二_007 過分_1



 村の真ん中の広場で、夜まで歓待の宴会だった。


 普通なら日が落ちれば就寝のはず。だけど今日は皮穿血の退治を祝って、まあ飲め、まあ食えとなし崩し的に始まった宴だった。

 飲めと言われてもヤマトには酒の味はわからない。そもそもまだ未成年なのだから酒精のない飲み物をもらう。

 酸味の利いた何かの果実と野菜のジュースだった。小川の水で瓶ごと冷やしているということで、やや冷たくさっぱりとした喉越しが夏の蒸し暑い夜に気持ちよい。


 狩ってきた山狸の肉も焼いて、竜人たちと分け合って食べてしまう。

 皮穿血の肉は……またアスカが面白がって嫌がる竜人に食べさせていたけれど。


(我が妹ながら歪んでいる)


 悪魔的な生き物を嬉々として嫌がる人に食わせる小悪魔的なアスカに、竜人たちも若干ひいていたように見える。

 グレイもおこぼれに預かって、今は隅っこで丸くなって眠っていた。



 ひとしきり飲み食いして宴も落ち着き、そろそろお開きにという頃に。一人の中年の女性がヤマトの前にきて手を握った。


「あんた、ありがとうねぇ」


 両手で手を握られ、額にこすりつけるように頭を下げられてしまう。

 拝むようなその仕草にヤマトがうろたえた。


「い、いや……僕は」

「これでポアゾも、安心していけるよ」


 ああ、と納得した。

 最近犠牲になったというポアゾの母親なのだろう。皮穿血のことは憎くて仕方なかったはずだ。


「……」


 痛い。胸が締め付けられる。

 娘を失った母親。ヤマトの母、芽衣子よりいくらか年上だと思うが、それ以上に老いを感じた。

 苦労と苦悩を続けてきたのだろう、額には幾筋か深く皺が刻まれていた。

 片足を引きずるような歩き方だったから足が悪い様子。ポアゾは母親想いの女の子だったか。



(僕は、別に皮穿血なんか平気なのに……もっと早くにここに来ていたら)


 彼女は娘を失わずに済んだかもしれない。

 意味のない仮定で、実現は出来ないことだけれど、考えずにはいられない。


「本当にありがとう。これで皆も安心して暮らせるよ」


 紡がれる言葉は感謝のみ。恨み言はない。

 恨み言を言われても困るが、だとしてももっと早くにという気持ちがないはずはないのに。


「でも……ううん、うん。明日も狩ってくる。まだいるから」


 せめてもの罪滅ぼしに、少しでも自分の気が軽くなる為に、そんなことを言う。

 女性はもう一度礼を言うと、立ち去っていった。


 左足を庇うような歩き方で去るその姿を、見えなくなるまで見送る。

 申し訳がない。罪悪感。

 彼女の娘を助けられなかった。

 今さら自分に出来ることをやっただけで、こんなに感謝されている。過大評価だ。



「なに勝手に約束してるの」

「あ」


 後ろから声を掛けられて、びくっと首を縮める。


「あのね……私がすぐ叩くみたいな感じ、やめてよね」


 と言いながら頭を叩かれた。軽くだが。


(叩くんじゃないか)


 実際に迂闊なことを言ってしまったとは思って反省しているので反撃はしない。


 手放しで喜んでいる感じではなかった。

 娘と同じ被害者が減るということを感謝している様子ではあったが、どこか悲痛な表情で。


(……母さん以外の女の人に、あんな風に手を握られたことなかったな)


 彼女の手は柔らかくはなかった。日々の作業で荒れていて、渇いていたようにも感じた。

 母の手は、いつもしっとりとしていたような気がする。秘伝の異世界アロエ軟膏のお陰だという話だが。

 比べるわけでもないし似ているわけでもないが、何となくやはり母の姿と重ねてしまってつい軽々しい口約束をしてしまったのかもしれない。


 手を見つめて黙っているヤマトに、アスカは小さくため息をついた。


「別に反対じゃないし。半日もかからずに九匹もいたんだから、やっぱり数が多いと思う」

「だよな」

「それでもフィフに相談もなしで、明日も退治するって約束するのはどうかと思うけどね」

「……だな」


 フィフジャは……酔いつぶれて眠っている。ゼヤン相手にかなり呑まされていたとはいえ、無防備すぎる潰れ方だ。信用してもいいと判断したのか。

 心配しても仕方ないと思ったのかもしれない。実際、竜人が全員で襲ってきたりしたら対処できないのだから、妙な不安は忘れて飲み食いしてしまえ、と。


 この様子なら、明日の早朝から港を目指すという話にはならないだろう。

 彼もお人好しだ。もう一日、この竜人の集落のために皮穿血を退治するというくらいは許可してくれると思う。


(案外、フィフがそうするって言うかもしれない)


「だとしても、あれは大丈夫かな?」

「あれって?」


 アスカが不安というほどでもなさそうに、ただ気になることがあるように言うので聞き返す。なんのことだろう。


「あれよ、木に縛り付けてきた」

「ああ」


 妹の暴行の被害者――いや、ヤマトの荷物を奪おうとした追剥のことだった。

 そういえば竜人だったのだからこの村の関係者かもしれない。もしかしたらここで再会、なんてこともあり得る。


(いやあ……起きてもしばらくは痛みで動くのもつらいだろうからな。縄を解くのにも、たぶん一日がかりくらいになるし)


 何箇所か結んだので、一度では解けないはずだ。

 真っ直ぐにこの村に向かってきたとしても、あと二日程度は後になるのではないだろうか。


「たぶん、早くても明後日くらいじゃないか。追いついてくるとしても」

「そうだねー、追いかけてくるかもわからないけど」

「まあ追いつかれたとして、ちゃんと説明すれば悪いようにはされないと思う」


 今のこの状況なら、あの竜人が何か酷い暴行を受けたと主張しても、ゼヤンらがそれを鵜呑みにしてヤマトたちを罰するようなこともないのではないか。

 そんな風に楽観してもよさそうな程度には歓迎されている。


「心配しても仕方ないだろ。鉢合わせたらその時に考えるさ」

「フィフが起きられないかもしれないし、ね」

「それも、そうかもな」


 だらしなく眠りこけているフィフジャの姿は、初めて見つけた時に似ている。

 あの時は黒鬼虎にノックアウトされて気絶していたのだけれど。


「あんたらの保護者さんは頼りないねぇ」


 フィフジャの向こう側からゼヤンが歩いてきて笑った。その手にはまだ杯があり、くいっと煽る。


「うん……でも、けっこう頼りになるときも、あるかも」

「あるかなぁ」


 夜空に笑い声が響いた。

 ヤマトとアスカにとっては、初めて他の人の集団と過ごす夜は、苦かったり優しかったり、そんな夜になった。



  ◆   ◇   ◆ 

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