二_015 嫌な臭い_2



「こっちだな」


 農園を出てしばらく進むと、ボンルは道とは異なる方角を示した。


 真っ赤に染まった夕陽に照らされているのは、ごつごつとした岩場地帯。

 川はその岩場を流れていくが、道はその岩場を避けるように大きく東に迂回していくようだった。

 道と川が交差するところには石造りの橋がいくつか架けられている。



「真夏の日中だと岩に照り返す日差しで参っちまうが、ちょうど日暮れだからな。夜の間にこの岩場を抜けるのが近道だぜ」

「危険はない?」

「坊主、心配しなくっても俺がいるんだからよ。岩千肢いわちしの一匹や二匹くらいなんともねぇさ」


 ヤマトの質問にがははと笑って答えるボンルだが、フィフジャが渋い顔をした。


「岩千肢が出るのか」

「いわちしってなぁに?」


 知らない生き物の名前だ。岩場に生息していそうな生き物の名前だ。


「俺も一度しか見たことはないけど、黒くて、長くてな。固い体表で、たくさん手足があるから、岩千肢って呼ばれている」

「足がたくさん……ええと、あれ。森の出口くらいで見た、バムウ?」

「バムウは長くなかっただろ。丸くて薄い茶色だ」


 足がたくさんという所からアスカが思い出した生き物がそれなのだが、まるで違った。



「バムウなんて何年も見たことねえぞ。ありゃあ厄介だ」


 なぜだか先ほどまで自信たっぷりだったボンルが焦った声を出す。


「へえ、バムウなら七匹くらい狩ったよ。ねえ?」

「だったかな。あの時は色々と忙しかったから」


 ボンルの表情が面白くて、つい言わなくていいことを言ってしまう。

 やかましい自信家の顔が引きつるのを見て、アスカの気持ちが少しだけ穏やかになる。


「マジかよ。バムウの肝は極上だって噂だけどどうなんだ?」

「いや、食べてないから知らないけど。あれって食べられたの?」

「あの状況じゃなければだけど」



 ヤマトが残念そうにフィフジャにたずねると、彼は苦笑しながら頷いた。


「昔食べたことがあるけど、確かに肝も肉もうまかった。柔らかいんだが程よい弾力で煮崩れしない肉だったな」

「バムウは群れで行動しやすし、尻尾の毒針と鉄でも噛み砕く歯があっておそろしい魔獣なんですがね」

「出たときはどうするの?」

「大森林近くでもなけりゃそうそう見やせんが、火を嫌うんで篝火を数日焚いときゃいなくなりやす」


 下手に手を出せば死者が出る。リゴベッテでは異常繁殖したバムウの群れに飲まれて滅びた村もあるとか。

 見た目は薄茶色からベージュ色のふにふにした半球体なのだが、かなり厄介な魔獣だということだった。

 ただ、水と木が十分にある場所で生息するので、この辺りだと今は見ることがないと。



「倒したの全部あのままにしてきちゃったもんなぁ」

「なんて勿体無いことしてんだ、おめえら。牙だって鋼鉄にでも文字が書けるっていって細工職人に重宝されてんだぞ」


 牙と聞いて、アスカはごそごそと自分の荷物を漁る。


「ええと、これ?」


 バムウ襲撃の時に噛み付かれたヤマトの鎧に残っていた牙を回収していた。

 長さはアスカの小指くらいの白い牙。固く鋭い牙だったので、また何かに使えるかもしれないと思って。

 ボンル、ツウルウがそれを見て目を丸くする。


「大将。本物ですかね、これ」

「馬鹿やろう。俺だって見てもわからねえよ」


 珍しいのだろうか。アスカはフィフジャを見上げるが、彼はふるふると首を振った。知らないということだ。

 細工職人がどんな素材の道具を使うのかなんて知識はない。


「フィフジャはどうしてバムウを食べたことがあるの?」

「その時は師匠と一緒にはぐれたバムウを見つけたから。肉はすぐに食べたけど、牙をどうしたかまでは知らない。尻尾の毒針は何かに使うって言ってたかな」


 時折、フィフジャの話には彼の師匠のことが出てくる。

 フィフジャ自身が体験していないことでも、師匠からはこう聞いているというように。



「お、お嬢さん。こいつを触らせてもらっても?」

「……ダメ」


 細目を見開いて物欲しそうに見てくるツウルウの視線が気持ち悪くて、アスカは手の平に置いていた牙をしまいこむ。

 牙を触らせることより、その際にツウルウがアスカの手に触れるのがイヤだと思ったので、さっと手を引っ込めた。



「それより岩千肢いわちしってどんななのかよくわからない」


 もともとその話だったはずだ。アスカが話を戻すと、フィフジャがあーと呻きながら答える。


「そうだったな。黒くて固くて、足がたくさん……」

「それはさっきも聞いたけど」

「とにかく長いんだ。大きいのは大人三人分よりまだ長いって言われてる」

「そんな大物はいねえって。どんだけでかいのでも、せいぜい俺の背丈と同じってとこだな」


 気を取り直してフィフジャの説明に合いの手を入れるボンル。


「実際、剣やらじゃなかなか歯が立たねえからな。松明の火程度なら気にもしねえ」

「そんなのどうやって退治するの?」

「潰しゃいいのさ。ほれ」


 ボンルが、それまでぼうっとしていたウォロを親指で差す。

 ウォロの持つ大斧、その刃のついていない槌のようになった側で叩き潰すのか。

 急に視線を集めたウォロが、愛想笑いのようにえへーと声を漏らした。



「他人任せじゃない」

「その辺は俺の人徳ってやつだな」


 呆れたようなアスカに悪びれもせずにボンルが返すと、意味がわかっているのかいないのかウォロが大きく頷いた。


「ボンルさんはすごいんだよぉ」

「……そうみたいね」


 ウォロの顔に悪意はない。なんとなく毒気を抜かれてしまって、アスカはやれやれと頷いた。


「じゃあ、この岩場をさっさと進むわよ」

「おお、ってなんでお前が仕切ってんだ」

「その辺は私の人徳ってやつね」

「そうだなー」


 アスカの軽口に適当な相槌を入れて進み始めたヤマトを見て、ボンルはわけわかんねえと言いながら早足でヤマトの先を歩き出した。

 夕暮れの空と共に朱色に染まった岩場を進む彼らの影が、地面に長く伸びていた。



  ◆   ◇   ◆

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