第二部 ノエチェゼの紅い夜

二_001 新たな進路



 夕方にはフィフジャの熱も下がり、川のほとりに移動して野営することにした。

 夕食は魚だ。森の果実や食肉は近場にないが川には魚がいた。

 フィフジャが地面に地図を書いて現在地や目的地を説明してくれるのを聞きながら焼き魚を食べる。


 歪つな形のイモを、上から割ったような絵。下の方は断ち切れていない。

 これが今いる大地。


 裂け目部分の右側を示して、ここから見て西側の山脈だと説明を受ける。そしてその東側の中央一帯が、今まで進んできた大森林。


「ズァムナ大森林」


 そしてその森林の北、山脈の麓辺りが現在いる場所。

 上から裂けたイモの形の大陸──ズァムーノ大陸、と呼ぶらしい。


 ズァムーノ大陸の右上と左上に、それと同じくらいかそれより大きいくらいの丸を描く。

 その間は、海なのだと。


 海という言葉は、フィフジャにあげた図鑑の中の写真で教わった。青く広がる大海原はこの世界にもあるのだと。

 やはり水は塩っ辛いということだが、ヤマトもアスカも海を見たことがないので地球との違いはわからない。

 右上の大陸、リゴベッテ大陸と呼ぶらしいそこに向かう。



「どうして、行くの?」


 アスカの疑問。

 なぜ、その大陸を目指すのか。

 フィフジャはうーんと頭を掻きながら、


「この辺りは危険だから、かな」


 危険。その言葉は森で教わったからわかる。



「リゴベッテは平和……わりと安全だから」

「フィフの家は?」

「ああ、うん」


 続けざまにアスカが質問するとフィフジャは少し言いよどんだ。


「俺に家はない。農民でもないし、市民でもないし」

「のうみん?」


 途中のわからない言葉を確認しながら説明を聞く。

 農民なら農地があり、家がある。

 定住地がないということは、多数派ではないが、この世界では珍しいことではないようだ。


(まあ僕らも帰る家を失ったのも同然だから同じか)


 また六十日を――いや、それ以上の日数を彷徨いながら、正確な場所もわからない家に戻ることなど現実的に不可能。

 家はどこですか。ズァムナ大森林の中です。なんて答えたら法螺吹きか頭がおかしい扱いになるんじゃないかと。


「そうだな。君らも、大森林の出身だとは言わない方がいい」


 フィフジャに言われて、アスカと顔を合わせて頷く。

 世間知らずなのは事実だとして、あまり無用なことは言わない方がいいのだろう。


「危険って、人間が危険?」

「そうだ。一番危険かもしれない」


 フィフジャは真剣な顔で頷いた。

 森の魔獣の危険性とは異なる人間の悪意。

 父にも母にもそのようには言われたが、それほど危険なのかとヤマトは少し気分が悪くなった。


「フィフは、いい人間」


 アスカがフィフジャの頭を撫でる。

 真剣な表情のフィフジャを宥めるように。


「あー、あぁ、うん……ありがとう」


 照れた様子で頬を掻きながら目線を下にずらしながら礼を言うフィフジャ。

 にっ、とアスカの目が緩んだのをヤマトは見逃さない。


 ちょろいな、と。

 父に甘える時にもこんな目をしていた。



(この妹のほうが怖い)


 なるほど。妹でさえこれなのだから、他の人間などたやすく信用すべきではない。

 ヤマトにも、言葉ではなく心で理解できた。

 少し赤くなっているフィフジャは取り繕うように咳払いした。


「北に向かっていけば、竜人りゅうびとの集落がいくつかと港につくはずだ」

「竜人?」


 ヤマトもアスカも、まだまだ知らないことばかりだった。



  ◆   ◇   ◆



 竜人りゅうびと族。

 遡ること五〇〇年ほど、その頃に空から現れたと言われる異界の真なる龍。

 それを呼んだのが竜人族だとされている。

 これには諸説あり確たる証拠はない。


 ただ、竜人族はその真なる龍を信仰の対象としている人々であることは事実らしい。そういう理由で教会からは疎まれている。


 彼らの居住地はこのズァムーノ大陸北東側で、この辺りは教会――ゼ・ヘレム教会の勢力も弱いので迫害や虐殺という事態にはなっていない。

 そもそもズァムーノ大陸の北東側沿岸部は、ずっと昔にリゴベッテ大陸やユェフン大陸から逃亡した海賊もどきの居留地から発展した港町になる。

 脛に傷のある半分海賊のような荒くれ者の末裔と、原住民である竜人族が共存しているのがこのズァムーノ大陸北東地域。


 教会が人間社会で大きな権勢を誇っていても、ここまで遠征に来るほどの力はなかった。

 遠征も難しい上にまして海戦となれば、やる前に結果が見えている。

 今では港町として他の大陸の港と交易を行っているのだから、昔話のような海賊の町というわけではない。


 沿岸部の一部の港町にはゼ・ヘレム教会の建物だってある。海賊なんて過去のことだ。

 それにしても成り立ちからして穏やかな気性の人々というわけではないので、安全に子供が暮らせるような環境とは言えない。

 竜人族の集落にしても、人間の子供を歓待ということもないだろう。


 フィフジャのそんな説明を聞きながら明日に備えて眠るのだった。



  ◆   ◇   ◆



 龍。


 ヤマトの鼓動が高鳴るのがわかる。アスカだって思わず身を乗り出して聞いてしまった。

 龍というのは、ヤマトのリュックサックに書かれている絵で説明された。

 図鑑にも一部恐竜の写真というかイラストがあり、それらの種類の大きなものが空から現れたと。


 空から降りてきた、ものすごく強い龍。

 山を吹き飛ばし、海を割る。そんな話を聞いたら危険とわかっていてもわくわくしてしまうのは仕方ない。


(でも、死んじゃったのか。会ってみたかったなぁ)


 明らかに天災級の害獣だが、やはり見てみたかったと思う気持ちがある。


 おとぎ話なのではないかと聞いたら、フィフジャは首を振った。

 実際にその爪痕というか戦いの痕跡や角などの証拠があるという話だ。

 話を聞きながら、わからない言葉を何度も質問することになった。


(あれだよね。絵本を読んでもらってる時みたい)


 レジャーシートで横になってフィフジャの話を聞きながら、アスカは幼い頃のことを思い出していた。

 子供はああして知らない言葉を親から教わっていく。

 今のフィフジャとアスカたちの関係はそれに近い。


 家を出てからこの六〇日、この世界では六旬というらしいが、その間にもひとつずつ言葉を覚えてきているが、まだ足りない。

 もっとフィフジャから教えてもらわなければ、ヤマトを守ってあげられない。


(ヤマトは鈍いから、私がしっかりしないと)


 ズァムナ大森林でなくても、この世界は危険が多いのだと思う。

 ヤマトより自分の方が世渡りは得意だとアスカは思っている。実際に世の中を渡ったことはないけれど、ヤマトではあっさり騙されたり利用されたりしそうだ。


 そうならない為にも、言語の習得は必要最低条件。

 この世界の歴史や文化、常識についても知っておかなければならない。この辺りはフィフジャも同じ認識のようだが。



(……別に、フィフジャを信用しきってるってわけじゃないんだからね)


 心の中でそう言い聞かせて、はっとアスカは小さな胸を押さえた。


「これ、ツンデレだ……」


 そうだとすれば屈辱だと顔をしかめて、苦い気持ちを忘れて眠ってしまうことにした。

 小さく呟いた言葉にグレイだけが耳を傾けて、寝言かなという顔をしていた。寝ぼけた発言ではあったかもしれない。



  ◆   ◇   ◆ 

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