二_038 凶鳥の娘_2



 居心地悪そうなラッサたちと共に屋敷に戻ると、そこには――


「ふんぬぅぅ」

「ぬぉぉぉりゃぁぁ」


 半裸の初老男性二人による地獄絵図が。


 がっしりと両手を組み合い、片方は日焼けした厳つい顔を、もう片方は傷跡の残る顔を、ギリギリまで近づけて血管を浮き立たせている。

 広い芝生の庭が狭く感じる暑苦しさ。


(美しくないなぁ)


 メメラータの胸に顔をうずめるラッサの姿を思い返して、この絵と比較してしまう。

 暑苦しいしヤマトの精神衛生上よろしくない絵面だ。こちらは記憶から消去しておいた方がいい。



「あれ、いいの?」


 ヤマトが尋ねると、ラッサはびくんっと怯えるように距離を離しつつ首を振った。


「い、いつものことだから」


 ぎゅっと身を守るように両手を体の内側に構えながら答える。

 なるほど、過保護に育ってきたので、男の欲望が具体的にどういうものか知らなかったのか。

 初心な少女。

 アスカはなぜか耳年魔というのかこんな恥じらいを見せたことがなかったので、この反応は新鮮だ。



「老いて鈍ったようだなぁ、アウェフフ」

「ぬかせダナツ。航海に出るお前に怪我させんように加減しとるんじゃ」


 血管ぶち切れそうなくらいに額に浮かんでいるのに、ぐふふと笑って煽りあう二人の男。


「口はうまくなったようだな、老いぼれ」

「お前ほど阿呆ではないのは昔からじゃ」

「大将、そのくらいにしときなよ」


 ラッサは止めないと言っていたがメメラータが口を挟んだ。

 初老の二人はメメラータを見て、舌打ちしながら手を離した。


「出航まであと六日なんだろ。あんたが怪我してどうすんのさ」

「やかましい。お前が邪魔しなけりゃ出航前にこの老いぼれに引導渡すくらい何でもないわ」

「でかい口叩きおって。帰ってきたら改めて相手をしちゃるぞ。逃げなければの」

「やめろって言ってんだよ」


 メメラータが低い声を出すと、ふんっと二人で顔を背けた。

 仲良しな雰囲気だ。おそらく。


(出航まで六日……だっけ?)


 記憶と違うような気がするが。

 ラッサはヤマトに警戒心高めの雰囲気だったので、まだ一緒にいたギャーテに聞いてみる。


「出航って六日後なの?」

「知らん」


 奴隷が主の前で言葉を発するのは好まれないのか、短く小さな返答だった。



「ふうん。ラッサのお父さんって強いの?」

「ああ、有名だ」


 有名らしい。

 ヤマトとギャーテのひそひそ話が聞こえたのか、メメラータがにやりと笑う。


「ロファメト・アウェフフを知らないのかい? 大波を砕くアウェフフって、ノエチェゼの船乗りじゃ有名なのさ」

「へえ、すごいんだ」


 マッチョのダナツと組み合ってもまるで見劣りしない筋肉は、初老とは思えないレベルだ。

 若い頃はぶいぶい言わせていたのだろう。


「ふん、そう呼ばれたのも昔の話だ」

「それを言うのはわしのセリフじゃろうが」

「今じゃただの老いぼれアウェフフよ」

「やめろって言っただろうが、あぁ?」


 なおもアウェフフ氏を煽るダナツ・キッテムの顔面を鷲づかみにするメメラータ。

 マッチョだが身長はそれほど高くないダナツの体が、メメラータのアイアンクローで吊るし上げられる。


「うがぁぁ、わかったぁ。わかってるわかってるもうやめる」

「っとに」


 メメラータの腕力はどうなっているんだろうか。

 朝も兵士を掴み上げていたが、今は片手でおそらく七十キロ後半のダナツを持ち上げていた。

 竜人は肉体強化に優れているという話だが、元の筋力も尋常ではない。

 雇い主にアイアンクローを極めていいのかどうかは知らないが、多分問題はない。


「お、お前な……お前が帰らないから探しにきた船長の頭を鷲掴みはねえだろうが」

「そいつはすまなかったね。古馴染みとの喧嘩なんかで船長が怪我したらまずいと思ってつい、ね」

「嘘つけこの不良船員が……」


 問題ないことはなさそうだが、まあ別にいいだろう。

 船長の身を案じての咄嗟の行動と言っているし。


「どこに行っていた?」

「例のノムヤの使用人が襲われた現場よ、お父様。詐欺みたいなことをしてたから罰するって書いてあったわ」

「今更そんなことをする馬鹿がおるとは、余所者だな」

「この町で悪は栄えないとも書いてあったから、案外町の誰かなのかもしれないけれど」


 ふぅむと思案しながら汗を拭うアウェフフの顔を改めてよく見る。

 左頬に、割と広い範囲で傷跡が残っている。火傷だと言われればそうかもしれないが、港町の荒くれ者だったのだろうから火傷ではないのかもしれない。

 そんなヤマトの視線にアウェフフの傷跡がひくりと痙攣する。


「ワシの傷が気になるか、若いの」

「イダ・ヤマトです。ヤマトと呼んでもらえれば」


 昨日も挨拶はしたはずだが覚えてもらえなかったようだ。


「それなりの腕前らしいな。一つ見せてもらえるか?」


 名前は呼んでもらえなかったが、少しは興味を持たれているらしい。今朝方、奴隷を何人かまとめて相手にしたのを聞いたのか。

 ダナツの方も、メメラータと共に面白そうに見ている。


「ええと、どうやって?」

「ラッサーナ」

「はいはい、お父様」


 やれやれといった感じで、ラッサが応じる。

 既に用意していたのか、アウェフフの周囲に控えていた奴隷の一人がラッサに二本の木の棒を渡した。ヤマトの身長よりまだ長い。

 受け取ったラッサが、ヤマトに向けてその片方を差し出す。


「え、と?」


 これを使えということなのだろうが、どうすればいいのだろうか。

 一本の木の棒なら簡単に折れるが三本束ねれば、とかやったらウケるかな。ちょうど兄は三人だと言っていたし。

 ヤマトは自分の荷物と槍を置いて棒を受け取る。

 受け取る時に少し手が触れたら、ラッサがびくっと大げさなほど反応して手を引っ込めた。


(いや、そんなに警戒しなくても、ぺろぺろとかしないのに)


 こんな父親の前では、特に。

 そんなことを出来る度胸はない。


「どうすれ、ば……?」


 もう一本を持ったラッサが、ヤマトから五歩ほど距離を取る。


「やぁ!」

「っ!?」


 問答無用の一撃だった。

 一切の無駄のない動きで喉に突き刺さる棒。先が丸くなっているとはいえ、その勢いで当たれば最悪命に関わる。


「っと」


 先は尖っていないのだ。

 突き出された棒の先端を手で受け止めて、横にずらしつつラッサの首元に自分の棒を――


「のわっ!」


 受け止めた棒が、急に軽くなった。

 不意打ちが無駄に終わったと悟った瞬間、ラッサは棒にこだわらず手放し、とんぼ返りのついでにつま先でヤマトの顎を狙った。


 徹底した首周りへの攻撃。

 鋭い一撃を受け止めて油断していたヤマトは、身を躱すので精一杯だった。


「つ」


 口元を彼女の靴が掠める。


(靴を舐めるのは趣味じゃないんだけど)


 そんなことを考えながら距離を取るヤマトに、とんぼ返りから綺麗に着地を決めたラッサが薄く笑う。


「やっぱり、それなりの腕前みたいね」


 海賊の娘、といった風情の笑顔。親御さんも同伴だが。

 それなり程度の腕だと鼻で笑われる。ぺろぺろの話で動揺させたことに対する仕返しをして、精神的優位を保ちたいのかもしれない。

 素直に白旗を揚げてもいいのだが、さてどうしたものか。息を吐いて軽く手を振る。


「まあ、それなりにね。グレイ、待て」


 唐突に始まったヤマトとラッサの戦闘に、グレイが半身になりつつ様子を窺っていたのでとりあえず声をかける。

 味方のはずなのに、ヤマトと争うのなら敵なのだろうか、と。

 声を掛けられて、戦う必要はないのかと低めにしていた姿勢を普通に戻した。



「不意打ちの対処なんだから、もう少し褒めてもらってもいいんじゃないかな?」

「大したもんだよ。風を斬る凶鳥ラジカの娘の不意打ちを躱してんだからね」


 メメラータが評価してくれた。

 ラジカというのはラッサの母親のことなのだろうが。


「その凶鳥とか大波を割るとか、そういう呼び名ってみんなあるの?」

「大波を砕く、さ。有名なやつだけだよ」

「男日照りののメメラータとかなあぎゃぁぁぁギブギブメメラータ待てだ待ていっがぁぁ」


 横でまたアイアンクローをくらってるダナツさん。懲りない人だ。

 そんな二人をよそに、不遜な雰囲気の笑みを浮かべているラッサとアウェフフ。

 見れば、ギャーテや他の奴隷たちも自慢げな笑顔をヤマトに向けている。どうだ驚いたか、と。



「なるほど、やっぱり世界は広いんだ」


 先ほど受け止めたラッサの棒は、蹴りを避ける際に落としてしまっていた。

 拾い上げて、ほいっとラッサに向かって投げる。


「自分が世間知らずだってわかったのかしら?」


 ぱしりと片手で受け止めて軽く振ってみせるラッサの姿は様になっている。戦えるタイプの人間だ。


「まあ、それは大体」


 わかっているつもりだった。

 つもりだったのだと、理解した。

 可憐な女の子だと思っていたラッサでさえ、牙を剥けば森の魔獣のような戦闘力を発揮する。

 ヤマトは頷いて、自分の木の棒を握り直した。



「でも、アウェフフさんが知りたいのは僕の実力なんだよね?」

「……そうだったわね」


 挑発と受け取られたかもしれない。確認のつもりだったのだけど。

 ラッサの表情から笑みが消える。

 研ぎ澄まされていくその危険な感覚は普通の少女ではない。ああ、奴隷商の娘だった。


「遠慮しなくていいのかしら」

「謝るなら先がいいよ。うちの姫様は、大波を砕くアウェフフと凶鳥ラジカの血を引いた天才だからね」

「ありがとう、メメラータ」


 偉大な二人の親を持った天才少女だから気をつけなさい、とメメラータのありがたい忠告だ。

 本気を出したら怪我では済まないかもしれないと心配してくれたのだろう。

 だが、そういう女の子の相手ならヤマトは慣れている。相手にしてきた場数からいえば専門家だと言ってもいい。


「そういう……おきゃん娘? の相手は得意だから」

「言ってくれるじゃない」


 ぴく、とラッサの顔に色が見える。怒りの色が。

 ヤマトが軽く舌を出すと、今度は違う意味で赤い色を浮かべて、すぐにそれをむっとした表情で掻き消した。



「僕もね、ヒコイチとメイコの子供なんだ。誰かに負けるつもりはないさ」

「今回の負けは公表しないであげるわよ」


 せっかく父母の名前を挙げてもらったのだから、こちらもそう名乗ってみる。

 武士の名乗りという習慣は本で読んだことがあるのだが、こうして自分がする機会があるとは思わなかった。人生わからないものだ。



  ◆   ◇   ◆

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