二_004 竜人の集落



 森から進んで五日、初日の休みがあったので森を出て六日目で、ヤマトたちは初めて人里というものを目にした。


 朝から進んで四時間ほど――フィフジャは二刻くらいだと数える。草原がだんだんと足の短い草になっていった途中で、木の柵で区切られた畑が見えてきた。

 踏み均された道もある。舗装されているわけではない獣道みたいなものだが。


 木の柵は完全に畑を囲っているわけではない。なんとなくこの辺りというように柵をしているだけ。

 畑の周囲の草は特に短く刈られている。近づいてくる害獣を発見しやすくする為だろうか。

 畑があれば、山狸やら途中で見かけた狐のような生き物も寄ってくるだろうし。


 畑の向こうにはもっと頑丈そうな土壁と木の柵があり、家らしい屋根が見えるだけで数十軒以上。

 丸太で作ったログハウス風の家屋。均一な木の大きさではないので、どこかしら歪つになっているのは仕方がないのだろう。

 きゅうりを三倍にしたような作物が成っている畑には、数人の竜人りゅうびとの姿があった。



「すまない、少し話がしたい」


 フィフジャは彼らに対して敵意がないことを示すように手を振りながら近づいていく。

 ヤマトたちもそれに続いた。


「ナモージストフラア?」


 畑で虫の駆除のようなことをしていた青年がフィフジャに話しかけてくる。

 近くにいたやや年配の女性もその後ろに立った。


(強そう)


 青年の少し後ろで、腕を組んで成り行きを見守る女性。

 ヤマトの印象では、その青年よりも年配の女性の方が強そうに見えた。体格がいいし、どっしりと落ち着いた雰囲気も風格がある。


「すまない、言葉がわかる人はいないか?」

「わかるよ」


 フィフジャが身振りで会話したいと伝えようとしたら、その青年があっさりと答えた。

 それなら最初からこちらの言葉で話してくれたらいいのに、と不満げな表情を浮かべたフィフジャを笑う竜人の青年。


「怒るな。こっちも大森林側から人間が来て少し驚いたんだ。それは銀狼なのか?」

「グレイ。私の家族」


 先ほどのフィフジャよりもむっとした顔でグレイの前に立ったアスカが言う。

 グレイを指差した青年の態度に腹を立てていた。


「悪かったよお嬢ちゃん。グレイな、覚えておく」


 案外と素直に謝る青年に、少し拍子抜けしたアスカは、うんと頷くだけだった。


「よく懐いている……という言い方は失礼か。俺はクスラ・ジナだ」

「俺はフィフジャ、こっちはヤマトとアスカだ。グレイは普段はおとなしいけど、怒らせると怖い」

「銀狼を連れた探険家を襲うほどの度胸はねえよ、なあ」


 肩を竦めてみせる竜人の青年。


「あんた以外にこの村でそんなバカはいないと信じたいけどね。ああ、バカならもう一人いたか」


 青年の後ろにいたやや年配の女性がそう言って軽くクスラの頭を叩いた。


 それから彼女は、優しげな顔で笑う。

 初老と言ってもいい年齢だろう。顔にいくらか刻まれた皺が笑顔で深くなる。


「どこから来たんだか知らないけど大変だったろう。うちで休んでいくといい」

「いいのか?」


 フィフジャが聞き返す。

 竜人は好戦的な種族ではないという話だが、来訪者を歓待するような噂もない。

 どちらかといえば閉ざされた種族。


 フィフジャが大森林に入る前に別の集落で寝泊まりした時も、決して歓迎されたという雰囲気はなかった。

 ズァムナ大森林に入るのはやめておけと警告をされたくらいで。



「見たところ、あんたら金はありそうだからね」


 なるほど、身なりや荷物から見れば貧しい様子には見えないかもしれない。

 ヤマトは自分の着ているものを見て、彼らの衣服と見比べた。

 日本ならどこにでもあるただの柄物のシャツだが、彼ら竜人の衣服は染めてもいない粗い縫い目の布と、動物の皮などで作られている。


 フィフジャの荷物には隠しきれない黒鬼虎の毛皮も丸めてあるのだから、これで貧しい風体というのは無理がある。

 彼らの目には、高級ブランドの衣服を着た子供と銀狼を連れた探険家という普通ではない姿に映っているのだ。


 確かに普通ではないのだが。


(いや、金はないんだけど)


 文字通り無一文。

 どうしようか、とフィフジャの顔を見る。

 アスカも同様にするので、グレイも同じようにフィフジャの顔を窺った。


「あー、そうだな。でもここの長とかが許可してくれるか……」

「だからあたしが良いって言ってんじゃないかい」


 どうしたものか曖昧に言葉を濁そうとしたフィフジャに、彼女はにやりと笑った。


「ここの竜人の長、ゼヤン・ジナだよ」


 こいつはバカ息子と。喋った単語はヤマトはまだ習っていない言葉だったが、雰囲気で理解できた。



  ◆   ◇   ◆



 普通に会話が出来たのは、彼らがここの集落の長であるゼヤンと息子のクスラだったからで、他の者の多くは普人語ふひとごは流暢に喋れない者が多いということだった。

 もっと港に近い竜人の集落になれば普人族の出入りも多く、むしろ竜人の言語の方が使い慣れていない所もあるとか。


 この集落は三〇〇人ほどが暮らしているらしい。

 集落の南側は野菜などを、北側は川に近いので水を多く必要とする穀物を育てている。

 その他、集落内にブーアやババリシー――伊田家で言うウシシカを飼っている小屋もあった。

 家畜の世話は子供たちの仕事のようで、大きな桶に水を注いでいたり、糞を片付けて水を撒いていたりする小さな竜人の姿を見る。



「子供は、耳、同じ」


 アスカが見る限り、子供の耳は自分のそれと変わらない。

 大人の竜人は耳の上が赤く染まっているのに。


「あーそうだな。十歳くらいまでは人間と変わらないかな」


 クスラがアスカの疑問に答える。

 見回せば、確かにアスカと同じくらいの年齢の子は耳の上が鮮やかな赤になっていた。


(子供のうちは人間と見分けつかないんじゃない)


 そんな風に集落内を観察しながら進むアスカたちを、竜人の方も興味津々といった感じで観察していた。

 来訪者など珍しい。

 長であるゼヤンとその息子が連れているのだから客だと判断されているようだ。


 集落の中でも大きな家に案内される。

 木で出来た階段を上がり、大きな皮で出来たカーテンのような入り口を通ると広めの玄関だった。

 生活空間の床との間に段差があり、ゼヤンとクスラがそこで靴を脱いだので当然アスカたちもそれに倣う。



「グレイ、待ってて」


 靴を脱ぐ習慣がある家に素足のグレイを上げないほうがいいだろう。アスカはその広い玄関で待つように言った。


「そこらに座っておくれよ」


 応接間になるのだろうか。玄関のすぐ先はホールのような空間になっていて、大きめの丸い敷物が敷かれている。

 ゼヤンがそこに座り、フィフジャたちも彼女と円になるように座った。


 クスラが少し奥に入って、陶器のような入れ物と木のコップを人数分持ってきて中身を注いで渡す。


「まあ飲みな」


 言いながらゼヤンがそれを煽る。

 先に口にするのは毒が入っていないという意味なのか、別に深い意味はないのかもしれない。


「ありがとう。ITADAKIMASU」


 フィフジャは少し躊躇していたが、ヤマトは喉が渇いていたのか一息に飲んだ。


(我が兄ながら何も考えてないよね)


「ん、げほっぐ……」


 むせる。


「子供の口に合うかわからんけどねぇ」


 げほげほと咳き込んでいるヤマトに、からからと笑うゼヤン。

 フィフジャはやれやれといった風に目を細めながら、ちびりとそれを舐めた。


「……まあ、少しだけ酒っぽいか」

「まだ日が高いからね。強いのがよかったかい?」

「いや、これでいい」


 アスカがどうしようかとフィフジャの顔を見ると、彼は小さく頷いた。

 飲んで害があるようなものではない、ということだろう。

 アスカが飲んでみると、えぐみのある果実の絞り汁のようだった。

 酒というほどではない。貯蔵の為か少し発酵した果実ジュースなのだろうが、渇いた喉に一気に流し込めばむせるのも当然。


「あんたの言葉も変わってるね。リゴベッテの方言なのかい?」


 先ほどのヤマトの日本語について尋ねられるが、なんと答えたものか。


「そんなところかな。この子たちは特に変わってるから」


 フィフジャが曖昧に答えて、ヤマトとアスカを差す。

 会話内容の全てはアスカには理解できていないが、何となく雰囲気はわかった。

 余計なことは言わないように、主な会話はフィフジャに任せておく。


「だけどまあ、あんたたち親子には見えないけど」

「訳ありで、今は俺がこの子たちの保護者ってことで。リゴベッテに行きたいんだが、エズモズの港町にはどう行けばいいか教えてほしい」

「エズモズ? そいつはずいぶんと遠いね。ここからだと六旬はかかるよ」

「これからの時期は中央のザウィサ川が増水するから、下手すればもっとかかる」


 呆れたようにゼヤンが言って、続けてクスラが首を振る。

 無理だと言うように、もう一度首を振った。


「着く頃には冬、か」

「あそこから冬にリゴベッテに出るような船はないと思うけど、なんでエズモズに?」

「そこから来たから、だけど」


 フィフジャが来たのは、ズァムーノ大陸右半分の中でも北沿岸やや東よりの港町エズモズから。

 今はかなり西より、中央の山脈よりに来てしまっている。

 前に訪れた港町に行くには途中の大きな河川を越えなければならないらしいが、時期がよろしくないと。


「このまま北に向かえば、二旬もかからないくらいで港に着くと思うけどねぇ」

「ノエチェゼ、か」

「子供連れじゃ敬遠するのもわかるけど、噂ほど非道な町じゃあないさ」


 金次第だよ、と言うゼヤン。

 このズァムーノ大陸東部地域、北沿岸にいくつかある港町で一番山脈よりのノエチェゼは、特に海賊気質が強い町だという評判らしい。

 アスカは道中で聞いたその話を思い返すが、そもそも海賊気質というのがどういうものなのか実感が湧かない。


 喧嘩っ早いという印象はある。

 だが、アスカの知る本の中の港町の人間というのは、どこも似たようなものではないかと思ってしまう。



「ノエチェゼ、だめ?」

「ダメじゃあないんだが。行ったことがないから、船に乗せてもらうにも話をつけられるかわからないし」


 地球とは違う。お金を払ってチケットを買えば船に乗れるというわけではない。

 対価も必要だろうが、船主が身元もわからない一行を乗せてくれるかどうかは不明だ。

 乗せてくれたはいいが、海に出たら身ぐるみ剥がれて海にぽい、ということさえ考えられる。

 そんな説明をフィフジャがするのを、ゼヤンやクスラが途中に相槌を入れながら補足してくれた。



「じゃあ、エズモズは、大丈夫?」

「……そういうわけでもない、かな」


 そう聞かれたらフィフジャも、エズモズなら問題ないという確信があるわけでもない。

 ただ単に春先にエズモズから大森林に向かったから、その時の見知った人間がいるかもしれないという程度。


「じゃあ、どっちでもいいんじゃあないかい?」

「そうかもしれないけど。ノエチェゼの治安は言うほど悪くないのか?」

「いんや、それなりに悪いねぇ」


 フィフジャの質問にからからと笑いながらゼヤンが答えた。


「あたしも何年も行ってないけど。まあ、数年で急に規則正しい住民に様変わりってこともないだろう」

「やっぱり安全じゃないのか」

「エズモズだって気を抜いてたら同じだと思うけどさ。言っただろう、金次第でちゃんと泊まれる宿もあるし、積荷はきちんと運んでくれる船乗りもいるもんさ」


 どの町でも、慎重に相手を見極めて判断する冷静さや観察眼が必要だと。

 ゼヤンの言うことは正しい。

 フィフジャもそれはわかっているようで、ヤマトとアスカの顔を見比べている。


(心配しすぎじゃないかな、私たちのこと)


 見知らぬ町に、決して治安がいいとは言えない場所に連れて行っていいのかと。

 世間知らずで言葉もまだ満足ではない未成年を連れて、治安が悪いという噂の道の町に。


「大丈夫、フィフ。私たち、どこの町でも知らない場所」

「そうだよ。どっちも初めていく場所で、危険も同じ」

「ヤマトは私が見てる。迷子は困る」


 渋面になったヤマトにフィフジャが吹き出す。

 少しは張り詰めた糸が緩んだだろうか、とアスカも笑う。


(真面目すぎるところがあるよね、フィフって)


 一番年長だからと、ヤマトとアスカをなるべく危険な目に遭わせないようにと考えすぎている。

 それはフィフジャの人柄の良さだとは思うが、この世界で危険のない日常などないだろう。


 アスカが聞いている日本なら、何一つ危険も苦しみもない理想郷なのかもしれないけれど、この世界は違う。

 森で生きていくのも、町で生きていくのも、一歩間違えば命を失うかもしれない危険と隣り合わせの日常。

 その度合いに程度の差はあっても、もっと世間を知るまではどこにでも危険があると常に警戒する必要がある。


 たとえば今、この場でも。

 竜人の集団が襲い掛かってくるかもしれない。

 そうしたら、まずこの手強そうなゼヤンとクスラを三人とグレイの総掛かりで倒して、ほどほどの重傷を負わせて人質にしようとか。

 アスカはそんなことを考えている。無警戒なヤマトとは違う。


(まあ、とりあえずこの人たちは、今すぐに何か攻撃してくる感じじゃないけど)


 だからと言って無害だとか味方だと判断するわけではない。



「まあそうだな。とりあえずノエチェゼに行ってみて、ダメならエズモズでもどこでも別の港町に行くか」

「うん」


 フィフジャの判断に頷いてゼヤンたちの顔を見ると、やはり優しげな顔で頷いていた。


「お金ないのはどうする?」


 というヤマトの言葉に、彼らの表情が固まってしまったが。



 迂闊なことを言ったヤマトを、フィフジャとアスカの拳骨で黙らせた。

 そして、やや気まずい空気。

 文無しというのは、どうにも居づらいものだ。


「あー、その。俺の荷物は、大森林で全部なくしてさ。金はないんだが……ああ、超魔導文明の硬貨ならあるんだ」


 言い繕いながら、ほらほらと急かされてアスカは自分の荷物から日本の小銭を取り出す。

 貯金箱の中にあった硬貨。

 見事な彫刻のされた日本の硬貨なら、通貨として代用したりもできないだろうかと持ってきたのだが。


「うーん、こういうのはね。あたしらには価値がわからないからねぇ」


 五円玉を摘んで穴を覗きながらゼヤンが言う。

 価値がないとは言わないが、どういう値段をつければいいのかわからない。

 ゼヤンはそれをアスカの小さな手に戻して、にやりと笑った。


「ただまあ、それはそれでこっちも頼みやすくなったってところさね」

「メトム、まさかあれを?」


 クスラが少し驚いたようにゼヤンに言う。


(今のメトムっていうのは、多分竜人の言葉でママって意味なのかな)


 言語学習中のため、知らない言葉が出てくるとその意味を推測する癖がついている。



「探検家ならちょうどいい。あんたもそう思ってたんじゃないのかい?」

「最初はそう思ったけど、彼らはまだ若い」

「銀狼がいたらどうにかならないかねぇ」

「ええと、すまない。何かあるならはっきりと言ってくれないか」


 ゼヤンとクスラの会話に要領を得ずフィフジャが口を挟んだ。途中、視線を向けられた玄関の土間にいるグレイも耳を傾けている。

 すまないね、と言ってゼヤンが仕切り直した。

 先ほどまでとは違う、真剣な――やや気重な雰囲気で。


「ちょっとね。さっきの果実酒の材料なんかがすぐ西の山脈ふもとの森で収穫の時期なんだけど、最近厄介な魔獣が増えているんだよ」

「去年も二人が犠牲になった。今年は春に森の浅いところまでしか入れなくて、果実や薬草が採れなくて困っている」


 なるほど、とフィフジャが頷く。

 だから探検家ならちょうどいい。まして金がないのなら頼みやすい好材料だと。

 ズァムナ大森林ばかりが森ではない。西の山脈の麓には大森林ほど深くはなくとも森がある。



「森、か」


 フィフジャの気持ちはアスカにもわかる。

 ずいぶん長い時間をかけて抜けてきたところだ。大森林ではないとしても、また森に入るいうのは気持ちが前向きにならない。


「いいよ、僕らが退治してくる」

「ヤマト」


 ごつん、と。

 再度、二人から拳骨を受けるヤマト。


 成長がない。身長は伸びたが慎重さに欠けている。

 こんな辺境に暮らす竜人が犠牲になるような魔獣が生息しているというのに、簡単に請け負われても困る。

 頭を押さえてうずくまるヤマトに、フィフジャは溜め息をついた。考えてもあまり選択肢はないのだ。


「それで、その厄介な魔獣って?」


 どちらにしても金はないのだ。滞在させてもらって何の礼もしないということも出来ない。食料だって調達したいところだ。

 場合によっては謝礼をもらうことも出来るかもしれない。

 ヤマトの安請け合いはいただけないが、どちらにしても選べる道は限られている。


「ああ、その魔獣はね」


 ――皮穿血かわうがちだよ。


 苦々しく言うゼヤンと沈痛な面持ちのクスラを他所に、三人は微妙な顔を見合わせてしまった。



  ◆   ◇   ◆

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