二_064 その名を知っている
「全員、突撃だ!」
終わりではない。
ヒュテとジョラージュの戦いが終わったからといって、これで終わりではなかった。
弛緩した空気の中、崩れるミァレとウュセのキキーエ親子。まだ困惑から立ち直り切っていない七枝の面々と、指導者を失ったヘロの白装束の兵士たち。
そこに向けてなだれ込んできたのは――
「なんと、プエムか!」
アウェフフが驚愕の声を上げ、全員がそれを認識した。
赤い服の兵士たち。軽く百は超える。
チザサとヘロの決着がついたところに向けて一斉に向かってくる。その人相はどれも凶悪な雰囲気で、兵士というよりは強盗団といった風情。
ある意味、海賊的な気質をもっとも色濃く受け継いでいる集団かもしれなかった。
「こいつは想定外だ」
「そればっかりじゃない!」
「ごもっとも」
向き直って迎え撃とうとしながらもあまり緊張感のないヒュテに、ラッサが文句をつけた。
戦いを終えて精魂尽きたような雰囲気だったけれど、事態が変わればそうも言っていられない。
「ええい、あのプエムがこんな……」
「兄ばかりだと思ってもらったら困りますねぇ」
毒づくアウェフフに兵士たちの中から声が響く。
向かってくる兵士の中で、一際にやけた顔の男が。
「ヨーレンか」
「こういう機会は百年に一度もないのでね。ついでなので全員片付けてしまおうかと」
言ってる間に既にプエムの兵士たちはチザサの兵士たちとの戦闘……殺し合いに突入していた。
虚を突かれたことと数で圧倒的に負けていることで、瞬く間に形成が不利になっていく。
「ちい、一度引くぞ!」
既に七枝の面々は逃げ出している。
野次馬たちも巻き込まれては大変だと散り散りだ。
「そうしかなさそうだ、ねっ!」
ヒュテが光弾を――今までより明らかに大きなものを作り、掲げる。
「避けなよ!」
巨大な光弾に、慌てて敵も味方もその着弾地点から逃げ出す。
魔術などまともに食らえば大怪我なのだから当然。それも特別に巨大な。
――バンッ
と、まるで風船がはじけるような音を立てて、ちょっとした熱風と共にそれが破裂した。見かけと違って大した力は込められていなかったらしい。
はったりだとプエムの兵士たちが気づいた時には、既にチザサとロファメトの手勢は背中を向けて走り去るところだった。
◆ ◇ ◆
「アスカとフィフは!?」
走りながらヤマトが聞いたのは、分厚いマントを二重に着込んだまま走っているヒュテに。
「え?」
「その黒鬼虎の毛皮、持ってきたんでしょ!」
「ああ、妹さんか。町で騒ぎが起きたらロファメトの家に行くようにいったけど」
すれ違いだったらしい。
追ってくる赤い服の兵士たちや、町のあちこちで起きている暴動。
こんな中をどうやって――
「逃がさねえぞ、坊主」
ヤマトたちの行く手を遮る一団があった。
「こんな時に……」
「こんな時だからだぜ。いい具合に盛り上がってきてんじゃねえか」
幅広の見事な拵えの片端の曲刀をかざすのは、ゾマーク・ギハァト。
「知り合いかい?」
ヒュテがヤマトに訊ねる。
「知らないんですか?」
「いんや、知ってるけど」
じゃあなぜ聞いたんだ、と言いたいが。
「おいお前ら、邪魔すんな!」
ゾマークが声を掛けたのはヒュテたちではない。他のプエムの兵士たちだ。
ゾマークの周囲にもいるが、話している間にも後ろから迫ってくる。その兵士たちに向けて。
「こいつは俺の相手だ。邪魔したらぶっ殺すぞ」
追いすがってきたプエムの兵士たちに言い放つと、言われた方は戸惑うように顔を見合わせる。
異なる上の立場の者からの指示に、どうしたらいいのかと。
「いえいえ、困りますよゾマークさん。そこにはヒュテ・チザサとロファメト・アウェフフがいるんです」
「ヨーレンさんよ、俺の勝負の邪魔はすんじゃねえ。他のはどうでもいい」
それはよかった、とヨーレンが言うが、挟まれた形でヤマトたちは動けない。
対する相手も、どこに手を出していいのか悪いのか、やや膠着状態に陥る。
「俺は全体の指示もあるから、手伝ってやれないが」
「うん、大丈夫。行って」
ヒュテにはヒュテのやることがある。チザサの兵士と共に態勢を立て直さなければプエムとやり合うことは出来ないだろう。
ゾマークがヤマト相手に喧嘩を吹っ掛けたいだけだというのなら、ヒュテがここに留まる必要はない。
「わしらも行くぞ」
アウェフフも同じだ。ヤマトの個人的な仲間ではなく、町のことを考えたらヒュテの補佐をしなければならない。
「行かせませんよ。行けると思いますか?」
ぬううう、と唸るアウェフフ。
プエムの兵士たちの後方で別の戦闘が起きている。
見れば、ロファメト三兄弟やそれに従う人たちがプエムの兵士と衝突していた。だが数は十数人で、プエムの兵士を蹴散らすほどの勢いはない。
あれでは程なく疲れてやられてしまうのではないか。
朝からヘロの兵士との戦闘もこなしているのだ。疲労もしていれば怪我をしているかもしれない。
状況は不利。
せめて前方のゾマークが素通りさせてくれればいいのだが、ゾマークはともかく付き従うプエムの兵士たちはそれを許してくれそうにない。乱戦となればゾマークも嬉々としてこちらを攻撃してくるだろう。
前方の数は少ないがゾマークは危険だ。どうすれば。
「ぬぉあああああああああぁぁぁぁぁっぁぁっ‼」
唐突に、後方に集まっていたプエムの兵士たちの一角が崩れた。
横から思い切り何かにぶん殴られたように。
「な、何事ですか?」
ヨーレンが、自分のすぐ後ろで起きた襲撃に声を上げた。
兵士が数人、一撃で吹き飛ばされたのだ。驚かない方がおかしい。
「てめえら、勝手なことばっかしてんじゃねぇぞ!」
それをアスカが聞いたらどう思うだろうか。
ヤマトは、こんな状況なのに少しおかしかった。仕方がないではないか。彼はどちらかというと身勝手な印象の強い人なのだから。
「き、貴様、何者だ!」
「あァん? 俺様か?」
ヨーレンの問いかけに対して、彼は親指で自分を示す。
「俺様はこのノエチェゼの警備隊長――」
赤い兵士の集団の真っただ中に現れて、彼は自信満々といった顔で言い切った。
自称のはずなのに、ノエチェゼの正規の兵士の目の前で。
「ボンル様だ!」
知っている。自信家でがさつだけど、真っ直ぐな心根の竜人だと。
「知らん。こいつも一緒にやってしまえ!」
「させぬわ!」
ボンルの横やりを好機と見てアウェフフが突っ込む。
それに続いてチザサの兵士たちも。ヒュテも一緒に、青陣衣を脱ぎ捨てて黒鬼虎の毛皮を頭からかぶった姿で。
黒い毛皮を纏った戦士。
(やべ、かっこいい)
思わず見とれてしまうヤマトが、はっとゾマークに注意を向けると、彼もヒュテの黒鬼虎装備に目を奪われているところだった。
ヤマトと目が合うと、ちっと舌打ちして頬を掻いた。すぐさま問答無用で襲ってくる様子ではない。勝負の為にヤマトに腹を決める時間をくれているようだ。
リーダーがああいう目立つ装備で先頭に立って戦うというのは、本当に味方の士気を高めるものなのかもしれない。
入り乱れていく乱闘が、数では劣るものの少しずつチザサ優位になりつつあった。
死者も出ている。腕が落ち、腹に突き刺さったものに悲鳴を上げる兵士もいる。
そんな地獄絵図のような中でも、ラッサは不思議なほど落ち着いた様子だった。
「私も行くわね、ヤマト」
「ラッサ」
「アスカと合流して、町を出て。この町は荒れるから」
「でも、ラッサ……」
心配だ。
心配でないはずがない。
こんな状況で放っておいていいのかと。
不安でいっぱいのヤマトに向けてラッサは笑顔を向ける。
「私には、ほら。三人もいるから」
ラッサががくいっと示すのは、少し離れた場所で戦っている彼女の兄たちだ。
――兄ちゃん! 俺のラッサに変な髪型の男が言い寄ってる!
――本当だ、変な小僧が俺のラッサに触ろうとしてやがる!
――あれも敵だな。あれが俺たちの敵だぞ! 俺のラッサーナ、待ってろ!
「ね」
「そう……みたいだ」
「アスカには、ヤマトしかいないんでしょう?」
そうだ。
確かにそうだ。アスカの兄は自分しかいない。
「あんな奴の相手をすることはないわ。アスカを見つけて逃げるのよ」
戦えとは言わない。戦う必要などないのだから。
アスカと合流さえすれば、後はラッサたちが心配なだけで。
「そんなに心配されるのは心外だわ」
むう、とむくれる。
そうは言われても、心配するなというのが無理だ。
こんな状況で。
「もう……」
ラッサは腰に手を当て、やや前傾姿勢で上目遣いにヤマトを軽くにらんだ。
「私はね、ロファメト・ラッサーナよ」
「……」
その姿は、いつか見たような笑顔で。
「知らないかしら?」
ああ、そういえば。
そうだったかな。
聞いているし、知っている。
ほんの数日前のことなのに、随分と昔のようにも思うけれど。
夕焼けの中でそう聞いた。
挑戦的な瞳で、可愛いなって思ったんだ。
「ああ、知ってる」
知ったから。
奴隷商の娘だって知っていたけど、その内面は知らなかった。ほんの少しの時間だけど一緒に過ごして、見てきた。
初めてだったんだ。
こんな風に、誰かを好きになるってことを知ったのは。
「……今は、ちゃんと知ってる」
「でしょ」
ラッサの言葉は正しい。今ヤマトがすべきことは、ロファメトの一員として戦うことでもないし、戦闘狂との一騎打ちでもない。
妹を見つけて、安全な場所に逃げること。
他の全てのことを出来ないのは、やりたくても出来ないのは、ヤマトにそれだけの力がないから。
小さかった。
自分の存在が小さいことを思い知る。
この世界の中で、ヤマト一人の存在など本当に小さなものに過ぎない。十人程度の兵士を片付けたとしてもそこまでの存在。
全部を守りたいというのは簡単だ。
全部を手に入れたいのが本当だ。
けれど、それは出来ない。魔法のような力はないから。
そういう中でも、最優先でやらなければならないことがある。幼い妹の保護を。
か弱いわけではなくても、アスカが頼れる存在は自分だけだ。フィフもいるにしても、やはりヤマトだけなのだから。
「またいずれ、ちゃんと話しましょう」
「ああ、ラッサ……お兄さんたち!」
遠くで戦っているラッサの兄たちに呼びかける。
――ああ、変なやつから兄貴呼ばわりされたよ!
――許さねえ。あの野郎、なにがお兄様だとぶっ飛ばす。
――妹ならともかく弟は余ってんだこのバカ!
「ラッサをお願いします!」
――言われるまでもねえよ!
三人の返事を聞きながら、軽く後ろ手を振って戦いに身を投じるラッサの背中を見送った。
颯爽と駆けていく背中。そして。
見事な飛び蹴りがヨーレン・プエムの顎を蹴り上げるところを。
空中で変化するあの蹴りは知らなかったな。
◆ ◇ ◆
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