二_070 船出
「そこに寝かせろ。おい兄さんよ、坊主の体を抑えとけ!」
「何を……」
「指ぃ、なんとかしてぇんだろうが。とにかく言う通りにしろや」
不機嫌な様子のダナツの指示にフィフジャとしては従う他にない。
船室の簡易な寝床にヤマトを寝かせて、横からヤマトの体に覆いかぶさった。
「嬢ちゃん、坊主の手と指をちゃんと見ろ。ああ、ちょっと洗え」
アスカは持っていた水筒で指を洗い流す。ヤマトの手の方も洗う。
「うぅっ……!」
「我慢しろ、坊主。出来るだけ動くなよ。嬢ちゃんはその指の傷口を、ちゃんと向きを合わせてくっつけとけ。坊主が暴れてもずらすんじゃねえぞ。ケルハリ!」
「はいはいっす」
ダナツもフィフジャと一緒にヤマトの体を抑えこんだ。
暴れて傷口がずれない為にこうしているのだと思う。
縫うのか。麻酔なしで。
「……」
仕方がない。痛いかもしれないけれど、切れた直後ならうまく接合する可能性がある。
アスカも覚悟を決めた。
生々しい傷口。鋭利な刃物ですっぱりと斬られたその傷口を見て、元の位置に合うように目を離さない。
アスカが繋ぐヤマトの指に向けてケルハリが手を出した。
針や糸は持っていない……のだが。
「まさか……」
フィフジャの声音は、期待とは明らかに違う。
不安、恐れ、猜疑心。そして何かの敵意のような。
しかし状況の為か、それらを飲み込むように首を振った。
「じゃ、やるっすよ」
――!!!
「うっぐああぁぁぁぁっくぁっっ!」
無音だった。
何の音もしない。
ヤマトの叫び声だけが室内に響き渡る。傷を包み込むように広げられたケルハリの指先とヤマトの傷口が光を放ちながら。
「いたいいいいぃいぃ、いたい、やだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「我慢しろ坊主!」
ダナツが叱咤する。
ケルハリは、ヤマトの傷口に自分の両手の指先を向けているだけだ。
アスカは見ていられなかった。
決して強くはないが、傷口に集中する光に――無音だが――発光するそれを直視していられなかった。
「やはり、治癒術か……」
苦々し気なフィフジャの声に、ケルハリの表情が皮肉気に少し歪んだ。
「いだい、いたいぃぃぃぃぃ」
「ヤマト!」
泣き喚くヤマトに声をかける。
なんだかわからないが、治癒術というのなら治るのだろう。痛いかもしれないが、きっと。
兄が痛くて泣きわめくなんて初めて見る姿だったけど、その姿を見るアスカの目にも涙が溢れてきた。自分でも自分の感情がよくわからない。
どれくらいの時間だったのか。
治癒していた時間自体はさほどではなかったようだが、終わった後にはケルハリ以外の全員がぐったりと力を失っていた。
ヤマトは、びっしょりと汗を掻きながら、荒い息を繰り返している。
その右手にはまだ傷跡は残っているものの、つい先ほどまで切断されていたとは思えない状態で指が繋がっていた。古傷のように。
「ま、なんとかなったっすね」
「メメラータを」
一仕事を終えて、アスカは立ち上がった。
疲れているといってもこれは精神的な部分が大きい。それよりも、置き去りにしてきてしまったメメラータをどうしたら――
「あたしならここさ」
入り口を見れば、少し頬を擦り剝いているものの、元気そうなメメラータの姿があった。
その後ろにはボーガの姿もある。
「周辺の騒ぎは少し収まった。出るなら今しかない」
「ああ、そうか」
ボーガの言葉を受けてダナツが外に出ていく。
「出るって?」
出ていくダナツに聞いてみたが、答えはもらえなかった。
そこに残ったメメラータとボーガ、ケルハリが顔を見合わせる。
「出航だよ。繋留してた縄はもう外した。でも港を出るまでは小舟で引っ張るからね」
メメラータが説明してくれる。
言いながら、ヤマトの指が繋がっているのを見て頷いていた。
彼女はケルハリならヤマトを治せると知っていて言ってくれたのだ。感謝の言葉もない。
「い、いかないと……」
「ヤマト!」
話を聞いていたのだろう、ヤマトが立ち上がろうとする。
「そんな体で」
「行かせるわけにはいかん」
ボーガがドアの前に立ち塞がる。
メメラータも、その横で頷いていた。
「お前らは……治癒術士なのか」
低い声で、恨みすら感じるようなフィフジャの視線。
何かを呪うような。そんな表情でフィフジャがケルハリを睨みつけた。
「フィフ?」
なぜそんな顔をするのだろうか。
どういう事情であれ、彼らはヤマトの傷を不思議な力で癒してくれたというのに。
「誰の指図だ?」
「フィフ、ちょっと……」
「黙っていてくれ、アスカ」
頭ごなしに言われる。
先ほど、アスカがメメラータの加勢をすると言った時とは雰囲気が違う。
拒絶。
やはり言葉が出てこなくなってしまうような、拒絶。
「この兄さん、なぁに勘違いしてんだかね」
「そうっすよ。フィフジャ・
「!」
フルネームを呼ばれたフィフジャがケルハリの胸倉を掴んだ。
「よせ」
ケルハリを掴んだフィフジャの腕を握り、ボーガが短く言う。
「大丈夫っすから。ああ、今のは失敗っすね。信用させるために言いたかっただけなんだけど、俺っちの失敗」
ケルハリが制したのはフィフジャではなくボーガだ。
仲間であるケルハリに暴行を加えられそうになって、戦闘態勢に移る姿勢だった。
「まあまあ、俺っちも兄さんとたぶん一緒……じゃないか。むしろ俺っちはほら、教会に見つかったら本当に抹殺されちゃうんで、もう本当に最悪」
「……野良の?」
「そゆことっす。だからリゴベッテからくる教会の関係者のことはかなーり神経質に調べてるってわけで」
「まさかそんな……そんなことが……」
フィフジャが、掴んでいたケルハリの服を離して、俯く。
誤解があったのだと。
「……すまなかった。思わず」
「いやいや、俺っちも安心っすよ。これでお互い分かり合えたってことっしょ」
「わけがわかんないんだけど」
むくれるアスカに、フィフジャは困ったように苦笑を浮かべるだけだった。
ケルハリの方をみても、フィフジャが説明しないことを自分の口から言うつもりはないようで惚けた顔をする。
メメラータとボーガは……どうやらアスカと同じく意味がわからなかったらしく首を傾げた。
「助けてもらったのに、ひどいことをした。許してくれ」
深く頭を下げるフィフジャ。
ケルハリは困ったように笑った。
「まあいいってことで。俺っちもちょいと悪気もあったし。っていうか本当に情報の本人かわかんないっすね。噂を信じちゃいけないなぁ」
どういう噂を聞いているのだろうか。
アスカは気になったが、聞いていいのかどうかわからない。フィフジャの雰囲気からすればあまり楽しいことではなさそうだ。
少なくとも今ここで聞きたがる内容ではないことはわかる。
「それより、ロファメトの家に戻らないと……」
ヤマトは体を起こしていた。
愛用の槍は、部屋の隅に転がっている。真っ青な顔なのにそれを拾おうと。
「さっきも言った。行かせるわけにはいかん」
「どうして?」
「あんたの指だよ、坊や」
無骨なボーガに代わってメメラータが指さす。
ヤマトも自分の指を見て、今更ながらに繋がっていることに疑問を持ったようだ。
「びっくりしただろう?」
「う、うん……」
「坊やが斬られたことを見てる人間は少ないかい?」
聞かれてみて、そうではないと思う。
ゼフス・ギハァトに斬られた時にはプエムの兵士も群衆もいた。
逃げている時にも、多くの人に見られていただろう。指を切断されているかどうかまで判別ついたかわからないが、グレイに吠えさせながら逃げてきたのだから衆目を集めたことは間違いない。
だろうね、とメメラータが続ける。
「今、坊やが町に戻ったら、斬られたはずの指が繋がってるってことになる。そいつはおかしい話になっちまうだろ?」
「それは……でも、ほら。ラッサだって……」
「今の痛みを知っていて、それを自分で治せると思うのかい?」
ヤマトが何を主張しようとしたのかアスカにはわからなかったが、メメラータの言いたいことはわかる。
誰かが、ヤマトの傷を治したということになる。
逃げ込んだのがここだとは知られているだろう。だとすれば。
「俺っちさ、この力を人に知られると困るわけよ。まあこの船の古参連中はみんな知ってるんだけどね」
野良の治癒術士。何か理由があるのだ。知られたら抹殺されると言っていたし。
どうやらフィフジャは正規の治癒術士に対して非常に悪い感情を抱いているのだと察する。
「リゴベッテにまで行けば、坊やのケガのことなんて知られちゃいない。別にいいのさ。船に乗ってる間にくっついたってことでもいい。でも今はダメだ」
わかるね。とメメラータがヤマトに、まるでお姉さんのように言い聞かせた。
ヤマトは座り込み、俯きながら首を振る。
「だけど、ラッサのことも……僕の荷物だって盗まれて……」
「ヤマト」
フィフジャが声を掛けた。
静かに、先ほど興奮してしまった自分を戒めるように、静かに。
「アスカが、この町で狙われている。ただでさえ混乱しているこの町で、プエム家に。さっきのギハァトの奴もそうだ」
「……」
「お前の荷物には思い出の品があったかもしれない。でも、わかるな?」
「……うん」
ヤマトはちらりとアスカを見た。
心残りはある。それでも、選択肢はわかっている。
「姫様のことなら大丈夫さ。チザサと連合で倉庫街に集結したって確認した」
「町の暴動も数日すれば治まると思うっすよ。むしろその後の舵取りの方が難しいってとこですけどね」
「それは……そうか。うん、わかった」
メメラータとケルハリの言葉を受けて、ヤマトは迷いを吹っ切ったようだ。
まだ不安はあるようだけれど、わがままを通せる立場でも状況でもない。
「わかったけど……でも」
まだ顔色が悪いくせに何を言い出すのだろうか。
この上、さらにバカなことを言い出さなければいいのだが、とアスカは思う。また殴ってでも止めた方がいいだろうか。
「……船に乗せてもらうお金、どうするの?」
一同、顔を見合わせる。
考えてなかったの、というように。
アスカはフィフジャと顔を合わせて笑ってしまった。
こんな風に素直に笑ったのは久しぶりの気がする。フィフジャの顔にはまだ憂いが残っていたが、少しだけいつもの調子に戻ったようだった。
言い出さなければ、このままなし崩し的に乗せてもらえたかもしれないのに。
「密航は海に沈める規則だ」
ボーガの言葉は実直で、笑えない冗談だった。冗談ではないのかもしれなかったが、皆が笑うのだった。
話しているうちに、《海のギュンギュン号》はノエチェゼの港から離れていた。
名前を聞いた時にアスカが思わずださいと言ってしまったのは仕方がない。
速そうで強そうだから、という命名らしい。
甲板に上がると、ノエチェゼの港が見えた。
ギュンギュン号の後にも、出航準備が不十分ながら逃げるように港を出てくる船が何隻もあった。
あちこちで煙が上がっているのが見える。
少し離れてみてもノエチェゼの町の全体はわからない。大きな町だ。
ヤマトとアスカが初めて体験した町で、短い期間ながらも色々なことを学べたと思う。
アスカの思いとは別に、ヤマトには深い感慨があるようだ。きっと女のことだとアスカは確信しているが。
天気がいい。
その山々のどこかの麓に伊田家があるのだ。ズァムナ大森林の中に抱かれて。
遠くに鳥の飛ぶ姿が見える。
いつか戻ることがあるのだろうか。このズァムーノ大陸に。
アスカにはわからない。
ヤマトにもわからない。
けれど、こんな風に逃げ出すように出てきた形になってしまったけれど。
また戻りたいと思うのだ。
ここが、生まれ育ったところだから。
(お父さん、お母さん……)
みんなは、帰りたかっただろうか。
生まれ育った故郷で眠りたかっただろうか。
「行ってきます」
アスカは、誰にともなくそう言った。
「きっと、また帰ってくるから」
ヤマトが噛み締めるように言う。
混迷するノエチェゼの町とは違って、海の波は穏やかに彼らを運んでいた。
名残を惜しむかのように、風もゆっくりと船を進めるのだった。
◆ ◇ ◆
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