三_02 海を越えた世界_2
「海には他にもまだまだたくさんの種類の魔獣がいるんだから。舐めてたら死ぬよ」
「うん」
生態のわからない魔獣は恐ろしい。どういう攻撃手段を持っているのかわからない。
小さな生き物でも猛毒を持っているかもしれないのだから、警戒しすぎるくらいでいい。
「バムウみたいな毒のある生き物は?」
「そういうのは割と海の底の方だから、海面に出てくるようなのなら
「どういうの?」
「長細い紐みたいな魔獣よ。うねうねと体をくねらせて、自分の体を結ぶみたいな動きをするんだ。惑わされると噛まれて毒にやられる」
名前に準じたの生態だった。海蛇か。
「まあそれよりも何よりも、ネレジェフが一番おっかないけどさ」
「違いない」
サトナの言葉にフィフジャも苦笑いを浮かべて頷く。
ネレジェフ。何度かその名前を聞くのだが、アスカはそれがなんなのか全く知らない。かなり有名なようだが。
「……」
「ネレジェフっていうのは海の妖魔……妖獣かもしれないんだが、海の悪魔と呼ばれている」
「知らないの?」
アスカの様子を察して説明したフィフジャを見て、サトナが驚いたようにアスカの顔を覗き込んだ。
船乗りとして当たり前というより、世界的な常識という認識らしい。
アスカは、後ろで静かにしているクックラを振り返った。
反応を求められたクックラは、ふるふると首を横に振る。
「はあ……まあ、そういう子もいるか。港町で育ったら知らないなんて有り得ないから。気を悪くしないでね」
「ううん、いいけど。ネレジェフってどんなの?」
バカにされたと思うわけではない。本当に知らないことに驚いただけの様子だったので、別に腹は立たない。
世間の常識が不足している自覚はあるのだし、いちいち怒っても仕方がない。
「どんなのって言うと……噂話だが、海水で出来た大きな魔獣だとか」
「海水?」
「水っぽい体をしているって話だよ。とんでもない長さの生き物で、通りかかる船でもなんでも捕まえて食うって話」
「俺が聞いたのは山のような大きさだとか。気づかずに船が突っ込むとそのまま飲み込まれると」
サトナとフィフジャの説明から想像してみようとするが、いまいちよくわからない。
水っぽいというのは、クラゲのような生き物ということなのか、アメーバのような粘菌風の生物ということも考えられる。
海の中にそんなものがいたとしたら、気づかずにその体に向かって進んでしまうことも考えられる。
というか、そんなの海では無敵ではないのか。
「……本当にそんなのがいるの?」
「実際に被害にあった船団もあるし、逃げ延びた奴らもいるって」
「龍が」
サトナの説明にフィフジャが続ける。
「異界の龍が死ぬ際に海に落ちて、この妖獣が生まれたという話だ。伝えられる龍の姿とは大きく違うから関係があるのかわからないんだが」
「それ以前から海にいたって話もあるからね。正体はわからない」
海の悪魔。
悪魔という呼び方は初めて聞いたが、他の危険な生き物と一線を画す災厄のような存在なのだろう。
伝説の龍と並んで、世間では広く知られている。知らないなんて珍しい、と。
「そんなのどうするの?」
今の話が本当なら出会ったら即全滅のような存在だ。
心配になるアスカに、サトナが笑って頷いた。
「大丈夫、あれがいるのは
「海皿砦って?」
「ズァムーノ、リゴベッテ、ユエフェンの真ん中あたりに……ああいいや、おいで」
説明しかけて、いいことを思いついたというようにサトナがアスカを促した。
どちらかといえば、悪いことを思いついたという顔だったかもしれない。
アスカはフィフジャとクックラの顔を見てから、そのサトナの後をついていくのだった。
◆ ◇ ◆
「くぉらサトナ、おめえは物見番だろうが」
「このまんまなら夜まで待っても風は吹かないよ。干からびるまでそうしてろって言うの?」
船室……ヤマトたちがいる船室とは別の高い場所の入り口に、サトナは歩を進めた。
中にいたダナツから苦言を吐かれるが、慣れた様子で言い返すと後ろで待っていたアスカたちを招く。
「おめえ、ここは遊び場じゃねえと……そいつぁタダじゃねえんだぞ」
「何よ、あたしが小さい時はここで遊べって言ってたくせに。だいたい減るもんじゃないんだからケツの穴の小さいこと言わないの。海の男が廃るわよ」
「ぬ、う……」
入ってもいいものだろうかと戸惑うアスカだが、言われたダナツは渋面で黙り込む。
黙認ということなのだろう。外見はごついが娘には弱いらしい。
「ほら、ここだよ。ここに海皿砦があるの」
彼女が指さしたのは、壁に掛けられた一枚の日焼けした大きな布。
「……これ」
世界地図だった。
初めて見る、ちゃんとしたこの世界の地図。
どこまで正確なのかはわからないが、少なくとも大陸間航行をする船にあるのだから、それなりに信頼できるものなのだろう。
紙ではなく布に描かれている。
「すごいでしょう。こんなにいい地図はよその船にはないんだから」
「はっ、ったりめえだ」
サトナが自慢げに言うと、ダナツもそれに続いて胸を反らす。似た者親子だと思う。
さっきは惜しんだのに、見せるとなれば得意そうにするダナツ。
「確かに……これは、大したものだな」
フィフジャも驚いていた。クックラは何がすごいのかわからないという顔だったが。
世界地図。
下の方の真ん中辺りにジャガイモのような大陸が描かれている。真ん中辺りに上から裂け目が入った大陸。それがズァムーノ大陸。
その右上に、右曲がりの太いナスのような、そんな形の大陸がある。それがリゴベッテ大陸。
反対の左上に見える、独楽のように上の方は分厚く下の方が細っていく形になっているのがユエフェン大陸ということか。
「あれ、ユエフェンの上の方って?」
描かれていないというか、ユエフェン大陸の左上は地図からはみ出して切れている。
「ユエフェンの北西部は極寒の山脈が続いていて、そこから先はわからない」
フィフジャが説明してくれた。
「そこいらは海も凍ってるって話だ。まあ俺らにゃ関係ねえがな」
ノエチェゼの船乗りからすれば関係ないのだろう。そこの地図は必要ないし、そもそも人跡未踏ということなら描きようがない。
先ほどサトナが指さしたのは、三つの大陸のちょうど中央あたり。
ズァムーノから見れば、割れた部分からほぼ真上に進んだ地点に丸い印が書かれていた。
「ここに海皿砦っていうのがあって、ネレジェフはそこの周りから東辺りにしか出ないの」
「へえ、そうなんだ」
根拠はともかくそういう事実がわかっているから航海が出来るらしい。そこに対処不可能な危険があるとわかっていれば、避けて通るだけのこと。
縄張りなのか他の理由なのか、なぜどうしてと聞いても答えがないことはわかっている。とりあえず事実確認だけでいい。
世界地図全体を見て、生まれ育った家の辺りを見てみる。木々らしいものが書き込まれているだけなのだが。
どの辺だったのだろうか。少なくとも山脈沿いだったことはわかっていても、それ以上のことはわからない。
「ねえ、オジサマ。これ書き写してもいい?」
「あぁ?」
アスカの申し出に怪訝そうな顔で応じるダナツ。
自慢げな様子から考えると、勝手に書き写したら悪いかなと思ったのだ。アスカにだって遠慮する気持ちくらいはある。
ダメだと言われても今見て覚えた限りの記憶を残すだけなので、とりあえず筋を通そうかと思っただけ。
「書き写すって、ここにゃ木板も墨もねえぞ」
ダメだとは言われなかった。
「大丈夫、持っているから。オジサマありがと」
「あ……っていや、おい嬢ちゃん……」
呆気に取られているダナツを尻目に、アスカは船室に走っていった。
ヤマトは寝転がって呻いていた。その隣に置かれた荷物の中からノートと筆記用具を持ち出してダナツの部屋に戻る。
アスカのノートはとてつもなく高品質な紙ということでダナツたちも驚いていたが、惜しげもなくその紙に地図を書き写していくアスカに、気が付いたら許可してしまった形になっていた。
◆ ◇ ◆
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