二_037 凶鳥の娘_1



「なるほど、これか」


 壁を見て、したり顔で頷いてみる。

 荷物は持ったままなので身軽ではないが、背負って行動するのに慣れてしまっていて気にならない。

 ラッサは家に置いていったらと言ってくれたが、途中でアスカたちと合流できた場合ロファメト邸には戻らないかもしれないので荷物は手放さなかった。


『クァ……』


 ヤマトと並んで壁の前にいたグレイが欠伸をする。

 きっとグレイもヤマトと同じ気持ちだったのだろう。


(読めない)


 壁に書かれている文字は、当たり前だがこの世界の文字。

 ヤマトも短い期間でもだいぶ会話に慣れたが、文字はちんぷんかんぷんだ。もちろんグレイにも読めないはず。



「何かわかったのかい?」


 そう尋ねるのは付き添ってきてくれたメメラータだった。

 もしかしたら何か地球の手がかりがあるかもしれないと思い、ヤマトからスカーレット・レディの犯行現場に行きたいと言った。

 兵士から場所を聞いてラッサが案内してくれるというのだが、場所が歓楽街に近く決して治安がよろしくない。


 ギャーテとメメラータをラッサの護衛として四人でここまで来たのだが。

 手がかりになるかもしれないと思ったスカーレット・レディ。その彼女が残した壁の文言。


「いや、読めないんだ」

「じゃあ何で来たいって言ったのよ」


 嘘をついても仕方ないと思い、素直に読めないと言ってみたら、ラッサに呆れられた。

 メメラータも肩透かしを受けたように少し気が抜けた表情を浮かべる。



「ごめん、何て書いてあるの?」

「ヤマトのことが本当にわからなくなってくるわね。ええと、ノムヤ商会のシワロ。この者、他者の賃金を盗む不届き物。不当な行いには必ず罰が下る。この町に悪が栄えることはない。スカーレット・レディって」


 壁の近くには青服と白服の兵士が二人ずつ立っている。

 とりあえず現場を保存しておく為なのか、あまり壁に近づくと離れるように言っていた。

 ノムヤ商会の人間からすれば、さっさとこんなもの消してしまいたいだろうが。



「なるほど」

「何かわかるの?」

「いや、全然。この町には前からこういう感じで悪事を許さないっていう偉人がいたりするのかな?」

「昔話で、盗人は波に飲まれるっていう話はあるけど」

「チェゼ・チザサが裏切り者のプエムの弟の首を斬って、その血で海が真っ赤になったとかいう話もあったね」


 ノエチェゼに伝わる悪事とその報いというのに該当する話を、ラッサとメメラータがそれぞれ挙げる。

 人間の血で海が真っ赤ということはないだろうが、言い伝えなので誇張されているのだろう。


「今でも斬首されたヒシャレ・プエムが夜の港に現れて、夜遊びしている奴を殺す、とかさ。あれも真っ赤な装束なんだって言うじゃないか。自分の血で」

「お、お化けとかいないんじゃないの?」


 話が違う。

 やっぱり異世界なのでそういう存在もあるのか。

 少し声が震えてしまった。メメラータはきょとんとした顔でヤマトを見て、それから楽しげに笑った。


「ははっ、なんだい。こんなの子供に夜遊びさせないお話ってやつさ」

「ヤマトってば意外と怖がりなのね」


 そんなことはないと言ってみるが、くすくすと笑われただけだった。

 それからふと、思い出したように続ける。


「そういえば牙城でも時々、この世のものとは思えない声が聞こえたりするって話よ。誰もいないのに」

「へえ、そうなんだ」


 近づかないようにしよう。特に用事もないのだから。

 別にお化けとか信じているわけではないけれど、用事もない場所に行く必要もない。


 それよりアスカ達を探さなければならないし、このスカーレット・レディとも接触したい。

 地球の手がかりになりそうな相手なのだから、なんとしても話を聞きたいところだ。

 犯行現場に来たのは、アスカもこの噂を聞けばここに来ると思ったからなのだが、とりあえず周辺には見当たらなかった。行き違いになったのかもしれない。



「小狡い使用人が横領するのも、歓楽街で強盗が出るのも、どっちも珍しい話でもないわね」

「こんな落書き残してなけりゃ騒ぎにもなってないさ」


 誰も気にしないような出来事。

 その通りなのだろう、野次馬もいないのだから。

 朝早くならもっと気にする人もいたのかもしれないが、今は通りがかる人が何かあったのかと見ていく程度のこと。


 だが、大々的に名前を書かれてしまったから、ノムヤ商会として体裁が悪く収まりがつかない。

 兵士たちは、目立ってしまったから事件として対応をせざるをえない状況になっている。



「赤い服の……プエムの兵士がいないのはなんで?」

「ノムヤはプエムの子飼いだからよ。プエムとしては騒ぎを大きくしたくないんでしょう」

「そういうものなの?」

「そういうものなの。放っておけばすぐ忘れられるんだから」

「この落書きはさっさと消しちまいたいだろうけどね」


 メメラータの口元が気分良さげに緩んでいる。

 他人の不幸は蜜の味というのはここでも同じ。それが商売敵の困り事となれば実に楽しいのだろう。



「プエムの家とは仲が悪いの?」


 昨日も絡まれていたし、昨日だけではないようなことも言っていた。

 ヤマトが尋ねると、ラッサは視線を迷わせて、メメラータは軽く肩を竦めた。

 今まで沈黙していたギャーテが、後ろで溜め息をつくのが聞こえる。


「なんか僕、また間違えた?」

「そうじゃあないのよ。何て言ったらいいのか」

「言い寄られてるのさ」


 言葉を探すラッサの横から簡潔に言われて、やや非難めいた視線が送られる。


「本気じゃないでしょ」

「二年も続いてて本気じゃないってんなら、正気じゃあないね」

「一年半だから」

「大して変わらないよ」


 やや顔を朱に染めて膨れるラッサ。

 一年半前ということは、今より一年半若かったのだろう。当たり前だが。


「ラッサが、あのゾマーク・ギハァトに?」

「違うわよ」


 むぅ、とふくれっ面がヤマトに向けられる。

 事情を知らないので怒られても困るのだが、そんな言い訳は状況を悪化させるだけだとアスカから学んでいる。


「ヤルルー・プエムに、よ」

「……結構、年の差あるね」

「そうね」


 ふん、と横を向くラッサ。その横顔は整っている。

 言い寄る男がいても不思議はない。

 ゾマーク・ギハァトなら二十歳前のように見えたので年齢的にそこまで無理はないと思うが、ヤルルー・プエムとなると。


(赤帽子の人、少なくとも三十はしっかり過ぎていると思ったけど。四十代かもしれない。一年半前だとするとラッサはまだ十三歳くらいのはずなのに)


 今のアスカと同じくらいか。

 もし仮に三十過ぎの男がアスカに求婚してきたとして、ヤマトはそれを認められるだろうか。


(ダメじゃないかな。普通、保護者として)


 この世界の基準では違うのかもしれないし、地球でも年の差カップルは存在したはず。だとしても素直に認められるものではない。


「いい年してこんな幼い子に言い寄るなんてさ。おっと」


 メメラータを叩こうとしたラッサの手は簡単に受け止められた。本気の殴打ではないが、幼いと言われての抗議の意思表示。


「あ、やっぱり年の差は問題なんだね」

「金持ちが若い娘を何番目かの嫁にするってのはあるけど。ロファメトの姫様を、ってなるとね」

「一人娘なの?」


 そういえば父親以外の家族を見ていない。

 朝御飯も、父とラッサとの二人で食べるという話だったし。


「兄は三人いるわよ。娘は私だけだから」

「ああ、甘やかされてるんだ」

「そういう……そうなんだけど」


 男親というのは娘には甘くなりがちだ。息子ばかりだったところに最後に女の子となれば、余計にそうなるだろう。

 言い返そうとしてみたものの、否定はできないと口を閉ざす。


「あの男、すっごく若い妾が何人もいるのよ。信じられない」

「一応のところヤルルーの息子の嫁候補としてもらいたい、って言ってるんだと」

「まだ七歳のね」

「そういう名目で、あの中年男がラッサの若い体を隅々までぺろぺろしたいってことか」


 状況は理解できた。

 ふむ、とヤマトが納得していたら、なぜかラッサがぷるぷると震えている。


「?」


 ヤマトが視線を上げて視線が重なると、物凄い勢いで顔を背けられた。


「あんた、すごいこと言うね」

「え、間違えた?」

「間違ってはないと思うけどさ。ああ」


 豪放磊落な印象のメメラータの歯切れが悪い。

 ごほん、とギャーテが咳払いする。


「……ヤマトのバカ」


 ヤマトだって許されるならそうしてみたいと思うのだから、きっと他の男もそうなのだろうと。

 ヤマトは素直なバカなのだ。



  ◆   ◇   ◆

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