07 名もなき獣_2



 ヤマト達は、狩った獲物を無駄にするつもりはないらしい。

 アスカがおもむろに、ニトミューの嘴に石を叩きつけて砕いた。


「っ、何を?」


 何度か叩きつけて、砕けた嘴から零れた牙を回収する。

 二種類の歯があった、片方は平べったく潰れた形で、もう片方は鋭く尖っている。


 飼育されているニトミューにこんな歯があるとは聞いたことがない。似ているが少し違う種類なのだろう。

 アスカは尖った歯をいくつか拾って、落ちている木の枝に挟み込んで投げナイフのように作ってしまった。先ほど投げてしまったナイフの代用にするのか。


 ヤマトは大腿部の肉を切り取っている。せっかく狩った獲物なのだから食べられるのなら食べる。

 当たり前のことではあるが、何の迷いもなく行動できるあたりが逞しさ。フィフジャは不甲斐ない自分が情けなく感じてしまう。

 それなりの実力はあるつもりだったが、なんだか自信を無くしそうだ。



『ウォンッ!』


 情けない自分を誤魔化すように周囲を見回していたのが幸いだったと。

 グレイの吠え声とほぼ同時にフィフジャは反応できた。


「んのっ!」


 武器を手にしている時間がなかった。

 だから蹴りだ。踏み込みと同時に中空、しゃがんでいたヤマトの後ろの中空に蹴りを放つ。


『――ッ』


 蹴りを受けたそれは、フィフジャの蹴り足を蹴って木の上に舞い上がった。



 舞う。

 まさに、ひらりといった音がするような軽やかな仕草で木の枝の上に乗る。

 金色の――


「狼……?」

『グルルルゥゥゥ!』


 フィフジャの蹴りがなければ、グレイの爪が襲い掛かっていただろう。

 その場合はどう対処したのかわからないが、少なくとも身のこなしは卓越している。やはり躱すか反撃するかしていたのではないか。

 ヤマトはグレイの吠え声を受けて即座に横に転がって槍を構えていた。


「NANDA……?」


 その木の上の姿を確認したヤマトが疑問の声を上げた。


 木の上で唸る獣は、身軽ではあったが、大きさはグレイより一回りほど大きい。

 くすんだ金色の、狼なのか。


 だがグレイとは違う。色だけではなく、顔全体が少し潰れたような印象で、目鼻が横に長い。

 グレイたちは耳が三角に立っているが、この金色の獣は耳がやや丸く、顔の横についているようだ。

 北西のユエフン大陸から渡ってきた犬の一種なのかもしれないが、フィフジャにもわからない。



「HAIENA?」

「知っているのか、アスカ?」


 何かの名前を呟いたようなアスカに聞いてみるが、気配からすると首を横に振ったようだ。視線をこの獣から外せないので確認まではできない。


 木の上からほとんど気配もなくヤマトの背中に襲い掛かろうとしていた。

 グレイはその気配に気がついて迎撃しようとして、たまたま周りを見ていたフィフジャが先に気がついて対処できた。



「んっ!」


 アスカが、つい先ほど作成したニトミュー牙の投げナイフを投げつける。

 やはり軽やかに、別の枝へと飛び移ってその攻撃を避ける金色の獣。


「YA!」


 避けられるのは想定済みだったらしく、その着地の足に向けて二本目が投擲された。

 正確な投擲だ。さっき適当に作った投げナイフなのだが、見事にその一点に向かう。


『クァッ』


 初めて金色の獣が声を出した。

 完全に命中コースだったそのナイフを、着地前に手近な木の幹を蹴って自分の軌道を変えて避ける。


 さすがに別の木に飛び移るのは無理だったのか、地面に。


「KONO!」


 ヤマトが突く槍の速度は速いし、正確だ。まともな生き物なら避けられるとは思えない。

 だが、この獣はわずかに身を伏せて躱すと、槍を持つヤマトの手に牙を向けた。


『ガァァッ!』


 それはグレイが許さない。

 ヤマトに襲い掛かろうとしたところに鋭い銀線が走り、金色の獣はバックステップで距離を取る。


 迂闊だったヤマトも、槍を引いて今度は低く構えたまま踏み込まない。グレイと並んで対峙する。

 一瞬の睨みあい。



 金色の獣の判断は早かった。即座に狙いをヤマトから変えて、アスカに向かった。

 たんたんっと二歩のステップで距離を詰めるとアスカの喉笛に噛み付こうと飛び掛る。


「させるかよ!」


 グレイがヤマトのフォローに向かった時点で、フィフジャはアスカの援護に意識を割いていた。

 飛び掛ろうとした獣に、水筒から手にした水を叩きつける。


『フア!?』


 身軽とは言え、は避けられない。


 一瞬視界を失って、身を躱したアスカを見失った。

 だが所詮は水滴。大したダメージになるわけではない。着地して再び獲物の位置を確認する。



『カ』


 意外に、獣からしたら、想定外の距離に。

 異常に近くに、標的ではなかったフィフジャの姿があった。


!」


『クァゥ!』


 いきなり目の周りに何かが突き刺さった、と感じただろう。

 突き刺さるような痛みに、悲鳴を上げる。


 フィフジャの翳した手が、目の前で霜の棘のようなものを出したように獣には感じられた。

 たまらず悲鳴を上げて、だが次に迫ってきた風圧に後ろに飛びずさって回避する。


「ちっ」


 右の一撃を避けられたフィフジャが舌打ちをする。



 獣は距離を取って頭を振っていた。

 ずいぶんと軽快な動きをする獣だ。

 ヤマトとグレイも、アスカに駆け寄って並んで獣と対峙する。


「MAHOU?」


 アスカに何を聞かれたのかわからないが、今はそれどころではない。

 金色の獣は視界を取り戻すと、自分の敵を再度確認する。


『クァオオオオォン』


 一声鳴くと、警戒したフィフジャたちが身を固くした。


 そのわずかな躊躇の隙。身構える一行の斜め前に走り出して、さきほどヤマトが切り出していたニトミューの肉を咥えると、そのまま走り去っていった。




 肉を奪って、走り去った金色の獣。

 唐突な逃走に、思わず何も出来ずにそのまま見送ってしまって、三人と一匹は顔を見合わせてから肩で息をついた。


「なんだった、んだろうな」

「HARA HETTETTA DAKEKANA」


 ヤマトが槍を地面に立てて、わけがわからないといった風なことを言う。

 恐ろしい敵だったと思うのだが、ただ食い物がほしかっただけなのか。


「あれ、は、なに?」

「知らない。知らない、生き物」


 アスカの質問に首を振る。


「たぶん、妖獣」

「ようじゅー?」


 少し前にも出た単語を聞き返してくるヤマトに、フィフジャはなんと言ったらいいのか途方にくれる。



 妖獣。

 通常の獣と魔獣の違いは、見た目からは想像しにくい肉体強度を持つ種族かどうかという違いだ。おそらく人間でも使われる肉体を強化する魔術に近いものを使っているのだとか。

 黒鬼虎や銀狼、石猿などは魔獣になる。


 牙兎はただの獣だと分類されるが、実際には脚力を強化しているようでもあって、魔獣なのかもしれない。

 そういう研究をするような学者やら暇人などがいないので、ただ世の中で言われてるだけの分類でしかない。



 それに対して、妖獣、妖魔は種族ではない。

 魔獣などの中から稀に変異した個体が生まれたりして、種族として存在するわけではないそれらをまとめて妖獣とか妖魔とか呼ぶ。


 知能が高いものを妖魔、知能が獣並みのものを妖獣。

 元となった生き物と近い形態のものもあれば、まるで違った姿になる場合も。

 なので分類のしようもない。もしかしたら研究すればできるのかもしれないが。



(とはいえ、俺だって見たのは三度目だからな。ああ、さっきの馬鹿でかい鳥を含めれば四度目だけど)


 普通に生活していたら一生に一度見るかどうかという程度なのだから、研究するには個体数が少なすぎる。


 本当に変異して生まれた妖獣なのか、ただ単に希少すぎてほとんど見つからない獣なのかも判別が難しい。

 言ってしまえば、正体がよくわからない害獣が出たら妖獣だと呼ばれる。



「ええと、そうだな。魔獣……このニトミューは、まじゅう」

「まじゅう?」

「そうだ。魔獣。グレイも魔獣。魔獣」


 呼ばれたグレイが、ちらりとフィフジャの顔を見て、また金色の獣が去っていった方角に顔を向けた。まだ警戒している。

 多分、気配を察知するのが遅れたことでプライドが傷ついたのだろう。

 次はあんな接近は許さない、という気概が見えるような気がした。


 とりあえず警戒するのをグレイに任せて、フィフジャは座り込んで地面に枝で絵を描きながら説明する。



 狼、ニトミュー、黒鬼虎。


「俺ってけっこう絵はうまいんだよ」


 細かな表現はともかく、特徴を書いたそれらをまとめるように丸をして、


「魔獣」


 字も書きながら、読み上げる。

 文字を教えるのはさすがに時間もかかるので、とりあえず書いてみせるだけ。


「まじゅう」


 復唱する二人に頷いて、続けてババリシー(ヤマト達のいうウシシカ)、牙兎、少し考えてネコの絵も描く。


「獣」

「けもの」


 二つのグループを描いて、そこから弾きだされるようにくるくるっと線をひく。


 そして、そこには足がたくさんあったり目がたくさんあったり角があったりする不思議な生き物の絵を描いてみる。

 異常な生き物。


「これが、妖獣。妖獣」

「よーじゅー」


 ついでにさっきの金色の獣っぽい絵も描く。


「妖獣」


 二つのグループの、どちらにも属さないもの。

 それで意味がわかってくれたらいいのだが。



「NEE フィフ」


 くいくい、とアスカがフィフジャの袖を引いた。


「魔獣、獣……なぜ?」


 二つのグループを指差して、何が違うのかと尋ねる。ヤマトも不思議そうにフィフジャの答えを待つ。


「ええと、そうだね。魔獣のほうが、強い?」


 両腕に力瘤をつくるようなポーズで、魔獣のグループが強いのだとアピールしてみる。

 けれどヤマトには不審そうな顔をされただけで、アスカには苦笑いをされた。


「嘘じゃないんだけど……魔獣は、肉体強化の魔術を使う。ええと、魔術っていうのは……」


 言葉で説明するのは難しい。彼らが魔術をなんという言葉で伝えているのかわからない。

 実践して見せるしかない。



 フィフジャは仕方なく、右手と左手を皿のようにして、アスカに水筒から水を注いでもらった。


「代償術以外は才能なしって師匠に言われてるんだけど……まあ何でもいいか」


 先ほどもやったように――少し気乗りはしないが、自分が使える代償術を実演する。


「左よ、凍れ」


 見つめる少年少女の目の前で、左手に溜めた水が白く霜が降りるように冷えていく。

 その様子を見つめる二人の瞳が真ん丸になっていく。

 目の前で、どういう原理かわからないのに水が凍り付いていくのだ。不思議体験に違いない。



「――ってあちちち」


 二人の顔の変化を面白く見守っていたら、ついうっかりしていた。

 右手に溜めた水がかなりの高温になり、慌てて払い落とす。


「SUGOI!」

「MAHOUMITAI!」


 冷えた左手も痛くて、両手をふうふうしているフィフジャに、もっともっとというような期待の目で迫る二人の少年少女。

 興奮と喜びに満ちた二人の深いブラウンの瞳。


 あまりに嬉しそうな顔に、じゃあもっとと言ってしまいそうになるが、慌てて首を振る。


「いや、痛いからな。本当に」


 緊急時以外はほとんど使わない術だ。色々と代償を伴う。

 その割りに効果は小さかったり他の方法でも出来ることだけだ。まあ冷やすことに関しては、他の方法というのは少ないとしても。


 フィフジャの体の触れている点で、どちらかを熱してどちらかを冷やす。

 あるいは片方の流れを止めて、片方の流れを進める。空気や水を、幅広の板を使って流れを変えたり強い風を一定方向に向ける程度のことが出来た。


 ただ、その程度のことでも役に立つことがある。

 命のかかった戦闘中に不意に足元に異様な風圧を感じれば、どうしたって気を取られる。少しの集中の乱れでも隙にはなるのだから。



 フィフジャが魔獣と相対したよく使うのは、水しぶきを凍らせて相手の目を攻撃する方法。


「MAHOU?」

「ええと、魔術だよ。魔術」

「まじゅつ?」


 広義でなら、代償術も魔術のひとつだ。

 肉体強化系の魔術なら、普通の村人だって無意識レベルで多少は使う。筋力を強化して作業をする。

 ヤマトとアスカも無意識的に強化した身体能力を発揮しているのだと思う。そうだとしても彼らの体格でこの筋力は非常識なのだが。無意識なので自覚はしていないのか。



「そう、魔術。魔獣は魔術を使う。獣は、魔術を使わない」


 再度、魔獣のグループの絵を丸で囲む。

 魔術を使うことで、己の戦闘能力を向上させるのが魔獣。というように言われているのだから間違いではないだろう。


「DOUYARUNO?」


 ヤマトの質問だが、何を聞かれているのかわからない。

 だが、言いたいことは何となくわかる。


「わたし、まじゅつ、できる?」

「ま、そうなるよなぁ」


 いくら物覚えがいい教え子だとはいえ、言葉が通じない中で、彼らに適した魔術を教えることはできるのだろうか。


(魔術のことをまるで知らなかったとはね。そうかもしれないとは思っていたけど。俺がまさか魔術を教えてと頼まれるなんて、師匠が聞いたら笑うだろうな)


 フィフジャには魔術の才能がないと見切った師匠の仏頂面を思い出して、少しおかしく思う。

 いったい何から教えたらいいのか、まるで目処がつかないが。


 とにかく、教えなければならない最優先は、


「先に、言葉を、覚える」


 うんっと強く頷く二人の目は、これまで以上に輝いていた。



  ◆   ◇   ◆



 金色の獣は、伊田家で吸血ムササビと呼ばれる生き物から産まれた妖獣だった。兄弟とは違う毛色で生まれ、成長するにつれ全く別の形になった。


 変異して生まれたのが狼に近い形態(アスカにはハイエナと呼ばれたが)だったことに意味があるのだとすれば、単純に強くありたかったからだというだけのこと。


 実際には吸血ムササビは銀狼を狩ることもある。地面に近い位置に頭があるので得意ではないが。

 特に苦手とするのが、より地面に近い場所にいて、顔から鋭い牙が飛び出している牙兎だ。


 銀狼はこの牙兎をいともたやすく狩ってしまう。それを見てきた記憶からなのか、銀狼のように強くなりたいと願った結果生まれた……のかもしれない。


 変異した個体であるそれに同じ種族はいない。

 彼なのか彼女なのか、それすらわからないその固体は黄狢こうばくという名を持つ。

 それを呼ぶものは誰もいないが。



  ◆   ◇   ◆

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