二_071 借金の形。もう一つの船出
「でぇ、こいつはなんだ?」
「……」
アスカたちは甲板でダナツに詰問されていた。
難しい顔で、両腕を組んだまま。
彼の正面には一つの樽が置かれている。どこにでもありそうな樽だ。あまり身長が高くないダナツ・キッテムの腹くらいまでの高さの樽。
「樽……」
「それを俺が聞いてると思ってんのか嬢ちゃんよ」
「怒らないで、オジサマ」
「やっかましいわい。ちょいと飛びぬけて可愛いからってうちのサトナに比べりゃ色気も何もないわ」
作戦は失敗。
船首の方で風を見ていた女が、深く溜息を吐くのがわかった。
「いや、俺たちも本当にさっき乗ったところで、何も知らないんだ。金なら払っただろう」
金は払った。金貨二枚。二十万クルト。
払わなければ船から落とすと言われたのだから選択の余地はなかったのだが。
ヒュテ・チザサから受け取った黒鬼虎の毛皮も金貨二枚だった。ギリギリ足りてよかったと思う。
一人五万クルト。これは普通の相場らしい。
ヤマト、アスカ、フィフジャに加えて、グレイは連れじゃないのかと聞かれた。なので四人分。
そうじゃなければ解体して食うとまで言われたのだし、グレイも大切な家族だ。一人分として数えてもらってもいい。
銀狼も飲み食いをするのだから、当然それに見合った費用が必要になる。そう考えれば無茶な要求というわけではないだろう。
そもそもがこのドタバタのなかで急遽乗ることになったのだから、追い出されないだけでも有難い。
しかし、樽のことなど言われても何もわからないのだ。
「こいつはな。何でか俺にゃあわからんのだが、借金の返済分なんだとよ」
「私たちにも意味がわからないんだけど」
「そりゃそうだろう。わかったら驚きだぜ。文無し」
先ほどほぼ全所持金を徴収されたところだ。そう呼ばれても仕方がない。
ヤマトはいない。戦闘、負傷、出血の上で治癒術でも相当な体力を消耗したらしく、船室でへばっていた。
当然、個室などというものはないので雑魚寝のような状態だが、贅沢が言える立場ではないことは承知している。
出航自体も予定外だし、乗員としても員数外。本来ならこんな状態で大陸間の船旅などすべきではないのかもしれない。
「っとに、あのバカが何を考えてんだかわかんねぇけどな」
ダナツが乱暴に樽の蓋を開ける。液体などが入った密閉容器ではないので、少しずらせば簡単に開くのだった。
そこには――
「……ん」
黄色い、陽の光を反射するヘルメットが。
「クックラ!」
「知らねえとは言わさねぇぞ。こいつが金貨一枚になるってんなら俺も文句は言わねえがな」
樽の中から抱き上げると、クックラは心配そうにアスカを見つめた。
ごめんなさいとか、そういう顔で。
そんなことは気にしなくていいと、アスカはクックラの小さな体を抱きしめる。
「密航は海に沈める規則だ」
「ああそうだ、ボーガ。海じゃ海の掟を破らねえ。例外を作ったら船も荒れるし海も荒れる」
ぎゅっと抱き着いてくるクックラを抱きしめて、アスカはダナツを睨む。
そんな風に怯えさせなくてもいいじゃないか、と。
「ああ、ええっと……船長。確かにわかるんだが、知っての通り……」
「お前らが文無しなのはもうわかっとるわ。だからこれをどうするか、一緒に考えましょうかっていう提案じゃねえか」
「そんな風には聞こえなかったけど」
「ったりめぇだ。聞こえてたら俺が海に沈むわ!」
わははは、と周囲の船員から笑い声が上がった。
どこがおかしいのかわからないが、海賊ジョークなのかもしれない。
むう、と頬を膨らませるアスカと困惑するフィフジャ。
「こういう場合の作法はわからないんだが、海に沈める以外の解決方法はあるのか?」
「金が払えねえんじゃな。後は奴隷としてその船で働くってぇだけだ。言っとくが甘くはねえぞ、ガキでもな」
ふん、と面白くもなさそうにダナツは言う。
アスカが抱いているクックラの体から少しだけ力が抜ける。
殺されないというだけでいいと思ったのか。それとも、アスカたちに迷惑をかけないということで安堵したのか。
「……その労役を俺が代わっても?」
「構わねえが、それこそ容赦はしねえぞ。それに、言っとくが往復だ。使えねえとなりゃメシの無駄になるから使い潰すことだってある」
使えない奴隷なら食料の無駄だと。
クックラの体がまた硬直する。
「向こうに着けば金の工面が出来るかもしれない」
「……だからって半額にゃならんぞ。掟だからな」
「ああ、それで……」
「フィフ」
勝手に話が進んでいくが、この流れは違う。
クックラのことで何か必要であれば、それはアスカの請け負うべきことであって、フィフジャではない。
ここでクックラを見捨てられないのもアスカがそう望まないからだ。フィフジャが無用な労苦をするのは違う。
責任を取るのはアスカの役割。
「お金って、お金に代わるものでもいいよね?」
アスカはクックラを離して立ち上がる。
真っ直ぐにダナツを見つめると、厳つい顔の船長はやや居心地悪そうに頷いた。
「おぉ、まあな。しかし金貨一枚ともなりゃ……」
「これ」
アスカは自分の荷物から一つの布袋を取り出す。
少し重い。欲張りすぎたかもしれないが、これで役に立つのならそれでいい。いつまでも持ち歩きたいものでもないし。
「あぁ?」
受け取って中身を改めるダナツ。
(こんなこともあろうかと、ってことね)
フィフジャは何が始まるのかと口を出せずにただ見ていた。
「――って、お前こりゃ……ハウタゼッタ石じゃねえか!」
「それで足りるでしょ?」
その中身を覗き込んで一同が口をぽかんと開けている。フィフジャも同じく。
えへ、と笑うアスカに、クックラはおよおよと周囲を見回していた。
「や、ま、……まあ、確かに、だな」
「いったいどうして……?」
フィフジャが疑問を口にするが、にっこりと笑って答えない。
女の子には秘密があるものだと思うので、言わない。
ノエチェゼを出て追ってくる船も見える。目的地が同じで道中の危険もあるので並んで船団を形成するらしい。
ある船の甲板には、生まれ育った町を捨てて新天地を目指す男女の姿があった。彼らもハウタゼッタ石で支払ったのだろう。
別の船には、夢と希望を抱いて海を渡る若者たちの姿もある。
あの混乱の中、出航する船に乗れたのは幸いだったのか、そうではないのか。
どんな選択が正しくて、何が間違っているのかはわからない。後悔は先には出来ないのだから。
「あ、あの……おねえ、ちゃん……」
初めてではないだろうか。
クックラがアスカを姉と呼んでくれるのは。
言葉の少ない子で感情表現が苦手だけど、純真な子だということはわかっている。
「なあに?」
「あの……わたし……」
「バカね、クックラ」
泣きそうな顔でアスカを見上げるクックラに、全開の笑顔を向ける。
今は泣くべき時ではない。
「いっしょに旅をしましょう。思いっきり楽しく生きるのよ」
クックラの表情は固いままだけれど、言いながらアスカの笑顔はさらに輝く。
灰色の瞳に、自分の最高の笑顔が映っているのが見えたから。
「……んっ」
ごしごしと目をこすって、しっかりと頷く。
黄色のヘルメットの下の表情は、この晴天よりもなお輝くのだった。
◆ ◇ ◆
「あのクソババア、戦争でも起こそうってのか」
喧騒から外れて、港から遠ざかっていく船をみながらボンルはぼやいた。
手にした一切れの木板を遊ばせて、少し誇らしげな顔で。
善い行いをした。
あの幼女が事情を説明してくれたら、彼らとの間のいざこざについて多少はわだかまりが解けるはず。あとは連中が何とかするだろう。まあなんとかなるんじゃないだろうか。
そして、借金も返した。
色々と清算した。
この騒ぎに乗じて一番うまく立ち回ったのは自分ではないかと思う所だ。
それと――
「こんな物騒な、
その木板は、ゼヤンがアスカたちに渡していた木板だった。
彼らはそれを、別の村で出したときに聞いたはずだ。
――出来るだけの協力をするように書いてある、と。
出来るだけというのは、常識の範囲でという意味ではなかった。
竜人としての誇りをかけて可能なこと全てに協力しろ、と。
数日の宿と食料を依頼されたから、当然それには応じてくれた。
悪用するつもりであれば、もっと何でも頼むことが出来たのだ。むろん悪用するような要求をしていたら別の反応もされたのだろうが。
「……バカか」
クックラがこれを差し出して来た時にはどうしようかと思った。見なければよかった、と。
銀狼を連れた一行に最大限の協力を、なんて。しかもその一行にこともあろうか弟分どもが悪事を働いたとか、もうどうすればいいのだ。
泣きたい。
知らない振りをしたかったが、がさつだが根は真面目なボンルにそれは出来なかった。
仕方ないので聞いてみた。幼女に。
お前はどうしたいのか、と。
本来の持ち主ではないが、この様子であれば彼らから託されたことくらいわかる。
なら、とりあえずこの幼女の希望を叶えることでこの罪悪感から逃げようと。
幼女は、彼らと一緒に行きたいと言った。泣きながら。
そうと聞いたら竜人ボンル、それを叶えてやるのが己の仕事と。
樽に詰めてダナツの船に持っていったら銀狼が甲板にいた。間違いなくこの船に乗っている。
そこでもう一つ閃いた。
やつらにこれの船代を払わせれば、ついでに借金もチャラになるような……あれ、船代ということだとチャラにならないのか。いやいや俺様の働きで船代が入るんだからやはり借金がチャラになるんじゃないかと。
そこらにいた連中にそれを渡していたら、船が岸を離れようとしたので退散したのだ。間違ってダナツの船に乗って出航など御免だ。
少しだけ、
だが御免だ。こき使われる姿を思い浮かべたらケツがむずむずする。
そうして彼らの船出を見送ることになった。
「こんなもん、縁起でもねえや」
右の拳を木板を叩きつける。他の者が見ていれば軽い一振りだったかもしれないが、その衝撃は木板を微塵に砕く。
粉々になった木板は、波間に散っていった。
ボンルはそれを満足げに見やって、息を吐いた。
◆ ◇ ◆
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