16 楕円の河原
煙を上げる黒い妖魔がフィフジャを襲っている。
それを助けに行こうにも、ヤマトは迂闊に身動きが取れなかった。
凸凹のひどい岩場を、多数の足をうねるように動かして意外な素早さで迫ってくる魔獣ども。バムウと呼んでいた。
初めて見る相手ということもあるが、この足運びの異様さは実際のスピードとは違ったやりにくさを感じる。
とにかくリュックサックを地面に落として槍を構える。アスカも荷物を下ろして身軽になった。
「右、飛ぶよ!」
アスカの声で、右から来ていたバムウの姿勢が一瞬低くなるのを見た。
次の瞬間、縦の線にしか見えなかった部位を左右にくわっと開いて、多数の牙を向いて飛び掛ってきたそれを避ける。
「くっそ」
すれ違い様に、その背中――口のある方が顔だとすれば、尻の方から突き出した突起がヤマトの腕を掠める。
「毒針!」
「平気だ、刺さってない」
赤い金属のプロテクターが針を防いでくれた。
この動きに加えて毒針攻撃とは本当に厄介な相手だ。
続けさまに別のバムウがヤマトの斜め後ろから飛び掛ってきたが、今度は余裕を持って躱した。
あの尻尾の毒針の射程が掴みきれない。
『ガァァゥ!』
着地したバムウの顔付近にグレイが噛み付いた。
『チュレレルルラララッチェ』
初めて聞く鳴き声。こんな鳴き声の生物がいることが驚きでもある。
噛み付かれたバムウは多数の足で回転して尻尾でグレイを撃とうとしたが、その前にグレイが離れた。
手傷を負ったバムウはそのままグレイを追っていく。
アスカは足元に近寄ってきたバムウに前後をふさがれている。
うにょうにょとアスカの周囲を廻るバムウ二匹。ヤマトは助けに行きたいのだが、自分の周囲にも三匹のバムウがまとわりついてきてそれどころではない。
隙を伺うようにヤマトの周囲を回る。
(フィフは……いや、大丈夫だ。僕は僕のことを)
一番の強敵に思える妖魔を相手にしているフィフジャを心配に思うが、それも今は後回しだ。
彼は自分がやると言った。ヤマトにもそれはわかった。
そして、このバムウについてはヤマトたちに任せると言ったのだ。この状況でまず自分のすべきことをやらなければならない。
連続で飛び掛ってくるバムウを躱しながら攻撃のタイミングを計る。
攻撃手段は体当たり気味の噛み付きか、尻尾による毒針。
それ自体は単純なのだが、多足で不規則な動きが間合いを狂わせる。
石猿や、たとえ黒鬼虎でも。足運びである程度の動きが予測できるものなのに、このバムウは違う。右にと思えば不意に左に動いて、予測と違う位置から飛び掛ってくる。
こっちにいる、こっちにくると思っている所とズレるだけで、反撃をするどころではない。避けるので手一杯になってしまう。
「っとぉ!」
右手をついて一回転、左手に持った槍を腰に構えて片膝でバムウに向き直る。
その膝を突いた姿勢のヤマトに、後ろに廻ったバムウが飛び掛った。
仲間と呼吸を合わせた攻撃だ。この魔獣は群れでの連携までできるのか、と。あるいはただの本能的なものか。
(石猿もこういう連携してくるよな)
もしかしたらそう動くかもしれない。
先に予測した動きで、しゃがんだヤマトに飛び掛るのならこの軌道になるだろうと。タイミングさえわかっていれば、対処できない素早さではない。
転がりながら逆手に構えていた槍の穂先で、後ろから飛び掛ってくるバムウを口から串刺しにした。
槍の鋭さと飛んできた敵の勢いで、するりと口から脳天へと突き抜ける感触がヤマトの手に伝わる。
突き刺さったバムウは即死。その重量は人間の大人と変わらないほど。
逆手になった片手で簡単に支えられる重さではなかった。
今度は前方のバムウが飛び掛ってきた。
「その流れなら」
今と同じ。隙だとみて飛び掛ってくるタイミングと方向を予測できていれば、ヤマトに対処できないスピードではない。
既に槍は手放している。
――槍に頼りすぎだ。
フィフジャにそう言われた。だから槍に固執しない。
足元にあった大き目の石を掴んで、大きく開けた口に向かって思い切り投げつけた。
『ヂュリュ?』
握りこぶしより大きいくらいの石を至近距離で口の中に叩きつけられたバムウは、ぼむっと音を立てて地面に落ちる。
ゴムマリのような感じ。バムウは筋肉質な肉の塊のような生き物らしい。
力を失うと柔らかくなるようで、ぶよぶよとした感触で地面に転がると血泡を吹いて痙攣した。
「んでっ!」
もう一匹、ヤマトを狙っていたバムウの姿がない。
槍を拾うべきか、一瞬迷う。
その一瞬の判断が遅かった。
「げはっ」
背中から強い衝撃を受けて、前に向けて転がるヤマト。
即座に前転して振り返ると、先ほどまで自分がいた辺りにもう一匹のバムウの姿があった。体当たりを受けたか。
ヤマトの槍はその向こう側のバムウの死体に突き刺さったまま。手元に武器がない。
バムウはうぞうぞと左右に揺れるように動いて、一瞬沈む。
「っ!」
飛ばなかった。
ジャンプ攻撃だと身構えたヤマトに対して、予想に反して宙に浮かずに地表をくるくると回転しながら急速に迫ってきた。
「と、この」
足元に滑り込むようなスライディング。
予想外の攻撃に対応が遅れたヤマトは、それをぎりぎりで躱しすけれど。
ぎりぎりのところで。
「しまっ!?」
『チュレレラッ』
そこだ、と言わんばかりに、ヤマトの足元でバムウの楕円形の体が跳ねた。
地面に弾かれるように、ヤマトの下腹に体当たりと同時に牙を剥く。
「ぬぁぁぁ!」
咄嗟にバムウの体を両手で押さえるヤマト。
バムウの体はそれ自体が丸い頭のようだが、噛み付いてくる口を避けようと左右の頬を鷲づかみにしたような体勢になる。
腹に噛み付かれるのは避けたが、バムウの勢いで体が浮いて姿勢が崩れた。
触れた体表は意外とカサカサと乾燥していて、冬の荒れた肌のようだ。
それを掴むヤマトの左腕に向けて、背中から突起が伸びた。
(毒針!)
手を離せば、今度はバムウのぱっくりと開かれた口がヤマトの腹に食らいつく。
だが刺されたら結果は同じこと。
殺されて食われる。
(アスカ――!)
助けてと思ったのか。
別れと思ったのか。
『グルァァァゥ!』
尻尾は食い千切られた。
銀色の閃光。
時折、グレイやその一族が見せてくれる驚異的な速度の一撃。ヤマトやその家族の危機を助けるために振るわれる渾身の攻撃。
銀狼の牙が、ヤマトを襲った毒針を断ち切っていた。
『チュレラ!?』
悲鳴なのか困惑なのかはわからない。尻尾を断ち切られた痛みで混乱したのか、地面に落ちてぐるぐるとあるはずの尻尾を追いかけるように回転する。
助かった。
体当たりで浮いていた態勢から立て直したヤマトは、その時には既に腰の手斧を右手に構えている。
「この!」
振り下ろした手斧は、バムウの脳天と思われるあたりから口あたりまでを断ち割った。
即座に手斧を抜き、先ほど石を叩き付けて昏倒させたバムウの頭にも一撃を加える。
「アスカ!」
「いい!」
自分の槍を回収しながらアスカの姿を探すと、彼女は少し離れた場所で問題ないというように軽く手を上げた。
既に一匹を仕留めている。残り一匹。
(グレイが一匹やっている、それで六匹……?)
最初に発見した時、七匹いたのではなかったか。
数え間違いだったのかもしれない。一匹は逃げ出したのかもしれないが。
「フィフ」
一番、大変な役目を負わせてしまったフィフジャの姿を探す。
すぐに見つかった。川の方……というか脛まで川に入った状態で、石を右手に構えている。
数歩離れて、煙を上げる妖魔が向かい合っていた。
妖魔は川の中だ。膝辺りまで流れに浸かり、その足元から蒸気が上がっている。
岸を背にするフィフジャ。
その岸の岩陰に――
「フィフ、うしろ!」
◆ ◇ ◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます