02 旅立ちの日に
墓石はヤマトとアスカで運んできた。
それを五日間かけて綺麗に磨いて、母の遺骨を納めた木箱を埋めた上に置いた。
父、日呼壱の墓の隣に。
ヤマトは写真でしか知らない曽祖父の源次郎の墓から並んで、健一、美登里、日呼壱、そして芽衣子。
もうひとつ、木で作った小さな家の模型のようなものがある。
そこには『尾畑寛太』と名が刻まれた石が納められている。芽衣子の父親であり、ヤマトとアスカにとってはもう一人の祖父を祭っている。
近くには一緒に暮らしたマクラ、さくら、シロなどの墓もある。
家族みんなが眠る場所。
「父さん、母さん。お爺ちゃんたちも……僕たち、行くよ」
旅支度をした……旅ではない。家を出る準備をしたヤマトとアスカが、父祖の墓の前に立っていた。
父、日呼壱が小学校の修学旅行の際に購入したという、ドラゴンの絵が入ったリュックサックにヤマトの荷物を詰めた。
ヤマトから見たら格好いいリュックサックだと思うのだが、日呼壱は購入してからほとんど使わなかったらしい。状態がとても良かった。きっと宝物のように大事にしていたのだろう。
アスカの背負うのは、祖父健一が登山キャンプなどのために使っていたというリュックサックだ。
こちらは森の探索などでも使っていたので、ほつれた所を他の布や獣の皮などで繕った跡が多い。
だが荷物はたくさん入るし、思い出も一緒に詰まっている。
健一の未練がいっぱい詰まった真っ赤なSUV車のボンネットなどの金属板を切り取って加工した防具。
手甲や、胴回りを守れるようにした鎧は、赤い金属板で本当に格好が良い。とヤマトは思っている。
きっと祖父も、このまま森で腐らせるより孫の命を守るように使ったほうが喜ぶのではないかと。命はローンでは買えないのだから。
長旅の為に、ヤマトは一番頑丈そうな登山靴を履いている。
アスカの靴は、母が成長して履けなくなったということで新品同然だった黒地にピンクのハート模様の入った運動靴だ。
踏んだ時に暗闇で光るものだったらしい。経年のせいか今は光らないけれど。
替えの衣類や靴もリュックに詰めてある。魔法瓶の水筒は森での探索に欠かせない。
塩コショウ(大森林産)などの調味料もペットボトルに詰めてある。炭酸飲料が入っていたペットボトルは非常に丈夫で、酸化などの影響もほとんどない為、こうしたものの保存にはとても有用だった。もっともヤマトは炭酸飲料というものを飲んだことはなかったけれど。
異世界アロエの塗り薬や、痛み止めになる木を煎じた粉薬。飯盒と鍋に、ステンレス製の食器類。
LED懐中電灯も健在で、いまでも発電をやめない太陽光発電から充電した充電池も用意できている。
アスカが生まれた頃に撮影したみんなの写真と、この世界に来た頃に撮ったという芽衣子の父親寛太や源次郎も一緒にいる写真も大事なものだ。
日呼壱が探索しながら作った大学ノートには、周辺の地図や、役に立つ植物や獣の特性などがいっぱいに書き込まれている。時折、母への愛の言葉も端に書いてあったりする。
こうして旅立つ日の為に、父も母も準備をしてくれていた。
できるだけの準備はした。
それは、もうここには戻れないという覚悟の現れでもある。。
「お墓参りにはこれなくなっちゃうかもしれないけど、いつかきっと帰ってくるから」
それでもそう言うアスカのことを、ヤマトは責められない。帰りたい場所だということに偽りはない。
母の墓石には、二人で名を刻んだ。
『伊田芽衣子 尾畑寛太の最愛の子、大和と明日香の最愛の母、そして日呼壱の最愛の妻』
遠い未来に、誰かがこの墓を見つけて、この文字を読むのかもしれない。
日本語だから誰にもわからないかもしれないが、それでも、残しておきたかったのだ。ここで生きて、ここで死んだ母のことを。
「猫たちと、狼たち。お墓と家をよろしくね。裏の戸、開けておくから」
風除けの壁を幾重にも作って裏の戸を開けていく。猫たちが出入りできるように。
誰もいなくなってしまう家だが、彼らには良い住まいだろう。
伊田家の裏には、大きな水槽が作られていた。木で作った水槽は高い位置に設置されていて、川の流れで動く水車がそこに水を溜めると、高低差で家の水道管を流れていくようになっている。井戸水ポンプはもう壊れて動かなくなってしまったので、みんなで苦心して作ったのだった。
水車の流れを切り替えて、水が流れないようにする。もう誰も家の水道は使わないのだから、宅内の水道管に水を供給する必要がない。
年数が経って配管が水漏れしたら、それで早く家が腐食、劣化してしまうだろう。
戻る可能性はほぼないとしても、この家が少しでも長く存在していてほしいという願いがあった。
「シャルル・ドゥゼム……トロワも、ここを頼むよ」
墓の前に立つ二人を、家の屋根の上から銀猫の親子が見守っていた。二代目と、三代目だ。
さくらとマクラの子孫になる狼たちも、遠巻きに見守っている。
「グレイは一緒に来てくれるみたいだから……ジゼルたちが生まれたばかりだけど」
年若い狼のグレイは、さくらの長女ハナの孫になる。ここのところはずっとヤマトとアスカに付き添って狩りを手伝ってくれていた。
仲の良かった別の雌狼──ウォルフの子どものアッシュが子供を産んだ際、その赤子をぺろぺろ舐めていたので、多分父親になったのだろうと思う。
二匹の子供は、バッシュとジゼルと名付けた。二匹とも雌で、ジゼルは胸元にに三日月のような白い模様がある。
初春に生まれた子狼が少しだけしっかりと歩き出したくらいの頃だった。
湖の北からウシシカや石猿が逃げ出すように南進していった後、あの黒鬼虎が現れた。
北の川沿いを縄張りとして居座ったそれを、ヤマトたちはしばらく監視していた。
グレイだけではなく、他の親狼や兄妹たちも集めて群れとして黒鬼虎を狩ろうとしたあの日のこと。
運命の日だったのだろう。
何か別の存在に意識を割いていた黒鬼虎の前足を先制攻撃で痛打できた。グレイが最初に、そしてアスカが二撃目を。鉈で右前足を切った。
かつて父が、ヤマトとアスカを背中に庇いながら黒い右前足を切り裂いた時――のようにはいかなかったけれど。
巨大な猛獣といえど、巨体だからこそ、自身を支える足にダメージを負えば動きが鈍る。体重をかけると痛むために、その動きが単調になる。
あとは狼と連携して、ヒットアンドアウェーを繰り返した。
深入りせずに、少しずつ。
以前に見たことがあったから出来たのだとヤマトもわかっている。
過去に日呼壱が、たった一人であの恐ろしい魔獣を倒したときの光景は、ヤマトとアスカの記憶に強烈に残っていた。無敵のように思える黒い獣も、倒せる生き物なのだと知っていた。
それが出来たから、こうしてフィフジャを助けることが出来て、この森を抜ける道が開けた。
「全部、繋がっているんだよね。なにも無駄なことなんてなかったって、僕が証明するから」
「ヤマト一人じゃ出来ないでしょ。私だっているんだから」
生意気な口を叩く妹だが、それが強がりではなく本当に頼れる存在だということはヤマトも理解している。
助け合って生きていきなさい、と父も母も言っていた。
たった二人の兄妹になってしまったのだから、もちろんそうする。
(母さん……何かあっても、僕がどうなってもアスカだけは死なせないから。父さんたちも、見守っていて……)
妹には言わない。恥ずかしいし、柄でもない。
ただ心にそう刻んで、頷いた。
「それじゃあ、行って来ます」
「行って来ます。大好きだよ。いつまでも、大好きだから」
◆ ◇ ◆
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