二_023 一樽分の借金_2



「あぁーっ! バカボンルだ最悪ぅ!」


 唐突に響く甲高い声。

 人々の行き交う中で、間違いなくボンルという人間を示した大声を上げた女に、全員が一斉に目を向ける。


「うげっ、ダナツんとこの小娘」


 港に向かう広い道に沿って倉庫のような建物が並んでいた。その合間から出てきた短髪栗毛の女がボンルを指差していた。

 年の頃は二十歳前、といったところか。



「誰が小娘よ誰が! 手間賃とか言ってたけど、あんたうちに借金返しなさいよ」

「う、うるせぇ! 金なんて借りてねえだろうが」

「その空っぽの頭じゃ覚えてないかもしれないけど、うちの荷物間違えて他の船に積み込んだ分の損害を返しなさいっていってんのよ!」


 ずかずかとボンルに詰め寄ってきた女が、人差し指でボンルの眉間を突きながらまくし立てる。

 そして顔をしかめた。


「う、くっさぁい。あんたたまには体洗いなさいよね」


(完全に同意する)


 アスカでさえ少しは配慮して直接的なことは言わなかったのにはっきりと。この女はなかなか見所があるのではないか。

 頷いているアスカの横で、ヤマトは何とも気まずそうに視線を下げていた。



(でもまあ小娘呼ばわりで怒っているようじゃ子供ね。私なんてずっとクソガキ呼ばわりだし)


 とりあえず忍耐力では勝っているな、ともう一度頷く。


「るっせえぞ小娘! そんなんだから嫁の貰い手もねえんだよ」

「んなっ!?」

「うちのサトナの結婚にてめえの意見は聞いてねえんだがな、ボンルよぅ」


 ぬっと、その女の歩いてきた方からもう一人、小柄だけれども筋肉の塊のような壮年の男が現れた。

 それに続いて男が二人と女が一人。

 長いうねるような黒髪に褐色の肌の女と、軽薄そうな笑みを浮かべた若者。それと無骨な印象の無表情の男。


「うげ、ダナツ……」

「お嬢、不用意に近づくんじゃあないよ。感染るからね」


 褐色の女がボンルに詰め寄っていた女の腕を掴んで引き戻す。サトナと呼ばれた小娘と比べると頭ひとつ以上背が高く、声は低く迫力がある。

 何が感染るんだろう。臭いなのか、何か得体の知れない病気だろうか。


「バカが感染るからね」

「それは困るわ」


 彼女の言葉に応えたのは、そのサトナお嬢さんではなくアスカの方だった。

 軽口を叩かれたのかとアスカを睨む褐色の女だったが、アスカが本気で嫌そうにボンルから数歩距離を離したのを見て、困惑の表情を浮かべた。

 ボンルの仲間なのかと思ったけど何か違う、というところ。



「知り合い、か?」


 フィフジャが尋ねたのはツウルウにだった。

 ボンルに尋ねてもまともな返答があるとは思えないし、ウォロでも同じだろう。


「へえ、まあ。ってもあっしは名前くらいしか知りやせんがね。ダナツ・キッテムとその娘のサトナ・キッテム。後はそこの下働きのメメラータと……忘れやした」

「俺っちはケルハリっすよ。こっちの無愛想なのがボーガ」


 ツウルウの言葉に続けたのは、相手側の軽薄そうな若者だった。ケルハリと名乗ったか。


「……見ない顔だな」


 ぼそり、とボーガと紹介された無愛想な男が喋る。

 見覚えがないのは当然だ。アスカたちはつい先日初めてノエチェゼに来たのだから。



「ってそれ、銀狼なの? 本物?」

『クウ?』

「グレイよ。私の家族」


 さきほどボンルに突きつけていた指でグレイを指したサトナ・キッテムに対して、厳しい表情でアスカが間に立った。

 どうして誰も彼もグレイを見ると珍獣みたいに指差すのか、と。


「ああ、ええと……そうなの、ごめんねお嬢ちゃん」

「……」


 むう、と睨むアスカにフィフジャがぽんぽんと肩を叩いた。

 敵対しても仕方ないのだからそんなに怒るな、と。


「俺はフィフジャ。こっちの二人はヤマトとアスカだ。ノエチェゼは初めてなんでここの作法は知らない」

「作法なんてぇ大したもんはねえ。筋を通すかどうかって話だけだ」


 ふん、と鼻を鳴らしてダナツは港の方に歩き出した。



「ボンルよぉ、樽三つ分の香辛料。きっちり金貨1枚分払ってから顔出せや。次に手ぶらで会ったらぶっ殺すぞ」

「た、たけえだろ。普通は樽一つで銀貨1枚じゃねえか!」

「リゴベッテに持っていきゃあ一樽ひとたるで金貨1枚になるんだ。俺ぁそっちの値段でもいいんだぞ」


 なんて良心的な割引価格なのだろう。

 通常なら一樽がここで銀貨一枚ということだから一万クルト。樽三つ分ということだから三万クルトの原価。

 リゴベッテに持っていったら金貨一枚ということは十万クルト。樽三つ分で三十万クルトで売れることになる。


 どうやらボンルのせいで三万クルトの商品を失い、二十七万クルトの利益を出し損ねたのを、賠償金として十万クルトで許してくれるということだ。

 そう思えば、このダナツという人はいかつい顔の割に優しいのではないかと。



「そのせいで向こうでの仕入れも満足にできなかったんだからな。おめえの首くらいじゃあ収まらんぞ」


 歩き去りかけたダナツだったが、顔を半分だけボンルに向けてぎろりと睨む。


「そうよ、去年はそれで大変だったんだから」


 香辛料を売った金でまた向こうで何かを仕入れてこちらに運んでくる。

 そういう算段が狂ったせいで、単に香辛料の取引分以上に損を出したことになる。

 冬は交易船を出さないというので、乗組員の賃金も含めて一回の航海でどれだけ利益を稼ぐかということが重要というか死活問題だ。



「わ、わるかったって言ってるだろ」


(言ってないよね、少なくとも今は)


 ボンルが謝罪の言葉を搾り出す程には迫力のある眼光だったが、興味を失ったようにふっと反らされた。


「てめえに詫びられたところで何にもならねえ。とにかくさっさと金の工面するか、さもなきゃうちの船で……ああ、そいつはいらねえや」


 ただ働きしろ、とでも言おうかと思ったのか。だが自分で言いかけてデメリットの方が大きいと考えたらしい。

 その判断には正しいとアスカは思う。ロクな結果にはなりそうにない。


「一度に返せねえにしても少しは返す気持ちくらいみせやがれ。次に俺の機嫌が悪かったら本当にぶっ殺すからな」

「べぇーー」


 ダナツに続いてサトナが舌を出してから去っていく。連れていたメメラータ、ケルハリ、ボーガも続いていった。



 彼らの背中が建物の影に消えていってから、ぼぶぅーと空気が漏れる音がした。


「こ、こわかったんだなぁ。ダナツさん」


 それまで黙っていたウォロの尻の穴からガスが漏れる音だった。

 近くにいたボンルを初めにツウルウもフィフジャも、小さく呻いてウォロから離れる。


「そうだけど……って、ちょっともう、ウォロってばおかしい」

「ん、んっ」


 アスカとクックラが笑いを堪えきれずにくすくす笑うと、ウォロが照れくさそうにえへへと笑った。

 緊張から解放されたと思ったらおならが出ちゃったというわけで。

 アスカたちに釣られて他の面々も微苦笑を浮かべる。


「まさに船乗りって感じだったね、あのおじさん」


 憧れるというわけでもないだろうが、ヤマトは感心している様子だ。


「あんな野郎の船に乗せられたら、干からびるまで働かされるぞ」

「じゃあお金どうするの?」


 ヤマトの質問に、うっと言葉に詰まるボンル。


「……まあ、そのうち返すさ」


(返すのね。あのダナツとかいう人、怖そうだったから)


 ばっくれるという選択肢が出てこないのがボンルらしいというか。誠実な人柄というのではなくて、小物っぽさというか。借りを返さないよりは良いと思うが。

 しかし、本当に機嫌が悪い時に出くわしたら殺されちゃうのではないかとも思う。



「あの人、脅し文句だけで殺すって言ってた感じじゃなかったわよ。多分、殺すって本気で思った時には既に体が動いてるってタイプ」

「ば、バカ言うなよ。いくらなんでもいきなり殺したりなんか、なあ」

「……だといいですがね」


 同意を求めたボンルに、ツウルウは希望が薄そうな答えを返すだけだった。


「あっしはその荷運びには関わってないんで、そこんとこだけはよろしく」

「薄情じゃねえか、ツウルウ」

「命までは預けられねえですぜ。あのダナツの旦那はおっかねえし、下の連中もかなりのやり手ですからね」


 一緒にいた下働きの三人のことだろう。確かに船乗りというよりは戦士という印象を受けた。ケルハリとかいう軽薄男以外は。

 専業の水夫というわけではなく、荒事などもこなす傭兵的な職種として仕事をしているのだ。


「あのメメラータって人に勝てる?」

「なんであの女限定なんだよ」

「竜人だったから。ボーガって人もそうだったけど」

「あいつらは、ピメウに比べたら弱えよ」


 ボンルは二十歳前後。ピメウは二十代後半。メメラータやボーガはピメウの世代になるらしい。



「どうやって強さを見分けてるの?」


 アスカは先ほどから疑問に思っていたことを聞いてみる。

 戦闘力を測る機械だとか、そういうものを感じる感覚器官があるのだろうか、と。


「全竜武会って言ってな。四年に一度、竜人族が互いの集落の腕自慢を集めて武闘大会をしてるからよ」

「ボンルさんは前の全竜武会で準優勝してんだぁ」


 へえ、とフィフジャが声を漏らした。

 自慢げに言ったウォロと対照的に、よほど自慢しそうなボンルの方が居心地悪そうに顔を歪めていた。

 なんだろう、不正でもしたのだろうか。


「そういうのはいいんだよ」

「優勝したのはピメウなの?」

「あーそいつは違う。全竜武会はその年の十五歳から二十歳までの年齢だけって決まりだからな」

「ああ、それで世代ごとってわけね」


 納得がいった。年齢制限のある武闘大会で序列を決めているというわけだ。

 四年に一度の大会で、参加の年齢は五歳の上下がある。

 おそらく十五歳で参加する場合と二十歳で参加する場合の肉体的な有利不利を加味してのことなのではないかと想像する。普通なら二十歳の方が有利だ。


 とりあえず、メメラータやボーガの世代にはピメウという非常識な参加者がいたということで、彼らが弱いということにはならない。


「それって僕は出られない?」

「竜人族じゃねえだろ。聞いたことがねえな」


 ヤマトが武闘大会的な展開に参加を希望するが、前例はないらしい。


「まあ確かに坊主ならいい線いくんじゃねえかとは思うけどよ。どっちにしても次は来年の冬だぜ」


 その時点でこのズァムーノ大陸にいる予定ではない。ヤマトは残念そうに顔を下げた。



(バトル漫画展開を期待してるとか、本当にヤマトってば男の子なんだから)


 子供っぽさに呆れる反面、その気持ちが少しはわかる。アスカも同じ漫画を読んで育っているのだから。

 一回戦から優勝候補を相手にするなんて、とか、次は無名なのに不気味に強い奴が対戦相手だぞ、とか。


「大会から数年過ぎてたら強さも変わるんじゃないか」

「そりゃあそうだがな。それでもどっちも鍛錬を怠ってなけりゃあ大して差は縮まらねえさ」


 フィフジャの言葉に、肯定と否定の言葉を返すボンル。

 成人するまでも戦う力を鍛えていて、それからも同じ年数を鍛えていたら実力差は大きく変わらない。

 自分に合った戦闘スタイルを見つけて劇的な変化でもあれば違うかもしれない。


 アスカ達は知らないことだが、ピメウが村で物資の管理などの役割をやっていたのは、筋肉バカ過ぎたので少しは数字を数える知能も養えということでゼヤンから指名されていた。



「その全竜武会に出る機会はなさそうね。とにかく私、海を見てみたいのよ」

「あのダナツって人たちも港の方に行ったみたいだけど」


 既に姿は見えないが、同じ方向に向かうとなるとボンルの顔色は青黒くなる。


「港も広いんで、キッテムの船の方に行かなけりゃ出くわすこともねえと思いやすがね」

「……だな」

「何にしたってダナツ・キッテムの旦那には近づかない方がいいですぜ」

「?」


 ツウルウの言葉に、ダナツが荒っぽい船乗りだからという以外の理由を感じる。

 アスカたちの視線を集めて、ひひっと笑って肩を竦めて見せた。


「奴隷商人ロファメトと古馴染みでやすからね」


 あまりお近づきになりたくない組み合わせだった。



  ◆   ◇   ◆

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