三_05 夜の波間に_1
「……」
男女が共に過ごせば自然な流れなのかもしれないが。
なのかもしれないが。
「…………」
アスカはどうしても釈然としなかった。
無言で食事を喉の奥に流し込む。
ギュンギュン号にも調理室がある。基本が木造の帆船でも調理の為に火を使いたいので、厨房には焼いた粘土と金属で仕切られた調理台が用意されている。
船の揺れもあるので鍋は深い。多少の揺れで零れないように。
食器もジョッキのような深いものを使う。食事をするのも調理室のすぐ隣だ。
たくさんの種類の食事を作るようなことはない。必要な栄養をまとめて摂取できるようにシチューのようなごった煮の食事になる。
クックラも皆と一緒にそれを食べている。深い器からフォークで具を掻きだしながら、もぐもぐと。
「……」
「ほら、食べる前と後にこれを飲むんだ。吐き気が抑えられるし腹にもいい」
「うん、ありがとう」
別に食事に不満があるわけではない。
そんな不満を言って許される環境でないのはわかりきっているのだ。むしろここの食事は船旅の中ではかなり恵まれているくらいだろう。
調理場を切り盛りするのは、船長が最も信頼する老齢の船員一人だけ。食材の盗み食いなどにも目を光らせているらしい。
「熱いから気をつけな」
「うん、ありがとう」
「……」
クックラがちらちらと隣に座るアスカの様子を窺っているのはわかっている。
フィフジャは既に逃げ出した。
得意分野のことではないと判断したのだろうが、その小賢しい立ち回りに腹が立たないでもない。
アスカの機嫌が悪い時には、きちんと八つ当たりの対象として傍にいてほしい。まさかクックラに当たるわけにはいかないのだから。
食事室は、いつにない緊張感に包まれていた。
「ねえちょっと、どういうこと?」
サトナの声が聞こえる。
「いや、俺っちにもさっぱりっす。愛っすかね」
適当なことを言っているのはケルハリか。
小声で話しているつもりかもしれないが、アスカの耳はとても感度が高い。
妙な緊張感でやや静かな食堂なら、彼らの会話くらいきちんと聞こえる。
「明日は波の見方を教えてあげるよ。船の揺れ方がわかれば少しは船酔いもマシになるさ」
「うん、ありがとう」
「……」
ヤマトとメメラータの距離が近い。というかずっと触れ合っている。
どういうことか聞きたいのはこっちなのだ。
◆ ◇ ◆
「付き合うことになったって? まあ、さっきの様子を見てればな」
「どういうことよ!」
船室に戻ったアスカが苛々しながらフィフジャに詰め寄る。
さっき逃げ出した分だ。面倒事を後回しにしようとしたツケだと彼もわかっているはず。
「どういうって言われても、そういうことなんだろう」
フィフジャはあまり関わりたくないというように何でもないように言うが。
「突然すぎるって言ってるの!」
「言ってないだろ……で、ヤマトは?」
「知らないっ」
ぷいっと横を向くアスカに、フィフジャが深く溜息を吐いた。
クックラは黙ってグレイを撫でることに集中している。グレイもされるがままだ。
集団で雑魚寝の船室。船内という限られたスペースでなるべく多くの人が寝られるように、左右の壁に二段ベッドのように厚めの板が固定されていているが、プライベートな仕切りのようなものはない。
他の船員の姿もあるけれど、誰もがアスカの機嫌が悪いのを恐れて寝ているフリを決め込んでいた。
女の機嫌が悪い時は近付かない方がいいという教訓があるらしい。経験則かもしれない。
逃げられないのはフィフジャだけ。
周囲の様子に自分が相手をするしかないと観念したのか、フィフジャがこめかみを抑えながら応じる。
「ヤマトも恋人が出来てもおかしくない年齢だと思うんだが」
「おかしいわよ」
「いや、それは……」
「おかしいじゃん。絶対におかしい」
「……そうだな」
諦めたのか、アスカの意見に納得したのか。
切波背に襲われてから夕食まで、ほんの数刻しか経っていない。
メメラータがかっこいいのはわかるし、ヤマトが惚れる可能性がゼロだとは言わない。
ちょっと年の差があるようだけれど。まあそれは許容範囲だ。
それにしたってメメラータがヤマトに惚れるだろうか。この短時間で。
「……ノエチェゼにいる間に、何かしてたんだ」
声に恨めしい気持ちが宿る。
恨み、つらみ。
「おいアスカ、あまり悪く考えるのは」
「私が不安で辛かった時に、ヤマトはよそでいちゃいちゃしていたのよ」
「……」
そう考えると、自分の苛立ちに納得がいく。
何がこんなに自分を苛立たせるのか。
別にヤマトを取られたとかそういう怒りではないし、メメラータをお姉ちゃんと呼びたくないわけでもない。
だけど納得いかないのは、この急展開の根拠がわからないから。
だから苛立つし、動揺している。自分でも動揺しているという自覚はある。
理由として思い当たったことが、自分があの港町で逃げ回っていた大変な時に、兄はそれを放っておいて女といちゃいちゃしていたということ。
考えればまた腹が立つ。大体、他にも女はいたはずだ。ラッサとかいう割りと可愛げな女の子だった。
あの女のことはどうするつもりなのか。女と見れば誰彼構わず、こんな不埒な行いを母が許すはずがない。いい加減な気持ちで女の子を。
「ヤマトが戻ったらちゃんと聞いたら」
「素直に話すならいいけど」
「……いや、そういうのは本人から話すまで聞かない方がいいかもな」
やれやれと言った感じでフィフジャが立ち上がり、グレイを撫で始めた。
逃げた。
(自分でも面倒くさいこと言ってるとは思うけど)
兄とメメラータの唐突な恋人宣言。
アスカたちも船員たちも唖然としてしまった。
散々食堂で親密な空気を演出してから、去り際に――
――坊やはあたしの恋人になったから、あんたら手ぇ出すんじゃないよ。
船員の大半は男性だが、どういう意味だったのか。
ちょっかいを掛けるなという意味だろう。ヤマトが船に慣れていないことを揶揄するような。
もしかしてメメラータは、ヤマトをバカにする船員たちの歯止めになろうと身を切って?
「……」
違う気がする。
アスカにだってわかってはいるのだ。いつかはヤマトに恋人が出来て別々の道を歩く日が来るだろうことくらい。
相手がメメラータであっても、考える限りそれが悪いわけではない。
ノエチェゼで会ったラッサという女でも、まあ許せる。兄がきちんとした気持ちでやっているのならアスカだってそれを否定するつもりはない。
何かがおかしい。
(……メメラータが、ヤマトに好かれようとしてる感じ)
ノエチェゼでも船でも、メメラータはアスカたちに憧れを抱かせる姿を見せてくれていた。
だからヤマトがメメラータを好きになって夢中になっているというのなら、それなら納得できるのだ。アスカだって彼女に憧れるのだから。
それなのに現実が逆だ。メメラータがヤマトに近付いている。ヤマトの気を惹こうとしている。
アスカが憧れた人がなぜだか兄に媚びているような気がして、もやもやするのだ。
ヤマトが何か悪いことをしているのではないかと、心配になってしまう。
(……そんなはずないけど。だけど理屈に合わない)
自分の考えに辻褄が合わなくて、またもやもやが深まる。
今の思考回路はダメだ。他人にも迷惑だし解決になりそうにない。
「ちょっと風に当たって頭冷やしてくる」
「ああ」
フィフジャの声が少し軽くなった。
わかりやすい。フィフジャのこういう部分は嫌いではない。
船室を出ようとしたところでヤマトが戻ってきた。
「あ、っと。どこに行くんだ?」
「……別に」
軽く睨みながら返事をすると、それ以上は聞かれなかった。
ヤマトの方から何か言い訳があるかと少し待ってみたが、何も言わない。
言い訳などないのか、話すつもりがないのか。アスカが混乱していることくらいはわかるだろうに。
ヤマトは少し決まりが悪いような顔で目を逸らした。
(やましい気持ちがあるんだ)
そういう顔だったので何も聞かない。
ヤマトを置き去りにしてアスカは船室を出た。
◆ ◇ ◆
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