四_005 ウェネムの街並み



「驚かないのか?」


 そう訊ねるフィフジャの方が驚いているように見える。

 アスカはにんまり笑う。隣のヤマトは苦笑を浮かべている。


「だって、おかしいだろう?」

「何が?」

「これから夏になるって……」


 フィフジャはアスカたちに聞かせたら驚くだろうと思っていたのだろう。


 ――今は春だから、これから農繁期だな。


 秋の始めにノエチェゼを出てきたはずが、今が春だと言う。

 世間知らずなアスカたちが戸惑うだろうと思っていたのだとしたら、フィフジャもけっこう意地が悪い。



 赤道を越えた。

 春夏が逆転するのは、やはりこの世界も太陽に対して地軸が傾いているのだと思う。

 そもそも四季がある段階で父からそういう可能性を聞いていたので、アスカは当然予想していた。

 地球と同じではないかもしれないが、北半球と南半球で季節が逆転しているかもしれない、と。


 父、日呼壱は月の満ち欠けもノートに書いていた。

 海に出てから、どこの辺りだったかは確認できなかったが、ある時アスカも気がついたのだ。

 満ち欠けの向きが逆に見えることに。

 右側に残っていくはずの月が、左側に残っている。反転している。

 それに気が付いて、やはりこの世界が丸い星なのだと実感した



「驚くかと思ったんだが」

「うちにあった本に、そういうの書いてあったんだよ。北と南で季節が逆だって」


 ヤマトがそんな言い訳をして、少しつまらなそうなフィフジャを宥める。


「ああ、本か」


 フィフジャは伊田家に多くの本があったことを知っている。

 そうした知識をアスカたちが持っていたとしても、そう聞けば納得するだろう。



「フィフさぁ、私たちを驚かす為に黙ってたの?」

「いや、話すのを忘れていただけなんだが。もっと驚くと思ったんだ」


 この世界の知識水準は高くない。民間の人々はあまり多くの物事を知らない。

 普通ならこんな不思議な現象を驚くはず。現にクックラは目を白黒させて首を傾げていた。

 後で教えてあげようとアスカはその頭を撫でた。


「師匠に言わせると、地面が動いているんだとか言うんだが……」


 やはりラボッタ・ハジロという人は異色の人間だ。

 世界を天体として捉えて地動説に行きついている。


 地球でも、遥か古代にそう提唱した人はいたはずだ。

 だがその考えは一般に浸透せずに、十六世紀ほどまではほとんど天動説に疑問を投げかけなかったとか。

 大陸間を航行する船があるので、世界が丸いということは理解が進んでもいいとは思うけれど。



「そういえば、フィフ。リゴベッテの東の海をずうっと東に進むとどうなるの?」

「うん? 帰ってこれない……死ぬって話だ」


 アスカの疑問に、フィフジャの答えはあっさりしたものだった。


「誰一人帰ってきた者がいない。今はもう誰も行かない」


 一周回ってユエフェンの西に出るというわけではないのだとしたら、ネレジェフを超える逃れられない脅威があるのかもしれない。


 アスカは船乗りではないし、別に冒険心に溢れているわけでもない。

 確認するのに高確率で命を落とすのなら、やめておこう。



「そうしたら……そうだな。この町には闘技場があるはずだ」

「闘技場?」


 フィフジャの言葉に興味を示したのはヤマトだ。

 ノエチェゼでも、全竜武会とかの武闘大会に参加できるかなどと聞いていた。


「見てみるか?」

「うん、見たい」


 ヤマトがいつになく張り切って答えるのを聞いて、クックラと顔を見合わせて笑ってしまう。

 せっかく知らない場所に来たのだから、観光も悪くないだろう。



 時間はある。

 待つ時間が出来てしまった。


 船でアスカが水を供給したことに対して対価を要求してみた。

 ダナツは、イヤそうな顔をしつつも答えた。わかっている、と。

 太浮顎の皮も金になるということで、その辺を売り払うまで数日待つことになった。

 言われなければ分配しないつもりだったのか。


 船代としてダナツに支払っていた金は、急ぎで船の修繕を頼んだ手付金などで使ってしまったのだと。

 全部使ったというのは嘘だろうが、こちら側としても少しは休息の時間があってもいいから待つことを了承した。

 シュナのところで泊めてくれるのだから、宿代も心配ない。


 船代を支払ってしまったアスカたちはほとんど金銭を所持していない。

 フィフジャの方は、経緯は後で話すと言われたが、とりあえず図鑑は金に変わらなかったという。とりあえずお金がない。

 この先のことを考えても、もらえる金はもらっておくべきだろう。



「リゴベッテの港町にはこういう闘技場がよくある。発祥は、ここから北西のイーラの港だって話だな」


 闘技場に向かう道すがら、フィフジャはそんな雑学を話してくれた。


「なんでも魔王が死んだ場所とかで……魔王の話はしたんだったか?」

「八百年くらい前に、ズァムーノ大陸の西側から世界中に攻めたっていう話だよね?」


 森の中で聞いた話をヤマトが確かめると、フィフジャは頷いた。



 ズァムナ大森林の南には、人間に敵対的な種族が住んでいる。

 魔族と呼ばれる種族で、見た目は人間とあまり変わりはないと。

 人間より少し長寿で、少し強靭な肉体を持つ。平均的にという話だが。

 繁殖力が低いのか、数はあまり多くない。


 ズァムーノ大陸は、真ん中あたりで上から東西に割れている。イモを上から割ったように。

 その下の端……東西が繋がっている南端は、魔族と人間の勢力が戦いを繰り返しているのだという話だった。


 八百年前に、その魔族の中に異常な力を有する者が現れたと。

 それを魔王と呼ぶ。

 アスカはそれを妖魔ではないかと推測していた。魔族の中の異常個体。


 魔王が率いた魔族の軍勢は、ズァムーノ大陸西側を攻め滅ぼし、ユエフェンとリゴベッテにも攻め上がったと。

 ゼ・ヘレム教会の聖人とやらがそれを破り、このリゴベッテの大地で死んだのか。


「イーラで、魔王が死んだ場所に闘技場が出来た。それを真似て他の港にも作ったらしい」


 戦いの歴史。



「そんな昔の話が伝わっているの?」

「ん、まあな」


 アスカの疑問にフィフジャは少し表情を翳らせて、苦く笑う。


「教会が伝えているんだ。当時の戦いの痕跡と一緒に」

「そういうこと」


 教会にとっては、異界の龍の話と同じく自分たちの功績としての宣伝材料になる。

 虚実は入り混じっているだろうが、そうした歴史を伝えるのも宗教の役割になのかもしれない。


「今でも魔族と人間の対立は続いている。これはずっとだな」


 アスカたちが住んでいた大森林の南は、そうした戦乱の渦中にあるということになる。

 八百年というとひどく長い。


「どうして、その時に魔族を、その……滅ぼしたりしなかったの?」


 ヤマトの質問が野蛮だ。

 男というのは滅ぼすとか滅ぼさないとか、そういうのが好きなのだろうか。


「出来なかったって話だな」


 やろうとはした、という返事だ。



「その戦争で、人間の数が大きく減ったとか。ズァムーノ大陸西側は当時の人間の九割が、ユエフェンやリゴベッテも半分以上の人間が死んだと」

「うそぉ?」

「教会の伝える話だから本当かどうかはわからん。かなりの人間が死んで数が減ったのは事実だったろうが」


 当時、どれだけの人間がいたのかはわからない。

 だとしても、大陸に存在する人間の九割を殺すなんて、どれだけの労力が必要だというのか。

 現実的ではない。誇張か。


(神話みたいなものなのかも)


 ゼ・ヘレム教会の神性を高める為の作り話。

 地球にもあったはずだ。大洪水だとかそういう言い伝えは。

 地上の人々は死に絶え、ただ神の言葉に従った者だけが生き延びたというように。



 そんな嘘か本当かわからない昔話を聞いているうちに、目的の闘技場が見えてきた。

 すぐにそれだと分かったのには理由がある。


「円形闘技場……」


 どこの世界でも、こういう施設を考える人の思考は同じなのだろうか。

 そう考えてから、ただ単に観覧の為だと思い至る。

 闘技場というからには観客がいるのだろうし、円形なら全方位から見られるのだから。

 闘技場周辺は、荷車に積んだ果物やらを売る人々もいて賑わっていた。



「中に入るなら一人四十クルトだ」


 入り口近くで建物を見上げていたアスカたちに、入場係兼警備員のような男が声をかけてくる。


「高いな。前は二十クルトだったと思うんだが」


 彼の言葉にフィフジャが訝し気に応じると、入場係は軽く頷いた。


「普段はそうだ、初めてじゃないのか」

「?」

「今日は、女戦士だけなんでな。いつもの倍だ」

「ああ、それで」


 金額がどうであれ、無駄遣いをするつもりはない。

 入るつもりはなかったが、金額の仕組みを聞いて納得する。

 女性限定日ということで高いらしい。


(見たいものなのかな? 女同士の戦いなんて)


 アスカは疑問に思うのだが、それで商売が成り立っているのなら需要があるのだろう。



「武器無し女だけのくんずほぐれつってな。立派な犬連れてるところをみると、あんたらユエフェンの探検家か」


 グレイを見てもあまり驚かない。

 港町で、ユエフェンから犬を連れて渡ってくる人もいると。


「今日はそういう日じゃないが、魔獣同士を戦わせるってのもやるんだぜ」

「させないわよ、グレイにそんなこと」


 危険で野蛮なことなど、こんな所でさせられない。

 アスカの言葉にヤマトも頷き、入場係の男は苦笑を浮かべて謝った。


「今日は出られないのか」

「あのね、ヤマト……」


 出るつもりだったのかと、半眼で睨む。

 フィフジャも呆れ半分、納得半分という顔で。


「ん……」


 クックラがヤマトの服の裾を引くと、冗談だと、そうでもなさそうな顔で答えた。


「なんだ、出場したかったのか」

「何か資格とかいるの?」

「あんまり弱っちいとお断りだけどな。参加料を払って、死んでも文句ないって宣言すりゃあ誰でも出られるぜ」


 それを聞いた全員の顔が微妙に歪む。


「っても、武器無しの普段の興行で死ぬ奴なんて何年も出てねえさ。冬至の頃にやる何でもありの真剣勝負の時は違うけどよ」


 入場係は手を振って続けた。

 普段の興行では死者が出るようなことはほとんどない。

 だが、年に一度は真剣勝負の大会が開かれて、その際は違う。生き死にが関わるとなれば盛り上がりも違うのだと思う。


 いつもいつも死者が出るようなら問題だ。普通の神経なら参加しようと思わない。

 見に来る人間は、やはり期待してしまうのだ。思わぬ事故を。

 安全な場所から、鍛えられた人間同士が戦い、そして力尽きる姿を見たい。


 娯楽として成り立つから、こんな闘技場が出来ている。

 周囲の足元は白っぽい継ぎ目の見えない石材で基礎を作っていて、その上に大きな煉瓦のような石材を互い違いに噛み合わせて積み上げられた建物。



「そんなわけだ。用がなけりゃ帰んな」

「ああ、見に来ただけだからな」


 フィフジャの答えと共に歩き出すアスカ。

 ヤマトはまだ少し気になっているようだったが。

 出てみたかったというような様子のヤマトに、入場係の男が笑う。


「ま、そんな嬢ちゃんが参加するって言ったらお笑いだ。客は喜ぶだろうけどよ」


 クックラのことだろうか。

 アスカの視線が冷たく男を捉えると、その男の視線はアスカに向いていた。

 つまり、クックラのことではないとすれば、誰を笑うつもりだったのか。


「へえ」

「……」

「笑わせてあげても構わないんだけど」


 結局、アスカとヤマトは兄妹。根っこは似ているのだ。



  ◆   ◇   ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る