二_008 過分_2
翌日の探索の際、フィフジャは村で留守番となった。
二日酔いで役に立たなかったとかそういうわけではない。万全な様子ではなかったが。
今日は必要な荷物だけを持っていく為、荷物番という意味合いもある。全財産を置いて出かけていいまでには信用してはいけない。
また、竜人に風船の作り方を教授するという役目もあった。
森での探索中に作り方は見て知っている。なるべく均一の厚みに仕上げるのは大変かもしれないが。
樹液を集めて、村にあった果実酢のような調味料と混ぜて作ってみることにしたので、それの作り方の指導員。
配合などの割合を変えて出来具合を確認することも、アスカから細かく注文をつけられている。
逆に、竜人からクスラと他にもう一人、風船係として同行する女性が増えた。
(私たちがいなくなった後でも、皮穿血がいなくなるわけじゃないんだし)
風船係は、今後竜人が森で収穫などをする際の偵察係になる。慣れておいてもらう。
いざと言う時に他の人に指示を聞いてもらう為にリーダーシップがある人がいい、という条件での人選。
(ゼヤンさんもそうだけど女の人が強い傾向なのかな。そういえばゼヤンさんに旦那さんがいるのか知らない)
同行する彼女はピメウと名乗った。クスラより少し年上に見える真面目そうな女性だった。
クスラから説明を受けて、半信半疑といった感じで手の中の風船を見ている。
薄く軽いこんな玉が皮穿血の襲撃を教えてくれるなど信じられない、と。普通の反応だろう。
このパワーストーンを持っていれば幸運な生活が出来ますと言われても。
ピメウのその疑念は、昼休憩の頃にはすっかり消えうせていたが。
◆ ◇ ◆
「素晴らしい! 素晴らしいですよ巫女様!」
「だから違うってば」
ピメウの中ではすでにヤマトとアスカは信仰対象になっていた。ズァムナの巫女とか。
辺境に暮らす竜人に未知の便利な道具を授けてくれる来訪者であり、村の脅威だった危険な魔獣を退治してくれる頼れる探険家でもある。
(頼れるかどうかっていうことならこのピメウさんもすごいと思うんだけど)
午前中の探索の途中、数匹の牙兎に襲われた。
皮穿血を警戒することに集中していたせいで反応が遅れ、風船を庇って転んだ彼女はそれを割ってしまった。
破裂音と、悲痛な悲鳴。
アスカは彼女が怪我を負ったのかと心配になったのだが、違った。
大事な風船を割ってしまった彼女は、目に涙を溜めながら立ち上がり、再度襲ってきた牙兎を回し蹴りで迎撃。
近くの木に叩きつけられた牙兎が死んでいたのは、叩きつけられる以前に頭蓋骨が陥没していたからだった。彼女の足型に。
(怒ったからって、飛び掛ってくる牙兎の頭蓋骨を砕くような蹴りなんて、信じられないのはこっちだよね)
竜人族は身体強化の魔術が得意らしいので、瞬間的に脚力とかを強化しての蹴りだったのだろうけれど。
それでも空中にいる獣の頭蓋骨は普通砕けないだろう。
脳震盪や内臓破裂なら納得できるし、木に叩きつけられて死んだのだとしてもわかるが、体が固定されていない空中での打撃技なのに。
ヤマトもクスラもドン引きだった。
「怒らせると怖いんだ」
クスラがこっそりと言った時は、ピメウは風船を守れなかったことを泣き伏して詫びているところだったので聞こえていなかったようだが。
同じことができるだろうか、と言われたらアスカにそんな筋力はない。ヤマトでも無理だろう。
凶悪なレベルの筋肉女が土下座で謝っていた。しかしその理由が。
――風船を割ってごめんなさいと。
再度、新しい風船を与えたあたりから、ピメウの瞳はアスカへの信仰心で輝いていた。
(っていうか濁っていたって言うか)
ちょろいな、この部族。
風船をいくつかあげただけで神様扱いとは、本当に居心地の悪い話だ。
崇めてくれてるその人たちは、尋常じゃない筋力で獣を蹴り殺すようなパワーファイターだというのがまたなんとも言えない。
プロレスラーの集団に勝手にリーダーに祭り上げられているような感じか。
とりあえず十匹目の皮穿血を退治して休憩にした。疲れて集中力が切れたら危険であることは間違いない。
休憩中のピメウは、アスカとヤマトに小さな不満すら起こさないようにと気持ちが悪いくらいに気配りをしてくれた。
それでは彼女の休憩にならないだろうに。
「そういえば、この牙兎は小さかったね」
とりあえず話題を変えようと、午前中に仕留めた牙兎を解体しながら言ってみる。
アスカのその言葉に、ピメウとクスラはきょとんとした。
「そうですか? 立派な成体だと思いますが」
「僕らの家の近くだともっと大きいのが多かったんだ」
アスカのよく知る牙兎は、成体なら体重五〇キロほど……と言っても彼らには通じないだろう。
重さの単位はまだよくわからない。
およそアスカの身長だと臍くらいまで、父の身長だと股間くらいまでの背の高さだった。
今回の牙兎はアスカの太腿程度までの大きさなので、3割ほど小さく思える。
「ほら、比べてみると」
解体した牙兎の牙を、アスカが投げナイフとして加工していくつか持っている牙と比べてみせる。
アスカが持っている牙の長さは中指の先から手首近くまで。今回のは手の平あたりまでの長さだ。
「これは……」
クスラが驚きというより少し困ったように周囲に視線を走らせる。
誰もいるはずがないのだが。
「いけませんよ、巫女様」
ピメウがアスカの見せた牙の上に手をかぶせて、覆い隠す。
「これでは巫女様がズァムナの子だと言っているようなものです。あまり余人にお見せにならない方がいいでしょう」
「ええと……ごめんなさい、難しい言葉はまだわからないの」
「……そうですね。そうでしょう」
ピメウの言いたいことはわかる。あまり他人に見せない方がいいのだと。
だが、細かい言い回しはよくわからない。
ヤマトも、何かまずかっただろうかと心配そうな顔をしている。
「これほどの大物の牙兎は、ズァムナ大森林にしかいないんだ」
クスラが補足してくれた。
「我々にとってズァムナの民は尊重すべき相手だが、他の強欲な……悪い人間にとっては、ズァムナ大森林の中の知識というのは金になると考えられるかもしれない」
「着ているものもそうですが、港町やリゴベッテに行くのなら、あなた方が大森林から来たとは知られない方がいい」
クスラとピメウの言葉は、アスカたちの身を案じる気持ちだった。
こんな牙兎の牙ひとつで大森林で暮らしていたと知られてしまう。
服装もそう、持ち物もそう。珍しいものだと知れば欲しがるものが出てきて、それは必ず合法な手段ばかりで入手しようという相手ではない。
「ゼヤン様は一目見た時から感じたそうです。大森林の子だと」
「そうなの?」
「ずいぶんと不思議な格好ですから」
だから村で休んでいくようにと言ってくれたのか。
古い伝承のズァムナの民らしい一行。大森林側の方角から来たことも合わせてそう考えて、親切に村に案内してくれたのだとすれば納得できる。
「それに、ビルレもここ最近は大森林の様子がおかしいと言っていたからな」
「ビルレって?」
「ここから歩いて十日ほど東の集落に住む私の甥……私の姉の子供です。時折、大森林に入って狩りをしているのです」
姉の子供、親戚ということだと理解する。
それなら幼いのでは、と聞いてみたら、お姉さんとピメウは十七歳も年が離れているそうだった。
「大森林に入って狩りを?」
ヤマトの疑問はアスカも同じだった。
大森林に入るものは《朱紋》に殺されるのではなかったか。
ピメウが頷いて答える。
「東の村は大森林と半日くらいの距離なので。と言っても森深くには入れませんから、浅い場所ばかりです」
浅い場所であれば、朱紋の管轄外なのかもしれない。
まああれも飽くまで一体の獣なのだから、一歩でも森に踏み込んだらサイレンと共に駆けつけてくるわけでもなかろう。
森との距離関係が、この村は歩いて五日間離れていたが、東の村はもっとも大森林寄りにあるということ。
(違うか。建物の材木を用意するのに、ここはこの山際の森があったけど東側はそれがなかったから、大森林から切り出して、近くに集落を作ったんじゃないかな)
理由を考えれば、それが自然に思える。
木材の供給地との近くに集落が出来た、というだけのことなのかもしれない。
水源などの問題もあるのだろうが、おそらくそういった都合が合致した場所に村が出来たのだと推測する。
(それにしても、大森林の様子がおかしいって……)
ふとアスカの視線がヤマトと合う。
「あー、うん……案外、僕らのせいだったかも」
大森林の中を移動して、妖獣を倒して、妖魔やら魔獣やらが集まってきて。
それらの影響で、何か様子が変になったのかもしれない。
「そういった兆候も聞いていて、大森林で何かあるかもしれないと思っていたのです」
「南の畑を見ていたのは、そういう理由もあったんだ」
クスラとゼヤンが村の南にいたのは偶然ではなく、あえてそういうシフトにしていたのだと。
「まあ飛蝗が……作物を食い荒らす虫が多かったからっていう理由もあるんだけど」
害虫駆除の最中だったらしい。
「虫……バッタかな。それなら、川の土手を泥で埋めるといいと思う」
「泥?」
クスラが聞き返す。アスカの話が急に別方向に飛んだからだ。バッタだけに。
聞き返されたアスカだったが、どう説明しようかと億劫になってヤマトに促す。
「虫の卵が、川の周辺に産み付けられてるから。泥とかで埋めると、生まれる数を少しは減らせる」
「ってことね」
へえ、と感心したようにクスラが声を漏らし、ピメウは大きく頷いて見せた。
「さすがはズァムナの民です。かつての竜人も、そういった多くの知識に助けられたと聞きます」
「関係ないと思うんだけどなぁ」
少し照れたようにヤマトが首を振る。
皮穿血の退治のこととは違い、こういった農作業の知恵について褒められるのは悪い気分ではない。
伊田家に伝わってきた農家としての功績のような気がして、素直に嬉しい。
(もしかしてそのズァムナの民っていうのも、日本の……日本じゃないかもしれないけど、どこかから来た人たちだったのかもね)
この世界ではあまり知られていない知識を持った不思議な人々。
過去にも、この大森林にそういった流れ者がいたのかもしれない。
「その、ズァムナの民とか……もしかして他にも、そういう伝承とかあったりするの?」
「我々に伝わるのはズァムナの民の伝承だけだな」
「リゴベッテやユエフェンのことは知りません。ユエフェンにも、テムの深い森と呼ばれるズァムナ大森林に匹敵するという広大な森があるそうですが」
そういえば、とピメウが続ける。
「これも伝説のようなものですが、ユエフェンのどこかに、世界の全てを知るものがいるというおとぎ話があります」
――ゴパトーク。
ピメウが呟く名前を頭の中で反芻するが、聞き覚えはない。
「世界の全て、って……本当にそんなのいるの?」
あからさまに胡散臭そうな顔をしたアスカにピメウが笑った。
「ですから、おとぎ話です。噂話というか、古いお話で世界中に伝わっていますよ」
ふうん、と納得していない様子のアスカに、ピメウは目を閉じて歌うように語る。
「知りたがりのゴバトーク。星が流れるわけを尋ねて見知らぬ場所を彷徨い歩く。寒い大地のゴパトーク。風向き変わるわけを尋ねてまた来た場所を彷徨い歩く。知らぬを許さぬゴパトーク。歩いた場所の全てを覚えて知らぬを探して彷徨い歩く」
「……」
「子供がいろんなことを、あれは何、これはどうしてって聞くので、親が誤魔化すために歌うそうですよ」
ある種の子守唄。なるほど、おとぎ話というかそういう類のものなのだろう。
何でもなんでなんでって聞かれるのは面倒にもなる。
知りたがりはゴパトークみたいに彷徨い歩くようになっちゃうよ、というような話なのか。
知識欲が悪いことだとはアスカは思わないのだけれど、親とすれば知りようもないことを聞かれても困ってしまう。
ゴパトークという誰かが実在したとしたら、きっと学者肌の変わり者として有名な人だったのだろう。
「龍……異界の龍っていうのみたいな、そういうのは他にはいないの?」
「いません」
静かに、はっきりとピメウは首を横に振った。
クスラもそれと同じようにしている。
「異界からの来訪者は、真なる龍だけです」
「……そう」
異世界から現れた存在は龍のみ。
だとしたら、私たちの父母はなんなのか。
アスカが飲み込んだ言葉を察したのか、ヤマトがそっと肩に手を置いた。
「いつかそのゴパトークに会えたら、色々と教えてもらえるといいな」
「うん」
この世界のことを、この世界ではないことを、アスカたちが知りたい全てを。
伊田家がどうして地球からこの世界に来ることになったのか、何か理由があるのなら知りたい。地球に行く方法があるのなら知りたい。
(そのゴパトークって、こういう私のことなのね)
何でも知りたがりのアスカ。誰も知るはずのないことを知りたがる。
少し寂しそうに笑うアスカとヤマトを見るクスラは、下唇を噛んでいた。
◆ ◇ ◆
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