二_009 竜人の掟
帰るまでに二十匹以上の皮穿血と、その他の獣を狩った。
持って帰るには量が多すぎたので、駆除した皮穿血を数匹の他は可食部の多い牙兎とブーアの肉を持ち帰ることにする。
小川沿いを中心にいったりきたりして皮穿血を駆除したので、帰り道に新たな皮穿血が出ることはなかった。
森で収穫の際はピメウとクスラが風船を使い警戒していれば、以前のような犠牲者を出すことも避けられるのではないか。
どちらの方角から襲ってくるのか、風船の振動で判断がつくように体に覚えこませている。
襲ってくるタイミングと方向さえわかれば、彼らに対応できない魔獣ではない。これで状況は改善したと見ていいだろう。
村に戻ると、今夜はちゃんと宴会の準備がされていた。
皮穿血討伐成功を疑っていない。
昨日と違って準備万端という感じなのは、明日にはここを出発するということで送別も兼ねてのことか。
フィフジャに頼んでいた風船もうまい具合に出来ていた。何十個も試してようやくということではあったが、その試行錯誤は無駄にはならない。
風船にはとてもできないほど固くなってしまった配合は、他の用途に使えるかもしれない。
そんなことを離しながら宴の夜は過ぎていった。
◆ ◇ ◆
翌朝。曇り空の下、ヤマトたちは再び北へと出発することにした。
「保存用の干し肉とバノン粉だよ。水で練って玉にして粥に入れれば腹持ちがいい」
ヤマトが知るもので言えば米粉のようなものだろうか。この辺りの穀物の一般的な食べ方を教わる。
「あんたらが狩ってきてくれたブーアの肉なんかの礼だからね。遠慮はいらないよ」
「うん、ありがとう」
狩ってきた肉は、夏場で傷みが早いので宴会のうちに皆で食べてしまった。
その分だというが、あのままでは保存できたわけでもない。ただのゼヤンの好意として受け取る。
ヤマトに食料を渡して、フィフジャには巾着袋を渡していた。
「礼を言うのはこっちさ。皮穿血のこともだけど、あのフウセン様は本当に助かるよ。ありがとう」
「こっちも色々と助かったから。ありがとう」
フィフジャは巾着袋を受け取りながら礼を言う。
「この子達は、その……世間知らずなんで」
「ああ、そうだろうね。もしよければ、ここにずっといてくれてもいいんだよ」
ゼヤンの申し出にアスカが首を振った。好意は嬉しいのだけれど、ここで留まっていても本当に知りたいことは得られないだろうから。
「ありがとう、おばあちゃん」
「おば……ははっ、そうだねえ、ちょいと嬉しいじゃないか」
「もし行くところがなくなって困ったら、また来るから」
「それは嬉しいけど、あんたらが困るようなことがないといいさ。困らなくてもいつでもおいで」
アスカの頭をゼヤンの大きな手が撫でる。
「本当ならもっと礼金をあげたいんだけど、この村にはもともとあまり金銭がないからね」
先ほどフィフジャに渡した巾着袋には金が入っていたのだろう。少なくて申し訳ないというゼヤンに首を振る三人。
一文無しだったのだから、食料を融通してもらって金までもらえたら十分だ。
そんな三人に笑顔で頷いて、ゼヤンはクスラから木の板を受け取り、アスカに渡す。
「あたしらに出来ることはこれくらいさ」
木の札。大きさは手の平程度で、厚みはアスカの指より少し厚いくらい。
両面に朱色のインクで何か文字が書かれている。
ヤマトとアスカが読めないのはもちろん、フィフジャも首を振る。三行、何かが書かれているということしか判別できない。
「竜人相手だったら、この札を見せれば悪いようにはならんはずだよ」
お墨付き、ということか。
「いろいろ、ありがとうございます」
ヤマトが深く頭を下げる。
ヤマトとアスカの着ている服は、竜人からもらった茶色っぽい服だ。大き目のプルオーバーパーカーというのか、帽子がついて、上からだぼっと被るような服。
染められていない粗い縫い目の布で、通気はいいので夏でも暑苦しくはない。強い日差しを避けるのにはいいだろう。
下着を着た上からそれを被ってしまえば、地球の衣服はほぼ見えない。リュックサックは仕方ないが、少なくとも着ているものは現地風になった。
上から下まで見たこともない服装というわけではなくなり、このちぐはぐさが現地っぽいような気もする。
「気をつけてな。ノエチェゼだと盗み騙しは当たり前、欲しければ殴ってでも奪うような輩もいる」
言い聞かせるようにクスラが言うのは心配してくれているから。
油断してはいけない。殴ってでもとは言ったが、殺してでもという意味もあるのだろう。
「フィフジャ」
ピメウがフィフジャを呼び、半歩の距離――非常に近い距離に立つ。
近い距離で真っ直ぐに見つめられて、フィフジャはたじろぐように顔を後ろに引いていた。
「この子たちを、守って下さい」
「あ、ああ……」
「約束してください。この子達を守ると」
ずい、とさらに詰め寄るピメウに、フィフジャは一歩離れてからしっかりと頷いた。
「ああ、約束する。俺がこの子たちを守る」
「……お願いします」
ふう、と息を吐いてフィフジャから離れるピメウ。
妙な迫力で迫られたフィフジャは森で何かあったのかとヤマトを見るが、曖昧に苦笑を返しておいた。
(ピメウさん、ズァムナの子だってずいぶんと気にしてたからな)
世間知らずなズァムナの子が、港町ノエチェゼやリゴベッテ大陸などで危険なことにならないようにと、保護者であるフィフジャに念押しした。
それでも出立を強く止めないのは、おそらくヤマトたちの意思を尊重したいからなのだと思う。
(もっと世界を知れば、何か手がかりが……地球のことや、他のこともわかるかもしれない)
ヤマトとアスカはそう思い、フィフジャの言う通りにリゴベッテに向かうことにしていた。
リゴベッテの教会などには古い伝承なども残されているらしい。フィフジャは興味がなくて詳しく知らないという。
この村には残念ながら書物などの類はなかったし、情報量も少ない。地域的に仕方ないことでもある。
リゴベッテ大陸に向かうには船に乗る必要がある。
秋の終わりから冬半ばまでの海は荒れるので基本的に遠洋への船は出ない。なるべく早くに港に行き、信用できる船主を見つけて船に乗りたい。
変に崇拝されていることを除けば、この村に滞在するのも悪くはないが、船のことを考えるとゆっくりしている時間はない。
(それに、ズァムナの子だって言われて歓迎されるのに慣れたらいけないような気がする)
優遇されることに甘えてしまうと、先に進めなくなってしまうような怖さもある。
森で暮らしている頃、祖父母も父も母も優しかったが、生きるために自分がしなければならないことについては厳しく教えられてきた。染み付いた生き方と違う。
甘やかされることが怖い。
何となく落ち着かなくて、これに落ち着いてしまったら落ちていってしまうような気がする。
――人生とは下りのエスカレーターだからな。
祖父、健一の教え。
何もせずに漫然としていたら、次第に下がっていってしまうという例えなのだが、ヤマトはエスカレーターに乗ったことはない。知識として教えてもらったことだ。
下りの自動階段。その場に止まっていたら今よりも自分の力が下がっていってしまう。自分の足で登る努力を怠ってはいけない、と。
(ピメウさんに悪意がないのはわかるし、本気で僕らを大事に思ってくれているんだろうけど)
彼女がヤマトたちに見ているものは、たぶんヤマトが望む生き方とは違う。
だから、出来るだけ早く旅立ちたいと思った。
(悪意ばかりじゃなくて善意にも気をつけないといけない。
きっとここは、少なくとも今は、ヤマトが生きていくべき場所ではない。そう思った。
「それじゃあ、お世話になりました」
フィフジャが一礼して二人を促す。
「うん、ありがとうございました」
「またね、おばあちゃん。クスラとピメウも、ありがとう」
ヤマトとアスカもそれに続く。
それから、
「グレイ、いくよー」
『オンッ!』
アスカが声を掛けると、村の中からグレイが一声鳴いてから駆けてきた。
その口には肉が一塊咥えられている。村の子供たちがグレイを撫でながら与えてくれたのだ。
「お気をつけて、巫女様」
「達者でね、海に出たら
「またこの村に寄ってくれ。歓迎するからな」
見送ってくれる竜人たちに手を振って、ヤマトたちは人生で初めて他人との別れを経験するのだった。
◆ ◇ ◆
「……」
彼らの背中が見えなくなっても、クスラはそこを動かなかった。
下唇を噛み締めて、もう見えないヤマトたちの進んだ先の地平線を眺めている。
「思い詰めすぎても仕方ありませんよ」
「言うべきだったのかもしれない」
立ち尽くすクスラに呆れたように声を掛けたピメウに、クスラはそっと首を振った。
「我々の祖先がこことは異なる世界から来たのだと、伝えるべきだった」
「そうかもしれません」
その出自は、このズァムーノ大陸に昔から住んでいた人々と、異世界から来たズァムナの民との混血。
この大陸の人々は当時、沿岸部に住み着いた荒くれ者の脅威にさらされていた。
ズァムナの民は、そんな人々に力と知恵を貸して、別大陸からの移住者と現地の人々との力関係を対等にすることで一方的な侵略を防いでくれたといわれている。
今ではズァムーノ大陸特有の希少な鉱石などを竜人が採取して、港湾から船便でリゴベッテやユエフェンに輸出するという共生関係になっているが。
竜人でも今では知る者は多くはないが、村長などの一部には伝わっていることだ。
「しかし巫女様……ヤマトの手も見ました。異世界の生まれではないはずです」
「確かに彼らには
けれども彼らは、異世界からの来訪者について知りたかったのではないだろうか。
クスラとしては話しても良いのではないかと思わないでもないが、掟では他部族の者に竜人の出自を伝えてはいけないと禁じられている。
ピメウが、異世界からの来訪者は龍のみだと断言したのも、その掟に沿っての発言なので責めるべきではない。
反対に、ヤマトたちも自らの出自の全てを語ってはいないのだからお互い様でもある。
「ああっ!」
唐突にピメウが大声を出してクスラを驚かせる。
ピメウはもう少し若い頃には村一番の――竜人でも随一の――戦士として有名で、稽古と称して散々痛い目を見たクスラとしては怖いのだ。
ジナの嫡男が軟弱者でどうする、と特に熱心に指導をしてくれたという迷惑な思い出。
クスラより年長の村の青年と結婚してからは多少は落ち着いてくれたのだが、身に染み付いた苦手意識は消えない。
「な、なんだ?」
「うちの子供に巫女様の祝福をいただけばよかった」
ピメウには二歳になる男の子がいる。
村の幼児たちはまとめて面倒を見る世話係がいるので、子供は預けてピメウはゼヤンの補佐や備蓄資材の管理などの仕事を担当していた。
子供にズァムナの巫女の祝福をもらったら、利発で健康な成長を促進してくれたかもしれないのに、という信仰心。
「そんなことか」
「そんなこと、とは?」
油断したクスラの言葉尻を捉えて、ピメウが底冷えのするような声を出した。
「あー、いや、それなら、また来た時にでもしてもらうといい。きっとまた会える」
慌てて言い繕うクスラを睨みつけて、しかしふと楽しそうに笑った。
「そうですね。きっとまたお会いできますよね」
それは別に予感や確信ではない、ただの願望だ。
でも叶うのならば、また元気な姿を見せて欲しい。
ヤマトやアスカがどう感じていたかは別として、ピメウもクスラも心から彼らの旅路の安全を願っていた。
「また会えるといいな」
その時は、掟のことは忘れて、伝えられなかった話を伝えよう。
彼らに必要な話なのかはわからないが、いつか再開したら伝えると心に決めてしまえばクスラの気持ちは少し軽くなった。
「いつか、な」
曇り空は、いつの間にか真夏の白い雲と強い日差しに変わっていた。
◆ ◇ ◆
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