二_010 子枝の大樹
「あーつーいー」
「言うな、俺も暑い」
アスカのぼやきにうんざりしたような声を返すフィフジャ。
ゼヤンたちの村を後にしてから五日後に別の竜人の集落に到着した。
草を踏み分けた道らしいものがあったので、迷うことはなかった。
村の人口は千人以上ということでゼヤンの村より大きいのだが、少し寂しい感じのする村だった。
村長が病で長く臥せっているらしい。
跡継ぎになるはずの長男は、だいぶ前に村の暮らしを嫌がって出てしまったのだとか。
大樹の村ガレ。
その名の通り西側のはずれに天まで
これはもしかして世界樹とか言われるものではないだろうか。
フィフジャに尋ねると、そういう物はまた別の場所にあるのだとか。
ただフィフジャにしてもこれほどの巨木を見るのは初めてだったらしく、やや呆けた様子だった。
とりあえずゼヤンにもらった木札を見せると、珍しそうにまじまじと観察されて名前を聞かれた。
木札の裏面には三人の名前が書かれているそうだ。銀狼を連れている、とも。
ジナの村長が認めた一行に
翌日すぐに出立するつもりだったが、そこでアスカが熱を出して寝込んでしまった。夕方にはヤマトも同様に。
そのまま二日間、その村で休息させてもらってから出発した。
(父さんが心配していたこの世界特有の病気かな。今まではそういう病原菌と接触してこなかったから)
今まで体験していない人々との交流で感染した病原菌。
重症化しなかったのはもともと体力があったからかもしれない。数日で克服することができたのは幸いだった。
もらった薬も良かったのだろう。
聞くと、村の西にある巨木の葉から煎じて作っているのだとか。
かなりの劇薬なので、かなり薄めて調合しないと逆に毒になるとも言っていた。
せっかくなので村を去る前に近くまでいってみた。
見たことのない種類の木で、根元が太い。というかめちゃくちゃ太い根っこがいくつも絡まりあって上に伸びているかのような印象の木だ。
家にあった絵本『ジャックと豆の木』の挿絵の形に似ている。幹は緑色ではなく茶色だが、形状はそんな雰囲気の木だった。
――子枝の大樹。
意味はよくわからないがそう呼ばれているのだとか。見上げると首が痛くなる高さだ。目算で一〇〇メートルくらいあるのではないかと思う。
健康になったことを感謝して手を合わせて祈っていると、大樹の西の山脈近くの林でグレイが単独でブーアを狩ってきてくれた。
完全に息の根を止めずに村まで引き摺ってきたのは、死肉が傷むことを知っているから。グレイは非常に賢く強靭で頼りになる。
回復したヤマトとアスカは、村の人々とその肉を鍋にして分かち合い、翌日に出発した。
◆ ◇ ◆
それからまた五日進んで、今は日の出から三刻ほど経ったほど。
この時間から暑さはまだ増すというのに、アスカの口からは、うーとか、あーとか、だるそうな呼吸が聞こえている。
ロスした時間を取り戻そうと気持ちは
あと十日ほどで秋の暦ということになるが、今がちょうど一番暑い時期かもしれない。
(森の中はここまで暑くなかったからな)
炎天下の草原を歩くアスカがぼやくのも仕方ないが、フィフジャの言うとおり聞いていると余計にだるくなる。
ヤマトは頬を流れる汗を手の甲で拭って、払い落とした。
瞬間的に肌の水分が気化するのが気持ちいいが、本当に一瞬のことだ。あとはべたべたした感触とじりじり焼ける日差しが体力を奪う。
グレイは少し先行して、道と併走する川の水を飲んでいる。やはり暑いのだろう。
ついでのように、川辺にいた何か柔らかそうな茶色の生き物を捕まえていた。
大森林では見たことがない。大きさはフィフジャの拳ほどで、小さな翼らしいものがあるが飛べそうにはない。見てみれば群れで周囲にたくさんいた。
飛べない小鳥で、川の中から岸辺あたりをぬるぬると滑るように群れで動いている。泳いだり、岸にあがったり。翼ではなくヒレなのかもしれない。
「フィフ~、グレイが食べてもいいかって」
「ああ、ベジェモか。毒はない」
「グレイ、食べていいよ」
アスカに許可をもらったグレイが、咥えていたそれを咀嚼して食べてしまう。別に毒の有無を判断できなかったのではなくて、アスカの許可を待っていただけだ。
ばりばりごっくんと、こういう姿を見るとやっぱりグレイは獣なのだなぁと思う。
「すばしっこくて、網でもないと普通は捕まえられないんだけどな」
改めて感心したように言うフィフジャ。グレイは優秀なハンターだと。
『ウォンッ』
おやつがわりにその水棲らしい小鳥――ベジェモと言ったか、それを食べて満足そうに鳴いてみせるグレイ。
元が狼だ。生肉だからとお腹を壊すということもないだろう。
(いや、元も何もちゃんと狼だよグレイは。僕も暑さでボケてる)
小骨は大丈夫なんだろうかと思わないでもないが、グレイは何でもなさそうにぺロリと口の周りを舐めて、口直しなのかまた川の水を飲んでいた。
「子供らが網とか罠で捕まえて、串焼きにして食べたりするんだよ、大して肉はないけど。夏なら川辺でよく見るがこの辺は多いみたいだ」
村の子供たちにとっても、狩猟の真似事で捕って食べる最初の生き物というところか。
他の動物の餌になったりすることもあるのだろう。ベジェモの方は、川の周りの小さな虫などを食べて生活しているようでもある。
食物連鎖の一環。
「もうじき次の町かな」
「どうしてわかるの?」
尋ねてくるアスカに、フィフジャは歩いている道を指し示した。
「道が、だんだんと広くはっきりとしてきてる。踏み歩く人が多いんだ」
言われてみれば、とヤマトも改めて地面を見た。
ゼヤンの村を出た時には、北に向かってうっすらと踏み分けられた獣道程度の様子だった。
それが次の村の近くではもう少し草むらと道の境界がはっきりとしていた。
その村から出て三日ほど。
村から離れるとまた獣道に近づいていったが、今はそれなりの道幅で草がほとんどない道になっている。三人で並んで歩いても歩ける程度に。
舗装されているわけではないが、人の行き来があるから地面が踏み固められ、自然と草が生えにくくなっているのだろう。
「あれ、かな?」
「違うみたいだ」
アスカが見つけて指差した何かを、手を額に当てて日差しを避けながらヤマトは遠目に見て首を振った。
道の先に、背の高い木造の建築物がある。他に建物は見えないから町ではない。
「櫓だな」
フィフジャが汗を拭いながら頷いた。
近づいてみると、簡単な屋根と箱のようなスペースを、木で足場を組んで少し高い位置に設置した建物だった。
「誰もいない」
「まあ監視する相手もいないだろうし。日陰で少し休もう」
箱の中には誰もいなかった。
櫓を組んだ下は日陰になっていて、短い草が生えている程度。腰を下ろすのにはちょうどいい。
荷物を下ろして休憩することにした。
「どぅわー」
アスカが女の子らしくない唸り声を上げながら、開いたレジャーシートの上に転がる。
荷物はそこらに投げ出して、ばたばたと服の胸元をはたいて風を送っていた。
淑女の行いではないが、実際に淑女ではないから仕方ない。ヤマトも荷物を下ろして服をばっさばっさと扇いで涼を取る。
グレイも日陰で一休みと、べたっと地面に寝転がった。
「ほら」
フィフジャが水筒からコップに水をついでアスカに渡した。
「うぁーつめたぁい」
コップが冷えていたのか、寝転がったまま受け取ったアスカがそれを額に当てて気持ち良さそうな声を出す。
代償術で冷やしてくれていたのか。
案外と、こういう暑さ寒さに対してはフィフジャは強い様子だ。
(森は日差しが弱かったし、家では扇風機が使えたからな。暑さには軟弱かも)
ヤマトもこの日差しには参っているのに、フィフジャはそこまで堪えていないように見える。
「フィフは暑くないの?」
「馬鹿言うなって、暑いに決まってる。でも夏だしこんなものだろう」
言いながらフィフジャはヤマトにも、代償術で冷やした水を渡してくたる。
代わりの熱は地面に逃がしているようだ。フィフジャが右手を着いていた周囲の草が干からびていた。
一口飲むと、凍らせるほど冷やしたわけではないが、それでも気温よりかなり冷たい水が火照った体に染み渡る。
「くぅ、染みる」
「おっさんくさいなぁ、ヤマト」
苦笑しながら自分も水を飲むフィフジャ。どうやらヤマトの物言いは、この世界の基準で中年風らしい。
「この辺は特に暑いな。港が近いんだろう」
「なんで?」
アスカは寝転がったまま器用に零さないように水を飲んで、寝転がったままフィフジャに聞き返した。
「港の……海岸線に近い方が、暑い気候らしい」
赤道に近い、ということなのだろうか。
歩いてきた距離を短く見積もっても一〇〇〇キロメートルを軽く超える。真っ直ぐに南北ではないとしても、かなり北上してきたことになる。
(気候が違っても不思議はないかもしれない)
海が近いという話をしたせいか、さわっとした風が吹いた。
日陰で水分を取ったところで風が抜けると、かなり涼しく感じる。
「いい風だな」
フィフジャの髪が風に揺れる。そういえば出会った時と比べてかなり伸びている。
髭も、時折はナイフで切っているが、いつも綺麗に剃っているわけではない。
フィフジャの髭は口周りから顎まで繋がるように生えていて、色は髪と同じで焦げ茶色っぽい。
祖父も父も髭は割りとこまめに剃っていたので、髭面のフィフジャは年齢より老けて見える。おっさんくさい。
ヤマトは、まだあまり髭が生えてこない。年齢のこともあるだろうし、体質的なものもあるだろう。
自分の口元に手をやって、うっすらと産毛のような感触を確かめてみる。
(シタの毛とは違って、生えないならそれでもいいんだけど)
そういえばアスカは生えてるのかな、なんてことを思って妹を見るが、両手を挙げて寝転がっている姿はまだ子供だ。色気はないように思う。
そもそも兄妹なので色気を感じることはないが。
(父さんの秘蔵の本の女の人とは全然違うからな)
貴重な書籍だった。地球人類の生態を知るのに必要な資料として有用な本だったと思う。
(……嘘ですごめんなさい母さん)
丸めたその本で頭を叩かれたことを思い出して、心の中で謝る。
父には怒っていたが、ヤマトには呆れたような困ったような表情で、でもとりあえず叩かれた。
体罰だとは思わない。仕方ない措置だったと思うので、あれもいい思い出だ。いや、良いかどうかは微妙だけれど。
吹き抜ける風が、思い出に浸る?ヤマトを涼やかに撫でていく。
ヤマトの髪も伸びた。風に遊ばれる髪を、やや鬱陶しく思いながら撫で付ける。
「風が強くなってきたかな」
「雨がくるかもしれな……い……?」
風向きが安定しない。
妙な風だ。不自然な強さで、右から吹き付けたかと思えば、弱まって今度は反対から吹いてくる。
フィフジャは空を見ながら雨を心配したが、途中でその視線を地面に戻した。
ややぎょっとしたように振り返って、両手を上げて寝転がっているアスカに目を見開く。
「アスカ……なに、やってる?」
「んー、たぶん……こう、かなって」
風は、アスカの掲げている両手の間を中心に、そこに向かって吹き込んだり、逆に空気が逃げていくように流れたりしていた。
アスカの両手。手の平の間。
そこを中心として、小さな風の渦が発生している。
「SENPUUKI」
「魔術を、使っている……のか……?」
ヤマトとフィフジャがそれぞれ震えた声を上げた。
寝転がったままのアスカは、うっすらと目を開けて、二人に向けて悪戯っぽく笑ってみせた。
「えへへ、
暑さに耐えかねて魔術を使えるようになるとか、本当に――
(……本当に我がままで、自分に正直なやつだな)
感心するべきか呆れるべきか、フィフジャとヤマトは顔を見合わせて有り得ないと首を振るのだった。
◆ ◇ ◆
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