。
「ズァムーノから来た小さな……妖精? ええっと、なんだっけ?」
「……」
「あ、ああ! ウェネムに舞い降りた一輪の可憐な華! イーダーー! アァスカァァ!」
「やー!」
円形の会場にくまなく見えるように、向きを変えて勝利に腕を掲げる。
客席でヤマトとフィフジャが額を押さえているのが見えた。
クックラは手を叩いて嬉しそうに見ている。その横に座るグレイも心なしか誇らしげだ。
近くにいるエンニィは唖然とした顔で。バナラゴは厳しい表情を崩さないが、きつく結んだ唇は表情を崩さないために力を込めているのだろう。
三連勝したところで実況兼審判に名前を確認された。
そこから二勝したら、今度は出身地を聞かれたので、煽り文句と共に伝えた。
せっかくなのだから可愛く喧伝してもらいたい。
闘技場に参加するのは、女性とはいえ少し大柄で強面の人が多い。
その中で小柄で可憐なアスカが勝ち続ける光景は、見ている人々を大きく熱狂させた。可愛いし正義だ。
(ま、ヤマトよりは弱いもんね)
素手での格闘であれば、人間のやることは大きく変わらない。
打撃、タックル、投げや関節技。初めて見る魔獣と戦うよりやりやすい。
森で複数の魔獣を相手にしていたことを考えれば、正面から一対一という条件は優しいと思える。
ここまで全て投げ技で勝ち抜いてきた。
掴みかかってくる相手、殴りかかってくる相手を、その力を利用しつつ背中から地面に投げ落として、あとは首筋につま先を寸止めして終わり。
苦し気に呻いて降参する女戦士たち。
実際にかなり力は強いが、アスカだって非力ではないのだ。見かけによらず筋力がある。
戦ってみてわかったが、本職の戦士というわけではない。
少し聞いてみたら船乗りだと言われた。
船乗りの中の腕自慢の女が参加しているというケースが多いらしい。
港町なのでそれを聞けば納得だ。停泊している間の退屈しのぎと小遣い稼ぎなのだと。
観客はただ見ているだけでもなく賭けをしているということで、試合と試合の間は時間が空く。
その間に水を飲んだり、クックラに向けて手を振って見たり。
「嬢ちゃん、すげえな」
審判の男が休憩しているアスカに声を掛けてきた。
「ズァムーノの船乗りってんなら、凶鳥ラジカが昔ここで勝ちまくって出入り禁止になったんだが」
「……」
その名は知っている。何をやっているのだろうか、あの女は。
「あいつが出ると賭けにならないってな」
港町では有名人という話は事実だった。よくも悪くも。
「でもなあ、嬢ちゃん。悪いことは言わねえ。次で適当に負けといた方がいいぜ」
「なんで?」
近付いて話しかけてきたのは、世間話だけというわけでもないらしい。
小声になったのは、賭けをしている観客に聞こえないようにということだろう。
「十勝がかかると、それ用の戦士が出てくる」
「強いの?」
「ああ、ラジカみたいに荒稼ぎされたら困るってんでな」
闘技場の用心棒的な女戦士がいて、高額賞金を渡さないようにしているという話だった。
悪気があって言っているのではなく、小柄なアスカが痛い目に遭うのを気遣っての忠告。
こんな場所で働いているくせにというか、だからこそなのか、参加者が怪我をしないようにと気遣ってくれているらしい。
「嬢ちゃんみたいな子が痛がるのは見たくねえ。そういうのを見たいってバカも多いんだが」
「ふぅん……あなたの名前は?」
「あ? 俺はションビってんだが」
変な名前。アスカの感覚ではそう思うが、この辺りでは普通なのかもしれない。
「うちの娘と大して変わんねえんだ、嬢ちゃんよ」
名前はショボイ気がするけれど、性根は悪くない人だ。
「んー、わかった」
承諾したわけではないが、理解はした。
もう一度水を飲み、うーんと体を伸ばす。
ションビは話が済むとアスカがいるのとは反対側の待機場所に歩いていった。
こちらとだけ話したら不自然だということか。
「ま、これでも一五〇〇クルトもらえるんだっけ」
八勝したことで、それだけの金額は既に約束されている。
次も勝てば二千五百クルト。その次も勝てば五〇〇〇クルトだということだが。
着替えを買う程度の金なら十分に稼いだのだから、ここまででもいい。
適当に苦戦してみせて負けてもいいだろう。
何も闘技場を制覇したいというわけではないし、ラジカと同じ扱いというのもイヤだ。
やたらと心配そうなヤマトとフィフジャにも、少しは申し訳ない気持ちもある。
歓声は大きい。
大勢の人間から注目されたのは、今までではノエチェゼで追われた時だけだ。
あの時は、怖かった。
決して強い相手ではなくとも、たくさんの視線が怖かった。
今は違う。この大人数が、アスカの活躍に賞賛の眼差しを注ぐ。
父と母から受け継いだ力で戦うアスカに、肯定的な感情を。
好意的というのとは違うが、否定的なものではない。
それはアスカにとって初めて体験する優越感であり、だからこそ少し申し訳なかった。ヤマトとフィフジャに。
(遊びすぎたら悪いよね)
目的はある程度果たしたのだから、ここらで手を引いてもいいだろう。
戦う時間は短いのだが、待ち時間が長く、いい加減にお腹が空いてきた。
(じゃ、次で……)
反対側に現れた次の挑戦者に花を持たせてやろうと、そう思ったのだが。
「残念」
そういうわけにはいかなくなってしまった。
「白黒つけるにはいいんじゃない」
数少ない知った顔だ。名前も知っている。
「ネフィサ、だったっけ」
色々と不幸な女だと。アスカはそう思わずにはいられなかった。
◆ ◇ ◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます