三_17 背中、色褪せて



 アスカと海モグラの言い合いにやや気を取られていたラジカ達に、ふと思い出したようにダナツが言う。


「ああ、坊主を姫さんの婿にって話な。そいつぁ無理だぜ、ラジカよぅ」


 アスカもひとしきり海モグラに怒ってから、これ以上はからかわれる対象になりそうだったので、いーっと牙を剥いてみせてからヤマトたちの方に戻る。


「オレのラッサが気に入らねえってんのか? ダナツ、オレがおめえをフったのまだ根に持ってやがんのかよ」

「バカッ! 違うわバカ! 娘の前でなんてこといいやがんだおめえ!」


 サトナは軽く肩を竦めただけだ。知っているらしい。

 言い合う二人を困ったように半笑いで見ている。父の失恋話など聞きたいものでもないだろう。


「……っとに口のわりいやつめ」


 他人のことは言えないと思うのだが。


「ほれ、メメラータ。言ってやんな」


 ダナツはまだ正座しているメメラータに促して、ぐいっと杯を呷る。

 そういえばそうだ。凶鳥とやらが何を言ったところでヤマトは既に――


「あ、あ……」


 メメラータの顔色が悪い。

 苦手な相手を前にして、緊張しているのだろう。


「なんだぁ? そういやメメラータ、あんたもいい加減いい男見つけろよ。アウェフフほどじゃあなくっても、このヤマトみてえなのがいいぜ。ちいっとちっちぇえか」


 何も知らないラジカがそう言って笑う。

 メメラータの男運のなさはやはり有名なのか。

 だが今はもう違う。ラジカの知っているメメラータは過去のこと。



「さっさと言ってやりゃあいいだろ。ヤマトはおめえの恋人なんだってな」


 酒の勢いか、メメラータが口ごもることをダナツが言ってしまう。

 照れもあるかもしれないから、こういう勢いも必要かもしれない。

 歓声とどよめきが甲板に湧いた。信じられないとか、囃し立てるような感じで。


「あ、いや大将……それは、あの……」

「そうだったのかい? そいつはわるかったぜ。まさかメメラータがこんな若い子に手ぇだすとは、オレもびっくりだ」

「いえ、姐さん……ええと」


 男運のないと思っていた妹分というか子分なのか、そんなメメラータに恋人が出来たという報告に上機嫌の反応を見せるラジカ。


 まだ正座しているメメラータの首に手を回して、よしよしと後頭部を撫でた。

 祝福するかのように、凶鳥がメメラータの首を掴んだ。



「ふざけんじゃねえぞメメラータ」


 低音。

 メメラータの顔のすぐ近くまで顔を寄せて、視線を合わせる。

 弛緩していた甲板の空気が凍り付く声音。


「オレを舐めてんのか?」

「い、いえ」

「オレが間抜けだと思ってんだろ」

「とんでもない!」


 アスカは心の中で少し肯定したいところもあったが、口には出さない。怖いから。

 今まで見てきた女性の中で群を抜いた迫力だ。メメラータが委縮する気持ちもわかる。


 ラジカはじいっとメメラータの目を覗き込んで続けた。


「匂いでわかんだよ。オスとメスがどうなのかくらいよ」


 獣か。

 どういう嗅覚をしていたらそんなものがわかるのかアスカには不明だが、このラジカという生き物なら本当かもしれない。

 男女の機微がわかると言われるよりは、むしろ説得力がある。


「は、い……」

「なんでそんな話になってんのか、きっちり聞かせろ」


 メメラータの自白は、全員に深い溜息と、ほんの少しの憐れみを抱かせるのに十分だった。




「ゾカの恥だ」


 ぼそりとボーガが言う。

 その隣で泣き崩れるメメラータ。


「だって、そうでもしないとあたしに男なんか……」

「ゾカの恥だ」


 脅されていたのだと。

 ヤマトの何らかの弱味を知ったメメラータが、それを条件にヤマトに提案をした。


 ――この船にいる間だけでいいから、あたしの恋人ってことにしてくれ。


 リゴベッテまで行けば、ヤマトは船を降りる。

 メメラータはそれを見送り、一時の愛だったのだという憂いとともにまた船旅に出る。

 そうしてメメラータは恋人がいたこともあったというアリバイを作り、だが旅路の違いの為に別れを選んだのだという箔付けも出来る予定だった。


 阿呆だ。

 いつまでたっても男の一人も出来ないという焦りからの児戯のような計画。

 恋人いない歴という言葉が地球にはあるらしい。イコール年齢というのはこの世界でもそれなりのプレッシャーなのか。


 くだらない。

 そう切って捨てられるのはアスカが若いからなのだが。


「でも、だって、ヤマトも若いし、もしかしたらなんかの勢いで本当になるかもって……一度ヤっちまえば真面目な坊やならあとは……」

「どこまでクズなんだお前は」


 ダナツが頭を抱えて唸った。

 ボーガの顔色は黒い。集落の恥さらしを殺すと言い出しそうなくらいに。

 せっかく拾った命なのだから大切にしてほしいと、アスカは思うが。


 だが、泣き崩れるメメラータの背中を見て思う。

 心の底から、思う。


(こんな風にはなりたくない)


 メメラータの評価は地に落ちた。



「まあわかった。メメラータをそこまで追い詰めてたってんなら、そりゃあオレらも悪かったかもしれねえ」


 反対に、意外とラジカの物分かりは悪くなかった。その言葉に、命拾いしたというように顔を上げるメメラータ。

 だがその凶鳥、決して優しくはないことは知っていたはず。


「でもお前よぉ」


 ぐいっと、その首根っこを掴まえるラジカ。

 小柄なのに、大柄なメメラータを摘まみ上げるように持ち上げて聞いた。


「うちのラッサといい仲っていうヤマトにこんな真似して、どうラッサに面目が立つんだ?」

「え、あ……姫様には、内緒で……」

「おいダナツ!」


 ラジカの呼びかけに、ダナツは面倒くさそうに手を上げた。


「こいつはオレの船に乗せてくぞ」

「ああ、そうしてくれ」

「ひい、勘弁してください姐さん」

「やかましい!」


 ぽいっと転がされるメメラータの姿は、いつかの頼もしさの欠片もなかった。

 人間、悪い企てをすると器とか品格などというものを台無しにしていしまうのかもしれない。



「どっちにしてもダナツ、そろそろ出発だ」


 ラジカが西側を指さした。

 見張りも何かを伝えるように指している。

 海に日が沈む。

 オレンジ色に揺れる海面を指して、ラジカは何でもないことのように、とんでもないことを言った。


「そろそろ、オレらを追ってネレジェフがこっちに来ると思うからよ」


 夕日に揺れる水平線近くの海面が少し盛り上がったように見えたのは、錯覚ではなかったようだった。



  ◆   ◇   ◆ 



 後方の海面が盛り上がり、長い蛇のような水柱がいくつか上がるのを見た。


 ネレジェフ。

 大きさは、見当がつかない。

 少なくとも水柱の高さは数百メートルといったところで、盛り上がる海面の横幅が、他に比べる物がなくてわかりにくい。

 山のようなとでも言うのか、とてつもない大きさの塊が、じわりと進んでくるのを船尾から見ていた。


 あれの活動範囲に入ってしまったら、生き延びることなど出来そうにない。

 海の悪魔と呼ばれるのに相応しい、手のつけようのないどうしようもない存在。

 だが、北西からの風に乗った帆船に追いつけるほどの速度はない。ラジカの船もそれで離脱できていたので、進む船からは段々と遠ざかり、そのうち見えなくなった。




 バナンガ諸島から東に向かうと、四日後にそれが見えた。

 海皿砦。

 せっかくだからという理由で、普段は見られない海皿砦を眺めてから進路を北に取る。

 途中、ヤマトが妙なことを言う。


「見たんだって! 頭がTAKOみたいなYAGI!」


 波間にそんな生き物を見たと主張するヤマトだが、他の人は誰もそんなものを見ていない。

 というか、途中の単語が日本語になっていて伝わるはずもない。それほど取り乱していた。



「ババリシーみたいな体で、頭のところが切波背きりはぜの足みたいな……海を歩いていたんだ!」


 疲れているのか。アスカは少しだけヤマトに優しくしようと思った。

 海皿砦辺りからラジカの船は南に向かっていった。ノエチェゼに帰るのだろう。強制連行されたメメラータを乗せて。

 ヤマトとアスカを乗せた船は、予定外の状況を乗り越えながらリゴベッテに向かうのだった。



  ◆   ◇   ◆

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