17 煤け鬼



 異常に硬い肉体と高い身体能力。こういう敵と戦う場合にどうすればいいのか。


 弱点をつけばいい、というのは簡単だ。

 だがその弱点とはなんだろうか。


 魔獣であれば、過去の経験から生態を学び、対策することもできるだろう。

 一部の、黒鬼虎のように弱点という弱点がない強い種族はともかくとして、大抵の生き物なら対応のしようがある。


 それが妖獣、妖魔の場合は。

 これが特に恐れられる原因になる。



 妖獣、妖魔は突然変異で生まれる。他に同じ特徴を持つものがない存在の為、対策が難しい。

 元になった生き物と似た生態で同じような対応が可能なものもいると言うが、そうでないことの方が多いのだから。

 この、フィフジャが命名した【煤け鬼すすけおに】──世で呼ばれる【朱紋《しゅもん》】の場合はどうか。



(元になった生き物の見当がつかない)


 体から煙だか蒸気なのかを出している時点で、フィフジャはそんな生き物を知らない。火山地帯にそんな魔獣がいるのだったかもしれないが。


 尖った角を持つ魔獣は鬼と呼ばれるものが多い。

 黒っぽくて角がある。だがこの二足歩行の生き物が黒鬼虎から生まれた妖魔なのかと言われたら、そういう印象は受けないところだ。


(いや、黒鬼虎なら弱点ないから意味なかったな)


 そうでないことを祈ろう、というだけだ。


(石猿の変異……そこら辺だと思うんだけど)



 実際の所、この想定は外れている。煤け鬼は廻躯鳥──伊田家ではデビルコンドルと呼ばれていた猛禽類から生まれた。

 硬い体表は羽が異常に硬質化したもので、つまりは鱗のようなものである。夜目も利くように変異している。


 夜目が利く為に、あの夜の近距離での目くらましに大きく影響を受けてしまった。LEDライトの光はかなり強かった。



「赤い線が弱点だとか、な!」


 フィフジャが振るう手斧を左腕で払い、右手の爪で袈裟懸けに薙ぐ。

 煤け鬼の爪をバックステップで躱しながら、フィフジャは足元の石を蹴り上げた。

 適当な目くらましだ。

 顔に土ぼこりが入るのを嫌がった煤け鬼の隙に、フィフジャは自分の周囲を確認する。大きな岩、障害物、川の位置、手ごろな石を拾う。



(さすがに特徴的な赤い筋が弱点なら、何百年も伝わる妖魔になるわけないか)


 目立った弱点があるのなら対応は可能なはず。

 斧や鉈のような切断に対してはかなり強靭な外殻を持っている。


「じゃあ、潰す」


 石で殴りつければどうだろうか、と。

 妖魔といえども生物には違いない。体内器官はあるはずで、そういったものを守るために硬い外殻をしているとすれば効果は見込めるだろう。


 フィフジャの狙いとは無関係に、煤け鬼が低い姿勢でフィフジャに迫る。

 タックルをかますような走り方で、フィスジャの腹を薙ぐように爪を振るった。

 右、そして左。その勢いも猛烈だ。

 だが、単調。


 ――ジャバッ!


 後ろに下がってそれを避けるフィフジャの足が川に入った。気にしている場合ではない。

 腕を振り抜いたところに向けて手にした石を投げつける。至近距離で避けられない。


「くそっ」


 避けた。

 振りぬいた姿勢から、足首だけのステップで真横にジャンプして躱す煤け鬼。

 やはり予想外の動きをする。投げつけた石は外れたが、すぐさま代わりの石を拾い上げた。

 選んでいる余裕がなく拾った石は少し大きい。投げつけるには重いかもしれない。



『ヒシェェウゥ』


 空気が漏れているような軋む声。

 正面から見れば、この煤け鬼には口の中に歯が見当たらない。だからそんな声を出すのだろうか。

 口唇が、硬質化した外殻と同じようで、硬い牙のようになっている。


(嘴みたいな感じだな)


 図らずも正解に辿りつくフィフジャだが、それを検証している余裕はない。

 川に入ったフィフジャに向けて、威嚇なのか恨み言なのかわからないが、気味の悪い声を浴びせた。



(もしかして水が怖いとか?)


 飛び掛ってこないのでは、と思った次の瞬間だった。

 一足で、予備動作なしで飛び掛ってきた煤け鬼の右手首を、自分でも素晴らしいと思う反応で左手で掴んだフィフジャ。

 眼前に迫る爪を左手で押さえて、右手に持った石で煤け鬼の顔面に殴りつける。


「ぬぉりあ!」

『フャァァァァ』


 顔面に叩きつけた石を、なんとその口で受け止められた。口唇というか、その牙っぽい部分で。

 そしてそのまま噛み砕く。

 石を噛み砕く。



「なんってぇ」


 お返しのように、煤け鬼の左手の爪が腰あたりから振り上げられる。

 フィフジャの腹から胸にかけて切り裂くような逆袈裟。


 二足歩行、二本の腕の妖魔だったから攻撃が予測できた。

 人と同じ姿形をしていれば攻撃モーションもそれに準ずる。対人戦闘と似て。


 フィスジャの右下から切り上げてくるその一撃を、右の肘でその爪の外側をはたくように躱した。

 その勢いに合わせ、左手で掴んでいる煤け鬼の右腕を流すようにして、振り上げようとする左腕側に巻き込む。


 右腕を振り下ろそうと、左腕を振り上げようと。煤け鬼の力はどちらも内側に向かうように掛かっていたので、その力の流れにそってフィフジャは体を入れ替えるように廻った。


 回転の途中で顔と顔がぶつかったが、構わずくるりと入れ替わったフィフジャが煤け鬼の左斜め後ろに立つ。

 手には、先ほど噛み砕かれた石の残りがあった。


「なああ!」


 再度右手を振るって煤け鬼の後頭部を殴りつけた。思い切り。


『ビヨォッ!』


 顔面から川に突っ込む煤け鬼。

 手応えはあった。今のも悲鳴のようだ。

 ごろごろと川の中を転がり、はいずってから立ち上がる。その間にフィフジャも息を整えている。

 すれ違い様に煤け鬼の角が当たったようで、フィフジャの左の顎あたりが切れていた。


(熱い……)


 痛みなのか熱なのか判別できない。

 蒸気を出しているようでもあるから、異常な高熱を発しているのかもしれない。

 立ち上がった煤け鬼だが、後頭部を石で殴られたダメージの為か数歩よろめいた。



「フィフ、うしろ!」


 咄嗟だったろうに、教えた言葉を使えている。


(ちゃんと覚えてるじゃないか)


 こんな時だというのに、フィフジャは嬉しくなった。

 ヤマトの成長がなんだか嬉しい。教え子というか弟分というか。

 フィフジャには家族がいなかったから、たぶん弟や妹がいたらこういう感じだったんだろうな、とか。


 人跡未踏のズァムナ大森林の中で弟ができるなんてどういう皮肉なのだろう。

 こんな自分に、家族みたいな人間が出来るなんて。


(なんで今そんなこと考えているんだか。やっぱり俺はズレてるのかも)


 世界から外れている。

 世界が、ぶれる。

 そのままふらりと、水の中に倒れた。



  ◆   ◇   ◆



 煤け鬼が揺れている。

 揺らめくように、体のあちこちから噴出す煙で揺らめいている。


 フィフジャも揺れていた。

 足元が、川の中で定まらないかのように。

 あるいは酔っているかのように。


 フィフジャは叫んだヤマトの方を見て、一瞬だけ照れたように笑った。

 その顔には、おそらく戦闘中についたのであろう傷。顎から頬に赤い筋を残している。


 戦意を取り戻した煤け鬼がフィフジャに向かって歩き出した。川の中だから走るというほどのスピードではない。

 逆の岸辺から――フィフジャの死角から、薄茶色の気味の悪い生き物が、勢いをつけて撃ち出された。



 ヤマトは、たった一歩だけ、川に踏み込んだところだった。


「フィフ!」


 ばしゃん、と。


 軽い水音を立てて、フィフジャが倒れた。

 ヤマトの伸ばした手は遠い。まるで届かないまま。



  ◆   ◇   ◆

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