二_022 一樽分の借金_1
「どうだ?」
ボンルの言葉に首を振るフィフジャ。
「他のところも紹介してくれるんだろう?」
「まあそうだけどよ、ここのイオックさんは話の通じる船長だぜ」
ボンルの言い分だが、ヤマトの目からもそのように見える。
初めて会ったヤマトたちに、必要な金さえ払えばリゴベッテまで送り届けると言ってくれた。
中年の、海の男というよりは商売人という印象を受ける、少し腹の出たおじさんだった。
「金が用意できなかったら、この黒鬼虎の毛皮でいいって言ってたけど」
「とりあえず他にも伝手があるならそっちを聞いてから判断する」
ヤマトにはどうすればいいのかわからないので、フィフジャの言葉に従うしかない。
「他のは割りと荒っぽい連中が多いからなぁ」
ぼりぼりと頭を掻きながらいうボンルだが、フィフジャの意志は変わらないと見て歩き出した。その背中にアスカが不満そうな声をぶつけた。
「それより海見てみたいんだってば」
「あーわかったわかった。次に行くのは海の方だぜ」
◆ ◇ ◆
ボンルたちが来たのは昼前くらいになってからだった。
聞けば、ずいぶんと遅くまで酒を飲んでいて、起きたのが遅かったのだとか。
アスカは待たされたと憤慨していたが、何時と約束したわけでもない。
「三人して寝坊するなんて、ほんっとに信じらんない」
「すまんなんだ、ツウルウは起きてたんだけども……」
ウォロの言葉にぎろっとアスカに睨まれたツウルウは、慌てた様子で首を振った。
「いや、勘弁してくだせえ。酔いつぶれた男を起こすってのは色々面倒なんでさ」
起こすのは諦めて、小遣い稼ぎに昨日拾っておいた岩千肢の甲殻を売りに行っていたのだと。
岩千肢の殻は軽くて頑丈で水に浮くので、船乗りなどが防具として使ったりするという。
大きな甲殻だったので割りと高く売れたらしい。そういえばこそこそと集めていたのは気づいていたが。
小狡いというか抜け目がないというのか。
フィフジャはそういう需要を知らなかった。そこに気が回るよりも岩千肢の食事会でかなり動揺していたので、それはアスカには責められない。
とりあえず港近くまで来て、商店と事務所が一緒になったような店に入って船主のイオックを紹介してもらったのだが。
「まあいいぜ、相性ってのもあるからな。おきゃん娘には荒っぽい船乗りの方が合うだろうし」
「おきゃ……おきゃん娘って?」
「うん、あー、そうだな」
知らない言葉だったのでフィフジャに聞くと、彼は視線を泳がせて言葉を探す。
よい意味ではないのだろう。
「あぁ、おきゃん娘っていうのは……元気が多すぎる女の子、ってところだ」
気を遣った説明をするフィフジャに、ぶっと笑い声を洩らすボンルの背中を殺意を込めて睨みつけた。
「もし私のことを言ってるなら、殺してくださいって言うまで痛めつけて殺す」
「元気がいいなんてもんじゃないだろ、お前は」
いちいち絡んできたボンルが悪いと思うのに、ヤマトはそんなボンルを庇うようなことを言う。
もちろん冗談だ。悪口に対して軽く威圧を返しただけで。
舐められたら負けだと思う。この世界では。
(それに、殺してくださいって言われてからが本番って思うんだよね)
「お前、さらにろくでもないこと考えてるだろ」
「そんなことないよ。フィフ、あれなぁに?」
イオックの事務所を出て、入る前から気になっていた物を指差す。
少し離れた場所に見えるそれは、地面から空高く突き出した牙のような塔だった。
「ああ、たぶん超魔導文明の建物だな」
この商店よりも北西側。海に近いところに聳え立つその建物は、他の建築物とは大きく異なる。
ノエチェゼの町の建物は大半が二階建ての石造りで、屋根は斜めに木の板を敷いている。
他と比べてその塔は異常に高い。他が二階建てということなら、およそ五十階くらいの高さになるのではないだろうか。
非常に背の高い建物が、円錐を少し曲線を描くように右曲がりに湾曲したように立っている。尖っている先端は海の方を差していた。
色は薄い灰色でどこか金属的な艶のようなものもあり、表面は滑らかで遠目では継ぎ目がわからない。
窓らしいものは見当たらないが、どうなっているのだろうか。
「ありゃあノエチェゼの
ボンルが大して面白くもなさそうに言う。
「入り口は一箇所で、御三家の連中が管理していて入れねえ」
「中にもんす……魔獣とかいる?」
町の中に存在する異質な建物。
それは魔獣の住む塔なのではないか、と。
そんな期待をこめて尋ねたヤマトに、ボンルもツウルウも呆れた表情を返した。
「んなもんいたら困るだろ。飼いならすにしたって、あんな場所でやることもねえし」
「中はだだっ広いだけの部屋があるって話ですぜ。たまに御三家や七枝の代表者なんかで会議をするんだとか」
夢のない返答に落胆するヤマトに、アスカは苦笑するしかなかった。
冒険漫画のような迷宮があるのではと思ったのだろうが、現実にそんなものが街中にあったら困る。
ボンルたちにはヤマトが何を期待したのか意味不明だったろう。
「魔獣よりおっかない連中って言い方もできやすがね」
気落ちするヤマトをフォローするようにツウルウが肩を竦めて言った。
魔獣より怖い。
権力を持った人間の集まり。
「ヘロ、とか……なんだっけ?」
「大海商人ヘロ。海闘士プエムと、古老チザサっていう御三家でさ」
さらっとしか聞いていない町の有力者である御三家。その下に位置するのが七枝。
御三家はどれも商会を持っていて武力も有しているらしいが、伝統的にそんな風に呼ばれるという。
「チェゼ・チザサってのがノエチェゼの町の名前の由来って言われてやす。今の当主はヒュテ・チザサとか言いやすが、最近はあんまりぱっとしねえって話っすねぇ」
町の始祖的な一族だが、落ち目ということなのだろう。
「ヤルルー・プエムは武闘派ってぇか血の気の多い御仁で、このズァムーノ大陸東側最強って看板のギハァト一家っていう戦士どもを抱えてるんで、係わり合いは御免で」
「最強、なの?」
ヤマトが少し元気を取り戻したように顔を上げて聞き返す。
(何を期待してるのかしらね、この兄は)
「触れ込みってえやつだ。雇われ戦士だから看板は高く出すもんだぜ」
「ボンルより強い?」
「そいつは、まぁ……やったことはねえけど、良いセンじゃねえか」
嫌そうな顔色からすると、もっと強いんだろうな、と。
曖昧に言い淀むボンルの後ろから強い鼻息が溢れた。
「ボンルさんより強いのは竜人族じゃ一人しかいないんだぞぉ」
「ええー」
ウォロのボンル推しに異論があるアスカは、つい否定的な声を上げてしまう。
「なんでそんなに不満そうなんだよ、クソガキ」
「だぁってウォロの方が強いじゃない」
「ばっか、俺様の方がつええよ」
「それにピメウの方が強いと思うんだよね。ゼヤンとか」
「っ!?」
ぎょっ、という擬音が聞こえた──ような気がした。
明らかに顔色の変わるボンル。どうやら知らない相手ではないようだ。
「な、なんでお前が、
「知り合いだもの」
すうっと目線を反らすボンル。
イオックの事務所から出てしばらく歩いてきた石畳を見渡す。
夏の日差しに焼けた石畳は暑い。だが反対に、ボンルの頭は少し冷えているようだ。心が冷えているのか。
ピメウやゼヤンが自分より強いと言われて、すぐに否定の言葉を返してこない。
「……そうか」
やけに物分りがいい。というか気持ち悪いくらいに素直に引くボンルの態度がおかしい。
そういえばゼヤンの息子クスラも、ピメウのことは苦手そうにしていた。
「ボンルより強い竜人って、ピメウ?」
「あれは俺らの世代より上だから比べる相手じゃねえんだよ。それにあれはちょっと色々と異常だし普通じゃねえし」
どういう理屈なのか、世代別最強ランキングなのか。
というかピメウは竜人族の中でどういう扱いになっているのか疑問も湧いてくる。
「あいつ矢が刺さんねえんだぞ、間近でまともに腕で受け止めて。気合だとか言って」
「そんな人がいるわけないじゃない」
「いやほんとに、こいつはマジなんだって」
ボンルがあまりに切実に訴えるので、アスカはピメウの様子を思い返して想像してみた。
そういえば異常な強化筋肉女だった。見た目ではそれほど屈強には見えないが、筋力の異常さには心当たりがある。
思い込みも激しい性格だったような気がする。気合で矢くらい跳ね返すかもしれない。
「……ええと、ぱっとしないヒュテ・チザサと、荒くれ者のヤルルー・プエム? それともう一つはなんだったっけ」
ボンルの言葉を受け入れるのも癪だったので話を戻す。
「あとはヘロ商会のジョラージュ・ヘロってえのが御三家の当主になりやす。ヘロの家はまあ特に何も。調整役ってやつで、町のバランスを保とうって感じで評判は悪かあない」
「さっきのイオックさんもヘロ商会と付き合いのある船主なんだぜ」
大きいとはいえ限られた港町なのだから、少し手広く商売をやっていたらそういう繋がりはあるものなのだろう。
むしろ、御三家やら七枝やらの息の掛かっていない商売人などいないのかもしれない。
「まあ御三家の連中と関わるなんざ普通はねえさ」
(ああ、またフラグを……)
簡単に言うボンルの言葉に、つい吐息が漏れる。
変な流れできっと何か係わり合いになるのではないかと。
「御三家は商売人の元締めみたいなもんだからな」
「個別の人間の売り買いに関わるようなことはない、ってことか」
フィフジャはボンルの説明を聞いて頷いていた。
実際、町の有力者などと直接話すような機会は、行きずりの旅人にはないものなのだから。
「それよりか七枝のほうだな、その黒鬼虎の毛皮を売るってんなら。末端の商店じゃあ話になんねえ」
「まあ七枝も色々ですがね」
ツウルウが含みのある言い方をして笑う。
表情を抑えた笑みが、小悪党っぽさをより強くしていた。
「気をつけることがあれば言ってくれ」
「まあそんなほどでもないですがね。奴隷商が主なロファメト一家に持ち込むって話もないでしょうし」
奴隷商。
確かにそんなところに行く必要もない。
ふと、アスカの手に少し冷たい感触が触れた。
「……」
それまで黙っていたクックラだった。
不安を感じたのかアスカの手を握る。
「心配することなんてないの」
「……ん」
そういえばクックラの身の振り方はどうすればいいのだろうか。
何となく拾ってしまったが、さすがに人間の子供を迷い猫のように飼うわけにはいかないだろう。
「クックラ、ええと……元の村には誰か、他に家族がいるの?」
「……ううん」
首を横に振る。
父親と兄はつい先日亡くなった。どうやら母親は既にないらしい。
「ああ、農園の子供は里に返せば他の連中が面倒見てくれるぜ。人手は必要だし、そもそもメシは配給だからな」
「そう……」
「アスカ」
フィフジャがアスカの名を呼ぶ。
彼を見ると、唇を真一文字に結んで、やはり首を横に振った。
わかっている。ペットを飼うわけではないのだ。境遇を哀れんで養ってやろうなんていう考えは間違っている。
妹ができたみたいでお姉さん気分というのも悪くないと思ったけれど、それはアスカの傲慢でしかない。
「じゃあ、元の村まで送ってあげないと」
「そいつぁ俺様が引き受けてやってもいいぜ。船団の出発は近いみてぇだからな」
先ほどのイオックとの話の中で、出発の日時はそう聞いていた。
数日から十日後ほどまでに、交易船が一斉に出発する予定。
船団とは言ったが、それぞれ別の船主が出す船だ。イオックは三隻の商船を持っている大船主だと聞いた。
航行の安全を少しでも高める為に皆が一緒に出航するのだそうで、緊急時にはお互いに助け合うこともある。
天候、海図、危険な海の魔獣や予期せぬトラブルなど、助け合っていかなければ乗り越えることが難しい。
そういった慣習を守らない船については、他からのフォローも受けられず、魔獣の襲撃の際に盾のように使い潰されることもあるとかで、今ではそんなバカはいないらしい。
「……ちゃんと送ってくれるの?」
「俺様だってそんなガキ拾っても困るだけだ。ああ、送ってやる手間賃はお前らが払えよ」
思いついたように言ってから、自分のその言葉に満足したのかにやっと笑おうとした瞬間。
「あぁーっ! バカボンルだぁ!」
◆ ◇ ◆
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