二_067 戦火のノエチェゼ_3



「ヤマ――」

「近づくなアスカ!」


 駆け寄ろうとしたアスカだが、フィフジャの静止の語調が無視できないほど強い。

 グレイも毛を逆立てて牙を見せていたが飛びかからない。アスカより二歩ほど前で低く伏せたまま。


 中年から初老の小柄な男。

 決して筋肉質には見えないけれど、ヤマトの反応を上回る速度で凄まじい剣撃を放った。その男を睨みつけながらフィフジャが唸るように呟く。


兇刃狂きょうじんきょうゼフス」

「……ラボッタの所にいた小童こわっぱか」


 フィフジャを認めて、その男は少しだけ目を見開いて言った。


「腕が立つのも納得だ。奴の関係なら――」

『ガァァァッ!』


 わずかに視線がフィフジャに動いた瞬間にグレイが飛び出した。

 敵の危険度がわからないほど鈍くはない。だが、仲間を守る為に戦うことに躊躇うような性分でもない。


「魔獣風情が」


 グレイの動きは人の目に止まらないほどの速度だ。

 だがその男の剣閃は見えない。そして握っている武器は、風の刃を飛ばす魔道具。

 地面に向けて横に薙いだ。四つ足の魔獣であるグレイの避ける範囲を限定するように。


『ッ!』

「ほぅ」


 グレイの爪が、その見えない風の刃を斬り払う。

 さすがにそれは想像していなかったようで、フィフジャが兇刃狂と呼んだ男の喉から感嘆の息が漏れた。


『グワァン!』


 斬り払ったところから、さらにグレイの速度が加速する。

 まさに銀色の光の一閃のように。

 その男――ゼフスの剣閃の速度と変わらない速度で突っ込むなど、普通の生き物に出来る挙動ではない。


「だが」


 動きは直線的。獣だからできる速さでも、フェイントなどの駆け引きはない。

 そしてゼフスの剣速はその速さに劣らないのだ。

 正確に、確実に。今度は風の刃ではなく金属の刃がゼフスに食らいつこうとするグレイを捉える。


「グレイ!」


 アスカも駆け出す。だがとても追いつかない。フィフジャもその後を追う。


「しね――」

『ンッ!』


 曲刀を持つゼフスの手が弾かれた。

 グレイが、高速で回転した際に何かで――アスカの目では見切れなかったが、甲高い音を立てて弾かれた。



「こやつっ!? 普通の魔獣では――」


 曲刀を握りなおすゼフス。

 回転して駆け抜けたグレイの体を、今度こそ両断しようと、上段に構え。



「――っ!」

「ぬぁっ!?」


 そのゼフスの体が、観衆の中に突っ込んだ。


「やらせ、るかぁ!」


 ヤマトだった。

 指を切られ、血を滴らせながらゼフスの後ろから思い切り体当たりをしたのだ。

 斬られてから数秒。そんな短時間で戦意を取り戻すとは思わなかったのだろう。グレイが見せた猛攻の為に完全に意識から外れていた。


(違う、ヤマトも速かった)


 ゼフスは何もヤマトを無力と見ていたわけではない。確かに注意を逸らしていたが、それでも無力化したとは見ていなかった。

 ヤマトの突進が、グレイの動きに近いほどの速度だったから反応しきれなかっただけだ。



「逃げるぞ! アスカそれを頼む!」


 フィフジャが声を掛けたのはアスカを促す為ではない。

 転がっているヤマトの指に一番近かったのがアスカだったから。それを拾えと。


「ヤマト、グレイ!」


 拾う。兄の指を、切断された二本の指を、血に汚れるのも構わず拾う。

 ヤマトは顔を苦痛に歪めながら一緒に駆け出す。

 だが――


「っ!」


 観衆も、プエムの兵士も入り混じった中。

 ヤマトのリュックサックを手に引っ掛けて逃げていく小柄な背中。

 盗人だ、と思ったところで――


「無理だ! わかれ!」


 フィフジャの悲鳴に近い絶叫。

 アスカにも意味はわかった。それを追っている猶予はない。


「ヤマト、走って」


 苦痛に顔を歪めながら走るヤマト。

 グレイと共にその後ろにつく。

 痛みのあまり、自分の荷物が奪われたことに気付いていないかもしれない。

 槍だけは、無事な方の手で握って離さない。こちらは握っていることさえ忘れているかもしれない。



「どけ! どいてくれ! グレイ!」


 フィフジャの声に応じてグレイが先頭に駆け出す。その後ろ脚にも赤い一筋の傷が見えるが、走る速度はアスカよりも早かった。


『ウァンッグァン!』


 グレイを先頭に立てて吠えながら進めば、行く手にいる人たちも血相を変えて避ける。


 その方向は、町の出口とは逆方向だったが、今更道を選ぶ時間はなかった。



  ◆   ◇   ◆



「……これではゾマークを叱れんな」


 重なり合って倒れ込んだ兵士や町民を退けて立ち上がり、軽く服の裾を払う。


 あの年齢で、指を切り落とされた精神的な動揺や苦痛を即座に切り替えて、斬った相手に向かって突っ込むとは想定しなかった。

 過酷な訓練をしていたとしても有り得ない。

 どこか頭のネジが飛んでいるのでもなければ。心が壊れた狂戦士でもなければ。


「ラボッタ・ハジロ……あの男ならそんな人間を育てるか」


 逃げて行く背中はかなり遠くなっている。追って追えないこともないほどの距離だったが、ゼフスが追うことはなかった。



 ゼフス・ギハァト。

 ギハァト一家の当主であり、兇刃狂と名を響かせる剣士。


 交通手段が限られるこの世界で、海を渡るほどの武名を存命中に残すというのはさほど多くはない。

 その武名でプエムの先代の当主に気に入られ、用心棒のように雇われた。


 港町というのは悪くない。気が向いたら他の大陸への渡航も融通してもらえたし、この町ではそこそこ快適な暮らしが出来ている。

 それでも雇われているのだから、雇い主の意向には沿う。


 ヤルルーを負傷させて侮辱したという者を捕えろと言われればそうするし、殺せと言われれば殺す。

 町のコソ泥・・・がその一行の情報を持ってきた。兄妹と連れの探検家。それと魔獣が一匹だと。


 兄の特徴を聞いたゾマークが嬉しそうにしていたのは、これの悪い癖だと思っている。腕が立つ相手だと聞くとすぐに戦いたがる。己の腕を誇示したがる。

 ゼフスも昔はそうだったので理解できないわけではないが、ゾマークの腕は稚拙だ。本能的というか魔獣的というか。


 だから兄たちには及ばない。人間を相手にするにはただの力比べだけではないのだから。

 技術、観察力、駆け引き。その上での身体能力が必要だが、なまじ身体能力が高く大抵の相手にそれだけで勝ててしまうのでそこに落ち着いてしまっていた。


 戦いの技術ということで言うのならゼフスは良い見本を知っている。苦い記憶だとも言えるが。


「ラボッタのことだ。儂の家名までは伝えていなかったのだろうな」


 先ほどゼフスを兇刃狂と呼んだ若者のことを思う。

 リゴベッテ大陸で最強と名高い魔術士ラボッタ・ハジロ。それと戦った時に見物していた少年がいた。弟子だと言っていたはず。


「相手がラボッタの一派だというのなら、こういうこともあるだろう。ゾマークも運が良い」


 つい先ほどまでは、この不出来な三男をどうしたものかと考えていたのだ。

 ギハァトは武力を売り物にしている。この町である程度好き勝手な暮らしをしていられるのも強者としての看板があってのこと。その看板に泥を塗った。

 生きていたら家名を剥奪して追放しようかと思っていたのだが、少し事情が変わってきている。



「ラボッタの弟子が仕掛けてきたというのなら、それはそれで悪くはない」


 海を越えて武名が響くのは限られた者だけ。

 そういう意味でいうなら、ラボッタ・ハジロという名は兇刃狂よりも鳴り響いている。

 情報に敏い者であればもちろん、町の酒場でもリゴベッテの大魔導師という題目での英雄譚を聞いたことがある者は多いのだから。


 それほどの男の関係者との闘いというのなら、それはそれで武名と言える。

 案外、この敗戦がゾマークには良い薬になることもあり得る。

 悪いことばかりでもない。

 さらにギハァトの名を高める機会が訪れたと考えてもいい。


「あの方角ならば……そう、勝てるのなら尚のこと良い」


 手にした曲刀に薄っすらと残る血の跡を見る兇刃狂ゼフスの口元には笑みが浮かんでいた。



  ◆   ◇   ◆



 走る。

 走り続ける。

 後ろから追ってくるものがあるのかどうか確認している余裕はない。


 大森林を抜ける時もそうだった。

 あの時は生い茂る木々の中を走っていた。今は怒号や悲鳴の飛び交う町の中を走っている。


 門に近い場所から港に向かって進むにつれて、だんだんと混乱がひどくなっていく。昼はもう過ぎたのだろうか。この混乱がいつまで続くのか、終わりがあるのか。アスカにはわからない。


 手の中には少しぬめった感触があった。決して良い感触ではないが、失いたくないと思う。

 思い返せば、あの瞬間の出来事が再生できる。脳裏に焼き付くというのはこういうことか。


 あの男が剣を手にしてから逃げ出すまでは、十と少し数えた程度だ。初撃を目で追うことは出来なかった。

 直前に戦っていたのがゾマークのような直情型だったせいもある。自然体で予備動作なく襲う必殺の一撃を、よく咄嗟に防いだと思う。


(さすがだよね、ヤマト)


 実はそれは、意味もなく戯れに不意打ちを仕掛けるアスカとの日常で培われた危機予測でもあったのだが、アスカにはそれはわからない。

 ただ無事で良かったと。

 グレイも、ヤマトが戦う意思を失くしていないと知っていて仕掛けたのだと思う。注意を逸らす為に。


 全力での突進からの回転攻撃は初めて見たが、今思えば最初から敵の武器を弾くことに集中していたようだ。ゼフスを倒そうというのではなく。

 獣なのに、敵を攻撃する意外のことを考えるものなのかわからない。ゼフスもグレイの行動を普通の魔獣ではないと言ったようだった。



「ち、またか……」


 フィフジャが舌打ちと共に足を止めた。

 前方に、グレイの咆哮を受けても動こうとしない男がいる。短い黒髪で、その背丈は非常に高い。他の兵士たちより頭半分以上。

 魔獣の牙を向けられても動じない男がリーダーだからか、赤服の兵士たちも逃げ出そうとしない。待ち構えるように。


「プエムの命だ。逃がさん」


 短く端的な言葉。

 背中に背負った長大な剣を手にすると、抜いた鞘を隣にいた兵士に預けた。

 長すぎて背中から直接は抜けないらしい。



「あれは、最強の……」


 ヤマトが呻く。


「知ってるの?」


 アスカの問いかけに頷くヤマトの顔色が悪いのは、ケガのことだけでもなさそうだ。

 最強と言ったか。

 それが先ほどの兇刃狂とやらよりも強いという意味なら最悪だ。妖魔クラスの敵だと思っていい。全員でかかる必要がある。

 だが、今の手負いのヤマトでは――



「あんたたち、こっちだよ!」


 なぜ、呼ぶのだろうか。

 助けてもらう義理がない。

 わずかに見覚えがある程度の誰かが、町に不慣れで大通りを駆けていたアスカ達を路地の方に誘導するように呼ぶなんて不自然すぎる。


 アスカもフィフジャも戸惑ったのだけれど、ヤマトは相手を見て弾かれたように走り出した。どこに行こうというのか。

 また騙されるかもしれない。また襲われるかもしれない。

 少しだけだったが気を許した相手に裏切られたアスカには、悪い可能性が捨てきれない。


「行くぞ!」


 フィフジャに言われて、迷っている暇はないと駆け出した。

 細い路地。見知らぬ道。

 それはツウルウに連れて行かれた場所と――場所はまるで違うが――同じ道に見える。

 この先に出口はないのではないか。罠があるのでは。


「……」


 考えても仕方ない。さっきの道にはプエムの兵士の待ち伏せがあったのだし、後ろから追ってくる敵もいるはず。

 この、意図のわからない女についていくしか……



「なぜ助ける?」


 走りながらフィフジャが訊ねた。前を走る長身の女に。


「ああ? それは……なんでだろうね。坊やが見えたからさ」


 走りながら意味のわからない答えを返す女。竜人りゅうびとの。

 ヤマトは苦痛に顔をしかめながら笑いを漏らしたようだった。


「ありがとう、メメラータ」


 知り合いらしい。アスカの見ていない間に、兄はこの町でいったい何をしていたのだろうか。女たらしだろうか。


「って、あんたその手……ああーもう、こっちだよ」


 ヤマトのケガに気が付いたようで、路地を曲がりながら走る。


「こりゃ大将にどやされるね」

「追い付かれるぞ!」


 走っているうちに開けた場所に出てくる。



「!」


 眩しい。

 港だ。出航準備をしている船の回りでも荷物の奪い合いのようなことがあちこちで起きている。

 船の乗員側も略奪者から荷を守ろうと抵抗していて、転がって呻いている人たちも少なくない。隅っこで泣いている人も。

 最初に来た時に見た平和な港と同じだとは思えない惨状。


 後ろからは兵士たちの気配も近づいてくる。



「ち、仕方ないね。あんたら先に行きな。あの船だよ!」

「しかし」

「だぁぁっ!」


 フィフジャの言葉を遮るように、道脇に置いてあった木箱を今抜けてきた路地に向けて投げ込んだ。

 空だったらしい。中身は既に奪われた後なのか。


「あたしの名前出しゃいい。ヤマト、うちの大将はわかるだろ」

「だけど……」

「やっかましい、さっさと行くんだよ! これでもゾカの村じゃ一番の女戦士だってんだ! 怪我人やガキなんざ邪魔だよ!」


 メメラータは言いながら転がっていた壊れた樽の切れ端を両手に持つ。とりあえずの武器として。

 その姿は確かに女戦士と称するに相応しいのだが。


「指はケルハリに見てもらいな。大将にはあたしがそう言ってたって……もう行きな!」

「すまない、恩に着る」

「でも――」

「ヤマト!」


 フィフジャは頷いてヤマトの背中を押して強く呼んだ。

 まだ戸惑うヤマトに、


「お前を船に乗せたら俺が戻る。早くしろ!」

「う……うん」


 血の気が薄くなってきているヤマトがいても満足に戦えるわけではない。

 フィフジャなら戦える。戦うというのならフィフジャだけでなく――


「私だって」

「ダメだ!」

「バカを言うな!」


 言いかけたアスカに、思いのほか強い語調で叱られた。

 思わずアスカが言葉を飲み込むほど。

 怒っている。二人が真剣に怒って、アスカの発言を封殺した。


(私……)


 お前は安全なところにいろ、と。

 心配されている。負担になっている。

 二人の気持ちに安堵している自分もいるのがわかる。

 大森林でそんなことを思ったことはなかった。こんなことで気持ちが落ち着くなんて感じたことはなかった。


 人間の町は怖い。

 そういう言葉を聞いて、実際に町に来てみて、ほとんどの生き物がアスカより弱いのに。

 それなのに、隠された悪意や集団での狂気が、自分が思っていた以上に自分に不安を与えていたのだと実感する。まだ年若いアスカには町の人間の欲望が強いストレスになっていた。


 気持ちの悪い生き物だ。

 獣と違う。

 だけど――



「ありがとう、メメラータ」


 悪い人ばかりでもない。彼女は何を思ってアスカたちを助けてくれるのか。何の見返りがあるのか。

 見返りなどないのか。



 長身の竜人は、アスカの礼に背中を向けたまま手を振った。

 かっこいい。

 アスカもああなりたいと、そう思うのだった。



  ◆   ◇   ◆

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