三_15 飛ぶがごとく



 凶鳥。


 禍々しい鳥という呼び名だろう。あるいは悪い前触れという意味もあるのかもしれない。

 それを見た者に何か厄介なことが降り懸かる。そういう存在だとでもいうのか。

 死を呼ぶ鳥。

 海を猛烈な勢いで割って進むそれを見た船乗りたちが、口々に言う。


「凶鳥だ」

「凶鳥だ!」

「凶鳥だぁー!」


 歓声で湧き立つ中、爆発的な水飛沫はギュンギュン号の手前で一際大きく跳ねあがった。

 飛び上がった後に大きな水柱を立てて。

 大空を舞う群青の影。手に持っていた鋭い切っ先で、ついでのように一匹の太浮顎を串刺しにしながらギュンギュン号の甲板に降り立つ。舞い降りる。



「オレをその名で呼ぶんじゃねえ!」


 荒ぶる凶鳥。

 甲板に降り立ったというのは嘘だ。

 串刺しにした太浮顎を甲板に叩きつけて、その上に立っている。いや彼女自身は立っていない。

 彼女は、二足歩行の鶏とトカゲの間のような群青色の生き物に跨って怒鳴った。


「ラッサに嫌われんだろうが!」


 片耳の上だけ赤い、日焼けした小柄な女性だった。



 凶鳥ラジカ。

 風を切る凶鳥ラジカ。

 そう異名を響かせる女性を初めて見たヤマトは思った。


(凶鳥だ)


 イメージと本人が適合していて納得するしかない。最初にこの呼び名を付けた人を尊敬したい。


 空を舞う太浮顎たちも突如現れた新しい敵に動揺しているのか、襲撃の手が止まっていた。

 人間の手が届かない場所にいたはずが、何かわけのわからないものに攻撃を受けたと。

 強い魔獣であるがゆえに警戒する。自分より強者が現れたのかと警戒していた。



「あァ? ひっでぇ面してんじゃねぇか。おめえに言ってんだよメメラータ!」

「はいあねさん!」


 メメラータの背筋がぴんと伸びる。

 普段、背丈が高いことを気にしているのか少し背中を丸めがちなのだが、凶鳥に叱られて居住まいを正す。


「図体ばっかりでっかくなりやがって」


 彼女は乗っている魔獣(?)から降りないが、その理由は見下ろされたくないからかもしれない。


 小柄だった。決して大柄ではない。

 顔立ちは、年齢は明らかに上だけれど、ロファメト・ラッサーナの母親だと聞けばそうだと思う。

 片耳の上側だけ赤いのが気になるけれど。


「ボーガ!」

「うす、姐さん」

「弛んでるんだよ! なんだいその腕は! それでゾカの戦士のつもりかい!?」

「うす……」


 ボーガまで叱られて小さくなっている。

 苛々するように叱ってから、きいっと牙を剥いた。


「あんたらが役に立つって言うからダナツの船に乗せてやってんのに、お前らオレの顔を潰す気なのかい?」

「ち、違います姐さん!」

「面目ない」

「御託はいいんだよ! たかだかあんなデカブツに……」


 言いながら空を睨み、少し思い直したようにけろりと言った。


「まあいいさ。オレもでかいこと言えたもんでもねえや」


 あからさまにほっとする二人の竜人。

 何が彼女の気を変えたのかはわからないが、とりあえず今はそれどころではない。


「ああ、ラジカ。おめえなんでここに?」

「ダナツよぅ、話は後だ。もうちっと沖にオレの船が来てるからな。その前に……」


 にぃっと笑う。

 まさに凶鳥と言った顔で。


「あの数はオレでも無理だ。お前らも気張れよ!」

「「はいあねさん!」」


 つい、ヤマトも一緒に答えてしまった。



  ◆   ◇   ◆



 ラジカの乗る兎壬迸うみばしりは、ある程度の加速をしてからでなければ跳び上がれない。船から飛び降りてまた波間をぐるっと駆けて助走を。

 一度の跳躍で仕留められるのは一匹が限度。空振りになることもある。

 気を取り直して襲い掛かる太浮顎に、船団の被害はまだ抑えきれない。形勢は立て直したが海上は太浮顎の領域。


「そう、か……!」


 彼女の戦いを見たヤマトは気が付いた。自分に出来ることを。


 戦場からいったん離脱して船室に飛び込み荷物を漁る。アスカの荷物だが、アスカの荷物にあるはずだ。

 さっきから空を見上げながらもどかしく思っていたのだ。何かまだ手があると。それがわかった。

 目当ての物を見つけてまた甲板に駆け上がった。


「ごめん、ちょっと!」


 猿のように索具を伝わってメインマストに登る。

 なるべく上の、檣楼しょうろうと呼ばれる見張り台のさらに上のクロスツリーという木の支えに。

 ここからなら届く。まだ七メートルくらいあるが、届く。


「これなら!」


 気合と共に、思い切り投げる。

 空を行く太浮顎に向けて投げられたのは、先端にフックが付いたロープだった。



 大森林でも使っていたロープ。

 地球で作られたもので、細いが強靭な造りであることと、先端が枝分かれしてU字型のフックが二つくくり付けられている。

 フックは若干の重りの役も果たしつつ、目標地点に引っ掛けて使うことも出来た。

 船の上を旋回する太浮顎の体に引っ掛けることは、ヤマトの技術であれば難しいことではなかった。


「よしっ!」


 引っかかったら迷わない。

 思い切り引っ張りながら大地を――ではなかった、マストを蹴って跳び上がる。

 舞い上がる。ヤマトが届かなかった場所へ。

 太浮顎が、攻撃を受けないと思っている場所まで届いた。


「ここだぁ!」


 太浮顎の体重はヤマトとは比較にならないほど重い。それを支えて飛べるほどの力強さがある。

 だから、ヤマトに引っ張られても簡単には落ちない。

 太浮顎の上に舞い上がったヤマトが、振り上げた手斧で太浮顎の翼を叩き折った。


 そのまま一緒に自由落下しては怪我では済まないし、途中で太浮顎の牙に掛かるかもしれない。

 だからヤマトは続けた。

 浮力を失う太浮顎を蹴り飛ばしつつ、別の太浮顎へとロープを投げつける。


『ギュアェッ!?』

「やああぁぁぁっ!」


 かつて日本のどこかの戦いで、船から船へと飛び移りながら戦ったという英雄がいたかもしれない。

 詳しい逸話までヤマトは知らなかったが、常人離れした反射神経と、船酔いを克服したバランス感覚が可能にした空中戦。


 翼や頭を狙いながら飛びかかって、ロープが緩んだ隙に左手で巻き上げた。

 右手の手斧で敵を打ち、次へと飛び移る。その姿はまるで木から木へと飛び移りながら攻撃を仕掛ける猿のような身軽さ。

 近くに飛び移れる太浮顎がいなくなった時点で、最後の一匹を蹴ってギュンギュン号の索具に飛び移る。



「なんという……」


 見上げるボーガが思わず声を漏らした。

 他の者もぽかんとしている。


「やるじゃないかい」


 凶鳥は舌なめずりをしてヤマトを見ていた。

 アスカとフィフジャは、やや納得顔でその様子を見ていた。


「それくらい出来るよね」

「普通は出来ないんだが」


 翼を折られて海に叩き落とされていく太浮顎。巨体であるがゆえにヤマトの機敏な動きに対応しきれず、また翼を切られると飛んでいられない。

 凶鳥とヤマトの二人で、残っていた半数近くを潰していた。



 ギュンギュン号の索具に着地して、大きくロープが撓む。

 ヤマトが見据えるのは、少し遠くの目標だ。

 ギュンギュン号から離れた別の船を襲う太浮顎に狙いを定めた。


「たぁっ!」


 踏んだロープの反動も活かして、思い切って跳んだ。飛んだ。

 ジャンプで届かない分は、フック付きロープを投げて届かせる――


「しまっ!」


 つもりが、届かなかった。海に落ちる。


「おらが!」


 海面から飛び上がった黒い塊が、落ちるヤマトを蹴り返した。

 跳び上がってきた勢いもかなりだったが、正確にヤマトを足元から上へと蹴り上げる。


「ありがと!」


 海モグラだ。海中で待機していた彼が落下しかけたヤマトを目的の場所へと届けてくれる。

 落ちる前に見えていた。彼が水中から助けようとしてくれているのが。

 まさにイオックに向けて襲い掛かろうとしていた太浮顎に向けて全力で手斧を振り下ろした。


「ぬぁぁぁ!」


 圧し折れる手斧の柄。

 頭に手斧を叩き込まれて落ちる太浮顎と共に、イオックの船の甲板に着地した。


「あ、お……」


 空から降ってきたヤマトと太浮顎の死骸に言葉を失うイオックとその乗組員たち。

 ヤマトはきょろきょろと周りを見回して、手近な人が持っていた手斧を奪う。


「貸して!」


 返す当てはないのだが。

 驚きで動きを止めている彼らは、武器を奪ってロープを撒きながらマストを登っていくヤマトを、ただ見送るだけだった。



  ◆   ◇   ◆

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る