三_03 憧れの背中_1
三日後。
まだヤマトの顔色は優れない。
ケルハリから酔い止めの葉っぱをもらって噛むようにしてから嘔吐は減ったけれど、食欲はないまま。
最初から酔い止めをくれたらと思ったら、多少でも揺れに慣れてからでないと効果が薄いと説明された。
船員たちの顔色も優れない。
天候は晴天で波も穏やかだと言うのに、ダナツを始めとして船員の顔色は浮かなかった。
「風が弱すぎる」
サトナがそう言うのだからそうなのだろう。
台風一過と言うのか、嵐の後の好天は予想通りではあるのだが、洋上でここまでの微風は一日二日程度なのが常だと言う。
本来ならもう少し風が強まり、船足も速くなるということだが。
「今年は嵐の日も少しずれてたけど、何かいつもと違う」
「考えても仕方ないさ」
不安げなサトナを元気づけるようにメメラータが声をかけるが、サトナは首を振った。
そうではない、と。
遅いことを憂いているわけではない。それもあるが、そうではなくて。
「北に流されすぎてる」
「?」
アスカは改めて船の進路を見てみる。
弱いとはいえ若干の風はある。帆船であるギュンギュン号はその風を帆の右側に受けて進んでいた。
西へ。
北東が目的地なのに、西へ。
周囲には水平線と並走する他の帆船も同じ状態で、どの程度の速度が出ているのか把握しにくい。
夜になれば星の配置などで現在地を割り出すことが出来るようなのだが、アスカにはそういう技能がなかった。
「海流があるの」
仕事の話に口を挟んでいいのかわからず黙っていたアスカに、その疑念を察したサトナが説明してくれた。
「ズァムーノの西側から北東に流れてリゴベッテの東に行く海流と、もう少し北のユエフェンとの間辺りからリゴベッテの西に流れる海流」
「風が弱いから、その潮の流れに押されちゃってるってこと?」
「そう。この海流だと海皿砦の近くを通ることになっちゃう」
「イチかバチかの航海なんてごめんさ」
そのルートは例のネレジェフの住む方角だ。広い海なのだから絶対に当たるとも限らないが、確率は高くなる。
避けるべき航路。
「思いっきり東側から回るのはダメなの?」
今は海皿砦を西に迂回するルートを取っているが、東回りで避けていくことは出来ないのだろうかと。
アスカの疑問に、サトナが帆を指さした。
「風向きがね、ほとんど北西からだから。北側は特に」
「そっか、わかった」
サトナの短い言葉でアスカが理解を示すと、メメラータと二人きょとんとする。
聞いていた他の船員たちも不思議そうにアスカを見た。海が穏やかすぎて船員たちも暇らしい。
「今のでわかったのかい?」
船乗りでもないアスカが、たった二言三言で本当にわかったのか、と。
「うん、帆船は風に向かっては進めないもの」
アスカは自信を持って答えた。
本当に理解しているか怪しんでいる彼らに、ちゃんと理解したと説明する為に地図を描いたノートを広げる。
書いていなかった海流を書き加えて、消しゴムを船に見立てて現在地っぽいあたりに置いた。
「北西からの風だけど、実際に行きたいは北東。だけど直線ルートには危険があるんでしょ」
「ああ」
「右回りで行こうとするとリゴベッテ大陸の右側に出ちゃう。そうすると、そこから西に向かおうとしたら風向きと正反対になっちゃうし、海流とも真逆。これじゃ進めないもの」
アスカの理解度を確認して、サトナとメメラータが反論の必要がないと無言で頷く。
「左回り……北西の風を帆の右側に受ければ、船は西側に進む。そうやってなるべく西回りに北に上がってから、今度は海流と風を後ろから受けて進めば、北東に行くスピードも速くなる。距離は大回りになってもこっちの方が早いのかな」
サトナとメメラータが顔を合わせる。
周囲にいた船員たちも、アスカの答えを聞いて軽くどよめいていた。
「船乗りでもねえちっちゃいのが、よく知ってるなぁ」
「こいつぁ驚いた」
「兄ちゃんはあれだが、嬢ちゃんはいい船乗りになれんぞ」
ならないけど。
喝采は悪い気分ではない。
口に上った噂の兄は今も船室でぐったりしている。クックラが付き添っているが何もすることもないだろう。
フィフジャはあまり甲板に出てこなかった。最初にケルハリと喧嘩のようなことをしてしまったことを気にしているようで、やや体面が悪そうだ。
「よくわかったわね。本当にその通りよ」
サトナに認められてアスカの気分も良い。
帆船については漫画の知識だが、それを実際の航海で現地の状況に合わせて理解することができた。
知識は万能ではないが無駄にはならない。活かすことが出来る。
「あたしゃいまだによくわからないんだけどさ」
「メメラータは感覚派だから」
サトナがフォローするが、意味合いは感覚派ではなくて肉弾派なのだと思った。
(竜人だし)
人種的な偏見かもしれないが、脳筋な傾向の人が多かったのは事実なので否定する根拠がない。
「どこも状況は同じだ」
サトナの所にボーガが来て溜息交じりに告げる。
先ほどまで、手旗信号で他の船とやりとりしていたようだったが。
「どこの船も慌てて出航した。食料が不足しそうだ。水も少ない」
「こうなると雨でもほしいところね」
「ノエチェゼがきな臭いのは先に聞いてたから積み荷はある程度準備できていたんだけどね。水や食料は腐るから……」
ギュンギュン号には二十人以上の乗員がいる。
海水を飲むわけにはいかないのだから飲用水の準備は絶対に必要だ。保存のきく酒も準備してあるが、真水もほしい。
雨水が衛生的にどうなのかは疑問もあるが、海原でそんなことを気にしていては生きていけないだろう。
「パーサッタの連中がもっと情報くれてたら準備したのに」
「チザサとロファメトの計画が露見する惧れもあった。何でも話すわけにはいくまい」
「?」
なんの話かわからないアスカを見てメメラータが小さく頷く。
「七枝のひとつだよ。代々、海の天候を見て先行きを伝えてるって話さ」
「かなり正確なのよ、あれは。今回はチザサに肩入れする為に間違った予報を伝えたんだって」
出航の予定時期が話す人によってズレていたのはそのせいだったらしい。
誤情報で敵方の予定を狂わせて味方の計画を助けた。一部の船乗りはそれを知っていて出港準備を進めていたけれど全ての情報が開示されてはいなかったと。
アスカたちの知る由もない町の事情なのだと理解する。
「嵐の予報を早くしたことで他の船も積み荷は準備していた。パーサッタはチザサだけに肩入れしたわけではない」
「交易船はノエチェゼの収入源だから丸々無駄には出来ないでしょ。それにしてもここまで天気が続くんじゃパーサッタに文句も言いたくなるわよ」
およそ公平っぽい意見を呟くボーガに詮無い不満を返してから、サトナは遠くの空を見やって力なく首を振った。
雨の見通しはなさそうだ。アスカも見る限り雨雲のようなものは見当たらないし、この微風で急激に天候が変わることもないと思われる。
晴天続きも良し悪しということか。
「こうも船足が遅いと――」
「剣日の方角に波しぶき!」
メメラータが言いかけたところで、マストの上から声が響いた。
全員が一斉に反応する。
進行方向に向かって右側やや前方。アスカもそれを見て同じ方角を見る。方位とすれば北ということになるが、言い方は違った。
他の船でも似たような反応が起きている。剣日の方角というのがよくわからないが、とにかくそちらに。
「大きい……?」
「いや、群れだ」
大きく波しぶきが上がる辺りを見てアスカが漏らした言葉を、ボーガが訂正する。
一匹の大きな生き物ではなく集団だと。
「
穏やかだった甲板は、俄かにに騒がしく慌ただしくなるのだった。
◆ ◇ ◆
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