21 森の奥から



 六十日を越える行程。

 フィフジャにとっても切望した場所。諦めかけていた風景。

 ヤマトとアスカの二人にとっては生まれて初めての景色。


 森から少し離れた丘まできて、三人と一匹はそこに倒れこんだ。

 日はもう落ちかけている。

 空から照り返すうっすらとしたオレンジ色の光が、ヤマトとアスカの頬に残る涙の筋を露にしていた。


「……」


 言葉はなかった。

 夏の日差しを受けていた大地が熱い。

 茶色い地面だがそのまま土ではなかった。茶色っぽい短い草が生えていて、おそらく日差しで焼かれている状態なのだと思われた。

 危険かもしれない、とフィフジャは思わなくもない。

 森からまだあまり離れていないし、森の外にだって危険な野生動物はいる。


(……人間も)


 こんな場所で可能性は低いとはいえ、そういう危険な何かに襲われるかもしれない。

 だが、それを言葉にするよりも早く、空の明るさが完全に消えてしまうよりも早くに、フィフジャの意識は闇に落ちた。

 ヤマトもアスカも、眠りに落ちていた。

 半分少しの赤褐色の月と丸い銀色の月が、眠る三人と一匹を照らしていた。



  ◆   ◇   ◆



 精霊と呼ばれるものがいる。

 かつて神が滅びた際にその血肉を浴びた何かが、知性や意識を得て変化したもの。

 深い森のルルトトー。

 大森林を見守るルドルカヤナ。

 光の精霊エメレメッサ。


 発生の端緒は異なるが、妖獣や妖魔のように他の生物とはまるで異なる意識体。

 人間の理解が及ばない存在。

 

「なんもしやしないよ。もう森に入らないならねぇ」


 彼女は上空を一睨みしてから、胸に刻まれた新しい傷を手の平で抑えた。

 森の入り口付近から、まだ見える場所で眠る子供たちを見て苦笑する。


「森の奥に行こうとする人間を通さない。それがあたしら朱紋がヘレムから受けた使命さね」


 少し悪戯心で意地悪を仕掛けて、余計な傷を負った。

 彼らは森から出ようとしていたのはわかっていたが、過去にないことだったので。


「もう戻らないってなら、あたしにゃ関係ない。それがお互いの為ってもんさ」


 空を飛ぶ鳥に聞こえるのかどうか、彼女は言い訳のように独白して向きを変えた。

 森の奥へ、再び役目に戻るように。


「もう戻るんじゃないよ。ズァムナの子供たち」



  ◆   ◇   ◆



「これでよし、と」


 言葉はなるべく現地のものを使う。慣れていくために。

 まだわからない言葉の方が多いから、都度フィフジャに聞きながらになるだろうけれど。


 森の終わり、岩場の始まりは緩やかな坂になっていた。少し下がってから、また上がったり下がったりする丘陵地になっている。

 赤っぽい地面はところどころに地層の線が見える。断層とかそういうものなのかもしれない。

 世界の名所の写真集で見たグランドキャニオンという場所の色に近い。あんな大峡谷ではないが。


 少し遠くの低くなったところに川が流れている。

 あの川が何百万年も地層を削り続けたら、大峡谷が出来るのだろうか。



 森との境は想像よりもはっきりしていた。

 この辺りの地質が違うだけなのか、あるいは過去に大きな災害か何かでこうなったのかヤマトにはわからない。

 最後に出てきた辺りのひときわ大きな木の幹に、目印になるようビニール紐をバツ印にして結びつけた。

 この日の為に持ってきた黄色のビニール紐。


 紐をかけた片側の幹に、ステンレス製ナイフで文字を刻み込んだ。


『伊田家 伊田大和 十四歳 伊田明日香 十二歳』


 これでこの森のここまでは伊田家の領域、というわけではないが。

 祖父の健一は喜ぶのではないだろうか。ここまで伊田家の足跡を刻んだと。


 ひとつの大きな目標を達成できた証として刻み付けた。


「これでよし、と」



 アスカは日陰でフィフジャを見ている。

 顎の傷のせいなのか疲れからなのか、熱を出してだるそうなので今日はここで休むことにする。

 傷には塗り薬を塗った。

 塗る分とは別のビンに入れてある薬をお湯に溶いて飲ませたので、休息を取れば元気になるのではないだろうかと思っている。


 ヤマトとアスカ、グレイにだって休息は必要だ。

 ここまでの行程でも疲労は蓄積している。昨日の戦闘、危機、そのまま休まず歩き続けることになったせいでヤマトの体も悲鳴をあげていた。

 グレイにも色々と無理をさせてしまっている。今日はお休みでいいだろう。


(この森を離れるのが寂しい気持ちもあるけど)


 気持ちの整理も必要なこと。

 伊田家の文字を刻むこともそのひとつ。足跡を残しておきたい。

 森の中から朱紋や黒鬼虎が飛び出してくる、ということもなかった。

 この辺りの様子を見れば、森を出たら食料に困るだろう。おそらくここは彼らの領域ではない。


(だから森に入ってくる侵入者を攻撃するのかもしれない)


 自分たちの食料を奪う外部からの来訪者を許さない。そういう心理なのか。

 答えの出ない思索をしながらアスカたちのいる日陰に戻る。

 日が昇ってきて気温が上がってきた。季節は夏なのだから、日差しで体力が損なわれる。

 森を出て旅が終わりというわけではないのだから。


「僕たちは、この先も歩いていくよ。母さん」



  ◆   ◇   ◆



 次の朝。

 フィフジャは二人の背中を見ていた。

 生まれ育った森に向かう二人の兄妹の背中を。


 歌う。

 まっすぐに立って、空に流れる雲を見上げて。

 どちらからともなく歌いだす。


 交互に言葉を重ねて、時に合わせて。

 彼らの歌だからフィフジャには歌詞の意味はわからないけれど。



 ただ耳を澄ませる。

 託された子供たちをここまで連れてくることが出来た。

 彼らの家族たちも、きっと森の向こうで聞いているだろう。この歌を。



 歌い終えた二人が、フィフジャの近くに置いていた荷物を背負い頷く。

 それに応えて頷き返し、歩き出した。

 森に背を向けて。


 途中、二人が立ち止まってもう一度振り返る。



 ――行ってきます。

 ――行ってらっしゃい。


 聞こえたような気がした。



         森の奥から……  終わり





/////////// あとがき //////////


 読んでいただいた方々に、心より感謝を。

 ひとつの締め括りに、ヤマトとアスカの歌のイメージをお伝えします。


 『合唱曲 旅立ちの日に』『合唱曲 大切なもの』


 動画検索していただければ出てくると思いますので、エンディングとして聞いていただければと思います。前者は桜色のサムネイル、後者は青いサムネイルのものをお奨めします。

 他にも場面ごとに書きながらイメージした曲もあります。ご要望や機会があればまた。


 迷い込んだ日本の一家がどうにか生きて、若い世代の未来を願う。

 森に放り込まれて森を出るだけ。そんな物語でした。

 お付き合いいただいた方々にもう一度御礼申し上げます。



 【切実なお願い】

 地味な作風でフォローいただける方が少ない現状です。

 二人の兄妹の行く末を最後までお届けしたいのですが、落ち込むこともあります。

 もしここまで読んで気に入っていただけたなら、応援コメントで一言でも感想をいただければとても嬉しいです。励みになります。

 よろしくお願いします。


 最後まで読んでよかったと思っていただける物語を書けるよう頑張りたいと思います。



                   大洲


 

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