09 雨の森



 雨が数日続くこともある。

 川の増水も考えて、森の中に雨宿りの場所を作った。


 木から木に枝を渡して、その上に大きな葉をかぶせて作った簡単な屋根。

 四方は開けてある。近づいてくるものが見えるように。

 敷いたシートに水が流れ込まないように、周辺に溝を掘って水が流れていくようにしておく。完全には無理だが、それなりに出来たとヤマトは思う。


 とりあえず交代で休憩しようということで、ヤマトは槍を抱えて座って周囲を見ている。反対側にグレイがいるはずだ。

 アスカとフィフジャは雨のかからない中央側で横になっている。ここまでの行程で疲労も溜まっているだろうから、こういう休息も悪くない。



 雨のせいで火を焚くことも出来ないが、フィフジャが鍋に湯を沸かしてくれた。


 代償術。

 彼がそう呼ぶそれは、等価交換のようだ。冷やす代わりに熱する。


 湯沸しの代わりに、食料として捕った肉を冷やしてもらった。断熱の保冷バッグに入れておいたので多少は日持ちするだろう。

 沸かした湯を水筒に入れておく。雨の生水を飲まないように、加熱した湯を飲むようにしているからだ。この魔法瓶の水筒についてもフィフジャは強い関心を示していた。



 この代償術、結構不便だとヤマトは思った。

 何しろフィフジャが触れていないとならないので、鍋に触れている片手は火傷っぽくなるし、反対の手は凍傷っぽくなる。薄い皮手袋程度ならはめていても使えるようだが。


 彼自身は慣れているのか、手の皮がずいぶんと厚くなっている。

 それでも痛い痛いと言っているのが哀れで秘伝のアロエ塗り薬を塗ってあげたら、翌日にはその効能に感動していた。


 しかし使うたびに自分も傷むのでは使い勝手が悪い。

 あまり長時間使い続けることもできず、やり過ぎると頭が痛くなるという。もっとひどい時は激しい吐き気だとか。



 ヤマトたちは父や母から、都合のいい魔法みたいなものがあればと聞いたこともある。

 それがないから知恵や技術で補って生きるのだと。

 結局フィフジャの使う代償術も、一方的に都合よく使えるものではないのだろう。


(必殺技みたいなのは無理かな)


 ヤマトの憧れる漫画の必殺技のような使い方は出来そうにない。地味な魔術。

 森の中でも、巨大な火の玉や氷の槍などを使う魔獣もいなかったのだから、それで助かったとも言える。


 この世界での魔術というのは、地球の科学の道具程度の利便性までにはなっていないのだと思われた。

 やはり自分を鍛えることが強くなる一番の近道なのだと。近道などないのか。



 いつかは父のように、一人でもあの黒鬼虎を倒せるくらいに強くなりたい。

 そういえば父は魔術など使っていないのだから、やはりヤマトの記憶の中の父の背中はヒーローに違いない。


 魔術が使えるのにぺしゃんこにされて倒れていたフィフジャは……まあ、カッコ悪いけれど。ヤマトたちにとっては頼りになる先生と言っていい。


 彼は優しい。

 一緒に進みながら、目に付いたさまざまな知識を伝えようとしてくれる。

 手間だろうし、別にそんな義務もないだろうに。


 ヤマトは、こんな風に丁寧にアスカに何かを教えようとしただろうかと言われたら、面倒で適当にあしらっていたように思う。兄妹なんてそんなものだ。


(面倒見のいい兄、みたいな人なのか)


 世間知らずのヤマトとアスカを放っておけないお人好しの貧乏性。貧乏かどうか知らないが、たぶんお金持ちではないと思っている。

 用心深い割りに抜けているところや、弱そうで案外と頼りになる感じが面白い人だ。

 少なくとも裏表のあるような人間ではない。と思う。



「…………」


 雨の中で、何かが動いたような気がした。


 ヤマトの視界の端に、何かの影が揺れたように見えた。

 雲のせいで薄暗く、雨もあって視界が悪い。あまり遠くが見通せない。


「…………」


 いつの間にかグレイもヤマトの隣に来ていた。体を低く伏せながら、注意深く森の奥を見据えている。

 黒い影が左の木の陰から現れて、右の茂みへと消えていった。



「──っ!」


 声は出せない。

 近くではないが、声を出せば聞こえる距離だ。


(黒鬼虎!)


 雨の中を移動していたのは黒鬼虎だった。


 幸いなことにヤマトたちに気づいた様子はなく、ただ自分の進む方向へと歩いていっただけだ。

 雨のお陰で物音や臭いも紛れていたのだろう。


 消えていった右の茂みから戻ってくる様子もない。いつも以上に感覚を研ぎ澄ませてみるが、あの巨体が茂みを歩けばそれだけで物音が起きる。



(……来ない)


 近づいてくる気配はない。

 ヤマトとグレイが息を殺して、その気配を見逃さぬように気を張り詰める。


 一時間、二時間。

 気がつけばそれほどの時間が過ぎていたが、黒鬼虎の気配が現れることはなかった。




 アスカが目を覚まして、雨の水滴なのか脂汗なのかわからないもので濡れたヤマトの背中を撫でた。


「大丈夫?」

「ん……うん、大丈夫みたい」


 ようやく息をつくヤマトとグレイ。

 アスカは、そう、と短く呟くとグレイの首を撫でまわした。


「黒鬼虎がいた。二時間くらい前に、あっちへ歩いていったけど」


 消えていった方角を指差すと、アスカは首を斜めにしてそちらを見やる。


「いないみたい、ね」

「ああ」


 フィフジャを助けた時には戦ったが、戦ってみてわかったことがある。

 一撃、当たったら死ぬ。


 こちらの攻撃は、強靭な筋肉と頑強な毛皮でなかなか有効打にならない。

 向こうからの攻撃は、前足も、後ろ足も、牙も、その角での体当たりも。どれもまともに食らったら一撃で死ぬ破壊力だ。


 尻尾を打ち払う攻撃も太く重いロープで殴られたような威力だった。ヤマトは何度か槍で受け止めて、しなった尻尾で肩などを打たれたから身に染みている。


 アスカはグレイと一緒にひょいっと避けていた。

 避けざまに尻尾を鉈で切り落とすタイミングは神業だったと思う。あれで黒鬼虎のバランスが悪くなってくれたのも勝因になっている。


 もう一度やれと言われて、被害を出さずに出来るかと言われたら疑問だ。

 たとえ倒せたとしても、こちらが腕や足を失ってしまうような怪我をしていたら意味がない。もっと悪ければ誰かが死ぬ。


 その誰かが誰なのか。失ってはならない誰かなのは間違いない。自分なのかもしれない。

 何事もなくやり過ごせるのなら、その方がよかった。



 張り詰めた時間から解放されたヤマトは、アスカと交代すると眠り込んでしまった。

 アスカは目を覚ましたフィフジャと見張りをしていたが、もう黒鬼虎の影が見えることはなかった。



  ◆   ◇   ◆ 

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