二_002 追剥と光る靴_1
翌朝には、アスカはツンデレのことなどすっかり忘れて気持ちの良い目覚めを迎えていた。
また川沿いを北に向かう。
これまでと違い遠くまで見渡せるし、足元の地面も固い。明らかに進行速度は速くなった。
川沿いを進むのは、他に道がないため目印として。または水源として。集落があるのも水辺から遠くないだろうという判断。
一日半を進むと荒地の広がるエリアから草原地帯に変わっていった。
草原といっても夏の草はよく伸びていて、膝から腿あたりまでの草むらを掻き分けて進む。
たまにぬかるみのような所に靴を突っ込んだり、少し小高くなった辺りに生えている木の木陰で休憩をしたりして。
それは三日目の昼間だった。
『ウウォン』
森を出てから初めて、グレイが何かの警戒の声を上げた。
木陰で休憩していた一行に緊張が走る。
見れば、北側から草むらを進んでくる何かがいた。
「……人?」
「
フィフジャが指を指す。
耳の上が特徴的に赤い。それが竜人を示している。それ以外は人間と大きく違うところはない。
若い、おそらくは二十歳前後の男性。背丈はフィフジャより少し高く、引き締まった肉体に、大きな弓と金属と木を組み合わせて作った槍を背負っていた。
(筋肉……)
引き締まった筋肉、とアスカが強く印象を受けたのは仕方がない。
おそらく夏場だからなのだろうが、彼が着ている服は前ボタンがないチョッキのような形で腹筋や肩が丸出しだったのだから。
膝あたりまでの草が生い茂る中を進む細身だが筋肉質な竜人。
フィフジャたちが休憩していた小高い木陰の傍まで、まるでためらわずに歩いてきた。
警戒している三人と一匹に、少し距離を置いたところで止まる。十歩程度の距離。
一足で戦闘というほどの距離ではないが、振り切れるほど遠くもない。
茶色っぽい長ズボンに、チョッキのような上着。弓や槍を背負った肉体美。
槍の穂先にはギラリと光る銀色の輝きが。
小さな三日月のような形をしていて、槍というよりは戟と言った方が正しいのだろうか。突くことも出来るが斬ることも出来ると。
他と比べることが出来ないが、それなりに上等な槍――戟に見えた。
肌は、日に焼けた日本人というところだろう。顔立ちはやや鋭い印象だが、それは目の上に書かれた化粧のせいかもしれない。
(案外と目は垂れ目っぽいかな)
垂れ目を誤魔化すために瞼に赤黒い化粧をしている、というわけではないとは思うが。
赤茶色の髪に、腰にくくりつけた荷物袋。
そんな姿の男が、アスカたちを眉を寄せながら一行を観察していた。
「マー、ドゥトリウハ」
彼が何かを言ったがアスカにはわからない。
ヤマトも理解できるはずがない。フィフジャを見るが、彼も知らない言葉のようで首を横に振る。
竜人の若者はそれを見て、うーと息を吐いた。
呻き声に対してグレイが低く唸り声を上げる。
「なんだ?」
とりあえずのフィフジャの問いかけだが、言葉が通じるかはわからない。
通じたのかどうかは不明だが、すっと片手を上げて人差し指を突き出す。
竜人の若者はヤマトの背中のバッグを指差して言った。ドラゴンの絵の描かれたリュックだが。
「マ、デニエセミリウワ、ケヘイッコ」
――お前たちの荷物を置いていけ。
そう言っているようだった。
ヤマトとフィフジャは顔を見合わせ、頷いた。
それから男に対して頷いてみせて歩み寄る。
「わかった、お前の言うとおりに」
フィフジャが喋りかけながら歩み出し、次の瞬間――
「するかよ!」
瞬間的な踏み込みからのショートアッパー気味の掌底。
かなりのスピードのそれを、竜人の追剥は後ろに身を逸らして躱す。
「セイ――」
「このっ!」
ヤマトが槍の柄で殴りつける。さすがに人間相手にいきなり突き刺す選択はなかった。
追剥は身を捻りながら背負った戟の柄でそれを受け止め、正面側のフィフジャを蹴りながら立ち位置を入れ替える。
かなりの身のこなし。フィフジャもヤマトも殺意まではなくとも昏倒させるくらいのつもりで仕掛けたのに、二人を同時に相手に無傷。
少し甘く見ていたかもしれない。
「ヤマト、気をつけろ。竜人は身体強化の魔術が得意だ」
「うん」
気を引き締め直して槍を構えるヤマト。
殴りかかる前にリュックサックはするりと背中に落としている。手に持っていた他の荷物も。
フィフジャは無手のままだが、竜人はそれを無力とは見ていなかった。
当然だ。この世界には魔術などがあるのだから、武器を持っていないと見えても牙はある。
竜人も、どさりと自分の荷物を手放して戟を構える。
「セイム、マーレレンタノッカ」
構えつつも、左手の手のひらをヤマトたちに向けて何かを言った。
――やめておけ、ケガをするだけだ。
とでも。
おそらく追剥竜人とすれば、フィフジャとヤマトを脅威と見做し、アスカは非力な少女と判断したのだろう。
さきほどフィフジャがヤマトに声をかけたのも、注意を引き付けるためでもある。
アスカは見た目にはただの女の子。一番小さい。
フィフジャとヤマトと対峙する一方で、アスカの存在は無視する。
この中で最も冷徹な判断を下せるかもしれないアスカに背中を見せた。
グレイは……なぜだか、戦闘態勢にはなっていない。
この銀狼たちは伊田家の人を襲うことがなかった。竜人も、銀狼の目から見たら人間にしか見えない。
攻撃していいのかどうかわからないのだろう。どうしたものかとアスカの顔を窺うが、突っ込んでいってあの戟の餌食になったらと思うとアスカに指示は出せない。
少なくとも、フィフジャとヤマトの攻撃をいなす程度の腕はあるのだ。油断は出来ない。
戟を持ってヤマトたちに向かって構える竜人。
「……」
竜人にしてみても、フィフジャとヤマトの戦闘力は脅威だったのか。
沈黙。少しの対峙の後、口を開く。
「マ、――」
仕切り直そうと話しかけようとするそのタイミング。
黄色いヘルメットは、内側は衝撃を和らげるように出来ているが外側は固い。当たり前のことだが。
この場で最も危険な生き物に晒された無防備な後頭部を、容赦のない勢いでアスカのヘルメットが打ち据えた。それはもう容赦のない一撃だ。ヘルメットの内側の紐を握り、ボクサーのグローブのように嵌めたアスカの右一閃。
「げぉっ⁉」
衝撃で前につんのめりそうになりつつ、戟の柄で体を支える追剥竜人。
後頭部は竜人でも弱点だったのだろう。まあ頭部が弱点でない生き物は少なくともアスカは見たことがないのだが。
彼はふらふらと体を揺らしながらアスカの方を向き直った。
いや、向き直ったというには足元が覚束ない。
目が泳いでいる。頭を殴られて、目が廻っているのだろう。だがまだ意識はある。
ボディには、鍛えられた筋肉の壁も見える。
「ふっ!」
その竜人の
「――!」
光る靴。
比喩ではなく、アスカの靴は母親から譲り受けた地球の製品で、衝撃で光る。
古くなってしまったせいで歩いていても光らないが、とても強い衝撃があれば。
「「ぉふ……」」
呻いたのはフィフジャとヤマトだ。哀れな被害者の声は聞こえない。
へなり、と膝から力が抜けて軟体動物のように崩れ落ちる竜人。
頭を打たれたもののかろうじて保っていた意識。それをさらなる苦痛で断ち切った。
右手にヘルメットを持ったアスカが、その竜人の倒れ方に軽く舌を出して見せる。
「やりすぎちゃったかな」
「……」
このぺろり顔は可愛くなかっただろうか。
ヤマトとフィフジャはやや内股になりながら、苦い顔を合わせていた。
◆ ◇ ◆
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