03 出発



 赤く輝く甲冑を身に着けたヤマト。

 普通の鉄ではない。軽いのに丈夫な真っ赤な金属の板を、胴と背中を守るように拵えてある。


 白い石でできた槍と、金属の手斧。靴は、フィフジャの見たことのないような頑丈そうなブーツだった。父の物だったらしい。

 背中には、伝説に言われる龍にも似た絵が描かれた黒い背負い袋。その中には生活に必要なさまざまな物が入っている。


 アスカの姿は、獣の皮をなめして、何重かに重ねた服を上から被っている。

 ズボンは紺色の硬めの布地で耐久性は高そうだ。靴は黒い素材にピンク色で何やら模様が刺繍されている。


 それぞれ手袋をはめて、頭部を守るようにハーフヘルムを被っている。アスカは黄色、ヤマトは白のヘルムだ。灯りの魔導具もヘルメットに結わえ付けられている。


 アスカの方は、銀色に光る鋭いナイフと少し長い鉈を腰に備えている。他にも投擲用の小斧を腰に下げている。

 銀色のナイフの輝きは、フィフジャが見る限りかなりの一品。


 食事をしたときにも銀色に輝く匙を使っていた。銀食器とは違うようだったが、錆びひとつないその匙は高級品に違いない。



 フィフジャは一冊の本をもらっていた。

 見たことのない動物が、絵とは思えない精緻な挿絵と、読めない細かい文字でたくさん載っている本だった。


「ZUKAN」


 そう呼ばれていた。

 これはきっと、好事家に高値で売れる。


 あまりに熱心に見ていたフィフジャを見て、ヤマトが袋に入れて渡してきたのだ。あげる、という意味なのだろう。

 持ち物全てを失ったフィフジャだったが、この家にあった肩掛け鞄や着替え、食器。手斧などの簡単な武器などを与えられていた。

 森を抜けるには必要な装備だ。


 服や靴などは、たぶん亡くなった父親のものなのだろう。ヤマトやアスカからの視線が時折、懐かしむような寂しいような、そんな色になっているから。



 フィフジャは黒鬼虎の毛皮も背負っている。

 以前からこの家にあったものだ。


 新しくヤマトたちが狩った――つまりフィフジャを襲った――方の毛皮は、まだかなり生臭かった。

 父親が狩ったらしいこの毛皮は、年数が経って獣臭は薄れていた。


 それでも獣避けの効果があるというのが世の中での常識だったし、町にいったらかなりの金額で売れる。当分は遊んで暮らすこともできるくらいに。


 思い出の品を売ってもいいのだろうか?

 交渉の際に、もう一度ヤマトたちに確認してみることにする。


 宿代も船代もないのだ。何かしら金策を講じる必要があった。この世間知らずの少年少女を養うためにも。

 美しい銀色のナイフなども高値で売れるかもしれないが、他で入手不可能な本や、森の王者黒鬼虎の毛皮ほどの値段はつかないだろう。



 既に季節は初夏。メーコが亡くなってから二旬――二十日が過ぎていた。



  ◆   ◇   ◆



 ヤマトとアスカの歩きには迷いがない。そしてかなり速い。

 歩きなれた森だからなのかもしれないが、体力も普通の少年少女の比ではない。熟練の一流探検家レベルだった。


 決して少なくない荷物を持っているのに軽快な動きをする二人に、体調が戻ったはずのフィフジャの方が遅れてしまいそうだった。


 迷いがないのは、目印があるからだと気がつく。

 あちこちの幹に何やら紐のようなものが巻かれている。ずいぶんと古い様子でほつれていたが切れてはいない。謎の材質の紐だった。



「木」

「キ」

「太陽」

「タイヨウ」

「葉っぱ」

「ハッパ」


 フィフジャは、歩きながら彼らに言葉を教えようと、色々なものを指差しながら名前を言う。

 町に着くまでに、少しでも喋れるようにしておいた方が何かと役に立つだろう。

 二人もそれはわかっているようで、素直にフィフジャの言った言葉を繰り返す。


「歩く」

「アルク」

「走る」

「ハシル」


 動作を交えながら進んで行くと、そのうち森が開けて湖に出た。



 この湖は彼らの遊び場だったらしい。

 唐突に衣服を脱ぎ出したヤマトが湖に飛び込み、なかなか戻ってこない。


「……大丈夫なのか?」


 泳法を習得している人間は少ないし、まして水底に潜るなど漁師の領分だ。

 心配になりかけた頃に、ぷはあっと水面に顔を出した。手には土のような色をした甲殻類を手にしている。


 それをアスカに手渡して、再び潜っていくともう二匹手にしてあがってきた。


「…………」


 全裸だが。


 まあ湖に入れば濡れるのだし、そもそもここには彼ら以外の人間がいなかったのだから問題はないだろうが。

 水を跳ね飛ばして、荷物の中から手拭いを出して拭いているヤマトをよそに、アスカは近くで火を起こしていた。


 しゅっ、かしゅっ、と。

 見たことのない手の平に収まる道具で何かをすると、集めた小枝に火がつき始めた。


(これも魔導具……かな? いや、違う)


 火をつけて枝をくべると、湖の水を鍋で掬ってそのまま火にかける。沸騰したところに先ほどの甲殻類を放り込んだ。



「え、えーと……食う、のか、な?」


 塩も入れたので、多分間違いないだろう。

 煮えたそれは、先ほどの土のような色から少し赤みが増していた。


 着替えて戻ってきたヤマトが、熱々の甲殻類を鍋から出して頭と尻尾を持って割ると、白い身があふれ出した。

 アスカも同じようにして、その身を頬張る。そして幸せそうな笑顔を浮かべた。



「……いただきます」


 恐る恐る、同じようにしてみる。ちょっと殻が手に刺さって痛かった。


 殻を頭側と尻尾側に割ったらぷるんっと白い身があふれ出す。零れ落ちそうなそれを、慌てて口に含んでみると──


「ん……んまい……?」


 めちゃくちゃうまかった。



「これ、すっげえうまい」

「OISHIIDESYO」


 フィフジャの言葉を理解しているわけではないだろうが、雰囲気で伝わるだろう。ヤマトが得意そうに笑ってる気持ちもフィフジャに伝わるのだから。


 家で食べさせてもらっていた食事も、かなり――というか、普通町の食堂などで食べるものよりずっと上のレベルだった。高級店かと。

 しかし、取れたてのこの甲殻類はまた格別のうまさだ。


(この森での暮らしも悪くない)


 そう思わせるだけのものがある。


 ここを離れたらもう食べる機会はないかもしれない。好物だったから、最後に食べていこうということになったのか。

 同席できたフィフジャとしては幸運に恵まれたというところだ。


 少しの休憩を挟んで、湖の北側に回った。




 湖の北から森に入るところに、やはり目印の紐を巻いてある木があった。

 ヤマトとアスカはそこに立ち、その木にナイフを突き立ている。


 何か文字が書いてあるのだ。ずいぶんと古いが、何かが刻まれた傷跡がある。それをなぞっていた。



「SYUPPATSU」


 彼らの言葉だ。理解は出来ないし、なぜ過去にそうして刻まれたのかもフィフジャにはわからない。

 彼らには意味のあることだったのだろう。さほど時間は掛らず、そのまま小川沿いに森を進むようになった。



 途中、あちこちに目印と、何かの言葉が刻まれた跡が見える。

 川原で休憩した際に、大きな岩に多くの文字が刻まれていた。詩なのかもしれないとフィフジャは感じた。


 周囲を見渡すと、川の反対岸の丘に銀狼の姿があった。グレイと遠吠えで挨拶を交わすと姿を消す。

 川辺から外れたところに石猿の群れが姿を見せる。だが、こちらの人数が多いからなのか、あるいは黒鬼虎の毛皮に怯えたのか。森の奥へと逃げ去っていく。



 日が暮れてきたが、ヤマトたちが足を止めない。

 そろそろ休憩を、とフィフジャが言おうかと思ったところで、アスカが前方を指差した。


「ASOKONI」

「え? ああ、あの辺が野営に適してるってことか」


 長年、この辺りを探索してきた彼らの言うことに逆らう必要もない。

 川の左岸に渡り、少し木々が林立しているが、ある程度開けた場所で野営をすることにした。


「石がごろごろしてるところより、柔らかい土の上の方がいい。あっち側だと石猿もうろちょろしてるし」


 過去にも野営をしていたようで、火をくべるように石をいくつか丸く組んであった。


 家から持ってきたシートを敷いて、荷物を置いて腰を下ろす。このシートもなかなかの使い心地で重宝する。

 かなりの距離を歩いたので、腰を下ろしてしまうと立ち上がるのが億劫になってしまう。



 ヤマトは、道中で捕まえた山狸やまたぬきを捌いている。アスカは調理の支度を。


「……君ら、本当に逞しいなぁ」


 自給自足の生活が当たり前だったにしても、これだけのことができる若者をフィフジャは知らない。

 まして彼らは、魔術などを使わないでこれをやるのだから大したものだ。


「DEKARISU」

「ん、ああ……これは、山狸だよ。山狸」

「ヤマタヌキ?」

「そう、山狸」


 夏は茶色の丸い生き物、冬は体毛が白くなり体が伸びる生き物。山や森には多くいて、罠などで捕らえて庶民の食卓に並ぶことも少なくない。

 黒鬼虎の毛皮の気配のせいか巣穴に逃げ込もうとしたが、掘りかけの巣穴は浅く体の半分だけしか隠れていなかった。尻だけ出しているところをあっさり捕まえられた。今日の食事だ。



 食事を終えると、ヤマトとアスカは野営地の近くの岩壁の空洞を眺めていた。

 ぽっかりと抉られたような横穴が岩壁にある。抉られたのか、最初から窪んでいたのか。


 中を照らすように彼らが使った魔導具を、フィフジャは今まで見たことがなかった。とても灯りが強く、高値で売ることもできそうだし、二度と手に入らなさそうな代物だ。

 横穴はそれほど奥行きはなく、何か獣が潜んでいることもなかった。


 その後、近くの木に、アスカがナイフを持って何かを書き込んでいた。

 大きな木で、フィフジャの肩あたりの高さに枝が折れた跡がある。

 折れた断面は新しいわけでもないが、その傷跡は長い年月を経っても消えないように見えた。



「何て書いたのかな?」


 見てもわからないし、聞いてもわからない。


 ただ、アスカは何かそれで満足したようで、自分の敷いたシートに横になり、大きなタオルで体を包んで眠ってしまった。

 硬い防具関係はすでに外して、靴も脱いで裸足になっている。そうでないと眠りづらいのか。


「ずいぶんとまあ警戒しないんだな」


 あまりの寝付きのよさに、本当に睡眠しているのかと疑問に思ったフィフジャだったが、アスカの体に掛けられたタオルが規則正しい上下を繰り返している。


「GUREI TANOMU」


 ヤマトも、グレイに一声かけて同じように寝てしまう。


「え、え?」


 火はまだ燃えている。炎の灯りが、困惑するフィフジャと自然体で体を伏せるグレイを照らす。

 グレイに見張りを任せて、眠ってしまっていいのだろうか。



 この森には危険がない……わけがない。


「さっき石猿だっていたじゃないか。あれだって、毎年村の家畜や人間を襲ったりしてる魔獣なのに」


 危険な生き物がいないわけがない。なぜあっさりと眠ってしまえるのか。


 フィフジャも、森を逃げ回っている時に何度も意識を失っているが、あれは睡眠というより体力の限界で気絶しているような状態だった。



(いや、まあ……そういえば、それでも生きてるんだけど)


 警戒しすぎなのだろうか。

 森での遭難でありもしない危険に怯えて、数十日を彷徨い続けていたのかもしれない。


 実際に襲われたのは最初の頃だけで、後はただの被害妄想だったとか。

 悩むフィフジャをグレイの茶色の瞳が静かに見つめる。

 その耳が、何かの物音に反応して動くが、危険だという様子は今の所ない。


「寝ちゃっても、大丈夫、かな?」


 寝なくて大丈夫? とでも言うかのようにグレイが首を傾げる。

 危険なものが近づいたら、グレイが気づいて知らせてくれるのか。それを信頼しきっているから、ヤマトもアスカもあっさりと眠ってしまえるのかもしれない。


 体を丸めて眠るアスカと、真っ直ぐな姿勢で仰向けに眠るヤマト。

 そんなにあっさりは眠れないフィフジャとしては、年長者として見張りでもしておこうと炎に揺れるその寝顔を眺めていた。



 静かだった。

 眠るヤマトの瞳から溢れた涙に、やはりまだ彼らが強がっているのだと思い知る。

 母親を失い、生まれ育った家を出る。


 たとえ逞しい兄妹といえども、その精神はまだまだ未熟だ。

 やるべきことがあるから、ただがむしゃらに一途にやろうとしているだけのこと。

 緊張の糸が切れたら、その疲労や負担が表に出てくる。


(精一杯なんだよな、この子達も。全力で生きようとしているんだ。お母さんの……メーコの為にも)


 フィフジャは家族の思い出がない。

 生まれてすぐに教会の施設で育った。


 それが逆に、家族の絆というものに憧れを抱かせる。今まで意識したことはなかったけれど。

 このイダ一家は、フィフジャに理想的な強く暖かい絆を見せてくれた。

 もしフィフジャが悪徳に自制心のない人間だったとしたら、この子供たちはどうなってしまうというのか。


 もっと用心して生きてほしいと思うし、自分が保護してやらなければとも思う。

 言葉も教える。生き方も教える。

 そうすることでメーコの遺志に報いたいという気持ちがあった。あの母の想いを無駄にしたくない。



 美しい女性だった。

 その立ち居振る舞いも、生き様も。死に様も。



(ああいう母親がほしかったのかもしれない)


 自分が母を欲しているなど考えたことはなかった。むしろ母親なんていなくても生きていけるとフィフジャは思って暮らしてきたのだが、今は少しヤマトたちが羨ましかった。


 そんなことを思っていると、いつの間にか眠りに落ちて、翌朝を迎えていた。



  ◆   ◇   ◆

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