三_07 海に光る_1
彼らは波の上を跳ねる。
普段は流れに任せるように波間に浮かんでいるけれど、移動する時には波の上を軽快に跳ねまわる。
全身は灰色の体毛に覆われていて長く白い耳が特徴的。波間を跳ねる際には、その白さが残像となって弧を描く。
細い月のような残像を残しながら、波の上を跳ねる魔獣。
それだけを聞けば綺麗な姿に思えるが、成人男性に近い体格で数十の群れをなす肉食獣となればかなりの脅威だ。海の上を跳ねて船にも飛び乗ってくるのだから。
「このまんまじゃ追い付かれるぞ!」
「風がねえんだ! どうにもなんねえよ!」
「喋ってたってどうしようもないだろ! 腹ぁ括んな!」
「無茶を言ってくれんなよ!」
船は半ばパニック状態になっている。
太陽の方角と呼ぶのは進行方向正面側。船の進行方向を基準としていて、地球で言えば零時の方角ということになる。
逆に月の方角というのが後ろ側ということ。
右が剣で、左は花と表現される。剣日の方角というのは、右前方という意味だ。
太陽の方角。つまり進行方向正面に現れたのは、船乗りにとって海で出会いたくない魔獣の上位に入る白耳鼬。その群れの縄張りに入ってしまっていた。
「この風じゃ逃げきれないわよ」
「仕方ねえ、ベジェモ樽使え!」
サトナの報告に対してダナツが指示をした。
「一個しかないんじゃ」
「ちいとでも減らせりゃあいい! ああ、後回しにするんじゃなかったぜ」
「わかった!」
ダナツの指示を受けてサトナが船尾に駆けていった。
アスカは見ているだけだ。何をどうすればいいのかわからない。
とにかく、自分の手の届く所に敵がきたら倒せるように身構える。
足元が不安定なので手にしているのはステンレスナイフだ。バランスを崩したら長物は使いにくい。
「俺らが標的かよ、くっそ」
ダナツがぼやくのも仕方がない。ギュンギュン号が先頭を進んでいた為、真っ先に白耳鼬の警戒域に入ってしまった。他の船の方が遠くに離脱している。
白い耳が跳ねながら追ってくるのは、このギュンギュン号だけ――
「あっちにも」
「四匹だけな、クソったれ」
別の船にも向かっていく白い影があったが、明らかに数が少ない。
この船を追う白耳鼬の数は見えるだけで十匹を超える。
(けっこう大きい)
近付いてきてわかったが、白耳鼬はかなり大きな魔獣だった。
毛皮がある。灰色っぽい毛皮をしていて、体は長い。イタチというのか、それとも――
(ラッコっていうか)
図鑑で見た愛らしさとはまるで違うが、海で暮らすこの手の生き物を当てはめるならそれか。
四つ足の獣のようで、長くはない足で波を蹴って跳ねてくる。
灰色の毛並みで、長い耳だけが白い。四つ足の状態ならグレイより背が低いようだったが、体の長さはグレイより長い。
おそらく体重は五十キロを超えるだろう。アスカよりだいぶ重い生き物になる。
「ボーガ、お願い!」
船尾からサトナの声が聞こえた。
見てみれば、ボーガが大きな樽を一つ頭上に掲げていた。
(さっき言ってたベジェモ樽?)
ベジェモは聞いた覚えがある。いつだかグレイが食べていた、川辺にいた小さな鳥のような生き物の名前のはず。
ボーガは樽を振りかぶると、追ってくる白耳鼬の群れに向かって投げた。
「ぬあぁっ!」
直線だった、放物線ではなく。相当な剛力で投げられた樽が白耳鼬たちの目の前の海面に叩きつけられる。
(爆発?)
しない。
が、海面に叩きつけられた樽が砕け散り、中に詰まっていたものが飛び散る。
握りこぶし大のたくさんの黒っぽい塊が海面に四散した。
「あれって」
なんだろうか。
それを受けた白耳鼬が、跳ねるのをやめてその場に留まり拾い始めた。
波間に浮く塊を拾って食べる。実に獣らしい行動。
「ベジェモ」
名前のままだった。川辺にたくさんいた小さな飛ばない鳥、ベジェモが詰まっていただけだ。
何かしら調理はしてあったようだが、保存の為だと推測できる。
加工したベジェモ――焼き鳥的なものを大量に詰めた樽、という単純な仕掛け。
単純でも何でも役に立つのならそれでいい。白耳鼬も魔獣なのだから食欲が優先で当たり前だ。
「やったか?」
「まだ三匹追ってくる! 違った、四匹!」
サトナが再度後ろを確認して、まだ追ってくる影を数える。
「ちぃ、もう一個ありゃあな」
ないものは仕方がない。
群れの半数以上が、撒き餌のように投げられたベジェモを食べることに終始して追うのをやめてくれたので状況は改善している。
後は退治するしかない。直接。
「僕も手伝うよ」
「坊主は引っ込んでろ!」
フィフジャとヤマトが武器を手にして出てきたが、ダナツに怒鳴られた。
仕方がない。今までの様子からヤマトが役に立つとは思えないだろう。
「僕だって」
言い返そうとするヤマトだったが、アスカがそれを止めた。
「下がってて、ヤマト」
「お前まで……」
気持ちはわかる。皆が大変な時に安全な場所にいろと言われて素直に聞ける性格ではない。
それに、これまでの汚点を取り戻したいという気持ちもわかる。
「今のヤマトは手柄を立てようと焦ってるの! ダメだってお爺ちゃんが言ってたでしょ!」
「そんな……そんなこと」
「船酔いだってまだあるでしょ! それに――」
ヤマトが手にしていた槍をひったくる。
一瞬抵抗しようとしたヤマトだったが、アスカの力が強かった。
「あっ」
「……自分の状態もわかってないでしょうが」
奪い取った槍を、兄の胸につき返す。
なぜアスカに力づくで奪われたのか、わかっているのかと。
「ちゃんと握れてない。私より力が入ってないじゃん!」
「アスカ、もう来るぞ!」
ヤマトと問答している間にも敵は待ってくれない。
兄は色々と焦っているのだ。ケガをして、失態を晒して、それらを取り戻そうと。
船酔いで足元も怪しく、また揺れる船の上での戦闘だというのに長い槍を手にしていることも。
一対一の勝負ではなくて、魔獣と船員が入り乱れる戦いだとなれば、この槍が適切かどうかも判断できていない。
「お願いだから……今は下がって。クックラの傍にいてあげて」
言葉を尽くして説明している時間がないのだ。アスカはお願いをした。
理屈ではなく、家族としてのお願い。
「……うん」
槍を受け取るヤマトは、唇を噛み締めて頷いた。
本人も少しはわかったのだろう。手にきちんと力が入らないと。
そればかりではないのだ。万全な体調でないヤマトがここにいることで足手まといになる。
手柄を立てようと焦っている。
それは曾祖父から伝わる教えだった。失敗することになると。
ヤマトにとって、それらの教えは大事なもののはずだった。だからアスカもそう言葉にする。
「わかった、ごめん」
失態の上塗りになることを理解したのかどうか、どうであれヤマトは頷いた。
「任せて」
魔獣との戦いだというのであれば、任せてもらえばいい。
「アスカは俺が見ている。下を頼む」
ヤマトが立ち去るのを見届けない。これ以上は甘やかすだけだ。
伝えるべきことは伝えた。そう考えて船尾へと走る。
もっと優しく伝えられたらよかったとも思うのだけれど、こんな性格なのだから仕方がない。
兄にも、それくらいは許してほしいと。そう思うのだった。
◆ ◇ ◆
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