08 学び合い
ヤマトとアスカは賢い。
というか、きちんとした教育を受けて育っている。
教育を受ける機会がない人間だと、普段自分が話す言葉にどういう種類の違いがあるのかを理解していない。
名詞、形容詞、動詞。普段から使っているからそれを喋っているだけで、その分類を理解していないものだ。
二人はそういった言葉の種類があることをわかっているので、単語と言い回しを覚えればそこから応用して使うことが出来る。
「これは、かわいい、グレイです」
「牙兎に、おいしく、たべられる」
内容には疑問があるが、少しずつというかフィフジャから見れば驚異的な速度で習得していく。
魔術を覚えたい、ということも勉強の意欲になっているのだろう。
さらに森を進んで二旬(一旬で十日)の日数が過ぎるまでに、三度目の石猿の襲撃を受けた。
グレイは若い銀狼で、その戦闘センスは人間の比ではない。武器を持つヤマトでも正面から戦えば勝てないのではないか。
ボス石猿が二投目の石を投げる前に、弾けるように飛び込んだグレイがその腕に食らいついた。
『ギエェッ!?』
石を落としたその腕から即座に離れるグレイ。
石猿の反対の手が、腕に噛み付いていたグレイを潰そうと掴みかかってきていたのを察知していた。
投石も警戒すべきだが、その力で掴まれたら頭蓋骨でも砕けるくらいの握力がある。
銀狼の最大の武器は俊敏性だと理解しているグレイは、一撃を加えた後は深追いしない。
いたはずの銀狼の頭がなくなり、猿は自分の傷口に爪を立ててしまう。
『ウゲァ』
呻いたボス石猿が憎々しげに呻きグレイを探して首を回した時には、足元のグレイは既に地面を蹴っていた。
そして、首をひねったことで伸びていた首筋を爪で深く切り裂く。
子分の石猿たちを片付けたヤマトたちが見た時には、すでにボス石猿は事切れて、返り血を浴びたグレイが気持ち悪そうに体をぶるぶる振っていた。
◆ ◇ ◆
少し進んで川原に出て、血まみれになったグレイを川で水浴びさせる。
ついでにアスカも水浴びをするというので、フィフジャとヤマトは少し離れた場所で座りこんで軽く体の筋を伸ばしていた。
「どうして石猿はいつも五匹くらいなんだろうな」
休憩がてら待ちながら、フィフジャは誰にともなく呟いた。
襲われる時もそうだが、町などで聞く話でもだいたいそれくらいの数の群れだと言われる。
生息数は少なくないのだから、もっと大きな群れを作ってもよさそうなものだが。
「石猿、は、HAAREMU」
フィフジャの疑問がわかったのか、ヤマトがそれに答えた。
話すことはまだまだ拙いが、聞き取りはある程度できるようになったようだ。
「え、なんだって?」
「おおきい、さる。つよいさると、おんな……おんなの、さる。こども、のさる。いっしょ」
ヤマトの説明を聞いてみて、なんとなく話が見える。
「ああ、大きくて強い石猿のボスがいて、女というかメスの石猿ね。メスと、子供がいる。家族単位なのか」
「ボス……と、メス」
合わせて新しい言葉を覚えるヤマト。
「おおきいさる、ボス、にひきは、たたかう」
「なるほど。ボスは一匹だけでないと争いになる。だからこのくらいの数になるのか」
言われてみれば自然な話だ。
大きな群れを形成しないのは、成体になったオス同士は争いあうので、自分のハーレムのメスとその子供しか群れにならないのか。
魔獣や妖獣の生態の研究をするものがいないので、こういった知識は広まっていない。
こういうのが当たり前だという知識だけで、なぜそうなのかと考える者がいない。
「NAWABARI ……じぶんの、ばしょ、はいると、たたかう」
「襲われるのはそうだな。やつらの縄張りに入った時か」
黒鬼虎の毛皮での獣避けの効果よりも、石猿の縄張り意識の方が強いのだろう。
それにしても、とフィフジャは思う。
(森の中で人間社会と触れずに育ってるのに、本当にきちんと教育されてるんだよな。物事の結果だけじゃなくて、原因や理由を考えて知っている)
フィフジャが知る自分の生まれ故郷でも、教育といっても精々が数の数え方や最低限の礼儀作法というのが大半だ。
それすら教育されていない庶民も多く、ただ労役をして日々の糧を得ているような人々の方が多い。それで国が成り立っている。
支配階級やそれらに召抱えられている従者、芸術家などと、教会に所属する一部の教導者などはもっと多くのことを学ぶが。
他にも建築物や工作道具を作るような者も学ぶことは多いが、これらは主に職人だ。
わずかにいる学者や、フィフジャの師のような魔術研究者は希少な存在になる。
(師匠は研究者とじゃなくてただの変人の趣味だけど)
ヤマトとアスカはこの年齢でかなりの知識を有していて、物事のなぜなにを考えるという癖がある。
この世界の大半の人々は、そんなことより明日の食事を――今日の食事を心配して暮らしている。学問などということに時間を割く余裕がない。
狩人なら、獲物の習性をそういうものだと知っているだろう。
農民なら、季節による天候の移り変わりを知っているだろう。
だがそれらは、事実がそうだからそういうものだと知っているだけだ。何が理由でそうなっているのか、深く考えているわけではない。
(考える余裕がないからそうなのか、そうして目の前のことしか見えていないから余裕のある暮らしができないのか)
あるいは、と。
(大半の人間が、そんなことを考えない方が都合がいい誰かがいるのか)
支配する者からすれば、下民は考えずに日々を送って決められた税を納めてくれればいいのだ。毎年変わらずに。
そうした誰かが、考える余裕を奪うような調整をしているのかもしれない。
「おわった、もどった」
考え事をしていたフィフジャに、アスカの声が掛けられて我に返る。
「あ、ああ。おかえり」
濡れた髪をぎゅーっと絞っているアスカに返答する。
彼らの使う手ぬぐいは異常なほどの吸水性を持っていてふわふわだが、無限に水を吸うわけではない。水気はなるべく払っておく。
水気を帯びたアスカは、普段より少し大人っぽく見える。フィフジャは視線を逸らした。
グレイは少し遠くで体をぶるぶるやっていた。
おそらくアスカのすぐ傍で水滴を飛ばして怒られたのだろう。少し寂しそうだった。
休憩しながら、以前の戦闘中にアスカが使った球体について尋ねてみる。
フーセン、というらしい。
アスカのポケットにはいくつかそれが入っていた。
ぶよぶよと柔らかい素材で、伸縮性があって空気を吹き込むことで丸い球体となる。
膨らませたそれを手元でくるりと返して、吹き込んだ口を結んでしまうと球体になった。
しばらくそれを投げたりしてグレイとアスカが遊んでいる様子を眺めていると、ヤマトが森の木から樹液を採取してきた。
器にいれたその樹液に、荷物の中にあった酸っぱい調味液を混ぜて、適当な丸みのある石の表面につけて乾かす。
石の表面にねっとりとついた樹液が乾くと、そのフーセンになるということだ。厚みの調整が難しい。
空気を詰めたそれを割ると瞬間的に大きな音を出す。それを狩りに利用しているということだ。
直接的な攻撃にはならないが、注意を引くということでは非常に有効な手段。あの破裂音は無視できるようなものではない。
森にある色々なものの特性を知り、生きる為に活用する。
改めてフィフジャは、この子供たちの持つ知恵に感心させられた。
◆ ◇ ◆
家を出て三旬も過ぎれば、日中の気温はかなり高くなってきた。
夏至を過ぎて二十五日というくらいだから、世の中の暦で言えば夏五旬の五日という言い方をする頃。これからまだ気温は上がる。
森の中はそれでも過ごしやすい。日差しも弱いし、夜になると涼しいくらいだから旅には助かる。
雨が降った日はあまり動かないことにした。
出来るだけ開けた場所に、彼らが用意した優れたテントを張って過ごす。水を通さない素材の不思議な布だ。
雨が降ると足元もぬかるむし、雨音のせいで物音も聞こえにくいし視界も悪い。危険度が高い。
一度だけ、雨の中で白い巨体のブラノーソという魔獣に出くわしてしまった。
先にグレイが気がついてくれたお陰で、ヤマトの槍がその足を突くことができたけれど。
負傷したブラノーソは、数でも不利と見たのか逃げ出してくれて助かった。まともに正面から戦ったら被害が出ていた可能性も低くない。
「SHIROKUMA」
彼らはそのように呼んでいたが、一応名前を教えておいた。珍しい魔獣なのでそうそう出くわすこともないだろう。
フィフジャも、この森に生息するという話は事前に聞いていたから知っていたという程度で、初めて見た魔獣だ。
ブラノーソの白い毛皮は非常に厚く、生半可な刃では通さないという噂だったが。ヤマトの技量がそれを上回っていたのだろうか。
もしかしたらフィフジャと一緒に森に来たメンバーの何人かは、あれの食事になってしまったのかもしれない。
そう、フィフジャはこの森で死ぬほどの目に遭っているのだ。
ヤマトとアスカの様子に少し感覚がおかしくなっていたが、この森は熟練の探検家の集団を全滅させるほどの危険な場所なのだから。
さすがにヤマトも、雨の中での遭遇戦で彼らにとっても初めて見た敵に驚いたのか、雨の中を進まないといったことに異論はなかった。
◆ ◇ ◆
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