10 獣の群れ



 雨の中で黒鬼虎をやり過ごしてから一旬、十日が過ぎた。


 季節はいよいよ夏らしくなってきて、それに比例して森の獣の凶暴さが増してきたようだった。

 毎日のように石猿、牙兎などが地上から。空からの襲撃も少なくない。


 暑さで獣も苛々しているのだろうか、といえばそんなわけはないのだが。日照量が多いこの時期はそれほど飢えているはずもないのに襲撃は多い。



「ヤマト、うえ!」


 襲ってきたブーアを仕留めたヤマトが息をついた所に、樹上から皮穿血かわうがちが襲い掛かってくる。

 ブーアというのは足の短い四足動物で、食用として飼われているものもいる。鳴き声からブーアと名付けられているが、野生のブーアは固く尖った牙を持ち凶暴だった。


 突進してきたブーアの目を槍で突き、だがその突進の勢いで数歩後ろに押されていたヤマトは体勢が崩れている。

 そこに木の上から滑空して襲い掛かる、皮穿血と呼ばれる魔獣の攻撃があった。


 踏ん張りが利かない状態のヤマトは即座に槍を手放して、そのまま背中側に転がった。

 ヤマトの顔があった辺りを皮穿血が通り過ぎる。


 鋭く長い牙が特徴的だが、滑空のために広げた両腕の先にも二本の尖った爪がある。返しの棘もついていて、刺さったら簡単には抜けない。

 獲物の顔を捕らえて、視界を奪うと同時に窒息させるという凶悪な魔獣だ。たいていの生き物は呼吸が出来なければすぐ行動不能になる。


 背中側の皮は非常に強靭な上に刃なども通しにくく、一度巻きつかれると簡単には引き剥がせない。

 皮革を打ち破るほどに外部から強打すれば、巻き付かれた方もただでは済まない。森では特に気をつけなければならないハンター。皮穿血。


 その存在を察知していたわけでもないのだろうが、ブーアとの戦闘の最中でも決して気を緩めていたわけではないのだろう。

 ヤマトはその皮穿血の攻撃を避けて立ち上がると、すぐさま腰に提げていた手斧を構え直す。


「MUSASABI」


 飛び去っていた方に構えつつ、他の方角からの攻撃にも警戒をする。



 アスカとグレイは追ってくる石猿の群れの対処をしていた。ボスを倒したのに、群れが襲撃を止めない。

 まだ残る二匹の石猿が、周囲の木々を利用して立体的にアスカたちに襲い掛かる。


「くっ、の!」


 木の上から逆さ吊りで襲ってくる石猿に、アスカの鉈が振り下ろされる。


 ぶら下がって遠心力で襲ってきた石猿の軌道上の一閃。

 完全に捕らえたはずだったが、石猿は木の枝を掴んでいた後ろ足を離して、地面に落ちることで軌道を変える。


 空を切るアスカの鉈。

 逆さまに地面に落ちた石猿は、両手と頭で自重を支えると、そこから駒のように回転して長い足での蹴りを放った。


「っ!」


 アスカの脛を石猿の蹴りが捉える。


 下段蹴りに耐える形のアスカだが、彼女は軽量だ。ボスではない石猿でもアスカよりは体重があるわけで、その衝撃は重い。

 アスカの脛が鈍い音を上げ、重心がぶれる。


『ガァァツ!』


 顔をしかめたアスカを援護しようと、グレイが咆哮と共に蹴りを放った石猿に爪を剥いた。だが石猿は身軽にジャンプすると枝を伝って上に逃げてしまう。

 逆に、それまでグレイを牽制していた別の石猿が背中を見せたグレイに飛び掛った。


『ギギィッ!』

『――グゥッ!?』


 背中に飛び乗って、グレイの背中に牙を立てる石猿。


「KONAAA!」


 グレイのくぐもった悲鳴を聞いたアスカが、裂帛の気合とともに鉈を横に振るった。グレイには当てないように、浅く。


『ギアァァァァァッ!』

「グレイ!」


 大事な家族の背中に噛み付いた石猿の脇腹を切り払い、駆け寄る。

 脇腹から背中を切られた石猿は悲鳴を上げて地面に転がった。


「アスカ、まだだ!」


 グレイの傷を気遣うアスカに再び樹上から爪を振るう石猿。今度はフィフジャが手にした斧で叩き切ろうとするが、身軽な石猿は木を蹴って逃れた。


 だが今度こそ、地面に降りた瞬間のその喉笛にグレイが噛み付いた。

 背中の傷が痛まないのか。いや、痛みを気にしていては野生では生きていけない。


『ゲ、ボェ……』


 喉を噛み砕かれた石猿の口から、呻き声と血泡が漏れた。

 フィフジャは先ほどアスカが浅く切った石猿に手斧を叩き込む。



 とりあえず二匹の石猿が片付いた。まだかすかに胸は上下しているが虫の息。

 アスカは背中を噛み付かれたグレイの傷を確認して、少しだけ安心したように息を吐いた。


 噛み付かれた直後に切り捨てたので深手ではなかったのだろう。銀狼の毛皮だってかなり強靭なのだから、少々の攻撃なら致命的なことにもならない。


「ヤマト?」


 フィフジャがヤマトを見ると、まだ周囲を警戒しながら、目を貫かれ転がるブーアに突き刺さったままだった自分の槍を引き抜いていた。


 皮穿血は襲撃を諦めたのか。

 滑空して襲い掛かるタイプの狩りなので、連続しての攻撃は不得手なはず。



 フィフジャは再度、周囲を見回す。

 石猿の死骸が三つと、ボス石猿の死骸がひとつ。ブーアの死骸がひとつ。


 少し離れたところに、最初に襲ってきた皮穿血の死骸もひとつある。

 これについては襲われたアスカが、巻きつかれる前に鉈で腹を裂いていた。


 一行では一番小柄なのでターゲットになりやすいのだろうが、三人の中で最も直感と瞬発力に優れるのがアスカだ。皮穿血の襲撃は失敗に終わった。

 それに続いて襲ってきた石猿の群れと、戦いの最中に突進してきたブーア。そして二匹目の皮穿血は逃げた。


 短い時間に立て続けに戦闘をして、さすがに体力のあるヤマトでも疲れを感じているようだった。フィフジャも同じく。



「ヤマト、アスカ。少し戻ろう」


 声を掛けて、二人にここまで進んできた道の方向を指し示す。

 少し戻れば開けた場所があった。視界の良い場所で傷の手当と休息を取るべきだと。

 この辺りの獣はやけに好戦的で獰猛。疲れもあるが一度気持ちを切っり替えたい。



 二人は頷いて、アスカは最初に仕留めた皮穿血の死骸を拾ってきた。

 裂かれた腹をさらに切って、内臓を捨ててしまう。それでかなり軽くなる。


 ヤマトは少し考えて、ブーアの後ろ足を片方、腿の辺りから切り取って一緒に戻るのだった。



  ◆   ◇   ◆

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