三_16 凶鳥と海のもぐら
「やるじゃないかい、あんた! 気に入ったよ!」
ばんばんと背中を叩かれて咳き込みそうになっているヤマトだが、その表情は明るい。
船乗りたちは口々にヤマトの偉業を称えて、ぼろぼろの状態でありながらも喜びの歌を歌っていた。
バナンガ諸島を少し過ぎたところで停泊していた凶鳥ラジカの船と合流して、ようやく人心地着いたところだ。
犠牲もあった。
船の損傷も軽微とは言えない。
だが、少なくとも今こうして笑っていられる人もいる。
笑えるものは笑って過ごす。それも海の掟だと言われた。
そうでないものがいることを否定しないのも、海の掟なのだろう。明文化されていなくても。
厳しい戦いを生き残った者は笑えと。笑ってそれを喜べと。
海の掟は、海の生き方と同じに言い訳のできないものだと感じさせられた。
「んで、ラジカよ。なんだっておめえここに? ユエフェンにいたんじゃねえのか?」
ラジカの船の甲板で酒を飲みながらダナツが聞いた。
このバナンガ諸島周辺は航路ではない。普通なら通らないはずなのだが。
聞かれたラジカが忌々しいそうに顔を歪める。
「ネレジェフだ」
半ば予想は出来ていた回答だった。
「ユエフェンから南下していく途中にネレジェフがいやがった」
「……そうか」
「他の船がどうなったのかは知らねえ。オレも自分のことでいっぱいだったから、こいつらに偉そうなことも言えねえよ」
そう言いながらもなぜかラジカの前で正座させられているメメラータとボーガ。
――ゾカの戦士の長だったんだ。
片耳だけ赤いのは、竜人と普人のハーフだからと説明を受けた。
メメラータたちが産まれたゾカの集落では生きる伝説的な人で、かつてはジナの戦士と大長の座を争ったのだとかなんだとか。
そういう竜人の歴史はよくわからないが、少なくとも二人はラジカに頭が上がらないらしい。
「アウェフフのやつも、なんだかせーじてきな問題? とかで、息子どももなんかこそこそしてやがるし」
「お前は聞いてねえのか?」
「オレはそういうのわかんねえからな。邪魔だからどっか行ってろってよ」
政治的な問題だとすれば、そう言われても仕方がなさそうな雰囲気ではある。
適性がない。
暴れることは得意そうだが、それ以外では。
「西風だったからこっちに流れてよぉ。バナンガ諸島の魔獣がやばいってのはオレも知ってんだ。見張りが妙なこと言うもんだから……」
ギュンギュン号が接近してしまった島以外にも群島がある。この辺りが人間が近寄る海域ではないことはラジカでもわかっているらしい。
近づかないように迂回しようとしていたら、見張り番が魔獣の群れを見つけたと。上を見れば、今も遠眼鏡を使って周囲を見ている船員がいる。
見覚えのある船が襲われているというから、ラジカが兎壬迸に乗って駆け付けたというわけで。
「んにしてもだよ、ダナツ! なんだよこの子! すげえじゃんすげえじゃん!」
「あ、ああ……俺の見込み通りだぜ」
嘘つきめ。
心中で毒づいてからコップの水を飲む。
アスカは知っている。ダナツがヤマトを役に立たないと見做していたことを。
ただロファメトの家と関りがあるから、それなりの扱いをしていたのだと。
ラジカが興奮してかなりの強さでヤマトの背中を叩いているようで、やはりちょっと辛そうだ。
「ぴょんぴょん飛んで、いくら鈍くさいって言ってもあの太浮顎をばっさばっさとやっつけて、めっちゃすげえ!」
「う、うん……たまたまうまく行ったんだ」
「ふざけんなお前! たまたまで出来るかバカなのかお前!」
今度は叱られるヤマト。
確かに偶然で出来るような芸当ではなかったが、頭悪そうな女にバカ呼ばわりされている。
それでもヤマトは嬉しそうだった。
見ているアスカも誇らしいし、フィフジャも安心したように微笑んでいた。
「なんだお前、うちのラッサとおんなじくらいじゃねえか」
「あ、うん」
うちのラッサとやら。アスカは知っている。
あの女の母親なのか。道理で単純そうだと思った。
「……?」
ほんの少しアスカの機嫌が悪化したのを察したのか、フィフジャが少し距離を離した。
「よぉし、お前! ラッサの婿にしてやる!」
「ぶっ!」
飲んでいた水を噴き出したアスカと、おたおたと動揺するヤマト。
その様子にラジカはえらく機嫌を良くしたようで、大きく笑いながら頷いた。
「ラッサはな、ラッサーナって言うんだけどよ。オレに似てこれがまためっちゃくちゃ可愛いんだぜ」
「う、うん。知ってる」
「そうかそうか! 知ってるだろ、そうだろ。あれ? なんで知ってんだ? ……まあいいや」
どんなテンションで生きているんだこの生き物。
やはり世の中は広い。アスカがまだ知らない、いろんな生き物がいるのだろう。
乗っていた魔獣――
他にも二頭、同じ魔獣がいた。この船で飼育されているのか。
皆で飲み食いしている横には、ちゃっかり姿を現した海モグラもいた。
「おらの言ったことほンとうだったろ」
彼には感謝の気持ちを込めてまた食べ物が振舞われていた。
まだ日があるので、眩しい場所は苦手らしく日蔭で食べている。
今度は成功報酬ということでイモが食べたいと要求していた。好物なのだと。
食べながら、自分の身の上話を船員に聞かせていた。
「ンでよう、オラぁ人間にネレジェフのこと教えてやりたくて、待ってたンだ」
「そういえば、あの夜ってなんのこと?」
アスカは先日言われたことを思い出して聞いてみた。全く身に覚えがないのだ。
ラジカの突拍子もない話から離れて、思い出したことを訊ねる。
「オラが川を上がっていったら、おめがいただンろ」
知ってるだろうという言い方だったが、アスカに覚えはない。
大森林からずっと、だいたい川沿いに北進してきたのは事実だが。
「川……まあ、そうかも」
「いい月の夜だった。オラが川底から月を見とったら、おンなじような白いまん丸い尻が浮かんでて」
黒く丸い目で、その時のことを思い返すように話す。
(お尻って……川で?)
思い当たった。
ボンルたちと知り合って初めての夜だ。アスカは一人で川で水浴びをしてぷかぷかと浮かんでいたことがある。
何かの気配を察したような、そんな気がした時があった。
「あの時!」
「白いまん丸い尻が」
「まん丸くない! もう言わなくていい!」
海モグラが食べているイモを取り上げて抗議する。
わたわたとイモを取り返そうとする海モグラ。周りの船員たちが興味深そうに耳を傾けていた。
「あんた見てたのね!?」
「なンのことだ?」
「とぼけるんじゃない! 私の裸、見たでしょ!」
ああ、と何でもないことのように頷く海モグラに、アスカの顔が怒りに歪む。
乙女の肌を見ておいてこの態度、許せるものかと。
妖魔にとっては確かに何の意味もないかもしれないが、被害者にとっては大きな問題だ。
「おめだって、今オラのはンだか見てるでねえか」
「るっさいわよ! そんな毛むくじゃらとは価値が違うって言ってるの!」
「ンまあ言われてみりゃあ、おめには毛がな――」
「黙んなさい!」
怒るアスカと海モグラのやりとりを、船員たちが笑って、あるいは興味津々で囲んでいた。
妖魔の身の上話など聞く機会があるとは思いもしなかったが、それも含めて船乗りの伝説なのだと言う。
船乗りの助けとなった後で、また食べ物を要求にくるのだと。
それに付き合うと、嘘か本当かわからないような身の上話をしてくれたり、また安全な航路を教えてくれたりと。
気ままに世界中の海に出没するらしく、会えるのは運がいい者だけだと。アスカたちは運が良かった。
逆にラジカは運がなかったのでネレジェフに当たってしまったが、それも船乗りの宿命だと気にした様子ではなかった。
◆ ◇ ◆
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