二_019 勝つこと
童女はクックラと名乗った。
ノエチェゼの西南、山脈との境界の鉱山のある農園に住んでいた。
この岩場からだとほぼ真西に位置するはずだと言う。
農園は、主に森の果実などの収穫と鉱山での採掘、他にはノエチェゼの町の上層部から指示を受けて林業を行っているらしい。
先日ヤマトたちが通り過ぎてきた農園と違い、それなりの村として機能しているそこでは老若男女さまざまな人がいて、自然と子供も生まれる。
子供たちも、幼い頃から農園の仕事を手伝いながら覚えていく。
フィフジャの生まれ育ったリゴベッテとは違い、ここでは物心ついた子供も労働力に数えられる。よほど上位の家に生まれなければ。
数日前、クックラも肉親である父や兄、その他の村の人たちと共に山脈沿いの森に入り、木の枝を切ったりする作業をしていたそうだ。
(間伐、枝打ち。そういうやつか)
建築用に育てる木であれば、なるべく真っ直ぐで余計に枝がない方がいい。夏場は枝も伸びやすいので、そういった作業が必要になるのかとヤマトは思う。
「空から出てきた」
ぽつりとクックラが言う。
空から現れた――まさか伝説の龍ではあるまい。
「何が出てきやがったって?」
ボンルの声は大きい。幼いクックラが萎縮するのではないかとヤマトは心配になるが、クックラは既に大きな恐怖を経験しているせいか表情は変わらなかった。
少し考えるように沈黙してから、ぽつりと言った。
「だいふがく、って」
「そいつぁまた運の悪いことで」
同情した様子でもなくツウルウが肩を竦めた。
「危険な獣なの?」
「そりゃあおめえ、あったりまえだろ。
ヤマトの疑問にさも当然だろうとボンルが答える。
「太浮顎、肉食の海鳥だな」
「海鳥なんて呼べんのは
肉食の鳥。
廻躯鳥のようなものの海鳥バージョンを思い浮かべてみるが、そこまでの脅威なのだろうか。
名前からすると太浮顎と小浮顎で大きさが違うのだとは察するが、あまり危険だと感じられない。
「山脈の向こうは海までの絶壁になってるって言ったろ。その崖あたりに巣を作っているんだ。海に浮かぶ島にもあちこち巣があるって話だ」
この辺りはズァムーノ大陸の北端になる。山脈の反対側に生息するはずの太浮顎がはぐれて飛んでくることもあるのだとか。
「最初に一人死んだ。逃げて岩場に出た……そしたら、あれに」
森から逃げ延びて岩場に出たら、今度は
必死で逃げてきたが、その間に父も兄も他の同行者も次々と殺された。
クックラが岩の隙間に身を潜めた時には、他にも二人の子供が一緒だった。
あの三匹の岩千肢は、一日ごとに、その子供を引きずり出して食らっていたのだと。
岩の隙間の底の方に数日前に降った雨の水溜りがあって、その泥水を飲んで凌いでいたとも言う。
無表情に語るクックラの言葉は短く淡々としていて、だから余計に重苦しく圧し掛かってくる。
「夏場は死肉はすぐ腐るってわかっているんですかね」
無神経に言うツウルウにヤマトが厳しい視線を送るが、すんませんねと軽く謝られた。
まるで反省していない。
その脛を、少し離れた場所から戻ってきたアスカがつま先で蹴りつけたのを見て、ヤマトの気持ちも少しだけ晴れた。
「バカ、口に気をつけろって言ってんだろうが」
脛を押さえてのた打ち回るツウルウに溜め息を吐いて言う。ボンルも不愉快に感じていたのだろう。
(死肉が傷む、か)
それを知っているから、すぐに獲物を殺さないで食べる分だけ殺していたと。
その程度の知能なら地球の生き物でも存在するのだと図鑑に書かれていた。そういうこともあるのだろうが。
だが理由はそれだけではないと、根拠はないがヤマトは思った。
(多分、弱い生き物を嬲り殺すことを楽しんでいたんだ。三匹で)
あの巨大な岩千肢三匹は、もっと森に近い場所を縄張りにしていたのだと思う。
肉食の岩千肢としては森のほうが獲物が多い。だがどうやら湿度の高い場所は好まないのでこんな岩場に生息している。
森に近ければ中に入って狩りも出来るし、森からはみ出した獲物を狩ることも出来る。そうして餌の豊富な環境を縄張りにして、大きく育ったのではないかと。
今回は逃げる子供を追って岩場の中心側に来てしまっただけで。
「クックラ、つらかったな」
ヤマトがそっと頭を撫でた。ごわごわな手触りの髪。
栄養状態なのかわからないが、灰色の髪に灰色の瞳。
銀狼の子供をみすぼらしくしたような……などと言ったら失礼かもしれないが。
水をゆっくりと飲ませた為か、顔の肌は少しだけ水気を取り戻しつつある。
「ん……」
服はぼろきれのままなので、座っていると隙間から素肌が見えてしまう格好なのだが、こんな子供に欲情するものもいない。
アスカが服を貸してやればと思わないでもないが、衛生上の心配や気持ちの問題もあるだろう。
夏場なので寒くて体調を崩すことはない。とりあえず今はこのままでいい。
「そろそろ出来るよ」
「……」
アスカの言葉にクックラを除く全員が目を反らす。ウォロでさえ、目を泳がせて困ったように逃げ道を探していた。
ヤマトは聞こえない振りをする。
ツウルウの足を蹴るために戻ってきたわけではないのか。残念なことだ。
「もう少しでいい火加減だと思うから」
「……」
ふんふんと鼻歌交じりに背中を向けて、みんなが休んでいる岩陰から去っていった。
その背中をボンルが顎で指し示して、ヤマトに何とかしろと無言で伝えてくる。それは難題だ。
(あいつの趣味なんだよな、多分。悪趣味だけど)
竜人族の村で皮穿血を振舞った時からだろうか。
いや、大森林でフィフジャに皮穿血を食わせた時からか。
人が遠慮するようなものを食わせることを楽しむなんて悪趣味を覚えたのは。
「ヤマト……俺は、今回は無理だ。本当に断固として拒絶するぞ」
「アスカがこういうことを楽しむようになったのはフィフのせいだと思うんだよね、僕は」
「お、お前は保護者として責任取れよ」
逃げ腰のフィフジャをヤマトとボンルが責める。
アスカが上機嫌に焼いているものは、もちろん先ほど仕留めた巨大岩千肢の肉だ。体の構造からすると背中の肉ということになるのだろうか。
岩の向こうから立ち上がる煙、そしてアスカの鼻歌。
「ウォロ、僕はお腹が空いてないんだけど」
「汚ねえぞ坊主。ウォロに押し付けようとするなんざ男らしくねえ。俺様はちょっと腹の具合が……」
「人のこと言えないだろ、あんたも。とにかくヤマト、兄としてきちんと」
「出来たわよ」
言い争いの時間は終わった。
ここからは言い訳の時間か、懺悔の時間か。
アスカが、愛用のフライパンの上に切り身の肉を並べて持ってきた。ご丁寧にいくつかフォークを差して手に取れるようにしている。
どこか薄暗い微笑。
そこにはどんな言い訳をしようが食わせるという意志がある。
(不味いわけではないんだろうが、あのうぞうぞした動きは気持ち悪かったからなぁ)
黒い甲殻に覆われていたのに、中の肉は白い。焼いたのに白っぽい肉。
食欲が湧かない。思い出すと腕などは人間の二の腕とかに似ていたし。
「クックラ。熱いから、ゆっくりと噛んで食べて」
しばらく絶食状態だったクックラに進める。
「これ、は……?」
「岩千肢の肉よ」
手を伸ばしかけたクックラだったが、それを聞いてぴくっと手を止める。
表情は変わらない。相変わらず無表情というか固いまま。
「食べるのよ」
「……」
少し前まで自分の家族や知人を食い荒らしていた魔獣を、クックラに食えと言う。
「嬢ちゃん、そいつぁちょいと厳しくねえですかい」
「食べなければ死ぬの」
ツウルウの言葉を受けても、アスカは視線をクックラから外さない。
他にも食べるものなら用意できる。
だが、携行している保存食を消費するより、今仕留めたこの岩千肢を食べる方が適切な判断なのは事実だ。
選り好みしているようでは、どちらにしろクックラは生きていけないのだから。
「こいつはあなたのお父さんやお兄ちゃんやお友達を殺して食べた岩千肢なのよね」
「っ……」
「でも関係ない。こんなのただの肉。関係があるとすれば、この憎い岩千肢が死んで、それをあなたが食べて生きること。それだけが勝ちなのよ」
「……勝ち?」
「やられっぱなしで悔しい。私ならね、負けたまま死ぬなんてイヤだから、絶対に仇を討つ」
勝ち負けにこだわりすぎるのはアスカの悪いところだとヤマトは思うのだ。
負けて逃げてもいいことだってある。実際に朱紋からだって逃げ延びた。あれは逃げ延びたのが勝利と言えなくもないか。
とりあえず負けたままにしておくことを嫌うのは、勝気という性分なのだろう。
「あなたのお父さんだって、クックラがこいつの肉を食ってでも生き延びてくれた方が嬉しいんじゃないかと思う。知らない人だから勝手なこと言うけどね」
「おとう、さん……」
呟きと共にうっすらと目に涙が浮かんだ。
クックラは拳を握って目元を拭うと、アスカから差し出されていたフライパンからフォークに刺さった肉を手にする。
「……食べる」
かぶりついた。
ささみのような筋のある肉を噛み千切りながら、クックラの灰色の目からまた涙が溢れていた。
表情は変わらない。だが涙が止まらない。
アスカの言葉に納得したからなのか、空腹に耐えかねたからなのかはわからない。
その食べる姿を見て、ヤマトたちも安堵を覚えた。成り行きとはいえ助けた子供が生きる意志を示してくれてよかったと。
親兄弟を亡くしたと聞いて、またウォロが涙と鼻水で顔をべしょべしょにしていたけれど。
「……」
めでたしめでたし、とその場を離れようとしたフィフジャの腹の前にフライパンが突き出された。
そちらの方向を見ていなかったはずなのに。
「どこいくの、フィフ?」
「いや、その……何か怪しい気配を感じてな」
「グレイ」
『オンッ』
アスカの号令で、グレイがフィフジャの行こうとした方向に駆けていった。
(グレイまでこの肉を僕たちに食わせたがっているのか)
うまいから遠慮せず食えよ、とアスカと共謀しているのではないだろうか。
地球人の感覚とすれば巨大ムカデを食べるような気分。その気持ちはこちらの世界でも同様のようなのだが。
「皆で、クックラの勝利を噛み締めていきましょう」
「……」
にたぁり。
悪い笑顔だ。
少なくともこのタイミングでその笑顔は人としてダメだと兄は言いたい。クックラの家族が亡くなった弔いとしてと言ってる顔ではない。
フィフジャが泣きそうな顔でヤマトを見てくるが、そこに救いがないことくらい知っているだろうに。
(こいつ最初から、この子をダシにして全員に断れない状況を作ろうとしていたのか)
なんてバカな妹なんだろう。見ず知らずの人とはいえ、人の死を踏み台にしてこんなことを。
ダメだ、人としてダメな奴だ。これ。
「さっきの岩千肢を見ていてわかったの」
「……なんだ、アスカ?」
「首の周りの髪の毛みたいなのの毛先にオレンジ色の球体があったじゃない。あれって周囲の熱を感知するのよね」
「そうなのか? それが何か……」
「魔術でも出来るかなって思って。SEKIGAISENって言うんだよ」
――出来ちゃったみたい。
そんなセリフはつい先日も聞いた。昨日の天才魔術士でしたか。
光も電磁波の一つだから、先だってアスカが言っていたように魔術の原理が電気信号によるものであれば応用できるのかもしれない。ヤマトにはすぐには理解できないが。
見てもいなかったフィフジャの逃げ道を塞いだのは、その感知を活用したからだというのだろうか。ただの直感のような気もするが。
(このバカに、これ以上余計な技術を会得させるのは危険すぎる気がする)
漫画の中の大魔王も言っていた。勇者に余計な戦闘を経験させるな、とか。
「食べなさい、フィフ」
命令。
ヤマトは静かに首を振った。逃げ道はない。
泣きそうなフィフジャから目を反らして、渋い顔をしている三馬鹿を見て、小さく頷く。
(勝てない)
相手は勝利するまで止めない性分の女だ。こちらが勝てる見通しが立たない。
毒ではないのだ。腹を括って食べればいい。
生きていた時の姿を思い出さなければさほど問題ではあるまい。
「これがイヤなら、あの小さな目玉のついてた歯茎みたいなところも焼い」
「頼む。食べるから許してくれ」
下手な言い訳は余計に事態を悪化させるのだから。
食べてしまえば、脂身の少ないさっぱりとした肉で健康的な印象だった。
アスカとクックラはグレイと一緒に他の部位も食べていたので、嫌いではなかったのだろう。クックラが食事を摂取するのは悪くないことだが。
追加で狩りをするとか言い出す前に岩場を抜けようということで、ウォロがクックラをかついで進むことになったのだった。
「お前、よくあれの兄貴やってられんな。すげぇよ」
――ボンルさん、妹は選べないんだ。
◆ ◇ ◆
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