二_039 凶鳥の娘_3
「……」
ラッサと向き合って対峙。それ以上、言葉はない。
静かにヤマトに向かって低く構えるラッサに対して、ヤマトは自然体のまま斜めに片手で棒を構える。右手は添えるだけ。
女の子相手に先に仕掛けるのは躊躇われるので、そのまま待つ。
そんなヤマトの姿勢を侮られていると感じたのだろうか。
ラッサは両手をぐっと握りこみ、無言のまま踏み出しつつ薙いだ。
「っ!」
今度は木の棒で受け止める。
が、そのラッサの薙ぎの威力が尋常ではない。
少女の腕力とは到底思えない、先ほど力比べをしていた老マッチョの力にも劣らないのではないかと思えるほどの豪腕。
ヤマトが軽く構えた棒はその威力をまともに受けた。受けきれない勢いで。
「バカが! 舐めてるからっ」
メメラータの悲鳴にも似た声が上がった。
胴にでも食らえば肋骨が折れるのではないかという一撃。その前に木の棒が砕けるかもしれないが。
「なっ」
ヤマトの持つ棒を軽々と打ち払いその場を引き裂くように一閃するラッサの棒。
空中を薙ぐ。
ヤマトが、その受けた棒を支点にくるりと側転した後の空間を。先ほどとんぼ返りをされたのを横の回転でやり返した。
「ちょこまかと!」
舞うように避けられた一閃。
自分だってさっき似たようなことをしたくせに、他人にされるのは不愉快なのか。
ラッサはその勢いのままもう一回転して、さらに勢いを増しつつ着地したヤマトを連撃で襲った。
さすがに側転直後の姿勢では避けきれない。
「はっ!」
まともに受ければ骨がばらばらに砕けそうな攻撃を、冷静に見る。
一流の卓球選手は、近距離で猛烈な速度の弾の軌道を見切る。
それと比べればラッサの体を軸に向かってくる棒の軌道を見るのはまだ易しい。
「うそっ!?」
薙ぎ払いに対して、突き。
まさかラッサを突くわけにもいかないヤマトとしては、ラッサの攻撃手段になっている木の棒を無力化したかった。
フルスイングの棒に対して一点を貫くヤマトの棒。鈍い音と共に、半ばから折られた木の棒の先が宙に舞う。
「っ、まだ!」
折られた棒を一度引いて、今度は突きを繰り出すラッサ。
(いや、折れた切っ先とか危ないから)
一度引いてからの突きは読みやすかったので、仰け反って切っ先を躱しつつ下から掬い上げるようにラッサの持ち手を打つ。
今度は折れた残りの方が彼女の手を離れて宙を舞った。
「ったぁ」
「ごめんね、ラッサ」
打たれた手を押さえて呻くラッサに、ヤマトは慌てて棒を投げ出して駆け寄る。
思っていたより相当強かったので加減が難しかった。怪我をさせてしまっただろうと。
「……まだ終わってないわよ」
「そう、かな? でもラッサに怪我をさせたら」
父親に殺されかねない、と。
今も怖い顔で見ているのだし。恐る恐る様子を窺う。
「……」
ふと気が付けば、ラッサの瞳がヤマトを映して揺れている。
頬も朱色だ。運動して体温が上がったのだろう。
「お前の負けだ、ラッサーナ」
「……やらせたのはお父様じゃない」
「負けるとは思わなかったんでな。ゾマークがおとなしく引き下がったというのはどうやら嘘でもないわけじゃ」
手を抑えている娘を心配するでもなく、納得の表情を浮かべて頷くアウェフフ。
メメラータやギャーテ以下の奴隷たちは、少し口を開けたまま呆然としていた。
ダナツは頭を抱えてうずくまっていたが。アイアンクロ―の痛みのあまり見ていなかった。
「イダ・ヤマト、だったな」
「はい」
「そうか」
アウェフフは、傷跡の残る左頬を引き攣るように上げて、大きく頷いた。
「この顔の傷はな。ワシがまだ船に乗っておった頃に、海の化け物と格闘したときのもんじゃ」
そう言って、何かを両手で抱えるような仕草をしてみせる。
おそらくその海の魔獣か何かを掴み、締め上げた時なのだろう。
「息の根を止めた時には、やつのざらついた鱗でこの辺の肉が削ぎ落とされとったわ」
「戦った印なんですね」
「大層なものでもないが、ワシを舐めて見る輩はいなくなった。代わりに真っ直ぐに見てくるのも家族以外は少なくなったがの」
ふん、と軽く鼻を鳴らして、メメラータの横でうずくまっているダナツをちらりと見る。
友人と呼べる相手。
ヤマトにはそういう関係の相手はいないが、喧嘩友達の二人の間柄を羨ましく感じた。
「行く当てがないならラッサの相手でもしてやってくれ。知っておるかもしれんが、おきゃん娘でな」
「もう! そんな風にしてるのはお父様のせいじゃない」
アウェフフは娘の抗議に軽く眉を上げて、そのまま去っていった。奴隷たちもギャーテ以外はそれに従っていった。
見送るヤマトの背中をメメラータが叩く。
「大したもんだ。気に入られたじゃないか」
「そうなの?」
「お父様が傷跡の話をするのは認めた相手だけよ」
先ほど打たれた左手を右手でさすりながらラッサが続ける。
「思ったより強かったわ。寸止めするつもりだったんだからね、あれでも」
「僕も真面目にやらないと怪我しそうな勢いだったから。っと、ごめん。怪我させたよね」
左手の中指と薬指が酷く腫れている。内出血か、もしかして骨折させてしまっただろうか。
あんな強撃を繰り出せたとは思えないほど綺麗な手なのに、傷つけてしまったことを悔やむ。
意外なほど強かったのはラッサの方だ。武器を取り上げるのに少し強く打つ必要があった。
「ごめん、指が……」
そっとラッサの手を取って痛々しいその指を包む。
ヤマトが怪我をした時、母はこうやってくれたと思ったので。
ぼうっとその様子を他人事のように見ていたラッサだったが、はっと気を取り戻して手を引っ込めた。
「ばっ、ばか。これくらい大丈夫よ」
そう言って彼女は自分の手を庇うように体の内側に隠して、ぎゅっと握りこむ。
痛いのではないだろうか。
疑問に思ったヤマトの目に、顔をしかめるラッサが映る。痛いのだ。
「……」
唇を尖らせ目を瞑るラッサが、数秒後の沈黙の後にその手を解放する。
「……?」
ん、と突き出される左手。
「え、と……あれ?」
綺麗な手だ。戦闘に慣れているようには見えない、綺麗な手をしている。
そこには先ほどまでの腫れがない。まだうっすらと赤いが、明らかに腫れが引いている。
錯覚、ではないはず。
「あ、れ? これ、僕が……?」
「違うに
決まっていると言われても、何が決まっているのか見当が付かない。
だがラッサの様子からは、世間一般の常識だということのようだ。
「他人の傷を癒せるのはゼ・ヘレム教会の治癒術士だけに決まってるでしょ。私も見たことないけど」
そういうことに
だとすれば今のは、ラッサの魔術で自分の傷を癒したということか。
「打ち身くらいだったら私でも治せるわ」
「姫様は天才だからね。こんなにあっさりと、あたしにゃそこまでは無理だよ」
さすが魔術が伝わる社会だ。簡単な傷なら、自己治癒能力を集中して高めることで回復させてしまう。
危険が少なくない世の中なのだから必要で有用な能力だ。
(動物でも、怪我をした時だけ免疫や回復力が高まったりするんだったかな)
決して異常な能力ではなく、生物として本来持っている機能を強化しているだけなのか。
先ほどのラッサの口ぶりから察するに、他人の傷を癒すことが出来るというのは特異な能力ということになる。教会の治癒術士だけだというのも理解できた。
(この世界で生きている人たちには常識なんだろうけど、僕らは違うから。知りたくても、どんな常識を知らないのかさえわからない)
世間知らず、と。
当分はその評価は覆らないだろうし、むしろそれでいい。この世界の常識を教えてもらわないと困る。
「ごめん、僕は本当に物を知らなくて。何を知らないのかも知らないくらいに」
「そうみたいね」
「とりあえず、ギャーテさんたちが護衛じゃないっていうのはわかったよ」
「そう言ったでしょう」
言っていたが、あの時点ではラッサの方が遥かに強いとは思わなかったので聞き流してしまった。
逆に、疑問も浮かぶ。
「これだけ強かったら、あのゾマークとかもどうにかできたりするんじゃないの?」
ラッサの戦闘力は侮りがたい。勝ったヤマトが言うのもなんだが、常人の域にはないように思えた。
武力を表に出してくる相手を、正面から突破することも不可能ではないのではないか、と。
「さすがに厳しいわね。あれは戦闘大好きな変人だし、ヤルルーも一緒にいたら強引にどうにかするのは無理だわ」
「偉い人だから?」
「そういう意味じゃなくても」
ラッサが首を横に振り、メメラータが縦に振る。
「ヤルルーは……いや、御三家の直系は戦いにも強い。権力とは別にだ」
「七枝とは違って、ね。うちはちょっと例外だけど」
「見た目は歪んだ性格の半端者って感じなのに」
赤帽子のチンピラ。あれでいてメメラータやラッサが警戒するほどの実力だとは想像がつかない。漫画なら、出てきた次のコマでやられていそうなキャラなのに。
見かけによらないというのなら、ラッサもそうなのだけど。
「船乗りは気性が荒いのが多い。特にこの町はね。そういう中で頭を張るのには、家柄とかそんなんじゃ続かないんだよ」
わかりやすい暴力的な力が統治に必要になる。
ヤンキーの集団をまとめるには一番喧嘩が強い奴がいいと。時はまさに世紀末――いや、中世以前なのか。
「本当に、知らないことばっかりだ」
この世界の攻略本や手引きがない以上、手探りで生きていかなければならない。
見かけで判断せずに、慎重に揉め事に関わらないように生きていこう。
話は終わったのかとすり寄ってきたグレイの頭を撫でながら思う。
(戦闘力測定器、あったらいいのに)
そんな便利なものがあればいいと思う反面、きっとそれは本当の実力は測れないのだろうなと自分の考えの浅はかさに笑いが漏れた。
◆ ◇ ◆
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