二_006 ズァムナの子_2



 山脈から流れる小さな清流に沿って森を進む先頭のアスカ。

 川沿いに森を歩くことが楽しいのか、ふんふんと鼻歌を歌いながら、不意に足を止めた。

 アスカに合わせて全員の足が止まる。


 皮穿血か? という緊張の空気に、アスカは背中を向けたまま手で落ち着けという仕草をした。


 少し目を細めて前方を確認してから、腰に備えた投げナイフを取り前方の木の根元に向かって投げる。


『ギュエエェェェ』


 投げると同時に駆け出して、奇声のような悲鳴が上がったそこにステンレスナイフを突き出す。

 木の根元の穴にいた山狸が、そのナイフで心臓を一突きにされていた。


『グエエエッ……ブェ……』


 断末魔と共に血を吐くその山狸の喉を左手で押さえつけて、噛み付かれないように口を上に向けさせていた。

 右手のナイフをもう一度角度を変えて突く。心臓を突かれた山狸は程なく息絶えた。


「……ITADAKIMASU」


 息絶えた山狸に、小さく呟きながら手を合わせる。これは習慣的なものだ。

 仕留めた山狸の足に刺さった投げナイフを抜き、川の水に沈めて洗う。夏だが、山から湧き出る水は冷たい。


 ヤマトは川辺に群生しているススキに似た草を十数本まとめて握って切る。

 手元に残ったその草を、折り曲げてまた切る。そうすると、草の切り口が何十本もつんつんとしたブラシのような物が出来上がった。稲の切り口のような感じだ。


 川に沈めた山狸の毛皮を、そのブラシでごしごしと洗う。

 毛皮の中には小さな虫がいたりするし、野生の獣は泥だらけだ。自らの糞だって毛皮に染み付いているのでとにかく洗う。


 洗い終わったら、裏返して下腹の臍のあたりを薄く切り裂いていく。

 ある程度まで肌を裂くと、ぶるんっという勢いで内臓、腸が飛び出してくるので、それを破らないように避けながら腹から胸までを裂いてしまう。


 股関節の骨と胸骨を、ナイフをノミのように使って断ち切って、肛門を体から切り取り、喉笛を切る。

 そうすると、食道から胃腸、肛門までの臓器を切り離すことが出来る。ついでにある程度の血抜きも兼ねている。

 内臓を取り去った山狸をヤマトが川の水で洗い流す。後は皮を剥いだら骨付き肉だ。今夜は肉料理だ。


 手際よく作業を進める二人の子供を、二人の大人が見守っていた。



「なんというか……すごいものだな、探検家というのは。子供なのに熟達した狩人のようだ」

「彼らは、その、特殊なんだ」


 せっかく森に来て獲物を見つけたのだから、とりあえずそれは見逃さないというアスカの行動と、疑問もなくそれを手伝うヤマト。

 呆気に取られて見守ってしまったクスラと、慣れてしまっていて当然のように見ていたフィフジャ。


 グレイだけが、当初の目的を忘れていなかったようで、クスラとフィフジャの後ろで警戒をしていた。

 尻尾が機嫌よさそうに揺れているのは、自分も肉を食べたいからなのだろう。足りるだろうか。



「あ……最近、肉が少なかったから、つい」


 クスラたちの視線に気がついて、はっと目的を思い出したヤマトが言い繕う。

 森を出てから、肉を食べることがなかったので。ゼヤンの料理も野菜と穀物の粥だったし。

 ふと見れば、アスカはグレイとは別の角度で、周囲への警戒をするように見回していた。


(僕だけ、食べ物に夢中になっていたみたいじゃないか)


 なっていたのだけれど。


「いや、大したものだ。子供と思って侮っていたが、間違いだった」


 やや釈然としないヤマトだったが、クスラから敬意を篭めた言葉をもらって少し照れる。



「ううん、これくらい」

「フィフ、代償術……風」


 照れている間もなく、アスカが指示を出した。

 フィフジャの顔が引き締まる。


「どっちに」

「あっち」


 今度はヤマトだった。

 川の上流に向かって左側の木々の奥を指し示す。

 不思議そうな顔をするクスラと、アスカとヤマトの言うとおりに集中するフィフジャ。


「流れよ止まれ。突き進め」


 言葉に呪文的な意味はない。だが言葉には意味がある。形どおりの呪文のようなものはないが、言葉にすることで力の向け方を自分の中で確認できる。

 術のイメージを明確にする為に、フィフジャは言葉を使うのだといっていた。


 こちらの流れを止める代わりに、別の方向に強く流れるように。

 フィフジャの額辺りから、突風のような勢いで空気の塊が川の上流左側、ヤマトが指した方向に吹き付けた。


「!?」

「アスカ!」

「平気! ヤマト横!」


 フィフジャが風を飛ばした方向からアスカに向かって飛び掛ってくる魔獣。

 薄い皮膜を広げるせいで丸い腹が目立つ、長い牙を剥いた飢餓の悪魔的な姿。

 それとは別方向、川の反対岸からも、同じように襲い掛かってくる皮穿血があった。


 標的はそれぞれアスカとヤマト。

 身を伏せたアスカが、自分の顔があった辺りにステンレスナイフの刃を走らせる。

 それとは別方向から飛び掛ってくる姿を視認していたヤマトは、手にした鉈で打ち払うように迎撃をした。


『ンィーーーーッ!』


 耳がきんとするような甲高い断末魔を上げて、2匹の皮穿血が落ちる。片方は地面に、もう片方は川に。



「お、おお」


 ヤマトには飛び掛る前に出す音が感じられた。

 それより前のタイミングでも、もっと微弱なヒソヒソ声のような感覚もあった。耳の奥がもぞもぞする感じ。


 一定の間隔で、周囲の様子を探るために音波探索をしている。

 攻撃の前には、より正確な獲物との距離、状況を知る為に強めの音を発する。

 その反響で地形などを把握して襲ってくるのだろうが、その音が皮穿血の居場所を示しているのだから、諸刃の剣だ。

 現代の地球で言えば潜水艦のようなものなのかもしれないが、残念ながらヤマトにもアスカにもその知識はなかった。



「すごい……すごいな、君たちは。ありがとう」

「まだ、二匹」


 礼を言うクスラに首を振るアスカだったが、少しは嬉しそうな様子にも見えた。

 まだ二匹だが、厄介な魔獣を苦もなく駆除してしまう姿に、クスラはとても興奮しているようだ。

 手に持った風船に力が入っていて、今にも割れそうだ。



「おじさん、力抜いて。アスカ、結局これ使ってないじゃん」

「はあ?」


 何を言っているのかわからない、という返事。

 ヤマトは、クスラの手で圧迫されていた風船を指差す。


「いや、なんで風船膨らませて、使わないのかって」

「……ああ、違う。違う、ヤマト」


 アスカが首を振る。


「割る音で皮穿血を混乱させるんじゃ?」

「んー、そういう使い方もあるかも」

「割る?」


 何のことだ、というクスラの視線からヤマトは目を逸らす。

 知らなくていいことだ。きっと。

 その手に、説明もなく小さな爆弾のようなものを持たされていたなんて、知らなくていい。結局は使っていないんだし。世の中は結果が大体全てだって父も言ってたはず。



「そうじゃなくて……ねえ、クスラ。今、皮穿血が来たとき、何か……これ、何か、ならなかった?」


 呼び捨てかよ、と思わないでもないヤマトだったが、今はどうでもいいだろう。

 アスカの言い方が曖昧で、よくわからない。


(ああ、いや。言葉がわからないのか)


 曖昧な言い方をしているのは、適切な言葉がわからないから。

 クスラはフィフジャと顔を見合わせて、小さく二度頷いた。


「そう、だな。襲い掛かってくる前に、こそばゆい……震動。少し震えたような」

「やっぱり!」


 ぱんっ!


 風船が割れたのかと、ヤマトとフィフジャが肩を震わせる。

 嬉しそうに手を叩いたアスカの満面の笑顔がクスラに迫っていた。


「そうでしょ。わかったでしょ、今の」

「あ、ああ……これは、皮穿血が襲ってくる時に、震えて教えてくれる……魔導具なのか?」

「魔導具?」


 信じられないという顔で風船を見つめるクスラと、何のことという表情のアスカ。


「君らは……まさか本当に、ズァムナの子なのか……?」


 人違いです、と言ってもいいのだろうか。

 ヤマトは次々に出てくる知らない言葉に、山の向こうの青い空を仰いだ。



  ◆   ◇   ◆



「竜人族に伝わる伝承だ。ズァムナの民……大森林から現れた人々は不思議な力を持ち、竜人族の危難を打ち払い共に生きる道を選んだのだと」


 とりあえず最初の皮穿血を退治した川辺に腰を下ろして、クスラの話を聞くことにする。

 アスカはフィフジャに知っているかどうか目線を送るが、彼は首を横に振った。

 竜人の伝承の話なら知らなくても無理はない。


「それは、本当に?」

「数百年前の話だから、その事実を知る者はいない。ただ、竜人の長になるものは、集落の者に伝えるようにずっと言われ続けている」


 過去になんらかの事実があり、それを代々伝えているということなのか。


 数百年前に、大森林で暮らしていた人がいた?

 アスカたちが暮らしていたズァムナ大森林の奥部に、数百年前だとしても人が暮らしていたような形跡はなかった。

 人工の工作物や、建造物。その成れの果ても、伊田家の誰も見つけていない。

 伊田家と遠く離れた場所にあったのかもしれないが、だとすればかなり東部の方角ということになる。



「フィフ、大森林の東のほう、何かある?」

「真ん中より少し海よりに、二つか三つの連なった高い山がある」


 大森林中央よりやや東側の山。

 フィフジャが彷徨っていた際に、木々のせいで太陽の方角がわからず、時折見えた山をそれだと思い方角をさらに間違えたということもある。


「そのズァムナの民は、その山の近くに住んでいたのかも」


 正体不明の森の民。いるのだとすれば、そちらの方面なのだろう。

 おそらく伊田家から徒歩で向かって数十日は必要。道中の危険を考えたらそれ以上。

 それでも、長くあの森で暮らす民族がいたのなら、何かしら痕跡を見つけられそうなものだと思うけれど。彷徨った挙句に死んだ人だとか。


(考えても仕方ないか。っていうか、やっぱりいないんじゃないかな。少なくとも今現在は)


 竜人の伝承である以上、頭ごなしに否定はできないとしても、あまり可能性は感じられない。



「僕たちは、ズァムナの子じゃない」


 ヤマトが否定した。

 とりあえず数百年前に森から現れたとかいう人々との関係がないことは断言できる。


「これは、風船。中に空気を詰めてあるだけ」


 アスカがクスラの手から風船を取り上げて、軽くぽんと上に投げて見せる。


「お父さんとお母さんが作ってくれた、ええと……OMOCHA」


 そういえば知らない言葉だった。説明に困ってフィフジャを見上げる。


「ええと……わからないけど」


 むぅ、と剣呑な目でフィフジャを睨んでみるが、まあ彼も翻訳家ではないのだからアスカの言いたいことがわからないのは仕方ない。これは八つ当たりだ。



「道具だよ……子供が、遊ぶ、道具」

「遊具……子供の遊具だってことか? この皮穿血探査具が?」


 クスラが投げ渡された風船を改めて驚きの目で見る。


(皮穿血探査具じゃないんだけど)


 とりあえず子供の遊ぶ道具という言葉はわかったが、誤解されている。

 あくまで風船だ。ゴム風船。



「音は振動だから。耳に聞こえなくても、振動するのがわかるかなって」

「なるほどなぁ」


 ヤマトが感心したように頷く。同じ教育を兄も受けているはずだが、風船で空気の振動を体感するという発想はなかったらしい。

 糸電話という遊びをしたことがあって、それの応用が出来るのではないかと思って試してみた。

 低い音の方が反響しやすいと思うのだが、物質によっては高い周波の影響を受けやすいものもあるだとか何だとか。ダメでもともと、試してみようと思っただけのこと。


 結果は上々。

 理屈から考えて仮説を立てて、実験して、結果を確認する。

 うまく歯車が嵌った時の楽しさは他に代えがたい。アスカはこの瞬間が好きだ。


「この後も、皮穿血を探して退治する。クスラは、それの振動を確認して」

「わかった」


 しっかりと頷くクスラは、大きく膨らませた風船を、まるで宝玉のように大事そうに両手で包み込んでいた・



  ◆   ◇   ◆



 その後、夕方までにさらに七匹の皮穿血を退治して村に戻ることにした。

 途中、フィフジャの持っていた風船を、予告もなくアスカが割るということがあり、フィフジャが強くアスカに抗議していた。


 実験だったのだ。探査音波に風船の破裂音をぶつけたらどうなるだろうかと。

 今から割るよ、なんて声をかけている暇はなかったわけだが。まあフィフジャなら別にいいかという判断があったのは間違いない。


 ――言えよ! びっくりしただろ、本当に!


 フィフジャの抗議に、アスカは軽くごめんねと言うだけで反省はしていない。

 突然に手の中の風船を割られてちょっと涙目のフィフジャと、宝物の風船を割れてしまうのを見て半泣きの様子のクスラ。


(風船が割れて泣いちゃうなんて子供みたい……クスラには可哀想なことしたかな)


 なぜその優しさはフィフジャには向けられないのか、アスカにもわからないが。


 破裂実験は成功。

 探査音波後に飛び立とうとした皮穿血は、風船の破裂音で三半規管に衝撃を受けたのか、方向感覚を失って地面に激突していた。

 これなら緊急時の対策にも使えそうだ。


 森の中に風船の原料になる樹液の木があったので、クスラに尋ねてみたところ、同じ木が村の近くにもあるということだった。

 酢酸的な何かと混ぜて柔らかいゴムっぽいものを作れるので、村に酢のような調味料がないか確認することにした。



 村に戻ると、遠目に戻る姿を見つけた竜人たちが、ゼヤンを呼んで村の境で待っていた。

 狩猟した皮穿血を掲げるフィフジャと、風船をトロフィーのように掲げるクスラの姿に、出迎えた竜人たちは大きな歓声をあげる。

 だが、アスカとヤマトの表情には若干の陰りが浮かぶ。



(労力に見合わない)


 不満ではない。

 楽な仕事をして、それ以上の評価をされている居心地の悪さ。

 偽りでも大げさでもない竜人族の人々の嬉しそうな笑顔。

 余所者であるはずの自分たちを喜びを持って受け入れてくれる竜人は有難いのだけれど。


をしているような気がする)


 フィフジャのことを真面目すぎるとは笑えない二人だった。



  ◆   ◇   ◆

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