四_004 姉弟喧嘩。夫婦喧嘩?



 アスカが目にしたのは、尻もちをついた姿勢で頬を押さえているズィムと、拳を握って見下ろすサトナ。

 他の兄弟たちはクックラと共におろおろと。

 見れば、仕事を片付けたのかギュンギュン号の乗員も何人かいる。コデーノもその中に。


「ってぇ……なにすんだよ!」

「言っていいことと悪いことがあんのよ!」


 言い返そうとしたズィムだったが、サトナの表情があまりにも厳しい。

 とても間に入れそうな雰囲気ではなかった。


「海のことの何があんたにわかるって言うのよ!」

「う……乗せてくれないんだから、わかるわけねえじゃん!」

「そんなんだから乗せらないって言うのよ! この馬鹿!」


 再度、拳を握りなおしたサトナに、アスカが横から手を包んだ。


「サトナ」

「……ごめん、ありがとう」


 二度は、よくないと思ったのだ。アスカなりに。

 ズィムも傷つくだろうが、サトナも後悔するだろうと。

 船旅の最中、サトナはアスカを気遣ってくれることがあった。友情のようなものを感じている。



「ちょっと頭冷やしてくる」

「……ちぇっ」


 外に出ていくサトナと、二階への階段を速足で上がっていくズィム。

 そんな二人を見送った母親のシュナは、やんわりと笑った。


「いつもの姉弟喧嘩なのよ。今日はちょっと派手だったけど」


 場を取り持つように言うが、少し無理があるのではないだろうか。


「すんません、シュナさん」


 船乗りたちが、申し訳なさそうに頭を下げた。


「何があったのよ」

「ちぃと言い過ぎちまって……」



 事情を聞けば、ヤマトを人殺し呼ばわりしたネフィサという女のことだった。

 死んだミシュウという男のことはよく知らない。

 だが、彼ら一行がイオックの船に乗り、海上で食事代水代の為にこき使われていたことは知られていた。

 ヤマトに食って掛かったのは、そういう鬱憤もあったのではないかという話を船乗り同士でしていたのだが。


 横で聞いていたズィムの口の挟み方が、サトナの逆鱗に触れた。

 苦役を強いられた男たちと、およそ望まぬ行為を強いられたのではないかという女たち。

 それを揶揄するようなことを言ったズィムが、サトナにぶん殴られた。



「ばっかねぇ」


 アスカが言ったのは、そんな話を吹聴した船乗りたちに対してだ。


「面目ねえ」


 頭を下げる船乗りたちに、シュナは気にしなくていいと声を掛けていた。

 余計な話をしてしまい、喧嘩を引き起こしてしまったと。


「うちのぴょんぴょん勇者を悪く言われたってんで、つい」


 別にうちのではないが。

 言われたヤマトが、きょとんとしている。

 船乗りたちにとっては恩人であるヤマトに対して、ネフィサという女が逆恨みで喚いていったと聞いて、つい悪口あっこうに歯止めが効かなかった。

 その気持ちは、現場で思い切り言い返したアスカにもわからないでもないが。


 思い返せば、アスカもけっこう酷いことを言ってしまったかもしれない。

 力及ばず死んだ人間に対して、弱かったから死んだのだとか。



 ――バカな女が騙されて倡婦にされたってだけじゃん。


 ズィムもつい船乗りたちの話に乗って言ってしまっただけなのだろうが、サトナには許せなかった。

 ものを知らずに詐欺のような船に乗ったことは愚かだとしても、海で恋人を失くして嘆く女をそんな風に言うのは。

 ヤマトを思っての船乗りたちの言葉とは違う。本当にただの悪口でしかなくて。



「たぶん港だと思うんで、俺っちフォローしとくっす」

「お願いね、ケルハリちゃん」


 軽い調子で出ていくケルハリを見送って、シュナは溜息を吐く。


「サトナは出来る子なのよね。色々と」


 親馬鹿のようなことを言って、アスカたちに笑いかけた。


「あの子から見たら、ズィムを船に乗せるのは危なっかしいのよ。だから厳しいことばかり言っちゃって、ズィムもそれが面白くなくて」


 いつも喧嘩になってしまう。


 サトナは海が優しくないことを知っている。

 年齢はヤマトと同じくらいのズィムだが、サトナにとっては小さい頃から知っている弟になる。印象は幼い時のまま。

 彼が軽挙で危険な目に遭うのではないかと心配になるから、厳しい姿勢を崩せない。


 シュナが母親であれば、サトナは姉なのだ。

 他の弟妹も聞いているところで言うのは、彼らにもサトナの気持ちを聞かせておきたいと思うからなのか。


「ズィムも、大好きなお姉ちゃんに認めてもらいたいから強がりみたいに言っちゃうのよね」

「そうなんだ」


 空回りしている姉弟関係。


「あの子もいい加減、姉離れしないといけないんだけど」


 シュナの言葉に、アスカとヤマトの視線が絡む。



「……別に、平気だぞ」


 ヤマトがバカなことを言った。


「逆じゃん。ヤマトが妹べったりなんでしょ」

「そう……かな?」


 言い合う姿に、シュナも、見ていたクックラや船乗りたちも声を漏らして空気が緩む。

 サトナたちの喧嘩の後の重苦しい雰囲気を、二人のじゃれ合いのような掛け合いが和ませた。


「ズィムもヤマトちゃんくらいに落ち着くといいんだけど」

「ええ、違う違う。これでけっこう危なっかしいんだから」

「お前に言われてもなぁ」


 危なっかしいのはお互い様だというのが兄の意見らしい。

 落ち着いているというのは、先刻のネフィサへの対応だと思うが、あれは呆けていただけだ。

 ヤマトは少しずれているので、あんな理不尽な相手でもどう対応していいのか迷っていた。


(特に、相手が女だと)


 それはヤマトが悪いとも言い切れないかもしれない。男なら大抵そういうものか。


「仲の良い兄妹で、親御さんも安心ね」


 そんな風に言われてしまうと、否定もしにくい。

 両親が安心してくれるのなら、そういうことでもいいか。




 何だかんだで夕刻になり、船乗りたちと一緒に夕ご飯を食べる。

 ヤマトやアスカの船の上での活躍を面白おかしく話す船乗りたちに、気恥しいこともあった。

 まだ見知らぬ別の港やユエフェン大陸の話も聞いてるうちに、フィフジャが戻ってきた。

 陰鬱な顔をしていたが、アスカたちが楽し気に食事をしているのを見ると少し気が紛れたらしい。



 日も暮れた頃にダナツも帰ってきた。


「ねえ、ダナツ。ラジカと一緒だったって聞いたんだけれど、どうしてかしら? どうしてなのかしら? ねえダナツ」

「や、あ……いや、何の話なんだか……」


 不穏な空気に、蜘蛛の子を散らすように去っていく船乗りたち。

 アスカたちもそれに倣い、サトナの妹たちに寝泊まりする部屋に案内してもらって避難した。



 物を叩く音やダナツの悲鳴。続けて、やっぱりダナツの悲鳴。言い訳のような謝罪の言葉。

 そんなものが聞こえていたことを頭から切り離して休んだ。



 翌朝、ダナツは痩せていた。

 一晩で痩せるとは見事なダイエット手法だと言える。

 逆に、シュナは少しふっくらしていたようにアスカには見えたが、たぶん気のせいだろう。

 まさかサトナの弟妹が出来るはずもなし。



  ◆   ◇   ◆



 ケルハリは、自分が流されるままに生きている自覚がある。

 海で流れて、兎壬迸うみばしりに食われかけて、それに乗っていたラジカに拾われたこと。

 ラジカの伝手でロファメトの世話になり、ダナツの船に乗るようになったこと。

 海で怪我を負ったボーガを癒す為に、本来なら隠しておくべき治癒術を使ったことも、その時の状況に流されて生きてきた。



 ヤマトが運び込まれてきた時もそうだ。

 銀狼を連れた探検家がフィフジャだという話は既に確認していた。ケルハリにとって警戒すべき相手。

 本当にやばい相手なら、混乱のどさくさに紛れて海で始末してしまえばいいかという考えもあった。


 話の流れ的に断れない状況だったのもあるが、治癒術に対する反応がどうなのか確認してみたいとも思ったのだ。

 治癒術士に対するフィフジャの反応を見てみたい。

 だから流されるままにヤマトを治癒する。


 怖いもの見たさというものもある。

 また、もし状況が悪くなりそうだったら、それも流れだ。

 ギュンギュン号を離れ、またどこかに流れるのも自分の運命かと。そんな風に思っていた。


 あまり深く考えても仕方がない。

 どれだけ用心しても捕まる時には捕まるだろうし、思わぬ結果を招くこともある。

 今回はまさに、その思わぬ結果の方だった。



 フィフジャ・テイトーは、どういう事情なのかわからないが、少なくとも治癒術士に対しては非常に悪い印象しか抱いていない。

 彼の連れを治癒したというのに胸倉を掴まれるというのは理不尽だが、その態度が演技ではないと見えた。


 教会に巣食う治癒術士側の人間ではない。

 だが同時に、やはり不自然だ。

 それならどうして、黄の樹園から無事に出てラボッタ・ハジロの弟子になったのか。


 辻褄が合わないのだが、世の中は全てに辻褄が合うわけでもない。

 ケルハリには想像も出来ない深い理由があったのか、あるいは大した理由などないのか。

 治癒術士に反発するから黄の樹園を出たのかもしれないが、だからと言って教会と縁が切れたと考えるのも安直だ。



 結局、考えても答えは出ない。

 少なくともフィフジャ・テイトーは、ヤマトとアスカを命がけで守ることに躊躇いがなく、噂で聞くほどの危険人物でもない。

 このままさよならでもいいのだが、やはり気になるのも事実。


 だから、あの二人に伝えた。

 フィフジャの行動原理が不明で、それは彼らに何か不利な理由があるかもしれない。

 そうでなければいいけれど、可能性は捨てきれないと。

 そう思っていれば、ケルハリの代わりに彼らがフィフジャの行動を見てくれるだろう。



「誰も、不幸にならなけりゃいいっすけど」


 共に船旅をすれば、多少はその人となりも見える。

 ヤマトとアスカ、クックラには健やかに生きてほしいと思うし、フィフジャも話してみれば悪い人間ではなかった。


 それでもフィフジャには不可解な過去があるのは事実で、変えようがない。

 ヤマトとアスカは、そんなフィフジャに対して何も疑いを抱いていなかった。

 だから、警告のようなことを言ってしまった。


「善い子すぎるんすよ、あの子らは」


 ケルハリの人生は、穏やかなものではなかった。

 海に生きる人間なら、多かれ少なかれそんなものだろうが。

 ヤマトとアスカは危うい。

 彼らは、ケルハリには表現が難しいのだが、他人との関り方に妙な純朴さがある気がする。


 真っ白な雪原。

 足跡のないそれのような印象を抱かされる。


 他者に対しての距離感が、妙に遠かったり近かったり。

 警戒心が強いように見えて、隙がないように見えて、なぜか隙間だらけのような。


 ギュンギュン号の船乗りだって脛に傷のある者もいる。

 今回は彼らの気持ちがうまく噛み合って、家族に近い仲間意識となったけれど。

 世の中、そんなことばかりではない。

 場合によってはそれがあの兄妹を傷つけることになるかもしれない。

 だから、その身近にいるフィフジャにさえ、相手の心理を考えるように言ったのだ。

 余計なおせっかいだったかもしれないけれど。



「結局、俺っちもほだされちゃってるんすよね。あの子らに」


 船で、隙だらけのフィフジャを、将来の危険を排除する為に始末しようとはしなかった。

 船縁で呆けている彼の背中を押すくらい、いつでも出来たのに。

 それをしたら、ヤマトたちが悲しむだろうと。


「俺っちも甘いっすね」


 やばくなったら逃げるだけっすけど、と笑う。

 今回は、少なくとも治癒術の秘密絡みでそう面倒にはならないだろうと思っているが。

 甘い目算をしてしまうのはあの兄妹に感化されているのかもしれない。

 それもまあ悪くないかと、また笑みを浮かべた。



  ◆   ◇   ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る