二_018 岩千肢_2



『マアァァァァヤァァァァァ』


 自分の体に傷をつけられたことで怒ったのか、あるいはアスカを危険と判断したのか、巨大岩千肢の首周りの髪がうねりながらアスカのいる方に向けられる。

 鳴き声は、見た目と違ってぬめったような声だった。


「髪の毛じゃなくて何かの感覚器官ってわけね」


 オレンジ色の球体がついた太い体毛。

 先ほど口顔はヤマトの方を見ていたはずなのにアスカの動きを正確に察知していたのは、このオレンジの球体が何かを感知しているからだ。


(嗅覚か、そうでなければ熱や電気を感知してるんだと思う)


 視力ではない。不安定に揺れる体毛の先についている器官が目だとしたら獲物を正確に感知するのは難しいはず。

 かすり傷を負った腕がじんじんと痛む。傷の度合いよりも明らかに苦痛が強い。


『ヨオオオォォォォォオォォッ!』


 絶叫。

 それは巨大岩千肢ではない。フィフジャとグレイが相手にしていた別の岩千肢だ。

 ちらと見れば、グレイが岩千肢の体を噛み千切っている。

 中央辺りの甲殻を噛み砕き、その内側の肉に食らいついて尾に向けて引きちぎるように肉を裂いた。


 筋肉の繊維を牙で捉えて裂くついでに、下の甲殻も何枚か引き剥がしていた。

 悲鳴をあげたその頭に、フィフジャが手斧を叩き込む瞬間を確認して、すぐさま巨大岩千肢に意識を戻す。



(グレイ、あの足に引っかかれてた)


 噛み付いて攻撃する以上、たくさん生えた足に絡みつかれてしまうのは避けられない。大丈夫だろうかと心配になるが、今はまだ脅威が目の前にいる。

 最初にヤマトに殴られた岩千肢の姿は見えない。逃げ去ったのだろうか。


「あとはこいつを……」


 ヤマトが言いかけた時、巨大岩千肢が大きく体を起こした。


 尻尾の方の足三対ほどで体を支えて、天に直立するように体をほぼ真っ直ぐに起こす。

 大きい。ボンルの倍ほどもある高さ。

 聳え立つような黒い甲殻。


 思わず見入ってしまったアスカ、ヤマト、ボンルの前で、その直立した岩千肢の体がふらりと揺れる。

 ゆらり、と。


(倒れ――!)


 違う。


「危ない!」


 振り子のように体を振ってからの、回転薙ぎ払い。

 自らの長い体を鞭の様にしならせて、ただ硬度は金属のようなその巨体で周囲の敵を打ち払う。

 わずかに遠くにいたアスカは咄嗟に飛びのいた。


 元の体長以上の範囲まで届くようなその攻撃は、遠心力も含めて凄まじい勢いでボンルを襲う。

 咄嗟に剣で受け止められたのは荒事にある程度慣れた竜人のボンルだったからなのだが、強烈な勢いの岩千肢の巨体に吹き飛ばされて後ろの岩に打ち付けられた。


 ヤマトが立っていたのは、ボンルよりも岩千肢に近い位置。回転薙ぎ払いのやや中心側。


「らぁっ!」


 順番で言えばアスカ、ボンルの後に回ってきたその岩千肢の回転攻撃をジャンプで避ける。動体視力も反射神経も普通ではない。

 助走もないのに、空高く舞うように避ける。


 岩千肢の方も、避けられてそのままではなかった。

 一瞬で体をまた戻すと、着地しようとするヤマトに狙いを定めた。


 重力に引かれて大地に戻ってくるヤマト。

 体勢の崩れた獲物に、長い体を引き絞って必殺の一撃を。

 一直線にヤマトに迫るその一撃は、着地の姿勢では防ぐことも躱すことも出来ない。


「ヤマト!」

「――っ!」


 消えた。


 岩千肢の感覚では、そうとしか言えない状況だろう。

 横で見ていたアスカでさえ、岩千肢に貫かれたヤマトの幻影を見たと思ったほどだ。

 岩千肢が貫いた空間から、ドロンと。


(忍術?)


 違った。

 ヤマトは着地の瞬間に、槍の石突で思い切り地面を突いていた。落下の勢いを殺して余りある力で。

 その勢いと軽く地面に着いた足で、着地とほぼ同時に再度空中にとんぼ返りをするように浮かび上がった。


 棒高跳びのように地面に残った槍の柄に岩千肢の顔面がぶつかり、弾かれた槍をヤマトは放さない。

 空中でくるりと両手で槍を持ち変えると、真下にいる岩千肢の巨体に突き刺した。


『ムアァァァァァァァァァァァ』


 痛覚がある。

 種類としては昆虫ではないのか。

 地面に縫いとめられた岩千肢の絶叫を聞きながら、ふとアスカはそんなことを思った。


「ウォロ!」


 ヤマトが声を掛ける。ウォロはもう大斧を地面から引き抜いて肩に構えている。

 動きを止められた岩千肢に向けて振り下ろすのに何も問題はなかった。



 頭を叩き潰してからも、しばらくは手足をばたばたとさせる姿はさながらゾンビのようでもあった。

 そういえば、フィフジャの説明ではこの世界で動く死体はないと。


 ──死体が動くわけがないだろ。そういうのは怪談の類だ。


 同じように幽霊などもいないという。信じてる人もいるという話だが、フィフジャはいるわけがないと笑っていた。



「ウォロ、大丈夫?」


 ヤマトが駆け寄って心配そうに声を掛けた。


「ああ、なんでもねえから平気だぁ」


 ウォロが巨大岩千肢の頭を潰した直後、まだ蠢く岩千肢の腕に引っかかれていた。

 死に掛けの悪足掻き。

 赤いミミズ腫れがウォロの腹の左右に三本ずつ残っているが、平気だと笑う。


(お兄様、私も引っかかれたんですけど)


 妹のことより丸い巨漢を心配するヤマトにやや納得いかないと思うアスカだった。

 前夜にヤマトがウォロに親近感を覚える会話があったことを知らない。



「もう一匹は逃げていきやしたぜ。山脈の方に」


 周囲を見ていたツウルウが、取り逃がしたもう一匹の行方について報告する。


「グレイ、大丈夫なのか?」


 フィフジャに声を掛けられるグレイ。先ほど戦闘中に岩千肢の手足に引っ掛かれていたはずだが。


『ウォンッ』


 元気に返事をして、自分が倒した岩千肢の肉に貪りついている。

 フィフジャが心配しているのは、そんなもの食べて大丈夫なのかという意味だ。


 岩千肢の甲殻はかなり硬かったはずだが、グレイはそれを噛み砕いていた。焼け付くような爪の攻撃も効果がないようだ。

 食べている肉は鳥のささ身のように筋っぽい繊維質な肉で、外観からは想像もできないほど肉が詰まっている。



「グレイにはこの毒爪みたいなの効かないのかな?」

「HEBIの毒ってINUにはあんまり危険がないって話だけど。MANGUUSUだっけ?」


 こちらの世界で対応する言葉がわからない名詞は日本語になってしまう。ヤマトとアスカの会話を、ボンルは理解できないという表情で見ていた。


 鶏肉のような肉質で、犬に効かない毒。

 見た目はムカデのようだと思ったが、蛇のような種類の生き物なのかもしれない。甲殻だと思っているのは鱗なのか。

 地球の蛇と逆で手足がたくさんだったので想像もしなかった。


(大森林に蛇がいなかったのって、もしかして銀狼が食べつくしちゃったからだとか)


 アスカが許可する前からがつがつと肉を食べているグレイの様子からすると、好物なのかもしれない。



「んーこれ食べる?」

「ちょ、マジかよ!?」


 あまりに美味しそうにグレイが食べているのを見て提案してみただけだが、ボンルたちはぎょっとした顔をして、フィフジャとヤマトは引きつった笑みを浮かべた。


「食べられないの?」

「手足を食べると舌が数日は麻痺するんで。胴体の肉は食べられやすが、ゲテモノ料理って評判だと。中の肉も少ないってぇ話ですがね」


 ノエチェゼでも一部の愛好家にしか食べられないのだとか。食うに困るような人間には岩千肢を狩ることも出来ない。

 標準的な大きさの岩千肢だと可食部も少ないというのだが、この大物はそうでもない。肉が詰まっている。

 結構な強敵だったので、美味しいのではないだろうか。


「一応言っておくんだがアスカ、別に強い魔獣が美味しいわけではない。黒鬼虎だって美味しくないという話だし」

「違うの?」

「どんな理屈なんだ」


 フィフジャの説明と、ヤマトの呆れた顔。

 確かに強い獣が美味しいという理屈ではないけれど、苦労した分だけ美味しかったりするかなと。そんな夢は詰まっていないだろうか。



「お前ら、本当にすげえな。参ったわ」


 はあ、と溜め息を吐きながらどっかりと腰を下ろすボンル。先ほど巨大岩千肢に薙ぎ払われたのだが、大した怪我はしていないようだ。

 竜人の戦士の端くれなのだからそれなりに鍛えられている。

 端くれ、なんじゃないだろうかとアスカは思っているのだが。


「食い物に困っていたら何でも食うだろうけどな、そうでもなければ好き好んで食うようなもんでもねえぞ」



 そんなものを好き好んで食っているグレイが――


「あれ? グレイ?」


 先ほどまで食事をしていたグレイの姿がない。

 もしかしてやはり毒が回ってふらふらと……?

 アスカは心配になってグレイとフィフジャが仕留めた方の岩千肢の方へ足早に駆け寄り、周囲を見回した。


「グレイ、どこ?」

『ウォンッオンッ』


 声の様子からは危険ではない。こっちだと誘導する時の鳴き方だ。

 呼んでいる方に行くと異臭が強くなっていった。岩千肢の血肉の臭いかと思ったが違う。


「何の臭い?」

「……腐臭だな」


 アスカに続いてきたフィフジャが顔をしかめながら言った。

 大き目の岩の陰の近くでグレイがアスカを待っている。臭いの原因もそちらだ。


 見ればその辺りに何かの生き物の残骸が散乱している。臭いは残された肉が腐っているからか。


「これ、何の死骸なのかな?」

「……」


 フィフジャは周囲を見回して、首を振った。

 おそらく今ほどの岩千肢が食い散らかした跡なのだろうが、何の生き物だったのかわかる状態ではない。



「……ぁ、ぁ……」


 掠れるような声が漏れる。

 アスカではない。フィフジャの声でもなかった。

 グレイが待機している奥の岩、その下の隙間から聞こえるのは――


「フィフ、人がいる」

「そう、だな」


 林立する岩陰の隙間に身を伏せて震えている子供がいた。

 身に付けているのは土で汚れたぼろきれで、髪も肌も同じくらいぼろぼろになっている。

 伏せたままわずかに上げた瞳がアスカを捉えていた。


「生きてる、けど」


 すぐさま助けようと言わない。アスカは慈善家ではないし英雄などでもない。

 そしてこの世界の常識を知らない。この子供にうっかり手を伸ばして危険はないのか判断できない。

 死に掛けた振りをして旅人を襲う手段ということもあり得る。

 見た目は助けを求める子供にしか見えないが、それだって罠かもしれない。


(ヤマトならすぐ助けるんだろうけど)


 岩陰の奥に別の岩千肢などの魔獣がいるのかもしれない。生餌を使ってアリ地獄のように待ち構えている可能性もある。


「……助けた方がいい、よね?」

「そうだな」


 いくつかの可能性を思い浮かべてから、アスカはそれでも良識的な選択肢を口にした。

 グレイが危険を感知していないのだから、魔獣のようなものが潜んでいる可能性は低い。

 この子供の消耗は偽りでもなさそうだ。誰が通るとも知れないこんな場所で、ここまで手の込んだ待ち伏せをするのも非効率的。



「大丈夫?」

「あ、うぁ……」


 声をかけて近づいてみると、子供は口を小さく開いて呻いた。

 水が必要だろう。だが荷物はみんなの所だ。


「岩千肢ならやっつけたから。動ける?」


 聞きながら手を伸ばす。もし不審な動きをすれば即座に対応する心構えで。

 そんなアスカの心配は無駄だった。ボロ子供は震える手をゆっくりとアスカの方に伸ばしてくる。


 岩肌のように水分のない質感の手。

 あまり強く握ると崩れてしまいそうなその手を取って、アスカはふと母のことを思い出す。母ならどうしただろうか。



「もう、大丈夫だから」


 根拠はない。

 特に意味もない。

 ただ、この状況では適切な言葉だろうと思っただけだ。


「う、うっ……」


 渇ききっていた子供の体の内側から、搾り出されるように涙と嗚咽が溢れてくる。


「水と食べ物が向こうにあるから。歩ける?」


 岩の陰からのろのろと這い出してくる子供をフィフジャと一緒に支えて立たせた。


(あ、女の子だ)


 それまではあまりにボロボロの様子でわからなかった。

 触れてわかった、わけではない。

 体をとりあえず覆っているだけのボロ布では隠しきれていないので、見えただけだ。


 年齢は幼い。まだ十歳にもなっていないだろう。どの程度食べていなかったのかわからないが、非常に軽い。

 童女の体を気遣いながら歩き始めて、ふと周囲の死骸に気がつく。



(人間だったんだ、これ)


 食い散らかされた肉と血、骨の名残。

 おそらくこの童女と同じように岩千肢に襲われていた人間の、その末路。


(踏んじゃったし……)


 見ず知らずの誰かの死に様に過剰な感情移入はしないものの、人の遺体を足蹴にしてしまったことと、靴が汚れたことをひどく後悔するのだった。



  ◆   ◇   ◆


  ※ アスカの他者に対する配慮の欠如は意図した描写です。

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