三_06 夜の波間に_2



「困惑しているんだ。わかってやれ」

「……うん」


 アスカの後姿に声をかけられずにいたら、フィフジャが優しい口調でそう言った。

 機嫌の悪い妹を相手にしておきながら穏やかな気持ちでいられるとは、フィフジャは本当に心が広い。

 わかっている。アスカから見たらわけがわからないだろう。

 正直なところで言えば、自分でも何をどうしたらいいのか。


「一応聞くだけだが」


 アスカを見送って背中を向けたままだったが、フィフジャはそのまま続ける。


「何か困りごととか、そういうわけではないんだな?」

「……困りごとって?」

「急に彼女と恋人だって話だからな。何か困ったことになっていないかと」


 フィフジャがヤマトを気遣ってくれているのはわかる。

 保護者代わりとして、まだ未成熟なヤマトの行動に何か困った理由があるのではないかと。



「無理やりヤられちゃったとかな」


 聞いていた船員がぼそりと言うと、含み笑いが広がった。

 メメラータの交際経験を揶揄しているのだろう。そう思うと腹が立つ。


「違うよ。メメラータは可愛いんだから」


 言った当人の方を見てはっきりと否定する。

 ヤマトは何度も庇ってもらっているのだ。彼女をバカにされるのは気分が悪い。


「っひょう、かっこいいねえ坊主」

「やめとけって。あいつに聞かれたら本当にぶん殴られるぞ」


 ヤマトの発言に少しだけ囃すような言葉をかけてから彼らは静まった。

 フィフジャはヤマトの様子に、これ以上は言うこともないかと思ったのか横になる。

 話したいことがないわけではないが、後でもいい。後の方がいい。


「……」


 微妙な空気が停滞しているところで、船室のドアが開いた。

 入ってきたのはボーガだ。


「あ……」

「……あれを頼む」


 ぼそりと、ヤマトに向けて呟く。

 あまりにぶっきらぼうだったので、ヤマトは自分に言われたのだと気付くのが遅れた。


「え、っと。メメラータのこと?」

「ああ」


 ボーガの表情は変わらない。

 年の近い竜人同士で、同じ村の出身なのだと聞いている。ゾカの集落なのだとか。

 ヤマトなどよりよほど恋人に近い位置にいると思うのだが。


「ボーガは……メメラータのこと、好きだったりしないの?」


 口にしながら聞いたらまずかったかなと思ったけれど、言いかけて途中でやめるわけにもいかない。

 ヤマトの質問が不躾だったせいか、ボーガの表情がやや険しくなる。


(地雷だったかも)


 仮に彼がメメラータに恋心を寄せていたとして、今ここで言えるわけもない。

 彼は無骨な戦士という印象だ。色恋など表沙汰にするようなタイプでもないだろう。


「俺は」


 それでも返事はしてくれる。実直な男だ。


「俺は、俺より背が高い女は好かん」

「あ、ああ……そう、なんだ」


 地雷だった。

 メメラータの方の地雷だった。かなり危険度が高いやつ。



(危ない……聞いておいてよかった)


 ノエチェゼでこの話で吊るしあげられている兵士を見ていたのだ。シャレで済みそうな感じがしない。

 今ここで確認できたことは、失敗だったかもしれないが、ヤマトにとっては幸運だったと言わざるを得ないだろう。



「ヤマト、失礼だぞ」


 横になっていたフィフジャから注意を受けた。

 その通りだ。面識の浅い自分がずけずけと聞いていいことでもなかった。


「ご、ごめんなさい」

「構わん。あれは勝手な女だが、ゾカの戦士だ。よろしく頼む」

「……はい」


 何と答えていいものか少し悩んでから、小さく頷く。

 色々と申し訳ない気持ちだ。

 メメラータにもらった薬のおかげで船酔いはかなり楽になってきているのに、気持ちは沈む。


 今はどうにもならない。これ以上失敗を積み上げないうちに寝てしまおう。

 そう思ったところだった。


 ――太陽の方角! 魔獣! ……くそったれ、白耳鼬びゃくじゆうだ!


 悪態と共に叫ばれた名前に船室内に戦慄が走った。



  ◆   ◇   ◆



 船室を出る。

 既に日は落ちて、煌々とした月明かりが静かな波にさらさらと跳ね返っていた。


 海で見る月は違う。

 銀色のいつも丸い月と、半分より少し増えている黄褐色の月。

 別物ではないはずだが、陸地の月とは違うと言われたら信じてしまうかもしれない。

 それくらい綺麗で、大きく見えた。


 心を不安定に波打たせているアスカを宥めるように、その光がアスカの全身を通り過ぎていく。


「……」


 ただの嫉妬なのかもしれない。

 あるいは、置いてきぼりにされてしまうことを怖がっているのか。

 フィフジャに八つ当たりをしてみたが、大して気分が晴れなかった。彼にしたらいい迷惑だろう。



「……私、子供だなぁ」


 自分の思い通りにならないことに苛々して他人に当たるとか、本当に幼い。

 少し自己嫌悪だ。

 冷静に考えてみれば、メメラータがヤマトを好きになる可能性だってある。

 年下の男の子が極度に好きだという嗜好の人もいるだろうし、メメラータがそうではないという根拠がない。

 周囲にはむさ苦しい系の男がほとんど。逆のタイプが好みだということも考えられるか。


 ふと船の外を見ると、煙が上がっている。


(火事?)


 だとすれば大変だと思って見てみると、船の横に突き出した排気口からだった。

 調理室だ。

 既にみんなご飯は終わったと思うのだが。


「?」


 気になったので覗いてみることにした。

 料理長というのか、まあ一人しかそういう役割の人はいないのだが、やや年配の料理人とケルハリが調理室にいた。


「あれ、どうしたっすか? 俺っちと一緒で盗み食いっすね」

「堂々と言いやがって、阿呆が。嬢ちゃんはどうした?」

「んと、煙が上がっているのが見えたから」


 二人から問われて理由を言うと、料理長がくいっと顎で調理台を示した。

 そこには昼間獲った切波背が積まれている。


「このままだとすぐ腐っちまうからな。軽く火を通しておくと多少は持ちがいい」

「そうなの?」

「ああ」


 そう言いながら料理長は、少し切った切波背の背ビレをアスカに渡した。

 炙ってある。食えということだろう。


「はむっ」


 噛みついてみると、やや硬く繊維のような筋があった。

 ぴいっと横に噛み千切って咀嚼する。


「んむ、ぁむ……ん、ちょっと硬いけど、なんだろう。癖になる味ね」

「腹通りが悪いからよく噛んでな」

「うん、ありがとう」


 腹通りという言葉は初耳だったけれど、消化吸収しにくいという言い回しなのだと理解する。

 彼らの仕事の邪魔をしたかったわけではないが、とりあえず初めての食べ物を経験できたのは幸運だった。



 お行儀悪く食べながら調理室を出て甲板に戻ると、後ろからケルハリが付いてきた。


「お兄さん、どうっすか?」

「どうって……」


 彼は本当につまみ食いの為に調理室にいたのか。アスカがもらったのと同じ、もう少し大きな背ビレを口にしながら尋ねられた。

 聞かれて楽しい話題ではないと知っていると思ったのだが。


「ああ、違う違う。ケガの話っすよ。指、ちゃんと動いてるっすか?」

「そっちのこと」


 アスカの剣呑な雰囲気に慌てたケルハリの言葉を聞いて、勘違いだったと肩の力を抜く。

 彼はどうも勘違いさせるような言い方をしやすいようだ。フィフジャともそれで揉めていたし。


「まだ十分に力は入らないみたいだけど、ちゃんと動くって。あの時はありがとう、ケルハリ」

「いやいや、まあ大したことっすけど。ロファメトの客人って言うんじゃ放っておくわけにもいかないっすからね」


 謙遜するつもりなのかそうでないのか、よくわからない人だ。

 実際に彼の使う治癒術というのは大した話だと思うし、他に使える人を知らない。

 使えることを他人に知られたくないとも言っていた。



「聞いてもいい?」

「女の子からの質問は大歓迎っす。なんでもどぞ」


 二人で甲板から夜空を見上げながら話してみる。


「治癒術……治癒術士ってどういうのなの?」

「あちゃあ、そういう話っすか。俺っちの好みの女の子とかじゃなくて」

「フィフには聞きにくいから」


 治癒術士の話が出た時、フィフジャはひどく機嫌が悪かった。怨嗟の念すら感じるほどに。

 本人にはとても聞けない。


「あの兄さんと治癒術士の関係ってんなら、俺っちは知らないっすよ」


 アスカの知りたいことがそうであれば、ケルハリの答えは意味がないと。

 それも知りたいが、とりあえず治癒術士というのがどういう扱いなのかすらわからないのだ。


「ゼ・ヘレム教会は、治癒術を創世神ヘレムが人に与えた奇跡だとか決めてるんすよ」

「……」

「で、治癒術を使えるのは当然、神様の敬虔なる信徒の中でも選ばれた者だけって」


 そう言われて、アスカは思い返してみる。

 ケルハリの使った治癒術は、アスカの知っている代償術と全く違う。原理の根本が違っていて理解できなかった。


 それはそうだ。電気信号で傷を強制的に治すだなんてことは聞いたことがない。

 アスカの知らない手法で何かあるのかもしれないが、想像してみてもまるでわからないのだ。

 焼き付けたのだとしたら、血流が止まって末端が腐り落ちてしまうかもしれない。

 表面だけ繋ぐのなら、今の時点でちゃんと動くはずがない。神経や骨も繋がっているのだから。


 神の奇跡だと言われたらそう信じる気持ちが浮かぶのは自然なことだと思う。アスカだってあの時はこの軽薄な男が神様かと思ったくらいで。



「光って傷が治るなんて、神様っぽいじゃないっすか」

「違うの?」

「俺っち神様に見えますかね?」


 なははと笑うケルハリ。こういう神様がいても悪くはないと思うが、そうではないのだろう。


「ただの血筋っすから」

「神様が?」

「治癒術っすよ。使える血筋の血縁かどうかってだけの話って。まあそれだけじゃダメなんすけどね」


 そう言ってケルハリは、アスカの手の甲に指を当てた。

 ぼわっと光る。

 ヤマトを癒した時のように光る。けれど――


「……痛くない」


 ヤマトが絶叫したような痛みどころか、何も感じない。熱さえもない。


「ケガもしてないっすからね。そもそも骨まで斬られた指の治癒とかじゃなけれりゃあんなに痛くないはずなんで」


 ケルハリはそう言うとすぐにやめた。



「何か感じたっすか?」

「?」

「まあそれが普通っすね。治癒術使えるようになるには、他の治癒術士から手ほどきしてもらわないと取っ掛かりも出来ないんで」

「私にも治癒術って出来る?」

「いや、無理っす」


 ケルハリはひどくあっさりと首を振った。

 欠片も可能性がないと。

 そう言われるとなんだか出来るまで頑張りたくなってしまうアスカでもあるが。


「血筋って言ったっすよ。今ので何も感じないんだったら、使える血筋じゃないってことっすから」

「……そう」


 血が関係するというのなら、確かにアスカたちには可能性がない。

 少なくともこの世界の血は一滴も流れていないのだから。


「まあま、がっかりしないで。治癒術を使えるような人間は全部教会の本部で管理されてるんで、もし使えたら大変っすよ」

「それで教会の関係者……ケルハリは?」

「俺っちの母ちゃん」


 ケルハリは短くそう言うと、大きく伸びをして月を仰いだ。

 何かを誤魔化そうとしたのかもしれない。涙とか。


「教会から隠れてた野良の治癒術士だったんすよ」

「そう、なの」

「代々……っても、どこかの代で教会の管理から零れた治癒術士だったのかもしれないっすけど。リゴベッテの片田舎で暮らしながら、本当にこっそりと治癒術を子供に伝えていたんすけどね」


 過去形での話。

 この話の流れなら想像がつく。

 教会に見つかれば抹殺されると言っていた。神の奇跡を、野良のなにがしかが使えるというのは教会にとって非常に不都合だというわけだ。



「逃げ出そうとした船も沈められて、俺っちも近くに浮いてた木切れ掴んでぷかぷかしてたっすよ」


 おどけたように話すが、つらい体験のはずだ。

 決して笑顔で話すようなことではないのに、ケルハリは笑顔のまま。

 軽薄な男かと思っていたがそれだけではない。こういう姿勢を貫くことで、彼の中の何かを守っているのだと。そう感じた。


「海に浮かんで、このまま鳥にでも啄まれて死ぬかなぁって思ってたところで、本当にでっかい鳥が……」


 ケルハリが波の遠くを見やる。

 アスカもそれに並んで、進む船の先を見る。



 夜だが、月明かりは波をよく照らしている。

 夜の海は黒い。濃紺というか、ほとんど黒だ。

 波間に白いしぶきが――


「……?」


 波飛沫にしては、少し大きい気がする。

 そして、あまり揺れ動かない。


「あれ、なに?」


 アスカが指を差す。

 ケルハリも目を凝らした。

 常に軽薄な笑みを浮かべている顔が固まっていた。


「ちぃっとマズい状況っすね、これ」



  ◆   ◇   ◆

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