二_066 戦火のノエチェゼ_2



「いくぜ」


 踏み込み。

 速かった。七歩ほどの間が一足で詰められる。


「!」


 石畳を弾くゾマークの蹴り足にやや驚きながら、曲刀の軌跡を目で追う。

 無造作とも思える横薙ぎ。だが無駄な軌道のないその動作は速い。


「ふんっ」


 それでも見えている。ヤマトの槍の柄がその刃を跳ね上げる。


「おぉ」


 かなり強めに跳ね上げた。武器を手放すかと思ったが、弾かれた強さに驚くだけで手放しはしない。

 左手一本で、一度上に跳ね上がった曲刀を今度はやや下段から振り上げてくる。掬いあげるように。



「そんなの」


 後ろに下がってその剣閃から離れた。


「っ!?」


 衝撃があった。完全に回避したはずの剣閃の軌道から。


「そこだぁ!」

「くうっ!」


 距離を詰めて、今度は上段から振り下ろそうとするゾマークに、ヤマトはさらに距離を詰めた。

 曲刀の間合いよりさらに近い位置。肉薄したその状態ではヤマトの槍の方がより使いにくいようだったが。


「はぁっ!」

「ぶぉ!」


 ヤマトの気迫の一息と、ゾマークの肺から絞り出される空気。

 腹を打ったのは、ヤマトが極端に短く握った槍の石突。

 槍の先端側はヤマトの後方に長く伸びている。穂先と反転させたのだ。



「ぐ、ぇ……」


 苦し気に息を吐きながら下がるゾマークに、ヤマトも少し距離を取った。

 一気に攻めても良かったのかもしれないが。


「つ、ぅ……」


 見れば、左胸から肩にかけて斜めに裂けている。

 服が裂けて、覗いたヤマトの肌から血が垂れていた。


「魔道具か!」


 フィフジャの声に、観衆のどよめきも重なった。

 下段からの切り上げてくる一撃は避けたはずだった。どうやらその先に延びるような斬撃らしい。



「KAMAITACHI」


 風の刃とでも言うのだろうか。傷口を手で触れるとひりひりとするような痛みがあった。夜中に打ち合った時に間合いが掴めなかったのもこれのせいだったか。

 あまり深くはない。表皮を斬られた程度。服を斬られたことの方がショックなくらいで。



「……やるじゃねえか。やっぱりお前、おもしれえな」


 腹をかなり強く突いたつもりだったが、ゾマークは口元を拭いながら笑うだけの余裕があった。

 普通の人間なら悶絶しているはず。


「僕は面白くないんだけど」


 破れた服のことで少し憂鬱な気分になりながら応じる。


「じゃあ、こっからは本気だぜ。簡単に終わんなよ!」


 これまでが何割の力だったのか不明だが、踊りかかるゾマークの狂気は数割程度増しているように感じたのは錯覚ではなかった。


 速い。

 ゾマークの剣は速いし、右と思えば左といったように息を吐かせぬ連続攻撃に目が追い付かない。

 上品な剣術というわけではなく、どうやったら人を斬れるかということを考えて――考えてはいないかもしれないが、とにかく本能でそうしている。

 防戦に追い込まれ槍を突く暇がない。


 どうやら風の刃のようなものは、曲刀を振りぬいた時にしか発生しないらしく、受け止めたり弾いたりした時にはなかった。

 両手で振りぬいた時の方がより威力が強く、遠くまで届く。


 ヤマトがさっき受けた攻撃は、左手一本だけで風の刃が上方に向かって抜けて行ったのは幸いだった。

 まともに受ければ深手になる。

 両手で振り下ろした際には、石畳にさえ人差し指くらいの深さまで傷跡を残していた。生身でくらえば下手をすれば腕を落とされる。



(これが怖くて周りの兵士は距離を取っていたんだ)


 随分と規則正しく距離を保つものだと思ったのだった。


「だけどさ」


 ヤマトは思うのだ。

 フィフジャの言ったことはやはり正しいと。


 ――槍に頼りすぎだ。


 大森林で戦っていた時にそう言われた。そういう自覚はなかったが、その後から意識的にこの愛用の槍を道具の一つだと割り切るようにした。

 そうしてみて初めて、頼っていた部分や、手にした武器を中心にしすぎて視野が狭くなっていたことに気が付いた。


 有用な武器も道具の一つに過ぎない。

 生身で出来ない部分はそれを活用するとしても、それ以外の選択肢も常に考える。


 ゾマークは違う。

 確かにこの曲刀を振るう腕は侮れないが、どうにもそれだけだ。攻撃はとにかく曲刀中心というかそればかり。

 だから対処できてしまう。彼と同じ程度の速度で動けて、彼と同じ程度以上の反射神経があれば。



「ぬぁぁぁぁりゃあああっ!」


 横薙ぎを受け止めたヤマトの槍ごと強引に押し込もうとするゾマーク。

 その力も無意識に身体強化をしているのか非常に強力だ。


(でも、巨大ブーアほどの突進力じゃあない)


 比較対象として適切かどうかはわからないが、ヤマトが槍から感じる力はそこまでではない。

 両足で踏み留まることも出来る。

 拮抗したところから、一気に押し退けることも。


「はああぁつ!」


 全力で、一気にゾマークの体を吹き飛ばす。

 たたらを踏んで後ろによろけるゾマーク。

 その額には疲労の色と共に戸惑いの表情が浮かんでいた。



「て、てめぇ……」

「ヤマトだ」


 軽く槍を振ってもう一度名乗る。

 ゾマークの右手が強く握られ、ぶるぶると震えた。


「なんで……なに手ぇ抜いてやがるんだ」

「……」

「今だって俺を斬れるだろうがよ。その槍で突き殺せただろうが!」

「なんで簡単にそんなことを言えるんだよ!」


 ヤマトも言い返す。

 否定はしない。押し返して姿勢を崩したゾマークを突き殺すことも出来ただろう。

 だが、出来たからといってそうするかどうかは別の話というだけで。


「バカか、戦ってんだぞ!」

「僕は別に戦いたくなんかないんだよ、あんたと。追ってこなければそれだけじゃないか」

「ふざ、け……殺さなけりゃ殺されるかもしんねえだろうが!」


 ヤマトの言葉が率直だったせいか、ゾマークの言葉も稚拙なものになる。

 単純な理屈。

 けれどそれはゾマークの理屈だ。



「あんたのそれは怖いからだ。殺されるのが怖いから先に殺すってバカバカしい」

「ば、か……」

「弱いんだよ! あんたは弱いから、相手を殺さないと怖くてたまらないだけの弱虫だ!」


 苛々する。

 相手がバカだから苛立つなんて初めての経験だった。喧嘩をする相手なんてこれまではアスカくらいしかいなくて、口喧嘩でアスカに勝てた記憶がない。



「死んだらお終いなんだ。自分も、他の人も。簡単に殺すとか言うな!」

「あ、あまっちょろいこと言ってんじゃねえぞガキが!」

「僕はお前なんか怖くない!」


 槍を突きさす。

 石畳に。


 とんっと乾いた音を立てて石槍が石畳に突き立つ。軽く突いただけだが、いつも通り相当な貫通力だった。



「そんな武器に頼って人を斬って強いような顔をしてるだけのお前なんか怖くないんだ」

「なめやがって……」


 ちらりとアスカの方を見ると、軽く肩を竦めるだけだった。

 フィフジャは困った様子だったが、アスカが心配していないので諦める。

 グレイは静かに座っている。ヤマトの戦いをきちんと見届けるという風情なのが少しおかしい。

 信頼されている、のではないかと思う。



「来い、ゾマーク・ギハァト。遠慮しなくていい」

「……ぶっ殺してやる」


 ゾマークが両手で曲刀を構える。中段、向かってやや右斜め。

 やや前傾の姿勢で足に力を溜めて、一気に解き放つ。



「死ね!」


 踏み込む前だった。

 ヤマトに向けて踏み込んでくるより先に、薙ぎ払った。


 見えない風の刃がヤマトを襲うのと共に、そのすぐ後ろからゾマークの二撃目が猛烈な勢いで襲ってくる。

 一人時間差とでもいうのか。先に撃っておいてその後ろから飛び込んでくるとは。


 そんな使い方もあるんだと思わずちょっと感心してしまった。

 最初に振るわれた刃はヤマトの胸の高さあたり。身を伏せて躱す。


「そこだぁ!」


 風の刃の軌道を避ける為に身を低くしたヤマトに向けて、ゾマークの曲刀が振り下ろされる。



「陽炎」


 別に言う必要はなかったが。

 せっかくの見せ場だ。この町では全く活躍の場がなかったけれど、今この瞬間はヤマトが衆目を集めている。

 振り下ろす刃はヤマトを捉えていた。身をひねってもまだ、肩口あたりを切り裂いて重傷を負わせていたかもしれない。



「なっ?」


 だがもう半歩でもズレたなら。

 父から教わった技術。強靭な筋力で足の指を弾いて半歩ほど自分の位置をずらすと、足さばきとは異なる挙動で間合いを外すことができる。靴を履いていなければもっと動けるのだけれど。

 振り下ろす曲刀はヤマトの体をすり抜けるように石畳に叩きこまれ、目標を見失ったゾマークはつんのめるように重心が前に傾く。


「にぃ?」


 慌てて体を引き戻そうとするゾマークの足を、後ろから思い切り掬い上げるように蹴り上げた。


「うぉぁっ!?」


 上半身を引き戻そうとしていた力と、膝裏辺りを後ろから蹴り上げられた力で、ゾマークの体が宙に浮く。

 水平に。

 その上に、両手を握り合わせて振り上げるヤマトの姿があった。


 バランスを崩したゾマークの腹に向けて、全力を込めて両手でハンマーを振り下ろすように叩きつける。

 そのまま石畳まで打ち砕くくらいの気持ちを込めて。



「やああああぁぁっ!」

「ぼうぇっ!!」


 ヤマトの両拳と石畳に挟まれたゾマークの体躯が悲鳴を上げて、臓腑にあった空気と共に唾を吐いた。

 そして、そのままぴくりとも動かない。

 がらんと音を立てて宙を舞っていた曲刀が転がった。


「イダ・シンリン流、大槌」

「……何それ」


 言ってみただけだが。

 何となくうまく決まったような気がしたので。技名は咄嗟に浮かばなかったけれどとりあえず。



「おぉ、あの小僧がゾマークを……」

「すげえ、今の見えたか?」

「なにもんだあの小僧。イダシンリンリュウって……」


 観衆にも少しウケたみたいで、良かったのではないか。

 とりあえず殺したつもりはないのだが、最後は加減をしなかったのでもしかしたら命に別条があるかもしれない。


 頭に血が上って色々と命がどうとか言ってしまった手前、死んでいないといいなとは思う。

 少なくとも当分はまともに動けないはず。内臓にダメージがあるかもしれないし、叩きつけた際に骨にもいくらか損傷があっておかしくない。

 浮いた姿勢から叩きつけられたわけで、受け身が取れる体勢ではなかった。



「僕の勝ちだね」


 石畳に刺していた槍を引き抜く。

 ゾマークの傍に兵士たちが駆け寄ってきた。こちらへの攻撃の意思はない。強いリーダーがやられて腰が引けたのだろう。

 ほかの観衆も恐る恐るといった風にゾマークの様子を窺っている。


 かひゅ、という呼吸音が聞こえた。少なくとも呼吸はある。

 白目を剥いて完全に力を失ったゾマークの姿に、観衆のどよめきがやや大きくなり、ヤマトの戦いぶりを賞賛するように広がっていった。


 ――お、おぉぉぉ!


 暴動のことよりも、今だけはこの戦いの余韻に浸るように。



「……」


 とりあえず町を出る道は開けたかなと思ったところで、群衆の中から初老と言っていいくらいの小柄な男性が歩み寄ってきた。

 迷う様子もなく、石畳に転がったままのゾマークの剣を拾い上げる。


(あの剣、高いのかな? 盗まれたら……)



「逃げろヤマト!」


 何と言われたのか。

 言われた時には既にヤマトは槍を盾のように構えていたと思う。

 構えたと思った時には、既に鮮血が舞っていた。


「ヤマト!」


 アスカの悲鳴。


(悲鳴?)


 なぜ悲鳴を、と考える意識が遅い。

 順番がわからない。

 どういう順序で物事が進んでいるのかわからない。



「あ……あ、ああ……っ……」

「ふむ、槍ごと真っ二つかと思ったが」


 二本、足りない。

 槍を握る指が、二本足りなくなっている。

 見えないほどの速度で、巨大ブーアの突撃を超える力で振るわれた曲刀が、構えた槍を押し込んでヤマトの右手の小指と薬指を宙に舞わせていた。

 真っ赤な鮮血と共に。


「中々腕が立つようだな」


 小柄な男は、まるで人を斬るのがごく自然なことのように、何でもないように、己が振るった曲刀の刃を眺めていた。



  ◆   ◇   ◆

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