二_072 ノエチェゼの真紅



「……久しいな」

「おめぇか」


 竜人の言葉で話しかけられ、ふと見れば意外な人物がいた。

 意外ということもない。ボンルは自分が全く驚いていなかったことに気付く。


 巨大な岩千肢を一撃で仕留めた竜人の戦士。

 自分以外でそんなことが出来そうな顔は、それほど多く思い浮かばない。


(ああ……今なら、俺でもやれるか)


 ヤマトたちと一緒に戦った時は、体がすくんでまともに動かなかった。

 強敵だと思うと、全竜武会の決勝の敗北を思い出して十分に動けなくなっていた。トラウマという言葉は知らなかったが。



「どうしたよ、こんなとこで」

「戦っていたが、戦う理由がなくなったと言われた」

「あぁ?」


 要領を得ない。こいつは話が下手だ。

 戦いとなれば、ボンルを一撃で昏倒させるような強さのくせに。


「お前はなぜ?」

「……逃げてたからだよ」


 こいつとは違う。

 村に帰るのが怖くて、逃げてここに来た。

 ここの生活が何となく居心地よくて、そのまま居ついているだけだ。


「お前ほどの戦士が?」

「それをお前が言うかよ。っとに」


 やれやれ、とボンルは頭を振った。

 一撃で俺様をぶっ飛ばした本人がよくもまあ、と。


 彼こそが、ボンルの世代での全竜武会の優勝者。世代最強の竜人だ。

 次に会うことがあれば復讐心に火が付くか、あるいは怯えるかのどちらかだと思っていたのだが、どちらでもない。

 なんとなくやっぱりな、という気持ちと、相変わらずこいつ強いなと思う気持ちがあるくらいで。



「私は、お前が怖かった」

「……はぁ?」


 唐突な言葉に、何と返したらいいのだろう。


「違うな。お前を恐ろしいと思っている」


 何が違うのかわからなかったが、本人の中のニュアンスは何か違うらしい。

 どちらにしろ、何を言い出すのか。


「私は、お前と戦いたかった」

「何をいまさら」

「叔母上から聞いた話なら、お前は私以外に負けぬと思った。事実、決勝で戦うことが出来た」

「……」


 勝手に語り出す。

 こうして話す機会はなかった。


 全竜武会の優勝者は、点在する竜人の集落を渡って賞賛を受ける。

 ボンルが目を覚ましたときには既に彼はその旅程に出ていて、言葉を交わす時間はなかった。

 その時に話したかったことを、本人なりにまとめて喋っているつもりなのだろう。

 話の脈絡がわかりづらいのは生来の性分なのだろうが。


「決勝で、私はお前に対して私の最高の拳を最高の形で叩き込んだ。正直に言えば殺したと思った」

「ああ、死ぬかと思ったぜ」


 言ってみたものの苦笑が漏れた。

 嘘だった。何も覚えていない。


「だがお前は倒れなかった」

「……?」


 話が違う。

 ボンルの記憶と、彼の話が食い違う。


「私の最高の一撃を受けて、お前はなお立ち上がり、私の前に立ちはだかった」

「……そう、だったか?」

「大長が止めなければ私はお前を殺していた。恐怖に駆られて。勝ったと言われたが、そうは思えなかった」


 ぽつり、ぽつりと。

 当時の心境を吐露する言葉を聞きながら、決勝の後で村の面々に言われた言葉を思い出す。


 立派な戦いだった、歴史に残る決勝だった、と。

 あれは慰めの言葉ではなかったのか。

 本当にあの時の自分は、決勝の相手として恥ずかしくない姿を見せられていたのだろうか。村の皆が仕立ててくれた晴れ着を着て。



「……へっ」

「どうした?」

「お前の叔母って誰だよ」

「ピメウだ」

「ああ、そうだったかよ」


 全竜武会の優勝者は各集落を回る。

 ジナの村のピメウもそれでボンルの村に来たのだ。まだボンルが十三歳の頃に。

 全竜武会の優勝者として稽古をつけてくれるということで、村の若者がこぞって挑んだのだ。

 全てこてんぱんだったが。


 ――あのおっぱい、な。


 ボンルも挑んだ。勝てないまでも、その胸部に抱き着いてやろうと。スケベ心で。

 彼女の蹴りが強烈だったのは覚えている。

 そう、それを食らいながら顔を埋めた胸部のことも覚えている。汗臭かったけれど、けっこういい思い出だ。筋力は異常だが胸部は柔らかかった。



「は、ははっ」


 自分が何にこだわっていたのか、ボンルはそれすらわからなくておかしかった。

 大した話じゃあない。

 この男はボンルとの戦いを望み、その戦いに負けたボンルがいじけていただけのこと。


 ヤマトたちの姿を見ていたらそういうみみっちい自分の情けなさをつまらなく感じて、あまり気にしなくていいかと思ったところでこれだ。

 答えを出したところで答えを開示される。そんな間の悪さだが、別に悪い気分でもない。



「お前、ヘロに雇われてるんだって?」

「いいや、違う。私はズァムナの子を守りたくてこの町に来たのだが、ヘロという家に留め置かれただけだ」


 ズァムナの子とはまた古臭い話を、とボンルは笑う。

 そんな伝説がどこに転がっているというのか。


「で、どうすんだよ。これから」

「使命は果たされた……のだと思う。特に他にはない」

「あぁ? まあなんでもいいや、ちょっと手伝えよ」


 話していてもよくわからない。話下手に聞き下手だ。無駄なことに時間を費やすこともない。


「大長の割符を持った奴が、ロファメトの連中に世話になってたみたいだからよ。ちぃっと手助けしてやろうかって」

「別の竜人にも言われた。ロファの手勢に加勢してほしいと」

「なんだ、ちょうど良かったじゃねえか」


 竜人の部族の名は短いので、長い普人族の家名を略すことがある。ロファで始まるのならロファメトで間違いないだろう。

 どこの誰だか知らないが、ボンルの都合と合うのなら別に誰でもいい。



「じゃあ、そういうことでいいな」

「お前がそうするなら、私も共闘しよう」

「堅っ苦しい奴だな。ってか、お前普人ふひと族の言葉覚えろよ」

「ジナの大長にも言われた」

「はっ、あのクソババア」

「叔母上にも言われた」

「ぶ、あの筋肉女が勉強しろってか」


 いまだ荒れるノエチェゼの町を、まるで性格の違う二人の竜人の戦士が歩いていった。



  ◆   ◇   ◆



 ノエチェゼの混乱は数日を過ぎても終息することはなかった。

 御三家の武力が分散しすぎて、今度は他の抑えが利かない。

 大規模な衝突は当分ないとしても、小競り合いや殴り込みなどの抗争は当分続きそうだ。

 七枝もそれぞれ人を集めて戦いに備えていて先行きがわからない。ヒュテは農園周りにも人手を割くと言っていた。敵対勢力に食料を押さえられたら敗北必至だからと。

 そんな中、ロファメト・ラッサーナは自宅に戻ってきた。

 


 ぼふっと。

 ベッドに体を預ける。

 仮宿の寝床とはまるで違う。やはり自宅は落ち着く。

 お風呂にも入りたいが水も貴重だ。お湯にすること自体はヘレムが広めたと言われる魔道具で出来るのだけれど。



「……」


 ここはラッサの自室ではない。

 先日までヤマトが使っていた部屋。

 ベッドにヤマトの匂いが残っているだろうか、と息を吸い込んでみるが、そもそもヤマトの匂いなど覚えているわけではない。


 絨毯に灰色の毛が落ちているのは、間違いなくグレイのものだ。

 彼らがここにいたという証。幻ではなかったと思うと少しだけ心が和らいだ。

 ベッドから手を伸ばして、その毛を摘まみ取ろうとする。が、少し遠い。

 ごてん、とベッドから転がり落ちてしまった。


「……」


 我ながら気が抜けている。

 戦況が落ち着いたからこうして自宅に戻ってこれたのだけれど、忙しさのあまり忘れていた心の隙間が大きすぎる。

 それほど長く一緒にいたわけではないし、そこまで依存していたつもりもないのだが。


「……」


 見たことのない人だった。

 今までに会ったことのないタイプの少年だった。

 抜けているけれど鋭くて、気が利かないようで妙に優しかったりきめ細かかったり。


 あの時、変なことを言わないで真っ直ぐに好意を伝えていたら、状況は違ったのかもしれない。

 好転したかそうではないのかもわからないけれど、こんな風に床に転がる気持ちにはならなかっただろう。


「可愛いかったもんね……」


 ラッサは、今までそれほど明確に自覚していたわけではないが、自分より見目が良い同性というものをほとんど知らない。

 明らかに自分より可愛いと思ったのは、エズモズの町長の娘以外ではアスカが初めてだった。

 サトナのことは同じくらい可愛いと思うし、メメラータの魅力は自分とは全く違うとも思っている。少し男運がないのは可哀そうだけれど、いつかいい人が出来るはず。


 アスカを見た時に、負けてる、と。そう思ってしまった。

 あんなに可愛い妹がいるなら、そっちが心配で当然じゃないの。さっさと助けにいっちゃいなさいよ、と。

 そういう気持ちがなかったわけではない。


 妹に対して何をやきもち焼いているのかという話だが、こういうのは感情の問題なのでどうしようもない。

 ただ、ヤマトの負担になりたくないと思う気持ちも本当だ。彼はこの町に長く滞在するつもりでいたわけではないはず。

 あの状況で、よくもまあリゴベッテへの船に乗れたとも思うのだが。メメラータの船なら心配はないだろう。

 サトナは優秀な船乗りだし、他の面子もベテランだ。船長のダナツはアウェフフと一緒に航海していたというくらいの猛者なのだ。


 不意にロファメトに助力を申し出てきた竜人がヤマトのことを知っていたのは驚いたが、お蔭で彼らが無事だとわかった。

 ダナツの船に乗っているという話も彼から聞いた。


 安心した。

 混乱の中で同行できなかったけれど、ヤマトが無事だと聞いて安心した。

 そして、助力に来てくれた竜人たちは本当に頼りになった。


 サトナがぼこぼこにすると言っていた竜人だと思うが、次に戻ってきた時には少しだけ口添えしてあげようと思う。悪い人ではないのだと。

 働いた分は食べるという感じだったけれど、戦力に限りがあったチザサ、ロファメトにとっては有難い限りだ。



「……」


 いつまでも床に寝転がっていても仕方がない。

 こうしていても、ヤマトはラッサを助けにきてくれたりはしないのだから。

 颯爽と、あの窓を開けて来てくれるならそれでも――いや、やめよう。



 体を起こそうとして、それに気が付く。

 ベッドの下に輝くそれに。


「……?」


 ごそごそと、隠された宝物のようなそれを探ると――


「これって」


 真っ赤な防具に真っ赤な色眼鏡。この色眼鏡は随分と高級そうだ。ガラスとは何か違う不思議な材質で出来ている。


 知っている。町を騒がせていたスカーレット・レディの装束。

 正体はアスカだったはずだが、それをヤマトが回収してここに隠していった。

 意味のあることだったのか、特に意味はなかったのか。



「……わ、ヤマト」


 何がわかったのか。ラッサはそれを消えぬ絆の証のように胸に抱く。

 誤解なのだが。


 時に思い込みが歴史を変えるというのは地球でも例がある。

 それがこの時、このノエチェゼにもあったとしても何の不思議もない。

 世界は、ヤマトやアスカの思いとは無関係に転がっていくし、進んでいくのだから。


「……この町の悪は、私が裁く」


 色眼鏡を装着すると、世界の色が変わった。

 ロファメト・ラッサーナの世界が、変わった。


「この、スカーレット・レディが!」




 ノエチェゼには古くから伝わる伝承がある。

 この町に悪が蔓延る時、真紅の姿をした伝説の怪盗が現れ、その悪を裁くのだと。

 時代を超え語り継がれるその怪盗の名はこう呼ばれる。

 ノエチェゼの真紅、スカーレット・レディ。


 伝説はまだ始まったばかりだ。

 ノエチェゼの真紅の夜は続く。



  ◆   ◇   ◆

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