四_003 知らない素顔



「あー、なんて言えばいいっすかね。怒らないで聞いてほしいっすけど」

「フィフのことでしょ?」


 前置きするケルハリに、アスカが直球を返す。


「あ、まあそうなんすけど」

「いいよ。僕は怒らないから」

「出来れば水乙女にも……」


 そちらは保証できない。何しろ既にご機嫌は斜めなので。


「怒らないから話していいよ」


 本人は安請け合いするのだが。

 ケルハリは苦笑を浮かべて頷いた。



「フィフジャさんは、ゼ・ヘレム教会関係ではちょっと有名なんすよ」

「有名?」


 そういえば、ケルハリは最初からフィフジャの名前を知っていた。

 海を越えて名が知れるというのは、とても珍しいことなのだと聞いた。


 ヤマトたちが知っている人物なら、フィフジャの師である魔導師ラボッタ・ハジロ。

 ノエチェゼでヤマトに怪我を負わせた、兇刃狂ゼフス・ギハァト。

 港町限定にはなるが、風を斬る凶鳥ラジカ。そしてその伴侶である、大波を砕くアウェフフ。

 王族やそういった名前で有名な人もいるというが、それはまた少し違うのだろう。



「フィフジャ・テイトーは、教母カリマ・セスマムコーレの子だって言われるっす」

「教母、カリマ……」


 長い名前で覚えられなかった。


「せすまむ、こーれ?」


 アスカも、一度聞いただけでは曖昧な様子だ。


「カリマ・セスマムコーレ。教会で三番目にえらい人っすね」

「え……うそ?」

「まあ噂なんすけど。治癒術士が集まって暮らす黄の樹園のトップってことっす」


 フィフジャがそんな偉い人の子供だとは。

 噂だとしても。



「治癒術士でもないのに黄の樹園で育って、あのラボッタ・ハジロに引き渡されたってね」

「……そういう話ってどこで聞くの?」


 この世界の情報伝達は遅い。通信手段も印刷技術もないのだから。

 いや、印刷技術そのものは、このリゴベッテにはあるらしい。広く普及していないだけで。


「その辺はまあ、人間ってのは偉い人の醜聞とか好きなもんすから」


 ケルハリが皮肉気に笑う。


「噂話?」

「――の、ていで。反教会派だとか、反国家みたいな話を伝えていく人たちがいるっすよ」


 人間の社会が出来上がれば、その仕組みに反する思想の人たちも現れる。

 社会から取りこぼされた人もいれば、そもそも反社会的な人もいるだろう。


「信用できるの?」

「そりゃあ嘘も本当もいっぱいっす。ただ」

「?」

「この手の噂を流すのは、何も部外者だけじゃないっす。国にしても教会にしても、その内情はごちゃごちゃしてるらしいって」


 派閥争いであったり嫌がらせであったり。

 明らかに内部の人間しか知らないような情報が流れることもあるのだとか。

 そういう中に、フィフジャ・テイトーの名前があった。


「俺っちも驚いたっすよ。春先にエズモズに荷物を運んだら、リゴベッテから団体で来た探検家の中にフィフジャって呼ばれてる人がいたって」

「どうやって聞いたの?」

「エズモズにもノエチェゼにも、そういう話を集めてる人はいるんで」


 交易の盛んな港町であれば、おそらくこのウェネムの港にも、そういう生業なりわいの人はいるのだろう。

 本業なのか片手間なのかはわからないが。



「黄の樹園を生きて出る人間ってのはたまにいるそうっすけど、それも教会のどこかで働く以外はいないって話なんで」

「フィフは……」

「ラボッタ・ハジロって人は、これがまた複雑なんすよね」


 わけがわからない、という態度で両手を広げて見せる。


「二十年くらい前には、教会の戦闘部隊と戦ってたんすよ。殺し合い……っていっても、死んでたのは教会の関係者ばっかりってことっすけど」


 確かに、複雑なのか何なのかわけがわからない。

 危険人物だとは聞いている。

 そういえば、百人の敵を殲滅したのだとか、そんな逸話もあるのだとか。


「戦ってたって、個人で?」

「そういう話っすね」

「出来るの?」

「無理っすよ。普通は」


 アスカとヤマトの質問に、ケルハリはどちらも首を横に振りながら答える。

 理解が出来ない人物なのだと。

 軽く息を吐いて続ける。


「それがどういうわけか教会と協力関係になって、住まいもサナヘレムス……ヘレムス教区の真ん中の聖堂都市って所っすけど、そこに道場も作って弟子に魔術教えたりだとか」

「……」

「その上で、黄の樹園から出自不明の男の子を直弟子として迎えたってんでね」


 事情が複雑で、不可解。だから有名なのだと。


「教母カリマの子だとか、ヅローアガ大主教の子だとか。そんな話が飛び交うわけっすよ」

「でも、危険人物に弟子入りとかさせるかな?」


 ヤマトが思うに、敵なのか味方なのかわからない危険な相手に我が子を預けようなどという親がいるだろうか。

 もし本当に血の繋がった親子なら、もっと安全な場所で幸せに暮らしてほしいと思うのではないか。



「ま、その親子だのって話は、醜聞を面白おかしくしようって噂なんすけど」

「本題を言いなさいよ」


 ケルハリの話がどこを巡っているのかわからず、アスカが苛立った声で急かした。

 言われたケルハリが、うーんと唸って首をひねる。

 彼自身、何を言いたいのかはっきりしていないのかもしれない。


「俺っちが聞いてる人物像とは……ずいぶん、印象が違うんで」


 ケルハリの目が、ヤマトとアスカを訝しむように眺める。



「彼、本当にフィフジャ・テイトーっすか?」


 そんな質問をされても、ヤマトにもわからない。

 彼がそう名乗ったというだけで、その過去も出自も知らないし身分証もないのだから。


「さっき金髪君……エンニィだっけ? フィフのこと呼んでたじゃん」


 アスカが答えを見つけてくれた。


「そういえばそうっすね」


 港の人込みの中、エンニィはフィフジャを見てその名を呼んでいたのだ。

 素知らぬ顔をしていたのはフィフジャの方だったが。


「どんな人柄って聞いてたの?」


 ヤマトの記憶では、ケルハリは最初にも噂とは違う印象だと言っていた気がする。


「んー、無口で無愛想。目が合ったら殺すって感じっすかね」

「危険人物じゃん」


 似た者師弟か。

 さすがに大げさなのだろうが、そんな風に噂されるとはどんな生き方をしていたのか。


「無口、ねぇ」


 どうだろうか。ヤマトの記憶では、森の中で色々と言葉を教えようとしてくれていたフィフジャの印象が強い。

 無口では言葉を教えることなど出来ないだろう。


「無愛想……さっきは無愛想だったわね。金髪君に」

「確かに」


 親し気に話しかけるエンニィに、フィフジャは明らかに面倒そうな対応をしていた。

 あれはエンニィが鬱陶しかっただけなのかもしれないけれど。


「目が合ったら殺すってことはないと思うけど」

「実際に殺された奴が言ってたって話で。まあこれは嘘っすね」


 殺された人間がどう噂を伝えるのか。

 なははと笑うケルハリを半眼で睨むアスカ。



「まあまあ、怒らないって約束っすよ」

「忘れた。怒るわよ」

「はやっ! わ、わかったっす。俺っちが気になってることっすけど」


 ようやく本題に入れるらしい。

 これらの前振りや確認も含めて、伝えたかったのだろう。


「フィフジャ・テイトーが今もゼ・ヘレム教会に深い関わりがある人間って可能性もゼロじゃないっす」

「……」

「彼が、どういう理由でお二人を命がけで助けていたのか。ただのお人好しってだけじゃないかもしれないかと」


 何か理由があるのかも、と。

 フィフジャは、我が身の危険を顧みずにヤマトやアスカを助けてくれた。

 最初に彼の命を助けたのはヤマトたちだったから、その恩義を感じてということもあるのではないか。



「私が可愛いからじゃない?」

「お前な」

「可能性よ、可能性」

「そういう風には見えないっすけど……あだぁっ!」


 否定的なことを言ったケルハリの額に、すかさずアスカの指が弾かれた。


「私、お母さんゆずりで可愛いって言われるんだけど」


 それを言う父の贔屓目ということは考えないのか。

 自分の外見を否定されるのは、母を否定されることだと思っているのかもしれない。


「たた……違うっすよ。水乙女が可愛いのは誰もが知ってるんで」

「ふん」


 言葉を繕って機嫌を取ろうとするケルハリに、アスカは少し得意げに頬を緩めながら鼻を鳴らす。


「フィフジャの兄さんは、そういう……好いた惚れたって感じには見えないかなぁと」

「まあそうね」


 自分でもそう思っているくせに。

 恨めしそうな視線のケルハリに、アスカは全く気にした様子がない。


「ただ単に人が好いってだけじゃ……ないのかな?」


 ヤマトの呟きに、アスカが半眼になり、ケルハリも曖昧に笑う。


「どんだけお人好しだったら命がけで他人を助けるっていうのよ。何度も」

「さすがに、夜の海に飛び込むのは普通じゃないっすね」


 白耳鼬びゃくじゆうに襲われた時に、海に落ちたアスカを助ける為に迷わず飛び込んだ。

 確かに普通ではない。


 今まで疑問には思わなかった。

 ただ感謝の気持ちがあるだけで、フィフジャの行為に疑問を持ったことはなかったが。



(普通じゃない、か)


 理由もなく同じことがヤマトに出来るだろうか。

 見知らぬ子ではない。たとえばクックラが夜の海に落ちたとして、迷うことなく――


(……たぶん、躊躇する)


 自分が死ぬかもしれない。

 それは必ず考えることだし、それをためらうことを恥だとも思わない。

 ためらった上でも、やるかもしれないが。


「フィフは、お父さんじゃないから」


 アスカの言葉。

 我が子の為なら、自分の危険など考えることもなく出来るだろう。

 だけど、フィフジャはヤマトとアスカの親ではない。


「……兄弟みたいに思ってくれてるんだよ。きっと」


 そう言ってみて、自分で頷く。

 兄として、弟妹を助けようとしてくれているだけだ。


「そういう理由だったらいいんすけど」


 ケルハリの言葉はまだ歯切れが悪い。


「ま、考えても仕方ないっすけどね。どうにもすっきりしなかったんで、お二人には話しておこうと思っただけっすよ」


 そのおかげでこちらがすっきりしないのだが。


「……」


 アスカは、不愉快そうではあったが、ケルハリに文句は言わなかった。

 ただ不快に思っただけなら文句を言っただろう。その前に手が出ていたかもしれない。



 すっきりしない。腑に落ちない。

 言われてみればそういうこともある。


『あの人を頼ってもいいけれど、信じるかどうかはあなたたちがきちんと見て、考えて決めなさい』


 母、芽衣子はそう言っていた。

 森を出て、こうして海を渡って、ずっと頼ってきたけれど。

 フィフジャの動機については考えていなかった。

 助けてもらうのが当たり前になっていて。


「何か理由があるんだとしても、フィフは僕らの命を助けてくれたんだ。悪い人じゃない」

「……そうね」


 それだけは信じられる。


「でも、当たり前になりすぎて私も考えてなかった」


 幼かったのだ。二人とも。

 フィフジャに助けてもらうことを当然のように受け入れていたけれど、それは甘えだとも言える。


「あんまりお荷物だと捨てられちゃうかもしれないし」

「兄さんがお二人を頼ってるって話もあるかもしれないっすけど。正直、兄さんの様子は度が過ぎているって見えたんで……なんで必死になるのかわからない」


 お人好しにしては限度を超えているのではないかと。

 他人から見ればそういうように見えたのか。



「わかった。折を見て聞いて――」


 ――ズィム!


 大声とほぼ同時に、何かが倒れる音が響く。

 顔を合わせた三人の表情は、同じ気持ちを共有しているのがわかった。


(今度は、いったい何なんだ)


 次から次へと、陸地へ着いても気が休まることがなさそうだった。



  ◆   ◇   ◆

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