四_002 他人と自分と



「この人殺し! あんたのせいでミシュウが……っ!」

「よせってネフィサ」


 アスカが何かやらかすより早く、後から来た二人の男女がネフィサと呼ぶ少女の両腕を引いて外に連れ出した。

 まだ喚くネフィサに反論――攻撃したいのだろう、アスカも外に出てしまう。

 放って置くわけにもいかないのでヤマトも表に出る。いや、今回はどうやら自分が当事者だ。自覚はないにしても。



 昼から夕刻の間ほどの時間帯。

 港から少し入ったシュナの食堂兼宿の周囲は、似たような店が並ぶらしく、時間帯的にあまり人通りは多くない。

 だが、人殺しと叫ぶ少女がいればさすがに人目を引く。


「アスカ、待てって」


 今にも叫ぶ少女を殴りに行きそうなアスカを宥めつつ、ネフィサを含めた三人の様子を見る。


「なになに、喧嘩か?」

「ズィム、あんた黙りなさい」


 後ろからサトナたちも出てきた。


「ネフィサ、ミシュウのことは違うって話したでしょう」

「何が違うのよ! こいつがちゃんと戦っていたらミシュウは……」


 ヤマトもようやく記憶を探り当てる。イオックの船に乗っていた若者たちだ。

 ヒュテ・チザサほどの力ではないが魔術を使って太浮顎だいふがくと戦っていた。



「あんたたちの事情なんか知らないけど、いきなり人殺し呼ばわりとはやってくれるじゃない」


 アスカは戦闘準備態勢だ。


「ただじゃ済まさないわよ」


 今の時点ではただの言いがかりだけど、このまま放っておいたら本当に人殺しになりかねない。アスカが。


「待てって言ってるだろ、聞けってアスカ」


 あまりに妹の様子が鬼気迫るので、罵声を浴びたヤマトの方が怒る気持ちが失せる。

 涙目で今度はアスカを睨むネフィサ。どちらも同行者に肩を掴まれていた。



「あー、太浮顎にお友達をやられちゃったっすね。彼ら」

「っ! ミシュウは……ミシュウは、慣れてないのに戦ったの! 船で戦ったことなんてなかったのに」

「それはヤマトも同じよ。自分らだけ不幸みたいな顔しないで」


 ヤマトに掴まれて一応は飛びかかることはなかったが、代わりに言葉の刃を向ける。


「あんたのお友達だか彼氏だか知らないけど、弱いから死んだだけでしょ。勝手にこっちのせいにしないで」

「なっ! なんて……ふざけないで!」

「ふざけてるのはそっちじゃない! 馬鹿じゃないの!」

「アスカ、やめろ」


 ネフィサだけではない。押さえている二人の男女も、アスカの言葉に顔を歪めて不快感を示す。

 吹っ掛けてきたのは向こうでも、こちらから敵意を煽ることもない。



 逆恨みだ。

 船が魔獣に襲われ、彼らも戦っていた。

 ラジカとヤマトの活躍で被害を押さえて乗り切ることは出来たけれど。

 被害者の中に彼らの仲間がいたということ。


「あんたは戦えたんじゃない! あんな風に……それなのに」


 言われても困る。

 彼らの悲しみはわかるが、あの時はヤマトも必死だった。手を抜いていたわけではない。


「……ごめん」

「ごめんじゃない!」

「ごめんじゃない!」


 両方から怒られた。

 他に言葉が出てこなかっただけなのだが。



「なんで謝るの!? 悪くないじゃん! ヤマトが悪いわけないじゃん!」

「悪いわよ! こいつが最初から真剣に戦ってたら、みんな死ななかった! ミシュウだって……」

「そんなの関係ない! じゃあなに、初めて見る魔獣相手に他人の盾になって戦えって言うの!?」

「出来たじゃない!」

「出来るわけないでしょ!」


 ネフィサとて本気で言っているわけではないのだと思う。

 ただ、親しい友人を失くして、行き場のないやるせなさをヤマトにぶつけているだけだ。

 アスカの言う通り恋人同士だったのかもしれない。

 ごめんでは済まない。その通りだが、ではどうしたら良かったというのか。

 アスカはそれを憤るし、ネフィサは感情的にヤマトを責める。



「海の掟ってさ。あんたは知らないだろうけど」


 牙を剥くように睨み合うアスカとネフィサの間にサトナが入った。

 このまま放っても置けないと見たのだろう。双方の事情を知っていてこの場にいるサトナが仲裁を。


「海での生き死にの責任を他人に押し付けるなってね」

「……」

「海じゃ助け合うのも掟だ。海は人間に優しくないから助け合わなきゃ生きていけない。でも、自分の命の責任は最後まで自分にあるんだよ」

「ミシュウは……船乗りじゃない」

「海は、そいつが船乗りか鍛冶職人かなんて聞いちゃくれない。王様だろうが貧民だろうが、海にはなんにも関係ない」


 ネフィサの弱々しい声に、サトナは静かに語りかけた。

 サトナの年齢はヤマトと大きく違うわけではないが、航海の経験ならまるで違う。過去にも似たような場面に出くわすことがあったのだろう。

 言われたネフィサは悔しそうに唇を噛んで俯く。


「ミシュウは……」

「その友達のことは知らないけど、あんたがここで生きてるってことは、それが彼の望みだったんじゃないの?」

「私は……私の望みは、そんなんじゃなかった。ミシュウだって、一緒にリゴベッテに来るって……」


 ぽろりと、大粒の涙が零れた。

 けれど。その涙がまたネフィサ自身に、恨みを忘れてはならないと思わせたようだ。


「許さない」


 握り締めた拳が震えている。


「絶対に、絶対に許さないから……」


 憎しみを自分自身に刻み付けるように言いながら、ヤマトの顔を強く睨んだ。

 今は何を言っても無駄だろう。

 サトナの言葉を理解できる日が来るのか来ないのか。いずれにしても必要なのは時間。



「ネフィサ、行くわよ」


 そのまま顔を覆って泣き出す彼女を、仲間の女が肩を抱いて連れて行く。

 残された男が、ばつが悪そうに頭を掻いた。


「騒がせてすまなかった。ネフィサが……船では落ち込んでただけだったんだが、ここに着いたらな」

「……」


 リゴベッテに到着したら、そこに本来なら一緒にいるはずの友人がいないことに感情が爆発してしまったのか。


「俺はカノウ。迷惑をかけたのがネフィサで、もう一人はリーランだ。死んだミシュウとは幼馴染だった」


 カノウは、悔しさと申し訳なさが混在する表情で、しかし冷静に説明した。

 アスカはふいっと腕を組んで横を向いている。


「いや、気にしないでいいよ。僕はヤマト、妹はアスカだ。その……友達のことは残念に思う」


 気にしてほしいとすれば、こうしてアスカの機嫌を悪化させたことの方が面倒だ。

 友人が死んだ悲しみを八つ当たりでヤマトにぶつけたことは、確かに迷惑ではあったけれど気持ちはわからないでもない。



(僕が、最初からうまく戦えていたら……)


 そう言われたら、そうかもしれないと思う。

 なんてことを言えばアスカがまた激怒するだろうけれど、死者の数が減った可能性は十分にある。

 全部がうまくできるわけではない。

 その結果を目の当たりにしただけのこと。



(……なんか、逆に落ち着いちゃうな)


 竜人ゼヤンの村で、皮穿血を退治した。

 あの時にはただ感謝されるばかりだった。犠牲になった人の母親にまで。

 少し居心地が悪く感じたものだ。


 あれは、あの母親や集落の人々が道理を弁えた成人だったからで、正しい行いだったのだと思う。

 正しいからそうする。当たり前のような話だけど、それは難しいのではないだろうか。

 今のネフィサのように、ヤマトの責任と言えないようなことでも、感情的にぶつけてしまう間違った行動。それも人間らしいと。

 別に嬉しいわけではないが、誰かれ構わず好かれるような立派な人間などという自負はないのだから。



「妹さんには、ノエチェゼでも会ったね」

「……」


 相変わらずアスカはむくれている。

 ヤマトとはぐれている最中に彼らと話す機会があったのか。


(その、死んだミシュウって人とも……?)


「四人でお金を貯めて、こうして念願のリゴベッテまで来たんだけど……なんか、ダメだな」


 カノウと名乗った青年は、彼らの中では一番の年長者のようだ。

 彼とて友人を失って動揺している。何のために遥々海を渡ったのかと皮肉気に笑う。


「君らを探すって飛び出してったもんだから、ごめんな。次はちゃんと掴まえておく」

「ふん」


 アスカは納得していないが、ヤマトからこれ以上言うべきことはない。

 彼らの境遇に対して同情以外の感情はないし、罵られたことに対してやり返そうと思うわけでもないのだから。

 出来れば、もう関わらなければそれでいいと思う。



(関わり合いにならなければ、別に問題にもならないんだし)


 森を出てから色々な人と関わり合うようになった。

 必ずしも良好な関係ばかりが結ばれるわけではない。


(こういうのが、人間関係が煩わしいってやつなのかな?)


 祖母の美登里が生前に話していた。地球では、関わりたくない相手ともうまくやっていく必要があったと。

 あの森にはそういう相手がいなくて気楽なのだと笑って。


 ――敵か味方か、食べられるか食べられないかってだけなのよね。


 単純でわかりやすいと、まだ幼かったヤマトにそんな話を。

 だが、こうも言っていた。



 ――でもね、関わりたくない相手でも関わり合いになることもある。

 ――そういう時にはきちんと相手の事情も考えなさい。

 ――自分の気持ちや事情も、きちんと話しなさい。

 ――お互いのことをわかれば、何も解決しないなんてことはそうそうないのよ。


 今の自分は、祖母の言葉を実践出来ていただろうか。

 半分だ。

 相手の事情は知り、相手の気持ちは考えた。けれど、ヤマトの気持ちなどはほとんど伝えられていない。

 一方的に言われることを受け身で聞いただけ。

 まあ、隣でアスカが感情的に言い返していたせいもあるけれど。



「僕らも、船は初めてだったんだ」


 言い訳のように聞こえるかもしれないが、カノウに伝える。


「太浮顎と戦ったのも初めてだった。あのロープは、戦っている途中で咄嗟に思いついたんだけど……遅かったのは、わかる」


 隣でいらっとアスカが睨んだのはわかるが、首を振って黙らせる。


「いや……違う。こっちこそ、助けてもらったのにこんな風に」


 カノウは、ヤマトの言葉を受けて自分の感情を多少は整理できたようだった。

 恨むのは筋違いだと。

 軽く頭を下げて去っていった彼の背中に、アスカがもう一度ふんっと息を吐いた。



「アスカ」

「わかってる。でも、違うことは違うって言う」


 ヤマトの言葉にも、ぷいっと横を向いてしまう。

 あまりに喧嘩腰だったから怒られると思ったのかもしれない。


「いや……まあ、僕の為に怒ってくれたんだから。悪かった」


 妹があれほどヤマトの為に感情を露わにするとは思わなかったので。

 少しは可愛いところもあるじゃないかと。


「そういうことでもいいけど」


 違うのか。


「珍しい話でもないよ、ああいうのは」


 サトナが深く息を吐きながら言って、軽く肩を竦める。

 今回の航海に限らず船旅には必ず危険が伴う。

 海での生き死にの責任を、他人に押し付けるな。

 それは海に限った話でもないのかもしれない。



「えっと……俺っちの話、いいっすか?」


 まだ機嫌の悪いアスカの様子に、遠慮がちにケルハリが問いかける。

 遠慮がちで恐る恐るだが、それでも話したいことがあると。

 ヤマトは頷いて、シュナの宿の奥の部屋を借りて話を聞くことにした。



  ◆   ◇   ◆

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